三 恋風は米の上がり 局に下がりあり

 「朝は知れぬ世の中。善は急げ。」と昔、誰やらが言ひけるが、一つもこれに外れず。
 めつた的の徳兵衛、盆の長兵衛などいふ色里駕籠の者ども、浮世小路にさりとては暇なり。枚方へ二匁五分取りて、はかの行く事にはあらず。つらつら野に出て、唐きびの根ざしを見しに、今年は風の吹かぬ年なれば、米商ひ暇なり。
 大坂の色騒ぎ、天職より囲まで買ひ上げ、陰子のはやるは、北浜の若い者の勢ひばかりなり。「雲にしるが出来て、雨の降りしこる後は、風。」と見定め、てんぽに手を打ち、思ひ入れの米買ひ。一時余りに立ち続き、目振る間に二匁上がれば、後は知れねども、利を胸算用にして、昼から篤籠のはやる事。三百挺余り悪所へ乗り込めば、俄に貰ひに歩き、又は、不断暇なる女郎の仕合せと成り、揚屋、次第にやかましく、いよいよ雨の宮、風の神を祈りけるが、その夜に入りて空晴れて、青雲静かに月出れば、いづれも言ひ合はせたるやうに、小歌、三味線もやめける。心を付けて俄大尽の顔つきども見る程、可笑し。こんな客にあふ女郎の身に成るも、うるさし。
 同じ北浜ながら、「奥州身請けの大尽。」「吾妻を山本に根引きせし。」など名の立ちけるも、女郎の出世なり。椀久などを、その頃は少し愚かなるを、御敵の不足の顔つき見えしが、これは、我が物を遣ひて、太鼓その外にも嬉しがる物を遣りける。今、しやれ分に成りて、太夫にあへる客の、末社をも連れず、時の風俗とて、木綿の仕立着る物で出かけぬる人あり。この気からは、神ぞ傾城買ふ筈無し。下帯の古きにも遠慮なく、面々の女房で埒のあく事ぞかし。女郎狂ひといふは、男も衣装好みして色作るこそ、その甲斐あれ。同じ米を搗かずに食ふやうに思ひ、売り物ながら、女郎もいやがる事、言ふまでも無し。女郎の着る物に襟を掛けけるさへ、よき目からは、余程気詰まりなり。
 さる程に、今時の仕掛け、悲しき買ひ手ども、あまた見えたり。わづかの身代にて、親より仕似せの商ひ、又は職人も、その一家、弟子などの大勢を朝夕引き廻して、寄り合ひ過ぐると算用を立て、米も加賀の大ひね、或いは琉米、又は赤米。百五十入りの小鯵、一文菜より内に当たるを吟味して、薪も、「舟大工のこけらを徳。」と気を付け、「鯨油の光が良い。」と爪に火を灯すやうに始末しても、取葺屋根のざざ抜けするを、この四年も葺き替へる事の成りかぬる人の色道は、分別の外ぞかし。茶屋狂ひもせぬ筈の者が、男作りて天神買ふなど、この三十目の銀は、家内が働きても、えいやつと五日程に儲け出す銀にて、女郎狂ひはする事なり。
 連れ添ふ女房の夜着、蚊帳まで質に置き、二日払ひの間を合はせ、年中二つ分づつ先繰りにかかりて、「幸ひの暇なれば、この名月。一つ出やう。」と進めど、「まづ下地のが済みましてからの事。」と揚屋から指図しられて、是非も無くやめて、立ち帰りさまに思案して、「成らう事ならば、何とぞあはして下され。この一つ分の銀は、この二十七、八日に心当てが確かにござる。こなたにも銀戸棚が要りませうが、木を吟味して、一つ拵へておこさう{*1}。」と言へば、「私の方は銭箱で埒があきます。」とよそ見して居て返答するも、聞いて、「何と、親仁殿。どこも家の値が上がりましたの。こちの町でも、この程二貫目、屋敷に売りました。」と語る。亭主うなづきて、「こなたの御家にも、何ほど借らしやりました。さのみ売りへぎもござるまい。」と言へば、「外に借銭は無し。こなたへは損はかけますまい。月見は我らのあふやうに。」と頼む。
 「さても不憫なる大尽や。あれから首尾を頼むに、これから言葉を下げて、さりとては無念なる男。かやうの分けにて女郎狂ひ、何の面白き事ぞ。」と大笑ひすれば、この揚屋、古文めきたる顔つきして、言ふか言はぬか。「只今の大尽様方、何の子細も無く、銀に気骨を折らず、心良くこの里へ通はせらるる大尽は、広い大坂に、物が五人までは見えませぬ。後は火に成る事も構はず、恐ろしき口入に書付を出し、騙り半分の借り銀。或いは、手を良く呉服物を買ひがかり、これを売り損して、ここもとの付け届けをしたり、又は、切りの延びる薬種を買ひ請け、その蔵ながら質に置き、虎の子渡しにはし給へども、一度は鰐の口を逃れず。今程、悪所宿の迷惑なる事は無し。
 「『これは良き客。』と思へば、人の嫌ひ手をかづき、物にならぬ事、幾たりか。揚銭、夜食、御所柿まで食はれ損。昔は、女郎に恋の詰め開きばかり談合せしに、近年は、内証の事を聞かせば気の毒がりて、紋日勤めて貰ひながら、その分けの立つまでは物思ひける。仮の契りなれども、男は悪しく思はぬ事ながら、揚屋の不首尾うたてさに、その客のしがを見出し、『裏継ぎのある肌着、竜門の羽織に木綿入るるからは、何とも合点が行きませぬ。』と、女郎と宿屋と一つになる世とは成りぬ。」
 これを思ふに、それぞれの分限より、色も奢り過ぎたる故なり。とかく、本大尽の切れ目なり。昔日、刀友が妻川に一度に衣装三十揃へて取らせ、布平が小太夫に金の櫛箱遣る事、又出来まじき事ぞかし。その時は笑ひしが、とまが四十五貫目に下屋敷売りし銀を、すぐに役者に荷はせ、吉田十郎兵衛が所にて、ばらりばらり遣ひしも、玉市が、きわだ染の小袖に紅裏の裾をからげて、雑木の割り売りするも、泉平が千之介を請けて、一文づつが酢、醤油の店つきも、女男の昔残りて、あはれ、世や。

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校訂者註
 1:底本は、「おこそう」。