第四 内儀の利発は変はつた姿
「御吉例の御謡初め。二日未明より紅梅の間へ、いづれも相詰め申さるベし。十三以下は、若松の間へ出座御免。又、老人は、鳴戸の間にて安座御許さる。法体は、小書院にて見物仕らるベし。則ち、頭巾御赦免なり。諸役人は、夜半の太鼓を聞いて登城あるベし。役者は、宵より新長屋まで詰め申すベし。」この通り、「金塚数馬、照徳寺外記両人。」として申し渡され、それぞれの役儀承り、各々退散申されし。
既にその時至り、番組は、「高砂」「田村」「三輪」「祝言」。上代風の能筆、作法改めて書き付け、大横目安川権之進指図に任せて、大広間の見付けなる長押に張り置きしを、金塚、出頭家老にて、諸事でかしだてに、物毎子細らしく吟味するに、無用の事ながら、時の権威に恐れて、その通りに従ひぬれば、勝つに乗つて我がままを振舞ひけるを、人皆これをうとみぬ。
この番組の張り所を暫く眺め、「惣じて、かやうの物は、文字の位、礼紙を見合はせ張る事なり。番付、八寸余り上がり過ぎたり。仮初の事ながら、これを下ろすべし。」と茶道坊主に申し付けられし時、「これは、安川権之進殿の指図にて、かくの通りあそばしおかるる上は。」と申す。「この国に於いて、某が言葉を返す者、奇怪なる推参。」と持ちたる扇にて頭を打てば、休林、堪忍成り難く、小脇差に手懸くるを、数馬、抜からぬ男なれば、即座に抜き打ちにして、あへなく夢とは成りぬ。この休林、生国丹州の者なれば、この家中に於いて、親類とてもなく、哀れや、「我が心から、かくは成り行きける。」と理に非を付けて取り置きぬ。
権之進、これを聞き付け、広間に来り、数馬を呼び出し、「只今休林討たれけるは、元、某が身の上なり。とかくの詮議に及ばず。」と互に抜き合はせしが、数馬を縁より下に切り落とし、手ばしかくとどめを刺し、「全く命惜しむにあらず。存ずる子細あり。」と声をかけて立ち退くを、各々、褒めこそすれ、討ち留むる人なく、裏の御門より駆け抜け、屋形町の野外れにて、家来の若党一人追つ付き、まづ我が草履を脱ぎて旦那にはかせ、「さて、奥様は、いづ方へ退け参らせん。」と言ふ。「妻子は細井金太夫方へ、この様子を申して頼み入るベし。」とあれば、家来、一円合点せず。「これは、日頃不会なる方へ、この事、いかが。」と申す。「汝が不審、尤もなり。これには思案のある事なり。早速、金太夫に頼むべし。我は、これより上方へ立ち越す。」と言ひ捨てて別れぬ。
主人言ひ付けに任せ、屋敷に帰り、末々の女には、この沙汰をもせず。娘御を内懐に抱きて、奥様に、はしたの着物を打ち掛けさせ、裏の忌門より連れまして出しに、人の気の付くべき事無し。程なく金太夫殿の屋形に駆け込み、ひそかにこの様子を申し上げしに、金太夫、少しも騒ぐ気色なく、「親子御両人、拙者請け取り、預かり申す上は、心安く思ひ、気遣ひする事なかれ。その方は、急ぎ立ち退くべし。」と折節あり合はせたる路金を取らせ、帰されける。
さて、権之進屋敷へ、数馬より一家一族、寄り子の輩まで追ひ追ひに駆け付け、門を取り囲み、内に入りて穿鑿するに、中間供部屋には、いまだこの事知らざりけるにや、木枕に当て煙草を刻み、或いは塩をなめて酒を呑み、下台所には朝飯を炊き、上台所には、女あまたの慰み業にや、早、乾餅を取り散らし、かき餅、あられを刻み居しが、奥御前、屋敷出を夢にも知らざりき。驚き騒ぎて泣き出す。乳母、介錯の人も、「こは、いづ方へ。」と身をもみて、一度に泣き出す。
