第五 年忘れの糸鬢

 暮れて行く年浪の、心良く名残の芝居見て、大和屋甚兵衛、宇治右衛門、藤川武左衛門{*1}、坊主百兵衛など一つに、夕{*2}、人より早く、道頓堀の大黒風呂に入りて、身の清く成れる事、毎日絶えぬ垢、可笑しく、折節、江戸草履取の墓原角蔵と言へる者、髪月代を得たれば、これを板の間に呼びて、一人一人髭まで剃らせて{*3}、気散じに産毛も残らず、さりとては気味良し。
 「これを思ふに、下手に頭剃らすと、若い医者の薬を呑む程、世に心がかりなるものは無し。」と言へば、「いかにもその通り。さらば、御上手に一つ御無心。」と百兵衛が頭を持つてかかれば、角蔵、これを見て、「骨は惜しみませねども、この御中剃りは、御免なりませい。物節季{*4}の心落ちつきませぬ時は、男と坊主との糸鬢の境{*5}が見えませぬ。」と言ふ。いづれも大笑ひして、「何{*6}のために、見えぬ程の細鬢に致しけるぞ。まづ{*7}、冷えて一つの損。」と言へば、「その替はりに、夏の涼しさ。」と言ふ。
 「面々{*8}頭なれば、我が心任せの物好き。」と{*9}笑ひ立ちにして、それより玉造の和気遠舟の楽庵へ、年忘れの俳諧に罷りて、「師走の月見る人もあり。」と各々連れ立ちて、観音堂の舞台にて酒事に遊ぶは、少し物好き過ぎたり。東に葛城山、秋篠の里、高安に続きてくらがり峠。平岡明神も、手近く見え渡りぬ。
 亭主、山々を案内して、「さて、あれなる森より、世に沙汰致す姥が火を、御馳走に御目に懸くべし。もはや、八つの鐘も撞きたれば、出る時分{*10}。」と言ひも果てぬに、雲に光映りて、子どものもて遊ぶ程なる、鬼灯提灯程なる火に、数百筋の糸を引きて、きりきりと{*11}舞ひ上がるは、恐ろしく面白し。「儘ならば、あの火をここに取り寄せ、煙草呑みたし。」と言ふ。「火鉢へ入れて当たりたし。」と言ふ。「伽羅を焚きたし。」と、心々にてんがう口を言ひ捨てける。
 「あれは、手を叩けば、これへ来る。」と言ふ。皆々、立ち並びて手を打てども、この火、来もせず、返事もせず。「さては、この中に本客がないと、姥が火も見立て、ぶあしらひにすると見えたり。是非ともに呼び寄せ。」と言へば、金剛{*12}ども、気勢に任せ、「ほい、ほい。」と招けば、この声に付いて飛び来り、いづれもの{*13}頭の上に火を吹けば、気を取り失ひて恐れを成し、やうやう魂据ゑて、金剛{*14}ども、我が身を見れば、やけどにあうて、髪の毛の焦げぬは無し。
 百兵衛ばかり、何の仔細もなきは、糸鬢の徳、この時見せたり。

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校訂者註
 1:底本は、「宇治左衛門藤川武次郎」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「湯へ人」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「剃らせ、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「扨節季の」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「さかいめが」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「あの」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 7:底本は、「まへひへて」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 8:底本は、「面の」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 9:底本は、「笑ひ立ちにして、それより玉造の和気遠舟の楽庵へ、」を欠く。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 10:底本は、「時じやと」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 11:底本は、「きり(二字以上の繰り返し記号)舞上るは」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 12・14:底本は、「てんがうども」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 13:底本は、「何れも頭」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。