第三 物申どれと言ふ俄正月

 天正の頃、陸奥若松に五月の末、大霰降りて、板屋の軒端は荒れて、東に不破の関屋見せける。「その霰、暫しは消えもやらず。秤にかくれば八匁五分、六分あり。」と言へり。これにさへ人は欲心起こりて、「これ程の珊瑚珠あらば、掴み取りの世の中なるものを。」と大笑ひして、人の心も空に成りける。
 その後、鹿島の事触れや告げ来りけん、「この六月朔日を正月に成して祝ふべし。さもなくば、人間三合になるベし。」と愚痴の世をはかりて、「神託。」とおどしければ、智あるも、死ぬる事を好く人は無く、女は子供の身の上を思ひ、餅花に春を咲かせ、「千代も。」と祈る松立て飾り、礼者は帷子を着たるばかり、その外は、元日に少しも変はる事無し。陰陽師は、「事がな。笛吹かん。」と神楽姫を拵へ、御初尾、袖に余りて、喜びの舞の拍子。見し人、山を成しける。
 ここに岩国善太夫といへる人の一子、善太郎とて七歳に成りけるが、御乳に小坊主、抱き守りの者、草履取、いかめしくざざめき、三千石の威勢を見せて、人立ちの中に遠慮もなく割り入り、それより先に立つて、宮越十左衛門とて、百五十石にて筆役の人の二男亀松、下人もなくて只一人、神楽を見物しけるに、善太郎小者、首筋に手を掛け、突きのけける。若年なれども亀松、気色を変へて、「諸侍を、推参なる男め。」と言ふ。小者、手を打つて、「袖に継ぎの当たりし帷子を着ても、歴々の御侍。」と笑ふ。亀松、脇差に手をかけしに、いまだ九歳なれば、小腕をとられ、人ぜりに押し倒され、その内に善太夫小者は屋敷に帰りぬ。
 亀松兄に十太郎、当年十九になりけるが、常々おとなしき若い者、これを聞き付け、刀おつとり駆け出でしを、母親抱きとどめ、「様子聞き届けて後、何やうにもなるべき事なり。早、この沙汰あるなれば、善太夫より届けの使、参るべし。しからば堪忍しても、引けならず。」と制し給へば、進みし{*1}胸を据ゑ、「内通あるか。」とその日夜まで相待つに、その儀なく、「もし又、善太夫他行の事も。」と聞き合はすに、成程、宿に有りながら、踏み付けたる仕方。
 今は分別して、「善太夫を討つて捨て、すぐに京の叔母の元へ立ち退け。」と手箱を開けて一歩五十、肌着の襟に縫ひ込み、九重の守り袋を掛けさせて、暇乞ひの盃出せし時、亀松、袖にすがり、「我一つに連れさせ給へ。」と涙をこぼす。「武運尽きて、我等討たれなば、成人の後に相手を討つべし。この度は、一人の母に孝を尽くせ。」と言ひ捨て、明け方に出て、善太夫の当番の日を繰りて、柳堤に足場を見合はせ、地蔵堂の後ろに暫く待つ処に、善太夫、乗馬引かせ、人あまた召し連れ来り。
 十太郎を見かけて近寄り、「昨日は小者が何とやら。」と言ひも果てぬに、「その断り、遅し。」と抜き打ちにして、早業の首尾、残る所も無し。それより山伝ひの退き道、他領へ入りて、花山院春林寺といへる真言寺に駆け込み、子細を語れば、「さても手柄。『それ程の事は、しかねまじき人。』と、かねて存ずる所なり。この上は、愚僧請け取り、確かに落ち付き給へ。」と大師堂の天井に上げ置き、寺中を集め、俄に密教を始め、法事にまぎらかし給へば、僧中さへ気の付く事にはあらず。常だに出家は頼もしきに、ましてや十太郎前髪立ちの時、仮初めながらよしみあれば、かかる時、命にかけて如才なく、「たとへ詮議にあふとても、今生後世、息の根の通ふ内は出さじ。」と、この事思ひ定めて、追手を待ち給ふに、ここには心つかず。
 善太夫一家、裸馬{*2}にて駆け集まり、十太郎方へ行くに、表の門をも閉ぢず。母の親一人、伏縄目の鎧を着て、紅の鉢巻、長刀の鞘外して、鞍掛に腰を置きて、一命惜しまぬ眼色{*3}。「いにしへの巴、山吹も、かくあらむ。」と見し人、潔く褒めて、女なれば構はず。
