二膳据ゑる旅の面影
【本文】
抱き乳母に気を付けて、角の入りたる挿し櫛、先のとがりたる笄、挿させ申されまじく候。
この度、長市郎に思ひの{*1}外なる怪我を致させ申し候は、この出替はりより置き申し候乳母、今までは問屋方に居たと見え申し候ひて、風儀取り繕ひ過ぎて、中々目に立ち申し候へども、いづれにても四季に八十目。「同じ銀ならば、恰好の見良きが良い。」と存じ、置き付け申し候。
姿とは万事違ひ、気立て良く、小間働きして、しかも傍輩付き合ひよろしく、嬉しく思ふ折節、長市郎を抱き上げしが、挿し櫛の角は鼻の先に当たり、笄にて左の目を突き、血は暫くやみ申さず。大方、死に入る程泣き申し候が、色々療治を尽くし、命は別の事も御座無く候へども、目は一つ潰し申し、これさへ悲しく存じ候に、又、右の方の目も、連れて悪しくなり、さても因果なる事にて、一人の孫、かくは成し申し候。
生まれつきも大方なれば、「随分育て上げさせ、老いの楽しみ。」と行く末の事ども思ふ甲斐無く、さりとては悲しや。今は、世間の口とて、「蝉丸の落とし子。」と異名を付けて指を指され、腹立ながら、せん方も無く、身を燃やし申し候。
今までは申さず候へども、長市郎が母の事、世に又も無き悪人。同じ所に密夫を拵へ、二年余りも忍び合ひしが、七十五度にも及びけるが、端々この沙汰致せしに、長之進、耳に入れども、少しも動ぜず。我が子ながら、落ち付きて一思案して、ひそかにその男を吟味致せしに、女房、この事を通じて、隠し男に長之進を闇討ちに致させ、その身もこれを歎き悲しみ申し候。それまでは、かかる巧みとは知らず、夫を討たれ、女の身にしては、不憫もひとしほまさり、各々、力をつけ申し候。
女房、誠がましく、「是非に夫の敵を取つて給はれ。」とこの事、深く歎き申せば、御奉行も不憫に思し召し、色々御詮議あそばし候へども、知れずして、月日を過ごしぬ。世は定めなき俄後家と成つて、忘れ形見の長市郎を愛して、物思ふ風情、あはれに見えし折節。
密夫、何とやら心がかりに成りて、世上より疑ふやうに思はれ、或る夜、駈け落ちして、大和より五日路離れ、勢州桑名の渡し場に着きて、夕風、思ふ儘吹けば、夜舟の心がけにて、旅籠屋に立ち寄り、「かけあひの飯を出し給へ。」と言ひて、座敷に通り、少しの内、仮枕。夢も結ばぬ内に、「所の名物。」とて、牡蠣の汁に焼き蛤を匂はせ、「申し申し。」と起こして、「御飯、参りませい。」と言ふ時、目をさまして見れば、膳二人前据ゑければ、「我一人なるに、二膳は据ゑける。一膳取れ。」と言へば、「最前、御両人御入りなされましたが、その御一人様は、どれへござりました。」と言ふ。
「これは。」と不思議さうなる顔つきする時、亭主罷り出、「御前様と後先に今一人、成程、座敷へ御入りなされました。」と言ふ。「それは、風俗いかやうの者にてありけるぞ。」と尋ねければ、「年の程は三十四、五と見えまして、少し横太り給ひ、髪は縮みて中低なる顔。しかも、目の上に出来物の跡ありて、縦縞の袷に柿染の羽織召して。」と段々申すに、「これは。」と横手打つて、「成程、この方に覚えあり。」と赤面して、この男涙ぐむを、主、「いかなる御事。」と申せば、「とても相果つる身なれば、大事を包まず語り置く。
「我、国元に長之進といふ者を、さる子細あつて闇討に致し、ひそかに立ち退き、『吾妻の方へ身を隠さん。』とこれまで参りしが、只今の話の男、我が手にかけし長之進がその夜の出で立ちに疑ひ無し。さては、我が身に付き添ひ、その執心離れず。かくあれば、いづくまでも逃るる所無し。我故、迷惑する人もあるべし。これより生国に立ち帰り、ありの儘に命を返さん。」と思ひ定め、こたび、大和にてこの段々を申し上げ、すみやかに首討たれし。女も、「逃れぬ所。」と身を菅田の池に沈め、目前に己が悪事さらし申し候。
その子ながら、「長市郎は長之進が形見。」と思ひ、この年月、二歳まで育て上げしに、今又、盲目に致し、かれこれ憂き事にあひ申し候。これに付けても、長生きはせまじきものに御座候。生ある者を捨てもならず、せめて世を渡る芸能を授け置き申したく候。七歳ばかりに罷り成り申し候はば、大坂へ遣はし申すべく候。名高き御座頭に師弟の御契約、頼み申し候。後々は勾当に成し申し候程の貯へ、我、仕り置き候。いよいよあはれと思し召し、御取り持ち、頼み入り候。以上。
十月二十一日 大和 長市郎 祖母
多田屋利右衛門様
この文を考へ見るに、我が嫁の悪心、密夫の因果顕はれ、己と命終はりたる有様を知らせ、孫の不憫を書き続けしは、誠に悲しき心ざし、とぞ思はる。{*2}
校訂者註
1:底本は、「おもひ外(ほか)」。『井原西鶴集 三』(1972)本文及び語釈に従い改めた。
2:底本、この篇全篇を欠く。本文は『西鶴文集』(1914)に拠った。
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