広き江戸にて才覚男
【本文】
長崎へ手代ども差し下し候幸便に、一筆申し入れ候。しかれば、紬縞半疋、御内儀様へ進じ申し候。不断着にあそばさるべく候。今程は、ここ元も結構なる衣裳、着申し候事、はやり申さず候。
はた又、貴様、大酒成され候事、少し御とまり候や、承りたく候。世界に怖きものは、酒の酔ひと銀の利にて御座候。その方、常住の御身持ち、一つとしてこの方、合点参らず候。まづ{*1}、今時の商売、銀親後ろ盾なくては、中々分限にはなられず候。その覚悟ない事、不才覚に存じ候。世の人は賢きものにて、又、騙し易く候。
さりながら、貴様の明石縮の帷子に黒縮緬の羽織、いまだ若い人の竹杖。そんな風俗にては、殊に堺といふ所、請け取り申さず候。中より下の身代の人は、鬢付、後上がりにして、奈良晒の浅黄帷子、二、三度も水に入れて紋所の上絵はげたるに、丸ぐけの帯に真皮の前巾着を下げ、折り目の切れたる扇を差し、二十七日{*2}八日を欠かさず御堂に参り、松の芯、下草取り合はせて三文ばかりがの、手に持ちて、夏も革足袋に雪駄はきて、人の確かに思ひつく身持ち大事にて、さて分限者に俄に取り入る事は、成らず候。
いつとなく近づき、少しにても病気の時分、節々見舞ひ、いつぞの程より勝手までつけ入り、面の皮厚うかかりて、医者穿鑿の時さし出て、懇ろに内談して、このついでに毒ならざる肴物を贈り、御内室へ菓子を遣はし、おのづから親しみ、験気の時分、礼返し、又喜びに参り、とやかくする内に出入るやうに罷り成り、時分を見合はせ、確かなる質物など肝煎り、少しためになる事をさして、名代の若い者どもに取り入り、まづわづかの取り遣り、約束違はず返して、はづみを見て大分金銀取り込み、その大節季にも、差し引き三ケ一程は手良く残し、皆は済まし申さぬが良く候。これを綱にして、先繰りに借り込み、手広く商ひ仕掛け、手前者になる事、程は無く候。
惣じて、商人の銀借り所拵へるを、第一に致し候。中々少しの手銀にては、はかの行く事にはあらず候。いかにしても、貴様、常々の手廻し悪しく、いつまでも同じ口過ぎ。しかも次第に淋しきやうに相見え申し候。
我等事、各々に見限られ、堺を出し時は、江戸までの路銭さへ無くて、「伊勢への抜け参り。」と偽りを申し、大小路の両替屋にて借り取りして罷り下り、何に取りつく島も無く候へども、才覚して刻み昆布に取りつき、そこ元にそれまでは珍しく、忙はしき所にて候へば、「良き仕出し。」とはやりて、年四、五年に金子八十両延ばし、松前の昆布を引き請け、問屋に成り、次第に分限に成り申し候は、手に取るやうに覚え申し候へども、銀親無くて手詰まり申し候時、ここ元、歴々金持ちへ出入り申さるる医者を{*3}見澄まし、わざとわづらひ出し、その医者を少しの事に療治を頼み、薬七、八服呑みて、この礼、金子一歩ばかり遣はして{*4}良く候を、小判五両に絹綿、樽肴をきつと遣はしければ、この医者、心当てより格別なれば、「思ひの外、手前者」のやうに方々にて言ひ歩き、世間、買ひ掛かりも心の儘に罷り成り候時、かの医者を頼み、金子の要る内証を語れば、この医者請け合ひ、小判五百両借り請け、これより手廻し良く、いまだ二十四、五年の内に、財宝の外、金子ばかり九千両、この正月の棚卸しに見え申し候。金なくて金は儲けられぬ浮世に候。その心得あるべし。
何と申しても、御江戸にて候。子供ども、悪気のつかぬ内に、御下しあるべし。盗人心さへ無くば、十年の内には小判三百両づつ持たせ、上せ申すべく候。その上は、銘々の手柄次第に御座候。ここ元、町人の風儀、中々軽行きに身を持ち申し候。我等、一万両の身代なれども、今に風呂屋へ供連れず、浴衣を自ら首に巻きて、入りに行き申し候。女房どもも、大勢の朝夕の飯を盛らせ申し候。見分悪しく候へども、この始末、年中に五十両やなどの違ひ、御座候。一日に二度杓子を持てばとて、手についても{*5}無く、又、香炉も持たれ申し候。「御上様。」とて打ち掛けして、大黒柱にもたれて細目遣ひしても、吾妻育ちの女の足の鍬平が直るにもあらず候。
