四 思はく違ひの酒樽
夢をさませる鐘が崎、筑前の湊に舟着きて、酒樽一つ、さし荷ひにして、「博多に隠れもなき練屋の杢左衛門様は、これか。」と、かの樽を庭におろして、「送り状は、後より。」と言ひ捨てて、船頭どもは帰りぬ。
亭主、これを見て、「大坂の問屋より進物なるべし。北浜にては利発者にして、『備前屋の何がし。』と言はれ、諸国の客を請け込み、万事のさばきする程にも無き男なり。何程の酒にもせよ、某も名酒を造る宿へ、酒樽の音信。さりとては不才覚。この樽へ、天満宮の前の大根の細漬けをして贈りければ、名物にて珍しきものを。」と、この心入れを大笑ひする所へ、備前屋が手代、門口より袴、肩衣を着て、愁へを顔に顕はし、居間へ上がつて手を下げ、口上言はぬ先に涙ぐみ。
「世は定め無し。かやうに申す私から、只今も知れぬは人の身。御歎きなされてから、帰らぬ昔なり。こなたの御子息杢之介様事、六月七日の昼前に頓死あそばし、いづれも驚き、まづ気付け、医者、針立、灸など様々に療治、残る処も無し。とかくはこれまでの御命。御死骸をその儘これへ送るの折節、世間もぬくみ立ちぬれば、酒塩漬けにして送りける。」と申しも果てぬに、各々立ちかかり、蓋を開くれば、さのみ形も変はらず、月代を剃り済まして、後下がりの頭つき。死んでも人の目に立ち、身には紋羅に紅裏付けて、女郎と若衆との二つ紋に、鹿子の紫帯。
「この美男、そもや上方にも有るべきや。いまだ二十一にして、親を残し、先立つか。」と母、殊更に悔み、「馴染なき妻も若後家と成し、思ひも寄らぬ無常を見る事よ。」と是非なき涙に沈みぬ。「せめて末期水。事過ぎてなりとも。」と申されしに、乳参らせて育て上げたる乳母が、「常住御好きにて有りしに、水より酒を。」と顔にそそぎける。
その後、大坂へ付けて上したる小者に、最期のあらましを尋ねけるに、徳蔵、涙を流し、「杢之介様の事、今又、申すも{*1}おろかなり。御国よりは格別、御酒上がり、寝酒よりすぐに朝酒に飲み続けられ、その御機嫌にて芝居へ毎日の御出。狂言の始まるまでは、太左衛門橋筋の茶屋者と遊びて、芸はそこそこに見て、それより舞台子{*2}を呼び、酒に乱れて、暮方より新町の九軒に行きて、宵から仕舞太鼓までの長酒。それより駕籠にて上町の貸し座敷に。『色良き手かけが玉子酒して待つが面白い。』とて、夜明け方に浮世小路に仕出しの後家有りて、これに定まつて味噌酒を上がりて、明けはなれて宿に帰り給ひ、迎ひ酒とて又参り、蓮葉女に御足さすらせ給ひて、夢も結ばず、又南へ御越し。二月四日より六月六日まで、一日も変はらずこの通り。」と申せば、いづれも興さめて、「鉄にて丸めし男も、これでは堪らじ。」と悲しき事、外に成りける。
校訂者註
1:底本は、「申(まう)す事おろかなり。」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「舞台(ぶたい)を」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
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