人の知らぬ婆の埋み金
【本文】
御異見度々の御事。その時分は奢りの最中にて、悪所狂ひ、やめ申さず。今、遠国に勘当せられ、さてさて身にこたへ、後悔に存じ奉り候。
さりとては山家住まひ、悲しく候。かねて承り申し候よりは、飛騨の国の万事不自由なる事、中々、筆には尽くし難し。口々に番所厳しく、出入りの者に手形の吟味、厳しく候へば、我が儘に上り申し候事も成り難く、いづれも、罪なうして流され人同然に御座候。所に住み馴れし人は、「世界は皆、かやうのもの。」と思ひ暮らし候。
その淋しき事、明け暮れ、所の人より外を見申さず候。通り筋の本町にて、皆々立ち並び、昼中に鞠を蹴申し候に、人をよけるといふ事無く、終に目の青き鯛を、前代見た人無く、鯖もあぶれば粉に成り申し候を、朔日、二十八日に祝ひ、五節句遊ぶ日も、道近き山原に上がり、大木茂りてよそは見えぬ岩の平らかなる所に、茅葉筵を敷きて、石地の芋を塩煮にして、濁り酒を呑み申し候より、楽しみ無く候。いづくも謡の節は違はず、堅い座敷も乱れし時も、只「山姥」にて埒をあけ申し候。この程は、高野聖ども、ここ元の名物、縞紬を調へに罷り越し候が、宮川町にて聞きはつり申し候や、今のはやり唄も、そこそこを歌ひ申し候を聞くに、ひとしほ都ゆかしく存じ候。
世間の親仁とは違ひ、いまだ二十年は確かに無事の生まれつき。それまで待ち暮らせば、我等も四十七、八にも罷り成り申し候。しかれば、浮世に何の面白き事も時分過ぎ、杖つきての栄花、楽しみ無く候。殊に葬礼待ちて、いつまでか定め難き心当てして山家住まひの切なさに、親より先へ死ぬるは、見えて御座候。もはやここの土に{*1}朽ち果て申す覚悟、極め申し候。命は今日も知れず候。後にて、少しの事に恥をかき申し候も、口惜しく候。そこ元、わけもなうし散らかし申し候内証、頼み申し候。揚屋、子供屋、手形借り、知れたる買ひ掛かりは、残らず親仁手前より相済まし申され候由。色里の外聞は、せめての事に御座候。わづかの事に我を恨み悲しむ者、いかにしてもむごき事に御座候。この分、御才覚なされ、埒御あけ、頼み申し候。
新町通、銭屋と{*2}言へる質屋へ、久七が婆を使にて、対の珊瑚珠に三百目借り申し候。我等、堀川にて吟味致し、七百目に買ひ申し候。これを御請けなされ、伊勢講中の掛銭百七十目借り申し候を、この売り出しにて御済し、頼み申し候。又、石垣町茶屋のりんが浅黄無垢の肌着を、別れの朝、思ひの外の嵐なれば、つい下に重ねて帰り申し候が、小宿の庄八嬶が欲しさうなる顔つき。常々、何ぞ取らする約束なれば、人の物をかい遣りて、その替はりも遣らず、この首尾なり。いかにしても、その女の思ふ処もあり、一つ拵へて、このわけを御語りなされ御渡し、頼み申し候。
はた又、東の洞院、森下久庵老へ銀子二両、遣はし申したく候。淋病わづらひ申し候時分、十四、五服食べ申し候。寺町の小間物屋八兵衛方へ、十二匁四分御渡し、頼み申し候。内に隠し申し候唐傘、八本調へ申し候。又、奉公人宿の御池の吉郎兵衛方へ銀一両御渡し、頼み申し候。これは、子おろし薬、買ひに遣はし申し候事、御座候。謡屋の武太夫殿{*3}へ二匁七分五厘御払ひ。これは、集銭出しの割り付けと御断り、頼み申し候。羽織屋の新五郎に、衣装縫はせ申し候賃銀四十匁程{*4}。丸山の林阿弥へ銭一貫、九月十三日の座敷賃。七匁二分、堀川牛蒡二十本の代、八百屋九助に御済まし、頼み申し候{*5}。小川の鼠屋へ六匁、柄糸の代。柳風呂へ二百三十目。仏師左京所へ二十五匁、観音の御光の手間賃。藤屋甚九郎方へ三十六匁、ふんどし二筋の代銀。
駕籠の九市が方より銀八百匁の手形、貴様へ御内証申すべし。これは、遣らぬ銀子の子細は、四枚の名人をかけて、前後に四百両ほど取り申し候。寺ばかり十五、六貫目、春中に取り申し候。俄に家屋敷買ひ申し候は、近江屋の五郎作と我等との銀子にて御座候。
