御恨み伝へ参らせ候

【本文】

 今更歎き申す事にはあらず候へども、余りなる御仕方、むごいともつらいとも恨みありとも御無理とも、分けては申し難く、とかく涙に筆は染めしが、手も震ひ、文さへ書かれぬに候。尤も、勤めは皆偽りの身に定め置きてから、それも、事によるべし。近う取つて、命を棄つるより外は無く候。神ぞ神ぞ、死にかねぬ女にて候。
 初めより、常とは格別の逢ひやう。方様、この里に御立ち入りあそばし候内は、「外の女郎に夢にも御逢ひあるまじき。」との御事は、そなた様より御申し出し、「それは、御気詰まりにて、かつうは御慰みにならず。我事は、御飽きあそばすまで可愛がりて、御訪ねあらば、微塵、如才に思はぬに候。まづまづ、末を頼みに御目にかかるに候{*1}。それより内に御見離しあそばし候おろかなる事も、あるべく候。随分詰まらん事の無きやうに、御気を取つて、その上は只、変はらぬ御情けに逢ふ女。馴染の男とては、外に無し。」と申し候。その時は、方様より外には無く候。
 されども、人も名を知る程に成り参らせ、過ぎし年よりは、暇日なく勤め申し候も、「まだしき時に、方様の御心遣ひ故。」と、それはそれは、あだに存ぜぬに候。今の身、はやるにつけて、同じ男に馴染を重ねしを、憎まれは致されぬに候。しかし、方様に思ひ変ふるなど、いかにあさましき身にても、さのみ御恩、忘れぬに候。
 この方に届けも無く、我等の定紋付けて見せかけられしは、少しうたてくは候へども、めいめいの物好き、この方から調へて遣はし候物にはあらず。気の毒ながら、ここは御了簡あそばし、御許し無くては、我が身、立ち難く候。この程、越後町扇子方にて、世間の見るを厭はず、筑後の衆に膝枕させて、鼻の上なるにきびを掘り候を御咎め、尤も。店に出て、ばつとしたるやうに思ふ目からは、方様へ伝へられし太夫様、良く存じ候。互に勤めなる身からは、さもしく思ふに候。
 人の事は見おろし給ふが、その身は口説の、暮方に提灯を持たされ、先に立つて、「天竺までも上り詰めたる男なればこそ、月夜に提灯持ちに成つて、東口まで送ります。」と良い加減に紛らかされしを、その客、川口屋の格子の先にて、「手の悪い女郎の過怠に、かくの如くこれを持たす{*2}。」と、この分けを言ひ散らして、「逢はぬ昔で御座る。各々、酔狂と思し召すな。今日に限つて小盃の徳右衛門と言ふ男。」と喚かれしを、小太夫様、八重霧様、井筒様も御聞きあそばし、隠れなき事なれども、人にこそ申さね、勤めの身には嬉しきは少なく、悲しき事、限りなく候。
 その太夫様に、京屋にて九日に御逢ひ候を、よくよく存じ候。一座に可笑しき人あるの由、「我が事、御忍び。」と思ひやりて、改め申さぬに候。又もや、恋にあそばし候は、堪忍ならず候。田舎人に膝枕させました事を御吟味強きは、方様には、少し愚かに存じ候。地の衆の名を知る男ならば、御せきも御尤も。この方にも、それには致さぬに候。口添へ酒さへ嬉しがり、過ぎにし菊の節句を勤め、又、正月の事を今から宿へ断り申し候。「外へ契約しやるな。」遣り手にもその通り聞かせ、「違ひなきやうに。先約は我等になり。」と銀遣ふ事に念を入れらるる、この律義なる男に、せめてそれ程の事は、気の凝りぬ事なれば、胸に手を入れ、額撫でて、喜ばし申し候。
 惣じて、かかる仕掛けども申さぬとても、分け知りの御身の俄なる憎みに候。御心一つにて、我が身、方様へ立て申し候事を、一つ一つ御思案あるべく候。そもそも、誓紙ばかり十三枚御取りあそばし候後、髷目の不自由なる髪を御切らせなされ候。その上に、左の手の肱に、方様の年の数二十七までの入れぼくろ。右太腿に煙管焼き。爪を離させ、小指を切らせ、血染めの袱紗物。方様の一日に千遍づつの夏書き。年中の日帳。昼夜に十二の一時文。女郎のする程の事は、残らず方様へ勤め申し候に、今又、その御仕方。いかにしても世上が立ち申さず候。
 その分けは、一日も暇のない身と、はやり申し候へば、いかないかな、御気の尽き申し候事は、申し上げぬに候。又、方様にも、三十日ながら御勤めなされかねまする分けにて、かく申すにはあらず候。我が身を只今まで、色々に刻まれ、その男に逢はぬ事は、成らず候。今より後、たとへばいかなる身に御成りなされ、人は見捨て申し候とも、我等は一日も御目にかからずば、この身を立て申さず候。女には似合ひたる剃刀、御座候。この御返り事次第に覚悟仕り候。方様には構ひなく候。只一人行く夢路の旅。脇道のない所にて、いつまでなりとも相待ち申し候。
 折節、勤め淋しく候はば、悪しき名の立ち申す事も、口惜しき御事なるに、この時節に相果て申すは、「女郎の運の尽きぬ所。」と神々を拝み申し候。今宵明けまして、昼より前に、この返し、駕籠吉右衛門より御越し。さ無くば、これより人遣はし申し候。今や、などかかる書簡、進じ申すべき事、思はぬ外の涙に候。心の騒がしき儘に、あらあら申し入れ候。もはや人の見候も、恥ならず。いつものやうに封じ目に印判は、押さぬに候。以上。
    十月二十一日    白雲
  名所屋七二様

