一 世には不思議の鯰釜
 
 名利の千金は、頂をなづるよりも易く、善根の半銭は、爪を放つよりも難し。
 昔、南都の大仏建立の勧進坊、諸国を巡りし時、大坂より泉州に通ふ木綿買ひ、阿倍野街道帰るに、住吉の里離れより、「一銭。」と勧めしに、この商人、聞き入れずして、先に立ち行くを、後を慕ひて気根比べに付け行けば、随分吝き者なれども、この御坊に我を折つて、天王寺の石鳥居にて、百さしより一文抜きて投げ出し、「これ信心の一銭にはあらず。これまで付かれし勢力を感じぬ。その志にては、大願成就すべし。」とせち賢き事を言ひながら、出茶屋に休みて、色作りたる女と暫く浮世の事どもを語りて、立ち帰る時、二十銭余り置いて行けど、この女は嬉しき顔をもせざりき。
 その大仏、久しく焼け野に立たせ給ひ、雨露雪霜に御首の朽つるも見るに悲しかりしに、今又一人の沙門、建立の願ひ、国々に通じ、奉加の志深し。
 ここに吉野の片里に、天の川の神主何之進とかやの召し使ひ下女、若年の時、両親に離れ、頼むべき一門も無く、この旦那を親にして、奉公に私なくて、主もひとしほ不憫かけて、末々は我が世を渡る縁の事までも聞き立てける。この所の習ひにて、総じて男は家にありて、打ち囃子に日を暮らし、女は山畠に出て鋤鍬を握り、或いは谷水をになひ、柴を戴き、牛を曳き、男の業に代はれり。
 この下女、常々、人毎に優しく、月に二日は「父母の命日。」とて野辺に茶釜仕懸け、嵐の落葉を拾ひ、これを焚火の種と成して、働く野女の咽の渇きを助けしに、皆々これを喜び、一つに集まり、田植歌を同音に、山も響き渡りて、いづれ余念は無かりき。この釜に面妖の徳有り。朝に仕掛け夕まで、重ねて水を差すといふ事もなくて、「数百人して飲まんか{*1}。」とも見えず。これ、重宝の一つなり。
 この事伝へて、里続きの山寺に盗み行きしに、常に変はる事無し。法師、腹立して、滝津川の淵に投げ入れしに、沈みて跡無くなりぬ。下女はこれを歎くに、年経し大鯰、これを担ぎ上げて、再び功徳茶を沸かしける。「いにしへ、念仏行者の亀鉦。今又、鯰釜。」と里人の言ひ習はせける。この女の世に亡き親に孝を尽くせる志をいたはり、田返し畠打つ事も、大勢の里女、営み助けしとなり。伝へ聞きし、見ぬ唐土の象、天性の恵みにも、これぞ劣るまじき万人の志、深し。
 その後、かの女、奈良の仏の寄進に、「これ両親のため。」とて朝夕、我が面影映せし丸鏡を上げて、「長者万金、貧女の一鏡。」とその光を奈良に顕はせしは{*2}、かの大仏、御首、その外損じ給ふを、鋳物師を以て鋳させ給へども、所々に穴あき、成就の形を見せ給はず。勧進の沙門、「いかが。」と案じ給ふに、或る夜の夢に、「三笠山より鹿一つ来り、かの鏡を、角を以て叩くふりを幾度もせし。」と見給ひ、「さては、志の深き鏡なるべし。」と、これを湯にし、鋳給ふに、たちまち満徳円満の釈迦の像と拝まれ給ふ。皆人、聞き伝へて、感涙を催しけるとかや。
 これ一重に、孝の深きより成す処なり。

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校訂者註
 1:底本は、「飲(の)み得(え)む」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「顕(あら)はせし。彼(か)の」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。