三 一滴の酒一生を誤る
「家造らんには、夏を旨とすべし。」と言へり。
九月の末つ方には、合羽に氷柱の下がる北国も、暑さは凌ぎ難し。越前の永平寺は、世塵を遠ざかりて、ほととぎすも早く聞き、会下の詩人も魂を樹頭に飛ばす。曙の垣根に咲ける花卯木、夏ながら、「雪の夕暮か。」と思はれ、遠里の蚊遣り火、煙絶え絶えなるに、筧の音のかすかに、この山に住めば、おのづと持戒なり。唱へざるに、松風おのづから法の声。竹窓は、衆寮立ち並び、数百人、蛍を集め、壁をうがち、勤学に暇なくあるが中に。
智弁と言へる僧の老母、国郷遥々所を、この歳ばかりの命の内に、我が子の住める山ながら、霊地拝みたき願ひにて、今ここまでの旅路の難儀。そもそもは賤しからぬ人なりしが、思はざる仕合せ有りて、一族皆絶え、杖にも柱にもこの僧一人を頼みに、「未来仏の御言葉に違はじ。」とみづからも頼もしく、この世は見果てぬ夢、葉末の露の消え易きを、松が枝の根張り強く、腰の抜けながら、その年も暮れしに、この僧、極めて孝なる事、氷に臥せる類。夏は蚊に身を与ふべし{*1}。
次の秋より煩ひ付きて、思ひも寄らぬ老母を後に残して、「二十三霜夢一場。」の偈作り、眠るが如く終はりけるを、山蔭の霧煙と成す。行方は知らぬ身の果て、惜しからぬ命は長き老母の歎き、大方ならずおはせしを、加賀の玄海と言へる僧に、くれぐれ病中に頼み置きけるに、頼もしくも{*2}頼まれ、智弁に代はりて孝を尽くされける志、殊勝にこそ。「総じて『老いたるをば父母の思ひをなせ。』とあるに、今の世間を見るに、真実の親にさへ終日無礼のみに暮らすに、奇特千万の玄海が心底。」と人皆、感じ入りぬ。朝夕は言ふに及ばず、折々の果物まで心をつけて、麓の里の片庵に、自身持ち運びていたはりける。
その年も暮れて、明くれば春立つ嶺の霞。渓の鴬、法華経の安楽行品読み初め給ふ事、開山の記録に見えたり。正月は衆寮に集まる僧も、摸相を許されながら、過ぎし夜学の空腹を忘れず。法衣の餅を鼠と争ひ、歳旦の詩も淵明と負けず。酒事催して、梢に残る余寒を防ぎ、春山、花は遅けれども、たまたま都の由的、順正が席より東山に遊ぶ心地。樽の口に付け木曲げて、槵子椀にて汲むなど、「肴なきか。」と言へば、納所坊主に軽薄言ひて、玉味噌の片割れも千金に替へず。一つ飲み出すより、例の浮き蔵主が声明声の浄瑠璃も可笑しく。
それにつれて、常は坐禅眼の玄海も、好もしく飲みかかるより、一人して拍子取り、「方丈へは遠し。」と稀なる思ひ出、夜の明くるも知らず。片端より片付けられ、玄海、一人残りて、書院へ千鳥足して行くと見えしが、敷居を浪枕、月舟和尚の墨跡に、えならぬ物を吹きかけ、前後を知らず。
二日酔ひ過ぎて、三日の暮方に、日は西に入るを、「朝日の出る。」と心得て起き上がり、我が寮に帰れど、猶ふらつく頭を悩み、隣なる僧を頼みて、老母{*3}見舞はせけるが、常さへ危ふき三輪組、玉の緒の絶え絶えなるに、三日食を断たれ、元よりゐざりもならず。「早、事切れ給ひたる。」と帰りて語れば、玄海驚き、思へば三日とぶらはず。年来、忽ちに不孝に成りぬ。
大きなる過ち、これ一杯より起これり。悔て戻らず。
校訂者註
1:底本は、「与(あた)へし、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「頼(たの)もしく頼(たの)まれ、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「老母(らうぼ)を見舞(みま)はせけるが、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
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