第二 毒薬は箱入りの命

 昔の人の家の紋、橘山刑部とて、奥州福島にて出頭、この一人。殿の御心底我が物にして、御機嫌よろしければ、栄華の時を得て、武士の冥加に叶ひ、一家中この人に思ひ付く事、御威光ばかりにあらず。その身、更に悪心なく、智仁勇の兼ね備はりし人。今年二十五にして、なほ行く末頼もし。
 妻女は、一家老市川右衛門息女を、殿の御叔母君妙松院の娘御分にあそばされ、送り給はり、三年の契り浅からず、男子を平産あり。名を市丸と改め、後喜の祝ひをなしけるに、この母、後腹悩ませられ、さまざま医術を尽くせる甲斐もなく、十八の秋の初め、紅葉も薄き縁散りて、風は無常の世とて、親類歎きのやむ事無し。
 殊に刑部は愁へに沈み、「かかる憂き目は、我ばかりの袖の海ぞ。」と命も繋ぎかねたる舟の、行く水に数の思ひを成し、「うたかたの一度に消ゆる身ならば、今の悲しさ、あるまじきもの。」と世間向きは歎きをやめて、内証の愁歎、外より見る目も痛まし。喪に籠り給ふ内は、昼夜に法華経二座づつ読誦、殊勝に哀れに、末々の女房どもまで香花の暇なく、奥様御跡を弔ひ奉りける。
 やうやう日数ふりて、四十九日も過ぎければ、月代など改めて、重陽菊の祝儀に御前に出初めて、変はらず大役を勤められ、この程重なる御用ども、埒のあく事を喜びける。人はありて人無し。刑部、諸事の取り廻し、真似もならざる侍なり。いかなる縁の深きにや、今に妻の事忘れ給はねば、各々内談して、「せめては御思ひ晴らしにも。」と色盛りの艶女あまた取り寄せ、御寝間の上げ下ろしに風情作りて出しけれども、更に御心も通はず、あたら姿のいたづらに過ぎ行きける。
 それより亥の子の夜になりて、この御家の作法を覚えたる老女、花餅のしほらしく作りなし、上へ上げて下まで祝ひぬ。盃数巡りて後、素人芸の物真似、弾き語りの浄瑠璃、何の面白き事もなかりけり。義理誉めに夜をふかし、一人一人座敷を立ち、男は旦那ばかりにして、女中は耳の役目に聞きぬれば、道行の中程より白けて、三味線捨ててやめける。
 その後は俄に淋しく成りて、東の方の書院に出給へば、宵は月を見しに、空定めなくしぐれて、軒の松、無用の嵐をおとづれ、瑠璃灯の揺らぐを、「誰かは。外せ{*1}。」とありしに、野沢といへる女、掻い取り前して御意に従ひ、この灯し火を下し、立ち帰る面影、何ともなくしめやかに憎からぬ身振り。東育ちの女には稀なるやうに、御心移りて、後ろ帯の端をとらへて、「われに言ふ事あり。」と口早に仰せられしを、聞き捨てに逃げ行きけるが、帯はほどけて後に残り、その身の重ね褄まばらに、あまたの女部屋に駆け込みしは、気うとかりき。
 女郎預かりの紫竹といへる人、気を通して、「そなたも十九、二十になりて、大方ならぬ初心。」と手を取り、腰を突き出せば、野沢、赤面して、「みづからも、それ程の弁へなきにはあらず。今日は大事の母人様の命日。」と言へば、「さても律儀千万なる人もあるものかな。主命に親の日がかまふものか。」と往生づくめにすれど、「仏は見通し。勿体なき事。」と合点せぬを。
 もどかしく、小梅といへる女、御座敷に行きて、「野沢殿の帯を御返しあそばされませい。」と広き口をすぼめて、遠慮もなく近く寄れば、折節よく、この女も美しげに見えて、この帯、縁の結びとなつて、ちよろりと人の恋を盗みける。その後は、おのづから奥に入りて、御情けつのり、我になりて、これを憎まぬ人は無し。されども、小梅の女、旦那の御気に入る事、是非なく、様つけぬばかり主あしらひになりぬ。
 次第にうるさく思ふ内に、心入れの悪しき事顕はれ、又、最前の野沢に移り替はらせ給ふを、小梅、深くそねめど、さもしからねば、獺のたはれの如く、波の瀬枕をかはす度毎に御不憫深く成りて、外なくこの女になづませ給へば、小梅、瞋恚の猛火燃えやまずして、神木に釘を打ち、人形を作りて山伏に祈らすれど、元来、誠ならねば、仏神これを受け給はず、かへつてその身を咎め給ふ。
 なほ執念起こつて、野沢が命を失はむ悪事を巧み、或る時、菓子に斑猫の大毒を仕込みて、野沢の方へ贈りけるに、この山吹餅を、一人は開かずして、女臈仲間を呼び集め、茶事してこれをもてなしけるに、その夜に入りて、血を吐くもあり、又は胸を痛ませ、或いは腹中燃えて、憂き目を見せて、この難儀悲しく、かれこれ七人の女房たち、同じ枕に命終はりて、小梅一人生き残るを穿鑿しけるに、因果をば逃れず、その毒薬の事、終に顕はれ出。
 「この科の果たす所、牛裂きにしても飽き足らず。」と松の木の箱をさして、目口の所に穴をあけて、かの女を入れ、毒害にあひし女房どもの親兄弟を呼び寄せ、「恨みを晴らすため。」とて、この箱の蓋より身にこたふる程の大釘を打たせける。歎く片手に、「憎や。」と打ちぬる者もあり。「返らぬ昔。」と打たぬもあり。身内に空きども無くして、人の命も強し。九日十日までは確かに息の通ひ、十一日の暮方に終はりぬ。死骸は野に埋みて、その悪名は世に残れり。