六角の髭団兵衛が所に、弥介の鼓の筒、孫六の大脇差、預け置き申し候。金子一両二分遣はされ、御請け取りあそばし、御差しなさるべく候。団兵衛事{*6}、久々の浪人なれば、折々心付けして目をかけ申し候に、同じ浪人の娘をしかけ物にして、大分、我をねだらせ、金子百五十両取り申し候。さりとては憎い仕方にて御座候。
又、大宮に九間口の屋敷を買ひ、裏に座敷を立て、万事に八貫目ばかり要り申し候。島原の中宿に、「丹波口もやかましき。」とて、末社どもが勧めて、「小耳徳右衛門」が名代にて、買ひ置き申し候。売り券状は、この方に御座候。我等、寝所の西の方の柱の節穴に、確か押し込み、入れ置き候と覚え申し候{*7}。御穿鑿なされ、御取り返し、頼み申し候。
この外、御聞き合はせなされ、我等、分けの悪く、少しの事にてひけ申し候分は、見事に御済まし、頼み申し候。取り集めて五、六貫目の事に御座あるべく候。他人には、ゆめゆめ聞かさぬ事に御座候。腹こそ替はれ、兄弟の御よしみに、この儀は一重に頼み申し候。我等も、貴様御一所に御座候時、御奉公仕り置き申し候。
この上に、何か隠し申すべし。近頃近頃、心掛かりの一つは、御隠居妙貞様の臍繰り金五百両。八十余まで大事にかけ、小さき茶壺に入れ、蓋を閉めて、随分人知れぬ取つて置き所、前栽の東の隅に、三本並びの杉の木の下に、昔よりこの屋敷に{*8}伝はりし稲荷小宮あり。この下の平石を上げて、かの壺を掘り埋め給ひしを、我等、髪置き年なれば、婆様、気遣ひし給はず、これを見せ置き給ひしが、三つにて見し事、金に事欠く時思ひ出し、ひそかに盗み、跡はありし如くに致し置きけるを、日に三度、夜に一度、「ある。ある。」と思し召し、見廻しに御出あそばしけるが、「この金のない事知らせ給はば、定めて目を廻し給はん。この頓着なきやうに、頓死をなされ候やうに。」と願ひ申し候。
さて、母人、貴様は不憫をかけ、実子の私をしみじみと憎み、親仁の手前、一門中へも悪しく申し候事、世間とは格別に御座候。是非もなき仕合せに存じ極め申し候。以上。
八月十九日 同宇右衛門
山崎屋宇左衛門様
この文を考へ見るに、親に勘当致され、飛騨に追ひ込まれ、山家住まひに難儀の有様、京なる腹替はり兄の方へ{*9}言ひ越す、と見えたり。
【訳】
御忠告、度々して下さいましたが、その頃は遊蕩の最中で、とうとう遊里通ひをやめませんでした。今、遠い地方に勘当の身となって住むやうになりまして、その時の御忠告が、さてもさても我が身にしみてこたへ、後悔致して居ります。
さても、山家住まひといふものは、悲しいものでございます。かねて聞いて居りましたよりは、飛騨の国といふ所は、何事も不自由な所でございます。中々、筆では書き尽くす事ができません。出口出口に厳重に番所を設けて、出入りの旅人の旅券の取り調べが厳しいので、自由に京都に上る事もできません。皆、罪なくて流罪に処せられた人と同じ事でございます。かういふ所にも住み馴れた人は、「世の中といふものは、どこも皆こんなもの。」と思って平気に暮らして居ります。その淋しい事と言ったら、明けても暮れても、所の人の同じ顔より外は見られません。
本町筋の大通りに大勢立ち並んで、昼日中に蹴鞠の遊びをしますが、別段に通行人をよけるといふ面倒もございません。目の青い、生きの良い鯛は、ここでは前代から見た人はございません。塩鯖も、火にあぶれば粉々になるやうなものばかりです。それも、一日、二十八日の祝ひ日に食べるだけです。五節句の人々の遊ぶ日も、道に近い高原に登り、大木の茂って目遠の利かない平たい岩の上に、茅葉筵を敷いて、石地の痩せ畑にできた芋を塩煮にしたものを肴に、濁り酒を飲む習慣になって居りますが、それを無上の楽しみに致します。どこでも謡の節は違はないもので、儀式堅い座敷でも乱れた酒席でも、只「山姥」一つで済まします。この頃は、高野聖どもが、この所の名物、縞紬を仕入れに参りますが、京の宮川町で覚えたものでせうか、当世のはやり歌のうろ覚えの怪しいのを歌ふのを聞きますと、ひとしほ京の事が恋しうなります。