 十太郎、国を立ち退く事を聞き届けて、各々屋形に帰りて内談、評議の所へ、横目役の両人、大平主水、駒谷源右衛門参られ、「十太郎罷り出るまでは、一門残らず閉門仰せ付けられし。この方にも、御詮議遂げらるるまでは、寄り合ひ遠慮あるべし。」と申し渡して帰る。
 その後、十太郎は国の様子を聞くに、「別儀なくその通り。」と言ふ人あれば、母の御事安堵して、春林寺をひそかに出、道中を夜ばかり歩き、無事に京都に着き、松原通因幡薬師のほとりに、母方の叔母、東本願寺の末の道場に縁付きしておはしける、この元に身を隠し、都ながら{*4}花なき里の心地して、夜見る東山、高尾の秋の色も闇の錦と成し、古里の片便宜に猶、気を悩まし、日数経る内に。
 国元、詮議つのつて、「十太郎出さぬに於いては、一家、従兄弟まで切腹。」と仰せ渡され、是非なき折節は、憂き秋の初め、十一日に御意あつて、「八月十五日までに捕つて出すべし。さもなきに於いては、宮越の一類、滅亡たるべし。」と逃るべきやうなき仰せ。承り届け、いづれも内談堅め、「かくあればとて、十太郎は出さじ。この上は、死出の門出に人の山を成し、岩国が屋形を極楽の西門。」と定め、各々私宅に帰る時。
 亀松が申しけるは、「この儀はそもそも私の身の上より起こりし事。舎兄十太郎の代はりに、我等切腹仕るやうに横目衆へ御申し入れ、頼み奉る。」と潔く進み出れば、この中にても義理にせめられ、感涙を催し、暫く顔をうち眺め、「とかくは各々次第に最期の用意。」と有る時、母の曰く、「とてもの事に、某が願ひあり。十太郎を呼び下し、これも一所に相果てなば、何か浮世に思ひ残す事候まじ。十太郎生き残り、後にて恨むべき所もあり。日限は名月まで御待ち給はれ。」と都に刻付けの早飛脚を立て、詳しき状を遣はしける。
 七月二十五日に京着して、「姉の御方の御文、心元なし。」と開け初むるより泣き出し、十太郎への状をば、いまだ差し出しかねて、「さてもあさましや。是非なき首尾。」とうち伏しけれど、十太郎は元来覚悟の身にて、今更驚く事もなく、「御歎きをやめさせ給へ。人を殺して逃るべき身にあらず。」女心に道理を含め、合点させ参らせ、「我、この度、花洛の帝都を見始めの見納めなれば、日積もりして五日の暇あり。諸山を眺め巡り、仮の世の思ひ出に。」
 案内者を一人召し連れ、方角を分けて、五條を夢の浮橋とうち渡り、音羽の峰に別るるも東路の雲行く景色、風より先に消え散りなん心になりて、無常は鳥部山に知れての命。三十三間に矢数の武勇を思はれ、河原の狂言綺語も、移り変はれる慰み。昨日は北山、今日は西山、入り日を名残に四日続き、今一日の遊山に心ざす所は、ここ遊女町六條を見吉野の花の宴といふ太夫を、丸屋が座敷へ取り寄せ、人の眺めを無理共に貰ひ、酒面白くかはして、初会とは思はれず。十太郎より女郎の心深く乱れて、夕暮急ぐ床の情け。これには偽り去つて、もだもだと成り行く心。頭から身をその人の物にして、しやらほどけの黒髪厭はず。
 枕に近き蝋燭の立ち切る時、夜の明け方を惜しみ、「さりとてはさりとては、更に申すも恥づかしけれど、我、流れを立て初め、六年の日数経る内に、それに拵へ置く銀が敵の身なれば、貴賤の限りもなく逢ひ見し中に、馴染を恋の種と成し、正しくその御方の心の通ひ、懐妊せし程の男も、今宵初めての君に比べて、富士の煙と長柄の水底程の思はく違ひ。いかなる縁にや、これ程いとほしらしき御方に逢ひ参らするも、不思議の一つ。酒参りて、『二世まで。』と約束のこの男め。大方ならぬ因果。」と心底うちあけて語る時、十太郎、身には嬉しき事を勇まず。
