一 女郎が良いと言ふ 野郎が良いと言ふ
南江の至り茶屋に遊んで、つらつら鉄眼建立の唐造り眺めて、「あの銀の入り目あれば、南西両所の色遊び、亭主も嬉しがる程にさばかれけるに。無用の後世の昼。夜店の有り難きを知らずや。」と何心もなく酒呑みて、少しの内の淋しさ、「銀一枚の堪忍所。」と始末する内に、ねう鉢、銅鑼の音して、火屋の煙立ち昇るを見て、分別変はり、「いづれなりとも、暇なる子どもを呼びて遊べ。」と油太といへる大尽、進みて主と相談すれば、「今日は私の物好き。芸子さらりとやめて、京からの旅子、各々様を見知らぬを七、八人取り寄せて、ざつと踊り仕舞ひにして、その後は蕎麦切り。次に御行水。さて暮方より夜店でなければ、夜が明けぬ。」と。「野郎御蔭に世を渡りながら、無用の女色を勧め、身の上知らずめ。」と大笑ひして、「その京ども、残らず見る事なれば、ひと慰み。女郎の如く借る事の成らぬが気の毒。」と。大尽のはづみ、只遊ぶ太鼓らが吟味するも可笑し。
時に亭主がいづれをも呼び立て、「一人一人見るまでも無し。好き好きに埒のあく事がござる。」と内証の納戸の口を見せけるに、よろづの貼紙あり。まづ今宮の十日恵比寿、日待山伏の御札、病み目の妙薬、柱暦。その次に、地芝居子どもの品定め。それより陰子の事を、かやうの宿々へ、それに付きたる若い者が書き付けを遣はし置き、「かかる折節、物好きに呼ばすため。」とて可笑し。
「一 花山藤之介、年十四。色白にして目付き良く、嘉太夫節語り申し候。一 岩滝猪三郎、年十六。踊り上手、投げ節歌ひ申し候。風儀、そのまま女のやうに、柔らかに生まれつき申し候。一 夢川大六、年十五。酒振り、幾たり様の御相手にも成り申し候。文作の三味線、良く弾き申し候。旅子の内では、衣装あつぱれ着せ申し候。一 松風琴之丞、年十七。影人形良く使ひ申し候。この外、口から水を吹き出し、壁に文字を写し申し候。品玉、塩の長次郎まさりに候。一 深草勘九郎、年十七。物言ひ、この以前の鈴木平八生き写しに候。何も芸は無く候へども、床達者に候。一 雪山松之介、年十九。野郎なり。座に付きたる所、本子に取り違へる程に候。」
「さても才覚なる書き付けなり。いづれも同じ値段なれば、中にも紫帽子が取り徳ぢや。」と言へば、「まづは、かさにかかる男かな。あの方から十九と書き付け出せし者、三十九か四十であるべし。汝は二十一歳にして太鼓持。親仁と一つ蚊帳に寝た心なるべし。縁の遠き娘の年隠すは、二つか三つか五つか。二十過ぎて振袖着るを、我が町を離るるまでは足早に、人の思はくを恥ぢける優しきに、芸子、年包むからは、十違ひなり。京は大坂に下り、大坂は江戸へ行きて、生まれ日の知れぬ故ぞかし。何の、善悪の沙汰。鼻の高い子どもを揃へて、これぞ天狗頼母子。突き当て次第の遊興。」と十一人呼び並べ見たる所、何も一つに見れば面白し。野に咲く菜種もわつさりと、花は皆にて二両三分がもの。
「さても安い事かな。」「過ぎし秋の頃、南都に大尽の御供して、木辻町の女郎、残さず呼びて十六人。小判四両で花遣りしが、その所々の騒ぎは可笑し。」「とかく安物は銭失ひ。これも可笑しからず。」と、「少しも早く落ちよ。」と、十一人立ち並びて踊る最中に、ばらりと立ちて、新町筋を東の門より鳴り込みて、「今の世の銀持ち大尽、御気に入りたる女郎あれば、勤め十年を、めでたう親の内へ帰り給ふまで御買ひなさるる。」と男を立てる太鼓持、九人前後取り廻し、御先へ。御敵より紋付の二つ提灯、揚屋から人橋かけて盛り砂せぬばかり。「追つ付けこれへ御成り。」と九軒の井筒屋にさざめきて、「そもそもこれは、阿波の鳴門に身は捨て舟といふ大尽。」
