この通りと始末の書き付け

【本文】

 六日飛脚に無用の銭出して、御状、御越しなされ候。さし当たつて急ぎ申さぬ御身代の内談。そこ元、室町の絹荷物{*1}、度々下り申し候へば、いづれにても御頼みなされ候へば、賃なしに相届き申し候を、世の費えに罷り成り候事を、さてさて御存じ無く候。この覚悟からは、次第に不勝手御成り候事、尤もに候。せめて、いづれも御無事御入り、一段に存じ候。はた又、ここ元珍しき干し松茸一袋下され、忝く存じ候。
 さりながら、御心入れ、満足に存ぜず候は、我等、この方へ罷り下り申し候は、早十二、三年に罷り成り候に、終に御状も下されず候。私方よりはその時分、四、五度も書中に申し上げ候へども、一度も御返事無く、世の義理といふ事、御構ひなされず、今又御用の儀に文下され、この方、満足に存ぜず候。惣じて人に無心言ふ前には、懇ろにしかけ、又は音信物を遣ひ、様々軽薄言ふ事、上方の風儀に御座候。関東は、中々さやうの当座さばき、合点致さぬ所に御座候。常々親しく語り合ひ申し候人には、金銀はさて置き、命を捨て申し候。
 各々心底、親類とは申し難し。私、身代破り、そこ元を罷り立ち申し候時、道中の遣ひ銀、わづか三十目の事さへ御貸しなされず、結句、「世間をたはけ者。」との御申し成し。罷り立ち候宵に、御暇乞ひに参り申し候へば、我等の足音御聞きなされ、その儘奥の間へ駈け入り、「天満まで念仏講に参られました。」と御内儀、まざまざと留守御使ひ候は、今に今に忘れ申さず候。他人さへ住所の別れを悲しみ、叶はぬまでも大坂に留まる談合、頼もしき事に御座候。この衆中御事、日夜に存じ出し候。近年に罷り上り、それぞれに御礼申し上ぐべく候。
 貴様は、従弟の事に御座候へば、酒小半で機嫌良う暇乞ひを{*2}して給はり候へば、何の恨みも御座無く候。切なき事は、忘れもやらず候。しかも十月{*3}十一日の朝、夜番の久蔵が所より、茶漬け飯の門出。「さらばさらば。わづらはぬやうにして、道中息災に御下りなされ。」と言ひも果てずに戸をさす時、「せめて見送りて{*4}くれぬか。」と物憂く心細く、寒空に古袷一つの旅出立。
 やうやう町家を離れ、枯野の薄ざはざはと、しやれかうべの露にぎらつき、磔場、小気味悪く、夜天狗の長九郎、鬼飯の半八、提灯消しの万兵衛、これらは皆々、西国の巾着切りども、ここの土と成りぬ。「これ程あさましき身も、盗みといふ事はせまじ。たちまちあの如く成るは恐ろし。」と、我と誠の気に成り候に、折節、偽りの時雨降りて、今市堤の栴檀の木も、暫しの宿には{*5}成り難く、旅の憂き事始めに、これは情け無く、笠さへ持たぬ身を隠しかね、昼の出茶屋が日隠しの元に走り着けば。