 「これは、忝さ余りて、とかう言葉に述べ難し。しかれども、存じ寄りある身なれば、御情けも今宵を限り。重ねては、又逢ひましての事。」と言へば、太夫、申しかかつて赤面。「さてもさても口惜し。『この身に誠少なし。』と御疑ひも憎からず。近道に証拠。」と小指食ひ切るを、やうやうに留め、「我ら事、思し召しの外なる身にて、都を見しも今晩ばかり。鶏鳴かば、東に行きて、八月十四日に相果つる至極。」段々語り聞かせ、男泣きに前後を忘れ、身にたわいはなかりけり。
 太夫聞くに、なほ哀れのまさり、「死なせ給ひて済む事ならば、所に構ひは候まじ。いざ、みづからと同じ道に。」と思ひ切つたる気色を見て、「ここは大事。」と分別を巡らし、「いまだよしみなきに、さばかり御心ざしの嬉しさ、神以て忘れ難し。さもあらば、宿なる身仕舞ひして、最期はここに来て、明日の事。」と契約して、「恐ろしや。」と立ち帰り、門から叔母に暇の涙。
 関の清水も濁りて、大津馬に継ぎ替へて、急ぐに程なく生国若松に着きて、檀那寺徳泉寺に入りて、大平主水方へ内通して、検使を待つ宵の月の、顔も変はらず、親類にも知らせず、切腹の次第、さすが弓馬の家の誉れを残しぬ。その跡目は別條なく、善太夫家督は善太郎{*5}、十太郎跡はその弟亀松に仰せ付けられ、両家共に筋目ある者なれば、その通りにしづまりぬ。
 さては流れの都の女、十太郎を思ひに焦がれ、十四日の月見るまでは待たずして、身事書き置き認め、「心ざしは万里に通へ。これより女の追ひ腹。」と、男のすなるやうに、この自害のさま、褒めぬ人なく、「後代にもためし有るまじ。」と聞き伝へて、袖をひたせり。
 その後、善太郎、亀松、成人して、十七、十五歳になりぬ。「互に意趣含む事なかれ。」と仰せ付けなれども、武勇はそれに遠慮なく、両方共に時節を見合はせけるに、人もこの色を見て、出合ひなきやうに、その中を隔てぬ。
 或る時、野寺の観音に参詣して、善太郎は参り、亀松は下向。一騎打ちの細道にして、両人出合ひけるこそ生涯の最期なれ。「年来宿祖のあだ。思ひの晴らし所、ここぞかし。」「これ、ひとへに仏神御引き合はせ。」と互の心に請け悦び、「いやしくもまぬかれず。末々一人も助太刀無用。」と制し、股立ち取つて羽織を脱ぎ、大振袖のひるがへるは、花紅葉の色乱れて、さながら「化粧軍か。」と思はれ、下々、拳を握り牙を噛み、銘々の主人祈るに、負けず劣らず、浅手をおぼえず。冬野の薄、真紅の糸を乱し、火焔を立てて切り結べば、終に二人共に戦ひ疲れ、相討ちに切り込まれ、切り込みて、浮世の夢とは果てにける。

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校訂者註
 1:底本は、「進(しん)し胸を」。『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。
 2:底本は、「はだし馬」。『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。
 3:底本は、「顔色(がんしよく)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「都ながらも」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「長(ちやう)太郎」。『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。