さてさて、世に金持たぬ程、悲しきものは無く候。嘘も軽薄も悪心も皆、貧より起こり申し候。貴様、今の世渡り、半分よりは偽りの増し候様に{*6}承り申し候。「口惜しく思し召し、子孫のために今一稼ぎあれかし。」と存じ候。
八月十九日 松前屋権太夫 江戸より
薬屋忠左衛門様
この文の子細を考へ見るに、泉州堺を身代破り、こたび江戸にて稼ぎ出し、昔の一門の方へ内証を申し遣はせし、と見えたり。
【訳】
長崎へ店の手代を遣はしますので、その良いついでにことづけて、この手紙を差し上げます。さて、紬縞半疋、御かみ様へ差し上げます。不断着にでもして下さい。この頃は、こちらも贅沢な衣裳を着る事は、はやりません。さて又、あなたの大酒の癖は、少しはやみましたか、承りたうございます。世の中で怖いものは、酒の酔ひと借金の利息でございます。
あなたの不断の御行状、一つとして私には賛成ができません。まづ、当世の商売をするには、資本主の後ろ盾がなくては、中々金持ちには成れません。あなたは、この点に御分かりのないのが、不覚と存じられます。世間の人といふものは、賢いものですが、又、騙し易うございます。とは申しながら、あなたの明石縮の帷子に黒縮緬の羽織着て、若いくせに竹の杖をついてゐられる様子。そんな風をなさつては、この堺では殊に、承知しません。
中等以下の資産の人で、鬢の風、後上がりに結ひ、奈良晒の浅黄帷子を着、それも二、三度は洗濯したもので、紋所の上絵ははげた儘、丸ぐけの帯締め、それに真革の前巾着を下げ、折り目の擦り切れた扇を差して、月の二十七日二十八日は、欠かさず御堂参りをし、松の芯に下草を取り揃へた御花を三文ばかりが処、手に持つて、夏も革足袋に雪駄を履いて、人が見て、確かに信用してくれるやうに、身なりなどを大事にしてゐても、俄に金持ちに取り入つて、元手も借り出す事はできません。
いつとなく、さういふ人には近づきになつて、少々でも「病気。」と言ふと、度々見舞に行き、その内には勝手元まで立ち入り、面の皮厚く仕掛け、医者の詮議でもする時は、差し出て親切に相談に預かり、この機会に病人の毒にならない肴を贈り、又、「奥への見舞。」と言つて、菓子を遣ひ物にし、かうして自然に親しうし、快気祝ひの礼返しを受けると、又、その喜びに出かけ、とかくする間に、その家に出入りするやうになると、機会を窺つて、確かな抵当の貸し金など世話して、少しためになるやうな仕事をさせて、主人の名代になる手代などに取り入り、まづ些少の貸し借りには、約束を違へないやうにし、いよいよ好機に乗じて多額の金銀を借り入れ、その年の暮にも、利を差し引いて、借り金の三分の一位は体良く残しておいて、全部は返さぬ方が良い。この残した借金を便りにして、先繰り先繰りに借り入れ、その元手で手広く商売を広げれば、金持ちになれる事は、間もない事です。
全体、商人が元手の借り入れ処を拵へておく事は、第一必要な事で、手元にある少し位の元手で商売しては、金を儲ける事は、手ぬるい事です。何としても、あなたの不断の商売のやり方はいけません。それで、いつになつても同じ暮らししかできません。しかも、次第に衰微してゐるかに見えます。