  この文の子細を考へ見るに、分け里の口説の文は、知れた事。知れぬは、太夫に「白雲」といふ替へ名は、誰が事ぞ。これをひそかに思ふに、はやらぬ時に、良き男にのかれては、命も捨つるものなり。時めく身と成り、意気地にて「死ぬべし。」とは、いかにしても勤め女には優しき。我も人も、無分別に女郎を手に入れ、身に疵を付けさし、必ずのきさまに、埒のあかぬものにしなしける。これ皆、浮気の沙汰なり。とても、人にも勤めける身なれば、強う吟味立て、要らぬものなり。七二とは、いかなる九兵衛か、九右衛門か。本の名が知れずして、せめてもなり。

【訳】

 今更歎く事ではございませんけれども、あなたの仕打ちは、余りひどい仕打ちでございます。むごいとも辛いとも恨めしいとも御無理なとも、一々分けては申されません。とかく、涙に暮れます。その涙の筆を執つて、この御手紙を認めようと致しますが、その手も震ひ、御手紙さへ書けません。尤も、私の如き遊女は、「偽りで固めた身の上。」と世間では申して居ります。けれども、それも事によりませう。一概には申されません。かう成りましては、手つ取り早く命を捨てるより外に、道はございません。きつときつと、死にかねない女で(私は)ございます。
 あなたと私とは、初めから普通の(御客と遊女との)仲とは違つて居りました。あなたがこの廓に御立ち入りなされる間は、私以外の遊女には、決して会はないとの御約束は、元、あなたから御言ひ出しになつた事でございますが、その時私は、「それでは御窮屈な上に、御慰みにもなりません。私事は、御飽きになるまでは御通ひ下さるならば、いささかも不足には存じません。まづまづ、末を頼みに御目にかかるのでございます。それまでの間に御見捨てなさるやうな嫌な事も、起こるまいものではございませんから、随分つまらぬ事の起こらないやうに、御機嫌を取つて勤めます。その上は、ただ変はらぬ御情けを願ふ外ない私でございます。私に馴染の男とては、あなたより外にはございません。」と申しました。実際その時は、あなたより外には馴染の御客はございませんでした。
 しかしながら、その内に私も、人が名を知つてくれる程に出世致し、去年からは、体の暇な日も無く、御客を勤めるやうになりましたが、「これも全く、はやりません時分に、あなたが御引き立て下さつた御好意故。」と、それはそれは、あだおろそかには存じません。今、はやりつ妓になりましたにつけては、馴染を重ねて同じ御客に会ふ事は、遊女の身としては、憎まれる事ではございませんが、それでも、あなたを見捨てて外の客に付くなどといふ事は、いかに浅ましい身の上でも、そんな御恩を忘れる私ではございません。
 (或る御客が)私には一言の断りもなく、私の定紋を自分の物に付けて、世間に見せびらかされました事は、ちよつと嫌な事ではございますけれども、人にはめいめいに好き好みがございますもので、自分の好きでなさるものを、一々咎めもできません。私が拵へて遣はした物ではございませんからには、御迷惑ながら、この点は御勘弁下さつて、御許し下さらなければ、遊女の私は立つて行けません。
 先だつて、越後町の扇屋方で、人の見る前で筑後の御客に膝枕させて、鼻の上のにきびを掘つて上げたのを、御咎めなさいますが、それも、店に出て大つぴらにしたやうに思ふ人の目から見たら、無理もない事でございます。この事を、あなたに告げ口された太夫様の、誰かといふ事は、私はよく存じて居ります。御互に勤めの身でありますからは、隠してくれるこそ人情と存じられますのに、それをわざわざ吹聴したその人の仕打ちは、賤しむべきものと存じます。