 我より先に鉢坊主の、宵よりここを宿として、前後も知らず臥して、その年の程八十と見て損は行かじ。大方長らへてから、限り知れた身なれども、命は今日を送りかね、皆まで覚えぬ観音経を読みて、その品々見えて、「さても軽い境涯や。」とあはれに無常観じ申し候が、しきりに降る雨に、その儘、心変はりて、この法師がかづき捨てし筍笠を盗み、それのみか{*6}、手拭ひ一つ取りて、足早に立ち退き申し候。
 身の悲しき時は、盗人もせまじきものにあらず候。その方様、不断の念仏、殊勝に聞こえ申し候が、その口から、人を騙りも言ふものに候。とかく貧者程、思ひの外、心ざしの変はる者は無く候。これ程憂き難に遭ひ、小田原と申す宿より路銭なくて、二日は水ばかり呑みて、やうやう下り着き申し候に、天道、人を殺し給はず。五、六年に二千両余り稼ぎ出し、只今二十三人、我等の才覚一つにて、ゆるゆると養ひ申し候。
 この方も、世上賢く成つて、その銀程、利を得、徳を取り申し候。利発なる男の身柄下りて、埒のあく事には御座なく候。たとへば、御大名の馬屋に入れ申し候藁売り。末の綺麗なる処を花瓶の込みに仕立て、その末を花火線香の芯致し候やうに、せち賢く罷り成り、大方の事にて中々、銭は儲けさせ申さず候。まだも我々の見立て、手の良き餅屋仕出し、又は、貝殻の沢山なる{*7}所なれば、細工人を連れ下り、石灰を焼き申し候か、この二色より見立て申さず候。
 これ程も大分、元の要り{*8}申す事に御座候へば、貴様のならぬ事に候へども、よくよく手前迷惑と見えて、遥々、我を頼みに書状御下しなされ候。この方所存、書き付けにして遣はし申し候。この通り、少しも御背きなく御稼ぎなされ候はば、そこ元御仕舞ひ早々、御下りあるべし。我等、元銀取り替へ、口過ぎの成り申し候やうに、致し進じ申すべく候。
 まづ、朝は七つ起きして、自鬢に髪を結ひ、さて草鞋がけにて唐臼を踏み、香の物菜の朝夕。夜は細縄をなつて荒物屋に売り、雨の降る日は下駄、笠を売るやうにして、身洗ふにも日当たりに水を汲み置き、湯を沸かす事を世の費えとおぼえ、酒、煙草を呑みとまり、見物事は、銭の要らぬ辻放下にも目を塞ぎ、女の顔を四、五年も見る事無く、盆正月の遊ぶ時、灸を据ゑて身の養生を大事に、鼻で息する程働く合点ならば、替はり番衆に雇はれ、手前の路銀遣はぬやうにして御下り、待ち申し候。
 この外、始末の段々は、その時分、面談にて申し入れ候。以上。
    六月二十九日    大坂屋治郎右衛門{*9}
  豊後屋徳次郎様

