三 都も淋し 朝腹の献立

 身に相応の遊山は、天も咎め給はず。昔より聞き伝へ、見及びしに、宇甚といへる大尽、一生、洗ひ小袖を肌に付けざりしが、今は破れ紙子に風をひかず。紙帳といへる大尽、さりとては後生嫌ひなりしが、恋より起こさねばならずして、夫婦、目かけ女まで、墨の衣とは成りぬ。京にても花崎、「法師の世はやかまし。」とて、聚楽辺りへ引き込みけるも、女郎狂ひに退屈するにはあらず。賢く立ち廻つて、色もやめ時知ると見えたり。こればかりは、限りなきものなり。
 中といふ過書町の大尽、男盛りに世を逃れ、「これ程楽しみあるを、今まで知らぬは、さりとは遅き覚悟。」と、楊弓の矢尻こまに、一年を三貫目に盛り詰めての世帯。昔思ひ出して、何か面白かるべし。大屋敷売らぬ先なれば、智恵あるとも思ふべし。次郎といへる大尽の長町の下屋敷、不思議に残りて、角内、忠兵衛、髭の半右衛門などと面白く話し暮れて、尺八の手を良く、浮世を空吹く風のやうに見なしけるが、同じくは女のすなる挿し櫛、緋縮緬の二布{*1}をして、少ししたるき野郎を招き、色付の柱にもたれて、思ふ人に面を背き、甲張つたる声にて、「吉野の山を」歌ひしを、行きつき次第に竹に乗せたるこそ、色もありて聞き良けれ。塚口が天王寺に身を隠れしも、太子の如く子孫嫌ふにはあらず。
 人の心程、様々の取り置き、格別に変はれるものは無し。役者の藤十郎が、内証を構はず銀十枚出して、大津の大鳥買うて、常呑む酒の吸物にする事も、米河岸の相模屋大尽、西の久保に身を隠れながら、恵心の御作を売りて、すぐに太夫の千歳を買うたも殊勝なり。吉弥といふ振袖が、野田藤見帰りに、福島の里に身を逃れし人の元へ訪ねしに、「侘び住まひなれば、さし当たつて遣るべき物も無し。」とて小判五百両、「欲しき物を買へ。」とて、華奢道具に事を欠かねば、家ほど良き物は無し。
 たとへ隠者なればとて、雨露には濡れ難きに、何とて備利国といへる人は、宿も定めず暮らしけるぞ。その頃は、京都の歴々、朝夕の友とすれば、東山智恩院の門前町に居ながら、谷峰見晴らす所を借りて、楽々と勝手を続け給ふに、「とかく、これも難しければ、毎日各々廻り番にして、銀二匁一分づつ給はれ。これより外に望み無し。」と言ひける。「それは、いかなる事。」と問へば、「祇園町の弁当屋へ誂へ、それがし一匁三分、小者八分に定め、朝夕の椀洗ふ事も無く、これ程、埒のあきたる事無し。」と。願ひの通りにして、草庵には小釜一つ。白湯沸かして、香煎より人をもてなす物は無かりき。
 或る時、森五郎、鍔三郎などいへる者、早咲きの花に上りて、大和橋のほとりにしるべの茶屋に遊び、洛中にこれ沙汰の菱屋の吉まさりの姿を取り寄せ、弾かせて歌はせけれども、中々、西島の曙には似もせず。朝とく起き別れて、手水結び捨て、壺内の楊枝に歯を磨きながら、ふと思ひ出して、かの法師が元に訪ねしに、「これは。」と朝戸開けて、難波の事ども、京の噂取りまぜての物語、四方山の松に響きて高笑ひ。程なく日影立ち昇れば、主、気を付けて、「これにて朝飯を食へ。」と言ふ。「無用。」と言へど、是非に留めける程に、「しからば、酒麩一種。」と言ふ。
 主、硯を取り出し、「せめて京でなりとも、食悦さすべし。何なりとも、さあさあ望みの献立。まづ亭主が好きに任せて、汁は嫁菜、叩きて雲雀。さて焼物は、勢田鰻の格別なるを食うて見給へ。さて、子持ち鮒の煮びたし。これでは川魚過ぎたによつて、鯛を皮引きにして、あしらひなしの膾。さて、忘れた事。堀川牛蒡、太煮。これで良いか。」「何ぞ引き肴、見合はせに。」と書き付け、客、内証の頭数読みて、「この六人前、『少しも早く。』と不断の茶屋へ持ちて行け。」と小者に渡せど、聞かぬ顔して、火箸、左の手に持ちて、香の図のやうなる物を書きて居る。
 「さては、この丁稚も、御薬師様へ土器を懸くるか。」と言へば、「聞いては居りますれども、常々、届が埒あかねば、二人の膳さへ、『前々の銀持つて来い。』と申しましたものが、かやうの振舞申して参りましてから、念も無い事。致します事ではござらぬ。」と、おのが旦那を睨みつけて言ひける。この首尾、大笑ひして紛らかし、「いざ、我々が宿へ。」と誘ひ来て、取りあへずの朝食、四つ過ぎに成りぬ。かの法師、美食好み、酢の、塩のと舌打ちして、「大坂で食うたる鰆とは、蒸しても焼きても新しさ違うた物ぢや。」と。「世にある時を、今も忘れず{*2}。」と夢のやうなる心ざし。「さりとては、さりとては。万事捨て坊主には良し。」と、この腹の減る程笑ひける。
 これも昔は、「藤屋太夫職。」と大坂に名高き朝妻に九枚続きの誓紙も、火打箱の火口とや成りぬらん。誠に、暗がりから牛を引き出す如くに、楽寝を起こせど目を覚まさず。昼顔の花の盛りをたまたまに見しとや。これもこれにて、「死んだ時は、白帷子着せて取り置かれし。」と京の人が語り侍る。南無阿弥、南無阿弥。


 右「置土産」五巻の書は、浪花の俳林二万翁の作せる物なり。鳴呼、先生、滑稽に遊んでは、住の江の松に千年の名を残す二万三千句を吐き出し、書を編綱するに及んでは、又、並ぶ者無し。惜しいかなや、千年の鳥、名は朽ちずして、その身は五十二とせを期として、終に、仲の秋十日の月と、西の空に立ちぬ。ここにこの書は、病中の手すさびに執りし筆の跡、見るにゆかしく、「又、我に等しき人もあらん。」と梓にちりばめ、広むるになん。殊には、三の巻より四の巻にかかりて自筆を喜び、則ち、取り直さず出するものなり。「誠に、『九皐の鶴の声、天に聞こゆ。』とは、この人をや。」と濫りに筆を取るならし。

  書林
    京洛寺町五条上ル町 田中庄兵衛
    武江青物町 万屋清兵衛
    浪花堺筋備後町 八尾甚左衛門
    元禄六癸酉載冬月吉日
西鶴俗つれづれ    自作追つ付け出来申し候


校訂者註
 1:底本は、「ふた」。『新日本古典文学大系77』(1989)本文及び語釈に従い改めた。
 2:底本は、「わすれざりと、」。