二 嵯峨の隠れ家好色庵
序
序
紅粉は、白皮を彩る花。男女に限らず、身の嗜み深きを、「人の風俗鑑。」と言へり。
昔日、倭国は、諸人の衣裳も定まりなく、神代の末を写しけるに、応神天皇十四年に、衣服の裁ち縫ひ始まり、その後、推古天皇十九年に男紋、女の形など、染め色を好ませられ、又、元正天皇養老三年に、よろづ分かちあり。少年の時は、脇開けの袖下長く、男子は十七の春、定まつて丸袖に成し、女子は、縁につくもつかざるも、十九の秋塞ぐ事、律義千万なる代もあつて過ぎける。
今時の芝居子、三十六、七までも大振袖は、これ、世渡りの種ぞかし。又、縁遠き娘、幾春か桜に姿をさらし、近所の人に憎まれもせぬ身なれども、下つ方は確かに見て呼ぶ習ひなれば、仲人も頼まれず。結ぶの神も、祈るに甲斐は無かりき。二人の親の迷惑なれば、形は生まずとも、とりなりを当世女に育つべし。作れば作りなせるためしも有り。一つはその地、その水によれり。
ここに、嵯峨の山、歴々の隠れ家。都は人の付き合ひも難しく、親仁の譲りの小判を友とし、楽しみをこの山蔭に極めて、菊酒は加賀屋よりの通ひ樽。海肴は錦の棚に人橋をかけ、勢田鰻、近江鮒。茶壺は宇治にて詰めさせ、栂尾に預け、菓子は二口屋より門前に出店。水物は留山の梢、四季折々の枝もぎ。八木は近き里より鳥の羽選りにして運び、薪は鳥羽より車を轟かし、小野の焚き炭、山を重ね、寒いも暑いも知らず明かし暮らし。
雨の日は河原の太夫元、暇なる野郎召し連れ、御見舞申しも果てぬに、色里の末社は、島原毎日の珍説を書き付けにして、遣り手のまんが耳の根を蟻の這ふまでを言上申し、世間沙汰は出入りの医師申し来り、精進日には諸山の出家衆、乗り物、所せき無く、片里の住まひながら、よろづの事自由にするは、世に銀遣うて遊ぶより外に、面白き事無し。毎夜、手替はりの美形をより寄せ、遊興をするに、事を欠きぬ。この人、「あやかり右衛門。」と言ひ、ある名は言はざりき。
松に声なき程、春も雪降りて、昼過ぎよりひとしほ寂しさまさり、「愛宕の天狗頼母子。」とて、あまたの御機嫌取りの男ども立ち騒ぎ、御手前に抱へ置かれし素人女に、銘々の仕合せ次第に取り当たりし。いづれか物に馴れたる人の見極め、金銀に釣り替へし者なれば、あだに見えしは一人もなかりき。「これぞ又、稀者。」とて、思ひ所のなき女も無し。「とかくは美女、有りて無きものぞ。」とささやくを聞かれ、「我、年久しき願ひ。筋目を正し、時に埋れし人には限らず。美なる娘あらば、それを乞ひ受け、我が一生の妻と定め、望みはこの通り。」と姿の手本出され、「これに生き写しなるを尋ね出したる人には、その褒美として金子千両。汝ら、広き世界なれば、捜し出せ。」とあれば、我先と請け合ひ、既に尋ね廻る国分けせし。
「まづ五幾内は、某が目に及ぶまで穿鑿すべし。東海道十五ケ国は、針立の休斎、これを尋ぬべし。東山道八ケ国は、浪人の尉右衛門に頼むなり。」さて又、北陸道七ケ国を伽羅屋の林吉承り、山陰道八ケ国を按摩の文助に仰せられ、山陽道八ケ国、人置の又蔵。南海道六ケ国は丹波口の伝兵衛。西海道九ケ国を卸せの仁左衛門。「日頃忝き御意には洩れじ。」といづれも路銀を内証手代の徳右衛門より請け取りて、「この度の御望み、我が手筋より調へさせ給はれ。」と思ひ思ひに諸願をかけ、北野殿を祈るも{*1}有り。又は、貴船に頼みをかけ、或いは七野社に砂車、「我等がため。」と裸足参り。様々の願状を籠め置き、京都を同じ日、旅立ち。
この秋、名月橋の元へ一度に立ち帰る約束して、諸国を当て所もなく美人見に廻す事、世には又変はりたる物好き。「千人の女、千人の男の目に入ればこそ、一人も余らず、それぞれの語らひを成しぬ。今又、万人の眼に『良き。』と定むる女の、かねの草鞋はきて尋ねたればとて、どこの国にあらうぞ。」と、これを門出の言葉にして、各々、欲の道を急ぎける。
今宵は、月も更に都めきて、雲吹き払ふ嵐山の景色。我が宿の思ひ出、心は京に成して、「目の置き所はここぞ。」と酒も半ばに、二千里の外より長旅の銘々、一度に立ち帰りて、これぞ美人見の品物語、聞くに恋深し。いづれも、諸国見極めたる姿絵を差し上げける。御機嫌「日本一の女も有りぬべし。」と開かせ給ふ。
「まづ、我らが見立てたる五幾内五ケ国の写し絵を見すべし。これ、大事の吟味なれば、微塵も用捨無しに、その生まれ付きの当流の風儀を定むべし。今時は、衣装の飾り良く、殊更良く着こなして、あらけなき顔をも色作りて、笠の下など見ては、必ずかつぐものなり。猶又、御所かつぎ、人のとりなり隠して知れ難し。打ち掛けの居姿、『これは。』と思へど、立たせて格別の違ひあり。とかくは道歩かせて、その身振りを改め、顔は日のうつりに向かはせて、蔭より見透かし、吹き鬢の沈みやうにして、地髪の少なきは知れるものぞかし。
「口の開き過ぎたる女、必ず物腰よろしからず。足首締まりて裏空きて指先反らぬは、悪女なり。美女は、手の指おのづから外へ反りて、胴あひ、常の女にすぐれて長く備はつて、腰すはりて押し立てゆがまず。上の女は、少しうつむくものなり。中の女、仰ぬくもの。下の女は、道急ぐものなり。さりとは心に叶ひたる女は、無いに極まりぬ。さはいへ、汝等が世界を捜し、その一国一人の艶女、残らず見るべし。」と山城より始めて、女の姿絵を一人一人詮議するに、その身の難にはならざる思ひどあり。皆、堪忍のなる事ながら、わづかの障りも許し給はず。目前の鏡にかけて、この内、いづれか御気に入るべし。
この形を洩れて、外無し。これ、今の世の女の手本ぞかし。
校訂者註
1:底本は、「祈(いの)るものあり、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
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