(親父は)世間一般の父親とは違ひ、まだ二十年間は無事息災に生き延びる事のできる強壮さであります。その死去なされて自分の時代になる時を待って暮らしたら、自分の年齢も四十七、八歳になってしまひます。さうなれば、年を取り過ぎて、浮世に何の面白い慰みもなくなります。杖ついて栄華した処で、楽しみにはなりません。殊に、父親の葬礼を待って、いつまで当てにならぬ事を当てにして、山家住まひをしませう。その内には、この山家住まひの苦痛のために、父親に先立って死んでしまふ事は、目に見るやうでございます。
もう私は、この飛騨の土になって朽ち果てる覚悟を決めて居ります。人の命は今日明日に尽くるとも知れないものでありますから、死んだ後で、いささかの事で恥をかくのも残念です。そちらで無茶苦茶にし散らかした内証借りの借金の始末を御頼み申します。揚屋、子供屋の諸払ひや、証文入れた借金や、分かった掛け買ひの代金は、悉く父親の手元から支払って下さったさうです。遊里の名誉は強いて全うしませんでも、わづかばかりの金の事で私を恨み悲しむ者を、その儘にしておくのは、いかにしても残酷でございます。これらの分だけは、何とか御工面下さって、払ってやって下さい。御頼みします。
新町通の銭屋といふ質屋へ、久七が婆を使に遣って、一対の珊瑚珠で三百匁の銀を借りました。この珊瑚珠は、私が堀川で品質を吟味して、七百匁で買ひ取った品でございますから、この品を請け出して(売り払ひ)、その鞘で、伊勢講仲間の掛け金百七十匁の借りになってゐるのを払って下さい。
又、石垣町の茶屋女りんと申す者の、浅黄無垢の肌着を、或る朝の別れの際、余り寒い風が吹いてゐたので、つい下着に借り着して帰りました。ところが、小宿に帰って着替へをする時、その宿主庄八が女房がこれを見て、いかにも欲しさうな顔つきをしたので、かねて、「何か遣らう。」と約束をしてゐたのを思ひ出して、他人の物をその儘くれてしまひ、その替はりの肌着をりんに作って返す間もなく、勘当になってしまひました。この儘にしておいては、りんの思はくもあり、どうしても放っておけませんから、一枚拵へて、この次第を御話の上、御渡し下さい。御頼み申します。
又、東の洞院の森下久庵老(医者)へ二両、遣はしたう存じます。淋病にかかった時、薬を十四、五服、服用致しました。寺町の小間物屋八兵衛方へ銀十二匁四分、御渡し下さい。御頼み申します。家に隠して傘八本拵へました。又、桂庵の御池の吉郎兵衛方へ銀一両、御渡し下さい。御頼み申します。これは、女中をはらました時、堕胎の薬を買ひに遣った事がございました。謡謡ひの武太夫殿へ二匁七分五厘、御払ひ下さい。これは、割り前勘定と断って下さい。
羽織屋の新五郎に衣装を縫はせた賃金、四十匁程。丸山の林阿弥へ銭一貫文、九月十三日の後の月見の折りの座敷料。七匁二分、堀川牛蒡二十本の代金、八百屋九助へ御払ひ、御頼み申します。小川通の鼠屋へ六匁、脇差の柄糸の代。柳風呂へ二百三十匁。仏師左京が所へ銀二十五匁、観音像の後光の修繕料。藤家甚九郎方へ三十六匁、ふんどし二筋の代、御払ひ下さい。
駕籠屋の九市が方から銀八百匁借りた証文がある筈ですが、あなたに内々の事情を申し上げて置きませう。この銀は払ってやるに及びませぬ。その理由は、四枚の名人をかけて、私から前後に四百両ほど巻き上げてしまひました。きやつが取った寺銭だけでも銀十五、六貫目、この春中に儲けた筈です。俄に家屋敷を買ひ取りましたが、その費用は、近江屋の五郎作と私とから巻き上げた銀でございます。
六角通、髭団兵衛が宅に、弥助の鼓の筒と、孫六の大脇差とを預けておきました。金子一両二分御遣はしの上、御請け取り下され、御差し料に御使ひ下さい。団兵衛は、久しく浪人暮らしをしてゐますので、時々心付けを致し、世話をしてやって居りましたのに、同じ浪人仲間の娘を美人局にして、私を欺き、大分、私をねだらせて、金子百五十両も取りました。さても憎い仕業でございます。