 他人の事を軽蔑なされるその御本人が、馴染の御客と口説をした日の暮方に、提灯を持たされて、その御客の先に立つて、「天までも上せ上がつて大事に思ふ御客様なればこそ、月夜に提灯といふ、その提灯持ちになつて、東口まで御見送りをします。」と、いい加減にこの侮辱をごまかさうとしましたが、この御客が川口屋の格子先で、「たちの悪い女郎だから、懲罰として、かやうに提灯を持たせるのだ。」と、この分けを言ひ散らかして、「もう、かうなつては、こんな不都合な女は、逢はぬ昔と諦めて、捨てます。皆さん、酔狂の上の仕業と思うて下さるな。今日に限つて小盃一杯の酒も呑んではゐません。私は変名を『小盃の徳右衛門』といふ男でございます。」と呼ばはつて行かれましたのを、小太夫さん、八重霧さん、井筒さんも御聞きなされ、今はこの辺に知らぬ者もございません。けれども、私はそれを他人に告げ口などは致しません。口には出さなくとも、どうせ遊女の身の上には、悲しい事、辛い事ばかり沢山あつて、嬉しい事は少ないものでございます。
 その太夫様に、あなたは京屋で九日の日に御逢ひなさいました事を、私はようく存じて居ります。その御宴席には、面白い人も居られたさうでございます。それについて私は、『御忍びの御遊び。』と御推測申して、一々吟味立ては致しません。
 しかるに、私といふ者がございますのに、御斟酌もなく、その女と深い関係に御成りになつた事は、私も遊女の面目にかけて、堪忍できません。地方出の御客に膝枕さした事を強く御立腹なさるのは、あなたに似合はぬ愚かな事と存じます。当地の方で、ここら辺に名の知れた男ならば、私をせいて御会はせにならないのも、道理千万でございます。それで、私の方でも、さういふ人には決して致しません。私の口を付けた盃の酒さへ嬉しがつて呑まれ、過日の菊の節句には、私のために大金を遣うて下され、又、来年の正月買ひの事を、今から宿に申し込みなされ、「外の客には決して約束するな。」と言はれ、遣り手にも同様に言つておかれ、「間違ひのないやうにせろ。先客は俺だよ。」と大金遣ふ事に、一々念を入れて約束なされるやうな、田舎客の正直さを見ては、「せめて、それに報いるだけの事は、しなければならない。」と考へまして、別に難しい、気の凝るやうな事でもございませんから、懐に手を入れさせたり、額を撫でて上げて、喜ばして上げました。
 全体、遊女にかやうなる手管といふもののある事は、申しませんでも、粋なるあなたは、よく御存じの筈でございます。しかるに、それを言ひがかりにして、突然私を憎み出しなされましたが、御心の中でひそかに、私があなたのために致した事を、一々御考へ下さいませ。第一、誓紙ばかりでも十三枚、書かせて御取りなさいました。後で髷を結ふのに不自由なのに、髪を切らせなさいました。その上に、左の手の肘に、あなたの御年の数の二十七までも、刺青をさせられました。右の太腿には、煙管の焼き鏝を当てさせられました。小指を切らせて、その血で袱紗を染めさせられました。あなたの御名を一日に千遍、夏書きのやうに書きました。年中一々、日記を記して御見せしました。昼夜の十二時、一時一通の手紙を書いて差し上げました。およそ遊女のするだけの事は、どんな辛い事でも、あなたのためには致して来ましたのに、今になつて、あなたは不人情な御仕打ちをなさいます。それでは、遊女たる私の面目が立ちません。