  この文を考へ見るに、江戸に仕合せ良き従弟の方、身代の事頼み遣はしける、と見えたり。この書き付けの通りに稼がば、遥々の所を下り行くまでも無し。大坂にても口過ぎの成る事なり。

【訳】

 六日飛脚に無駄な高い賃銭を出して、御手紙を下さいました。差し迫った火急の事でもない、御家計上の御相談ならば、そちらの室町から当方へは、絹物の荷物が度々下って来ますので、誰にでも御ことづけなされば、無賃で届けてくれますのに、無駄金遣ふ事を、さてもさても御存じないと見えます。こんな心の締まり無さから、次第に貧窮に落ちられるのは、当然の事であります。せめてもの事には、皆様御無事の由、大層結構の事に存じます。又、こちらには珍しい干し松茸を一袋御贈り下され、御懇切有り難う存じます。
 しかし、あなたの不人情には、私、不満足に存じます。その仔細は、私がこちらに下って参りましたのは、今から十二、三年の昔になりますのに、終に一度の御手紙も下さった事はありません。私の方からは、その当時、四、五度も差し上げましたけれども、一度の御返事もなく、世間の義理といふ事は御構ひなさらないのに、今は又、あなたの方の御用と言ふと、かやうに御手紙を下さいます。これが、私には満足に思へません。全体、人に無心でも吹っ掛けようとする前には、懇切ぶりの交じはりを仕掛け、又は遣ひ物など遣って、色々追従する事が、上方の習慣であります。関東の方は、さういふその場限りの軽薄は、中々承知する処ではありません。不断親しく交際してゐる中では、金銀を遣る事は言ふまでもなく、命までその人のためには捨てかねません。
 あなた方の御心(不人情の意)では、親類仲とは申されません。私が破産して、そちらを立ってこちらに下って参ります時、旅費と申しても、わづか三十匁位の事なのに、それさへ貸して下さらず、かへつて「世間の馬鹿者。」と吹聴なさいました。出立の前夜、御暇乞ひに参りますと、私の足音を御聞きつけなされ、急いで奥の間へ逃げ込みなされ、「天満まで念仏講に行って、留守でございます。」とおかみさんが、知れてゐる空事を言って、留守を御使ひなされたのは、今に今に忘れません。
 長く住み馴れた所を去るのですから、他人ですら、別れを惜しんで下さって、できないまでも、「大坂に留まってゐるやうに。」と色々相談に乗って下さったのは、頼もしい事でありました。かういふ御方々の事は、こちらに居ても、昼夜忘れられません。近年の内に、そちらに上って参って、それぞれに御礼を申し上げるつもりで居ります。まして、あなたは従兄弟仲の事ですから、酒の小半合も買って、気持ち良く別れて下さったならば、何の恨みなど致しませう。苦しい事は、長く忘れ難いものであります。
 しかも又、十月十一日の朝、夜番の久蔵が所から、茶漬け飯の出立膳食うて旅立ちをし、「さらば、さらば。わづらはぬやうにして御行きなされ。道中も御無事に御下りなされ。」と別れの言葉を言ひも終はらず、ぴしやりと戸をさした時は、「せめて少しでも見送ってくれる位の人情は無いものか。」と不快にも又心細くなって、寒い時節に古袷一枚の旅装で旅に出ました。
 漸く町家のある所を出離れて、野原に出ると、十月の事なれば、野は一面にうら枯れて、枯れ薄は風にざわざわと音立てて居り、仕置き場のほとりを過ぐれば、髑髏の、夜露に濡れて、ぎらぎらと光ってゐるのが気味悪く思はれました。夜天狗の長九郎や鬼飯の半八や提灯消しの万兵衛などといふ奴等は皆、西国筋を荒らした巾着切りの盗賊で、この仕置場で刑せられた者であります。「今ほど浅ましい貧窮の身に落ちぶれても、盗みといふ事は決してすまい。すればたちまち、かやつ等のやうに、刑場の髑髏と成り果てるのは恐ろしい。」と思ひ、我と我が心の真面目になるのをおぼえたが、丁度その時、時雨が降り出して、今市の土手の栴檀の木も、雨宿りする木蔭には間に合はず、これを旅のつらさの始めとおぼえて、情けなかった。
 道中のかぶり笠も持たぬ身には、雨をよける物も無く、昼間、旅人を目当てに出す掛け茶屋の、日蔽ひの下に走り着いて見ると、自分より先に鉢坊主が、昨夜からここを宿にして、前後も知らず眠ってゐた。その年の頃は、八十と見ても損はない程、老けてゐる。いかに生き長らへた処で、もはや先は知れたものであるが、それでも命は惜しいと見えて、今日明日を送りかねるやうな貧窮の中に、ろくに覚えてゐない観音経を読んで、銭米を貰って、その日その日を過ごしてゐる。これにも、世間に貧富様々な区別のある事が知られ、「さても手軽な境界の人もあるもの。」と深く人生の無常が感じられたが。雨はいよいよ降りしきる。何ともしやうのない苦しさに、たちまち我が心変はって、悪心生じ、この貧法師がかぶり捨てにしてゐた筍笠を盗み、その上に手拭ひ一つまで盗み取って、足早にここを立ち退きました。