私事は、皆様に見限られて、堺を出ました時は、江戸までの旅費さへ無くて、「伊勢へ抜け参りをする。」と偽りを言って、大小路の両替屋で借り放しにして、こちらに下りまして、取りつく島もなくて困りましたが、やうやう工夫して、刻み昆布の商売に取り付きました。それまでは当地では、刻み昆布は珍しうもあり、又、忙しい土地でもありますので、「これは良い発明。」とはやりまして、年の四、五年も経つ内に、金子八十両儲け貯めました。それから松前昆布を受けて、問屋を致し、次第に利を得て金持ちになります事は、手に取るやうなものでしたが、何分、資本主が無くて、行き詰まつて居りました時。
こちらの指折りの金満家達の家庭へ御出入りをして居られる医者に目をつけて、わざと作病し、ちよつとした事に、その医者に療治を頼み、薬七、八服飲んで、この御礼は金子一歩ばかり遣れば済む処を、小判五両。その外に絹、綿、樽、肴を添へて、立派にして遣はしました。すると、この医者、私をば「案外の金満家。」と思ひ込んで、方々で吹聴して歩きましたので、どこの店でも掛け買ひが自由にできるやうになりました時、その医者に金子入用の事情を語つて、「借り入れたいが、よろしく頼む。」と言ふと、この医者、それを引き受けて、小判五百両借り受けてくれました。
これから資本の繰り廻しも良くなつて、まだ二十四、五年しか経たない内に、諸道具の類はさておき、現金ばかりでも九千両といふ高が、今年の正月の棚卸しの際に見られました。金がなくては金は儲けられないのが浮世です。その点、よく御了解なさるが良い。
何と言つても(商人の働くべき所は)江戸でございます。あなたの子供達も、悪気のつかない内に、こちらに御下しなさるが良い。盗人根性さへなければ、十年の内には、小判三百両づつは持たせて、上方へ御返し申しませう。その上の儲けは、めいめいの働き次第でございます。
こちらは、町人の気風が甚だ手軽で、地味に暮らします。私も、一万両の身代になりましたが、今に、供も連れずに洗ひ湯に通つて居ります。浴衣を自分の首に巻いて、入りに行きます。妻にも、大勢の一家の朝夕の飯を盛らせて居ります。見た処、体裁は悪いけれども、この倹約が年中に積もると、五十両位の違ひになります。一日に二度、飯杓子を手に持つたとて、手が減るでもなく、又、香炉のやうな華奢な道具が持たれるやうになるでもありません。「御うへ様。」と人に言はれて、打ち掛け姿で大黒柱にもたれて、細目遣ひをして上品ぶつても、田舎育ちの女の鍬平足が直るものでもありません。
さてさて、世に町人と生まれて、金持たぬ位、悲しいものはありません。嘘も追従も悪心も皆、貧乏から起こります。あなたの生活を見ると、半分以上は偽りのやうに承ります。(これでは人と生まれた甲斐もありませんから、)「自省なされて、子孫のために今一奮発して、御稼ぎなさるが良い。」と存じます。
八月十九日 松前屋権太夫 江戸より
薬屋忠左衛門様
この手紙の意味を考へて見ると、泉州堺の人が、身代が持てなくなつて江戸に下り、この度、江戸で金儲けして、以前の一門中の人の元へ、金儲けの内状を言つてやつたもの、と見える。
校訂者註
1:底本は、「まいらず候。今時」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
2:底本は、「廿七八日」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
3:底本は、「いしやをすこしの」。欠文は『西鶴文集』(1914)に拠った。
4:底本は、「遣しよく」。底本語釈及び『新日本古典文学大系77』(1989)語釈に従い改めた。
5:底本は、「手につゐえもなく。」。『井原西鶴集 三』(1972)に従い改めた。
6:底本は、「まし申様に」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
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