 その次第を申しますれば、私は今一日も体の暇のないやうに、はやりつ妓となつて居りますから、決して気の尽きるやうな、窮屈な事など申すものではございません。又、あなたの方でも、毎月三十日、私を揚げて下さる事ができかねますから、かやうに申すのでもございません。私の体を今日まで色々にさいなまれたあなたに捨てられて、私はその儘になつては居られません。将来たとへば、あなたがどんな身の上に零落なされ、他人は皆、見捨てるやうな事がありましても、私は、一日も御目にかからないでは、この身の意地、面目が立ちません。
 女の自殺には似合はしい剃刀がございます。この手紙の御返事次第では、最期の覚悟を致します。しかし、あなたには関係のないやうに致します。只一人、冥途の旅につきます。冥途には迷ひ道はない筈ですから、私はいつまでなりとも、そこにあなたの百年の後を待つて居ります。現在、私がはやらない身の上ならば、定めし死後に悪評が立つでございませうが、それも残念でございますのに、はやりつ妓になつてゐる時に死ぬ事のできますのは、「遊女運の尽きない処。」と忝く、神々の御恩を感謝致します。
 今夜一夜明けまして、明日御昼前に、この手紙の御返事を、駕籠屋の吉右衛門方から御遣はし下さい。もし御返事がなければ、私方から使の者を差し上げます。今時、かういふ手紙を差し上げるやうな事があらうとは、予想外の事で、只、涙の外はございません。心が落ち着きませんから、あらあら申し上げました。もう今日となつては、人の見る事も恥とは存じませんから、この手紙の封じ目には、印判は押さない事に致します。以上。
    十月二十一日    白雲より
  名所屋七二様へ

  この手紙の分けを考へて見ると、遊里に於ける男女の口説に関する手紙である事は、言ふまでもない。分からないのは、この里の太夫で「白雲」と変名を呼ぶのは、誰の事であらう。ひそかにこの手紙について思ふに、はやらぬ遊女が、良い御客に見捨てられて命を捨てる事は、無理もない事である。時めいて、はやる妓が、遊女の意気地のために死なうとするのは、遊女にしては感心な者である。
  我人共に、無分別にも遊女を手に入れて、その身に疵を付けさせたりすると、きつと縁を切る時になつて、しやうのない事になつてしまつて困るものである。これ皆、浮気心から起こる事である。遊女といふものは、自分のためばかりに勤めをする者ではないから、あれこれと一々詮議する事は、要らぬ事である。この手紙の宛名人の「七二」といふ変名の男は、どこのいかなる人で、九兵衛といふか、九右衛門といふか、その本名の知れないのが、せめてもの幸ひである。知れたら、いい恥さらしをする筈である。

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校訂者註
 1:底本は、「じよさいにはおもはぬに候。まづまづすゑをたのみにお目にかゝるにて候」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「持たぬと」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。