 貧乏の悲しさには、盗みさへしないものではありません。あなたは不断、念仏を唱へておいでなさる。誠に感心な事ではありますが、その念仏を唱へなさる口で、人を騙るやうな事も言ふものでございますよ。とかく、貧乏人ほど意外な心の変はる者はありません。これ程の憂き目を見て、小田原といふ宿から、いよいよ旅費を遣ひ果たして、二日間、水ばかり飲んで、やうやう江戸にたどり着きました。ところが、諺にも、「天道は人を殺さず。」と申しますやうに、私も五、六年辛抱して稼ぐ内に、二千両の金銀を貯め、只今では二十三人の口を、私一人の知恵で、ゆっくり養ふやうになりました。
 こちら(江戸)も、世間の人が世知辛くなりまして、元手の高々程にしか金儲けができません。利口な男でも、丸裸で下って来ては、金儲けはできません。たとへば、御大名衆の厩に入用な藁を売り、その穂先の綺麗な部分を生花の込みに作って売り、又、その先を花火線香の芯に拵へるやうにして、世知賢くなりまして、並大抵の事では、容易に金は儲けさせてくれません。私どもの見立てる処では、体のいい餅屋を始めるなり、又は、ここは貝殻の多い所ですから、上方から職人を連れて来て石灰を焼かせるか、この二種より外、見立つべき商売はありません。
 この位の仕事でも、相当の元手の要る事ですから、あなたにはできない事ではありますが、よくよく手元御不自由と見えて、遥々の遠方、私を頼って御手紙を下さいました。ですから、私の考へ、書面にて差し上げます。文中の通り、少しも御違背無く御稼ぎなさるならば、そちらの世帯を御畳みなされて、早くこちらに御下りなさるが良い。私が元手金は立て替へて、御暮らしのできるやうにして上げませう。
 第一に、朝は七つ時に早起きして、人手を借らずに髪を結ひ、それから草鞋がけで唐臼を踏んで米を搗き、香の物を菜にして朝夕の食事を済ませ、夜は又、細縄をなって夜なべにし、それを荒物屋に売り、雨の降る日は下駄や笠を売りに出るやうにし、体を洗ふにも、日光の当たる所に、盥に水を汲んで置いて、その生ぬるくなったので間に合はせ、「湯を沸かす事は、世の贅沢。」と心得、酒煙草は一切やめ、見物などの慰み事は、たとひ賃銭のいらない大道の手品でも、目を塞いで見ないで通るやうにし、女の顔を四、五年も見ない事にし、盆や正月の人の遊ぶ時には、灸を据ゑて身の養生を大事にして、鼻で呼吸をする程に一所懸命に働く覚悟ができるならば、大坂勤番の方の番替はりの時、御供に雇はれて、旅費に懐を痛めないやうにして、こちらに御下りなさい。待って居ります。
 この外になほ節倹の色々は、御下りの節、御目にかかって申しませう。以上。
    六月二十九日    大坂屋治郎右衛門
  豊後屋徳次郎様

  この手紙を読んで考へて見ると、江戸に下って成功してゐる従兄弟の方へ、身代の事を相談してやったもの、と見える。この中の箇条書きの通りに稼ぐならば、遥々大坂から江戸まで下って行くまでもない。大坂に居ながらでも、暮らしはできるものである。

前頁  目次  次頁

校訂者註
 1:底本は、「絹荷(きぬに)たび」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「いとまごひして」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「十一月」。訳及び『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 4:底本は、「見おくりくれぬか」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 5:底本は、「せくざんの木もしばしの宿(やど)に成がたく。」。『新日本古典文学大系77』(1989)本文及び語釈に従い改めた。
 6:底本は、「それのみ」。『新日本古典文学大系77』(1989)語釈に従い改めた。
 7:底本は、「もたも我(二字以上の繰り返し記号)の見立手のよき餅屋仕し。又は貝がらの沢山(たくさん)所なれば」。『井原西鶴集 三』(1972)本文及び語釈に従い改めた。
 8:底本は、「元入申事」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 9:底本は、「治良左衛門」。訳及び『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 :底本は、「」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。