又、大宮に九間間口の屋敷を買ひ取り、裏の方に座敷を建て、その万端の費用が八貫目ばかり要りました。島原通ひをした時の中宿には、「丹波口も面倒だ。」といふので、幇間どもに勧められて、「小耳徳右衛門」の名義で買っておいたのでございます。その屋敷の売り証文は、こちらに取ってあります。私の寝室の西側の柱の節穴に、確かに押し込んで入れておいたと覚えて居ります。御穿鑿の上、御取り返し下さい。御頼みします。
この外、なほ御聞き合はせ下され、私の不都合で、少々の事で不名誉になるやうなものは、立派に払ってやって下さい。御頼み申します。全て合はせて五、六貫目位でございませう。他人には、ゆめゆめ聞かさない事ですが、腹こそ違ひますが兄弟のよしみに、この事は一重に御頼み申します。私も、あなたと一緒に暮らした時分には、あなたのために尽くしておきました。
この上に何を隠し申しませう。この頃、最も心掛かりの一件を白状致しますが、それは、御隠居妙貞様のへそくり金の五百両を、八十余歳になられるまで、大事にかけて御持ちなされ、小さい茶壺に入れ、蓋をして、めったに人の知らないしまひ所として、前栽の東の隅に三本並んでゐる杉の木の下に、昔からこの屋敷に伝はってゐる稲荷の小祠がありますが、その下の平たい石を上げて、かの茶壺を、その下を掘って埋められたのを、私は当時、髪置き年の三歳でしたから、「まだ頑是ない者。」と思って、心配もなさらずに見せておかれました。三歳の幼少で見た事を、金銀に困るやうになって思ひ出し、ひそかに盗み出し、跡は元の通りにしておいたのを、婆様は知らずに、毎日昼三度夜一度、これを見廻っては、「ある。ある。」と安心しておいでなさったが、もしこの金のなくなってゐる事を御存じになりましたら、きっと目を廻しなさる事でせう。「この心配をなさらぬやうに。頓死して下さるやうに。」と願って居ります。
さて、御母様は、あなたを愛せられ、実子の私を深く憎まれ、御父様を憚り、又、一門中に気兼ねして、私を悪く言はれます事、世間通例とは大いに違って居ります。これは、「何とも致し方のない運命。」と思ひ、諦めて居ります。以上。
八月十九日 同宇右衛門
山崎屋宇左衛門様
この手紙の意味を考へて見ると、親の勘当を受け、飛騨の国に追ひ込まれて、山家住まひになった人が、その苦しい有様を述べて、京都に居る異腹の兄に訴へてやったもの、と見える。
校訂者註
1:底本は、「土(つち)と朽果(くちはて)申覚悟(かくご)きはめ申候。揚(あげ)屋子ども屋」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
2:底本は、「新町通り銭(ぜに)屋いへる」。『井原西鶴集 三』(1972)本文及び語釈に従い改めた。
3:底本は、「武兵衛殿」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
4:底本は、「四十程。」。『井原西鶴集 三』(1972)本文及び語釈に従い改めた。
5:底本は、「頼み候。」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
6:底本は、「団兵衛久々の」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
7:底本は、「入置申候」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
8:底本は、「屋敷(しき)伝(つた)はりし」。『井原西鶴集 三』(1972)本文及び語釈に従い改めた。
9:底本は、「兄へ」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
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