 この小梅、生国は武蔵の熊谷の者なりしが、弟に九蔵とて、渡り奉公して浅草にありしが、この事聞きて、姉が科の程は外になして、「とかく敵は主人刑部。」と思ひ定め、遥々の陸奥に下り、里の草の屋に身を隠し、旅がけの商人と申し成し、小間物の色々を仕込み、笈箱に心覚えの刀を入れ、屋形町に出入り、いつぞの程に刑部殿の下台所にも自由に参り、心を砕き狙ひぬれども、頼るべき首尾なくて、程ふりけるこそ口惜しけれ。
 その秋冬も暮れ過ぎて、明くる年の二月の末に、花畠の菊植ゑ替へらるるとて、中間一人連れられ、萩垣の外に出られしを見届け、「この時討たずは、又の時節もあらじ。」と手ばしかく、くだんの刀を取り出し、忍びて後ろに立ち廻り、名乗りもかけず打つ太刀、夕日に映りて輝く影に驚き、よけ給へば、素股へ切り付けし間に、脇差抜き合はせ、打ちつけられしに、鬢先切られながら、「叶はじ。」とや、逃げて出しが。
 折節、市丸殿、御乳の人抱き参らせ、広庭に出しを奪ひ取り、引つ提げて米蔵の内に駆け込み、切なきままに人質をとりて、この幼き人に既に憂き目を見せんとす。この乳母、悲しくて、駆け入らんとする時、「おのれら、辺りへ近寄らば、この倅を刺し殺す。」と胸に剣を差し当てければ、さながら傍へも近付き得ず。遠くより身を控へ、手を合はして、「みづからと取り替へて給はれ。」ともだゆれど、その断りも聞き分かばこそ。又、そのままに殺しもせず。「おのれ、逃るべき所にあらず。」天命尽きて待ちける所に、家来の面々、いづれも進みて、「駆け入らむ。」とするを、刑部、駆けつけ給ひ、押しとどめ、暫く手立てを巡らし給ふ内に。
 家中一番の鉄砲の上手、後藤流左衛門が二男、森之丞とて十五歳なりしが、これを聞くより、小筒に鎖玉を仕込み、火鋏切つて駆け寄るを、皆々引き留め、「ここは大事の所。」と言へば、「し損じたらば、それまでの命。手ぬるき評議、この時に待つべきか。」と風通しの窓より目当てを定め、撃ちけるに、剣持ちたる腕首を誤たずして撃ち落とし、「それ。」と言ふ声に、各々一同に駆け入り、まづ市丸殿を子細なく抱きとり、危ふき命を助け参らせ、後にて九蔵は切り砕かれ、形は当座になかりき。
 この度の手柄、森之丞が働き、国中に於いて、これ沙汰なり。刑部殿、喜び浅からず。「さて、いかなる事ぞ。」と厳しく吟味し給ふに、かの者、小梅が弟たる事詳しく知れて、猶々憎しみ深かりき。
 それより年ふりて、市丸殿十四歳の時、国中並びなき美童。少しは我が身ながら、若衆自慢なりしに、左の方の鬢の脇にわづかに黒き疵ありて、御髪結はせ{*2}給ふ度毎に、これを隠し奉らんとす。小者が気を尽くしける{*3}姿見に、御かたちを写させ給ふ毎に、御心がかりの一つなり。或る時、乳母に、「これは。」と尋ね給ふに、かの鉄砲の玉のかすり、危なかりし昔を御物語り申す。「さては、森之丞殿の御働きにて、我、必死の難儀を逃れし。命の親御様なれ。ひたすら兄分に頼み奉るベし。」と俄にいとほしくなりて、衆道契約の状を付くれば、森之丞、嬉しさ余りて懇ろする内に。
 森之丞兄森右衛門、不慮の喧嘩を仕出し、相手三人に切り結び、一人をば、やにはに切り殺し、相手二人になり、暫し戦ひしが、天運や弱かりけん、二人がために終に討たれてけり。その残る相手、留山義太夫、鳥崎勘九郎両人、その所より立ち退き、逐電して失せけり。
 森之丞、安からず思ひ、兄の敵を討たんため、国元を出けるに、市丸も共に付き添ひ、常陸国筑波山の麓の里にして見出し、市丸、助太刀を働きて、首尾よく思ふ敵を討ち留めて、本国に帰宅して悦びの眉を開きけり。「敵討つ人は、この森之丞にあやかりものなり。市丸が心ざし、いと忝し。美形には取り分き{*4}摩利尊天も、後ろ立て強く守らせ給はん。」と皆人、これを羨みけるも、理ぞかし。なほ筑波嶺の働きの後、いよいよ恋ぞ積もりける。

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校訂者註
 1:底本は、「誰(たれ)かはづせ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「給(ゆは)せ給ふ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「つくしけるに姿(すがた)見に」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「取わけ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。