三 地獄の釜へさか落とし

 「北野観音寺の晩景一会の事、先約ある由、申し来り候。亀屋もやまかしく候へば、糺の森の下涼み、申し合はせ候。そこ元の衆中、明日御出。心事、貴面に。以上。七月十九日。武蔵様。水右衛門より。」
 明くれば賀茂川に誘ひ連れ、世を浮草の根を断ちての楽しみ。罪のない処、一休和尚も裸足。「爪や茄子をその儘に」と詠み給へるも、この夕暮ぞかし。水上は山蔭の片里より流れたる聖霊棚、片器の欠け、一蓮托生の蓮の葉、麻殻の箸も、積もれば{*1}比叡を隣に眺め捨て、御手洗に慮外ながら足差し浸し、残る暑さはどこに有るやらおぼえず。殊更、雲居に当社の神体とどろき給ひて、名残の夕立を{*2}凌ぎて、この松蔭に頼る僧有り。
 「酒一つ。」と進めぬれば、「禁杯。」とて取り上げず。「これは、大きなる分別違ひ。是非に。」と言へば、「未来の恐ろしければ、許し給はれ。」と言ひ捨てて帰るを、「仔細聞くべし。」と各々とどめて、「酒飲みの後生はいかに、御僧。」
 答へて曰く、「詳しくは大論、唯識等にあれども、あらあら{*3}語るべし。そもそも灌口地獄といふは、差し渡し五十由旬の燗鍋あり。それに湯玉立ち上がる程に燗をして、銅の武蔵野、びつくり丸と言へるに、てうとついで、温かなる肉を肴にはさみ、牛頭馬頭立ち重なり、腕を取り、『何も興はなけれど、も一つ。』と進む。強いられて飲めば、五体{*4}とろけて、断末魔の苦しみより堪へ難く、絶入すれば、『活々。』と言うて正気に成し、『それは、娑婆にて名を取りし飲み手ともおぼえず。銚子の継ぎ目、今一つ。』と進む。嫌とは言はせぬ相手、又飲んで、絶え入る。かくの如く責めらるる事、一日に幾度といふ数を知らず。その時鬼ども、言葉を揃へ、『必ず我々を恨む事なかれ。汝が好ける酒の一滴は、菩薩七十粒より出るを、したみ捨て、飲んで不善の業を作る。皆、よそより来らず。』と言ふにぞ、酔狂、思ひ当たりて、千万悔むに甲斐無し。」と語りけるに。
 まだ足らぬ程の男は、「それは、さうか。」と思ふも有り。「いやいや、見て来た者無し。樽次、底深も、今に帰りて語らねば、合点参らず。よしよし、その温燗が好物なり。『後の世には、酒は無いか。』と思うたれば。」と興がりければ、僧は帰る夕の空、顔は入り日の朱を奪ふ。
 紫野の寺々の鐘撞きて、万景見えず。暗部山、みぞろ池の大蛇と飲み比べても負けぬ仲間も、弱き方より片付けられ、初夜の頃ほひ、上下入り乱れて帰り、足、千鳥して、御池筋まで帰りて見れば、水右衛門見えず。
 手毎に松明立てて、来れる道筋尋ぬれば、その夜の曙、紫竹村の堀の流れに、げにも姿は水右衛門。転び落ちて、腰より下は蛭取り付きて、黒血にあへられけるを、戸板に載せて帰りぬ。見ぬ後の世は、無い物にしてから、目前に蛭の地獄はこれか。

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校訂者註
 1:底本は、「箸(はし)もつれは」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「夕立(ゆふだち)凌(しの)ぎて、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「あらく語(かた)る」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「飲(の)めば体(たい)」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。