「我、国にて銀も瓦も同じ事。大分持ちながら、終に揚屋の手にも渡さず、世間を見せぬ事を口惜しく、年に三度づつ、銀捨てにばかり上れば、何事も大束に出て、末々までも喜ばせ。」と、まづ女郎へ長徳寺二百、宿の嚊に金子十両。庭に使はるる男女にも小判の花を咲かせ、これをいかめしう、「今の世の大尽。」と、その鼻の高い事。「大坂の周りに天狗の住める山が無ければこそ。」と各々、物貰ひながらそしりて、「この奢り。これは。」と一人も驚く人無し。しかも耳こすりに、「女郎町は、金銀つかふ所に拵へ置けば、小判珍しからず。この前、松本といふ大尽の、久代にて玉の井様に、いまだ馴染みもない内に、『桃の節句の祝儀。』とて、何心もなう金子百両贈られけるを、我も人も見し事なり。この程、世上に金子の見えぬ折節なればこそ、一両の小判も二度三度頂きける。」と客あしらひの女房、立ち並びてこれを笑ひける。「いづれ、女郎狂ひの極まる所は銀ながら、一つは又、仕掛けもあるものぞかし。さのみ物も遣はぬ男に廻りて面白がるに、かく又、ばつとした事にて沙汰になるは、この大尽のさばき、悪しきに極まる。」といづれもの太鼓、付き添ひながら、行く末頼もしからず。
案の如く、三とせ経たぬに、国元の首尾損ねて、手と身に成つて、又大坂に上りて、所も広きに長堀の北側に、我が国方の者、借銭の海を抜け舟に越えて、ここの裏屋を借りて、身過ぎにところてんの草を干して、今日の日を暮らしぬ、やうやうこれに頼りて、迷惑がる宿を狭めて、無い内を食ひ潰して、無用の腹を膨らかし、しかも裏は葭原の揚屋町、鹿ばかりの寄り所。「弾き歌ひの投げも、勤め。」とて昼前より夜中過ぎまで、腕と声の続く程は、一日十七匁に当たる程喚きける。
昔は、あれ位の女郎に笑ひかけらるるもうたてかりしに、今の目にかかりて、二階座敷のすだれを巻かせ、小居眠りして、女郎に髭抜かせての楽しみ、さりとはさりとは羨ましく、我、世盛りに、七夕の日の内に六十両、露に打ちしも、あの男が二十匁に足らぬ今日のさばきも、傾城狂ひに心の変はる事無し。囲狂ひをすれば、三代にも尽きせぬ宝を、太夫にかかれば思ひの外、はかの行く事を、今といふ今合点して、何の役にも立たぬ事ぞかし。
小家の窓の明け暮れ、これに心を移しけるが、後には渡世悲しく、夜毎に蜘蛛舞の人形拵へて、朝に売りて、この糸の細き事にて命を繋ぎける。貧ほど人の心を変ふる{*1}ものは無し。その後は、小歌三味線かしましく、高塀一重の色里の事を忘れて、「何とぞ雑煮を食うて年をとりたき」願ひ。三とせ余り不自由に暮らし、三十七の極月九日に空しくなりぬ。
哀れや、帷子も着ぬ死出の旅。縄からげの棺桶、道頓堀の野に送られて、よその亡者の跡さして、やうやう煙とは成しぬ。今見れば竹林寺に、「山誉風雪」と切り付けて、銀二枚ばかりにて出来さうなる石塔。施主は、「越後町まん」と記せり。いかなる女郎か建てられける。心ざしの程、優し。この入れ替へに、思ひがけなき銀貰ひ給ふべし。
校訂者註
1:底本は、「かゆる」。
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