二 仏のための常灯遊女のための髪の油
「遠国にも、色騒ぎのあり。」とは言へど、氏神の祟りを思うて、変はりたる事は成り難し。人を恐れす我が儘をしけるは、三ケ津の町人の徳なり。
大坂にある大尽、「世間をつらつら思ふに、この四町の女郎、高下合はせて千三百余人。毎日の髪油、銘々買ひにする事も不憫なれば、一人一日を一分に積もりて、一年中に四十六貫八百目にて済む事なれば、阿波座に家を一軒求めて、唐銅の油壺を据ゑて、永代、髪の油、寄進すべし。これは、後生にも成つて、又の世に、傾城の好く男にも生まるべし。諸山の霊地に常灯は、大名の灯し手は珍しからず。そもそもこの思ひ立ち、婆よりの譲り銀五百貫目あれば、これを確かなる大尽に月一割にして預け、その利銀にて成る事。」と言ふ。その座に欲の孫吉といふ末社、「同じ事ならば、女郎の身揚がり程、悲しさうなるものは無し。これに御合力あらば、深き善根になるべし。」と勧めける。
この談合、いまだ極まらぬ内に、良き事、聞き捨てにして京へ上れば、島原の踊りに、袋忠、弥七、両人丸裸に成つて、総身を金箔にだみて、その儘、黄金の踊り仏。「浮世を夢のやうに思ふ、あの心が極楽。」と、この身も色道の、宿も定めず、一遍上人に藤沢を越えて江戸に下りしに、吉原は寂しく見えて内証の繁昌。とかく金沢山な{*1}所故なり。さるによつて、「女郎の心ざし、おのづから強く成りぬ。」と「宮烏」といふ書物に見えしに違はず。遊女は良き男次第にて、その時その時の色を増すものなり。
紅葉は千人の目にも。太夫と見えしは中頃の高尾にぞありける。風儀、言ふまでも無し。宿に帰りても、衣裳着替ふる事なく、常なり。いかにしても、上方の太夫のならぬ事なり。揚屋の昼を勤めて、身仕舞に帰るに、道中豊かに、右左に対の禿。歩みながら眠れる程静かに、位を取つて憎い処なく、宿近く成れば、六尺は{*2}先へ走り、門口より、「高尾様、御帰り。」と言へば、行水の役人は絹漉しの湯を運ぶ。料理人、手ばしかく、煮方の者は、火吹き竹を取り廻し、定紋の蓋かけたる膳立て。不断医者、持脈を取り、この太夫御祈念の日待ち坊も、毎日御見舞申し、「御勤め、二十年も。」と心中に祈りける。
たとひ女郎と成りても、これは一生の誉なれば、この人の耳の垢を、この道の女、守り袋に入れ置くべし。殊に高尾は、流女古今の能書。文にして人を殺し、諸人、思ひを懸けぬれば、いかなる大名、高家にも行きて、玉殿にも住むべき者なれども{*3}、縁程可笑しきは無し。油三と言へる男に請け出されて、今は霊岸島に侘び住まひながら、これより思ひ出、何かあるべし。
いづれ、女郎狂ひの始末、必ず無用なり。その銀とて、残る物には{*4}あらず。何ぞ世にとどまる事を、色町に残したきものぞかし。浅草の久慶が笑はせけるは、向ひ町の大尽、十九年この方に一万二千両ある金を、後家の米の金を払ふやうに、人知れず一度一度に揚屋へ渡しけるが、誰に逢ふとも、又は女郎買ひとも見えずして、「世上へ隠すを大事、大事。」と思ふ内に遣ひ果たし、今は堺町にて見世物の閻魔鳥の木戸番。万九といふ大尽、「これぢや、これぢや。」
校訂者註
1:底本は、「沢山(たくさん)の所(ところ)」。『西鶴俗つれづれ』(1990)本文及び語釈に従い改めた。
2:底本は、「六尺(しやく)に先(さき)へ」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)語釈に従い改めた。
3:底本は、「ものなれ。なれども、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)本文及び語釈に従い改めた。
4:底本は、「ものにあらず。」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
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