「さては、妻子を隠して、その身も落ちけり。」と、この有様に各々立ち帰り、段々を言上する時、則ち下知ありて、まづ城下の口々に加番を付けられ、厳しく人を改めて、往還を許さず。「権之進親類の輩には、残らず家探しをすべし。もし行き方知れずは、土を返して詮議を遂ぐべし。年立ち返る祝ひの先より、曲事を成しけり。」と、上より御立腹浅からざるも、理なり。その日は、吉例の儀式も鳴りをやめける。
金太夫方には、弟金右衛門、忍び来り、「この度の儀、常の事にはあらず。かの人々を、手前に深く隠し置かるる段、一つは上を軽しむるの恐れ。又は、年頃さばかりのよしみもなく、殊に挨拶よからぬ人の妻子を預かり、隠し給ふいはれ無し。この儀、憚りながら御思案しかるべく候。」と申せば、金太夫、聞き届け、「それ、『窮鳥懐に入れば、猟師も殺さず。』と言へり。武士の意気、道理を立つる者は、世間の見る目と格別なり。権之進と自分が日頃不会なる事は、少しも遺恨の子細にあらず。
「先年、関ヶ原の陣旅におきし時、彼が親安川権蔵、我等が先祖隼人と同じ組下なりしが、互に戦功を励み、高名互角の感状あり。両輩共に千石づつ所知下しおかれ、役儀等しく大横目に仰せ付けさせられ、安川流、細井流とて、槍に一流づつの誉れを顕はし、武勇を争ひ、おのづから睨み合ひて、家名を挑みしばかり。共に主君の忠功を勤めし。彼、この節、我が心底を見定め、『是非隠し遂ぐべき者。』と頼み掛け、我に預けし女子、たとひ一命に替へても、ここは出さぬ至極なり。いよいよ常住体にもてなし、少しも色を見らるべからず。」と堅く示し合はせ、さて内室には始めを語り。
「よくよくいたはりて、隠し参らせ給へ。」と言ひ含め給へば、女性も心頼もしく、「人に情けを知らるる事、かかる時なるべし。おろそかに成らじ。」と、みづから御茶の通ひまで成し参らせ、「何事も御心に任せ給へ。」と、いと懇ろにもてなし給へば、奥御前、嬉しさ限りなく、「この御心入れ、いつの世に御恩送り奉るべき頼りも無し。いたづらに身の成り行く事、一しほ口惜しくこそ候へ。」と袖のしがらみ、安川を流し、女性ながら互の礼儀、さすが優しく深かりけり。
されば、この度の怱劇、やむ事なく、「不日の間に、この屋形町をも井の底まで探すべし。」との風聞す。「もし吟味役の方々に見出されては詮無し。まづ我が身は中通りの女分になるべし。渡らせ給ふ御前を、この屋形の奥に成し参らせ、首尾よく憂き目を救はせ給へ。」と女性の智恵賢く、いみじき謀りを{*1}勧められしかば、金太夫喜び、「さもあらば、その方、この屋敷におはしては、その謀り事、心元なき事あり。暫く親の元へ帰り給へ。」と内談して、風俗を使ひ役の女に作り、真紅の網袋に葉付きの蜜柑を入れ、長文箱を持ち添へ、奇特頭巾をかぶり、小者も連れず只一人、屋敷を出、初めて玉鉾の陸地を踏み、別儀なく御里の屋形へ入らせ給ふ。
金太夫、安堵し給ひ、権之進奥に、「何事も難儀を救ひ参らせんため、主命に代へて謀り事を巡らし奉るなり。今より暫くの程、言葉を改め、我が妻子の如く。幼き息女には、まことの親の如く」言ひ教へ、あひしらひ給へば、この娘、いと賢くも、「今一人の髭のあるとと様は、どこへ行かせ給ふ。」と尋ねられしに、「それは、伯父様なるぞ。我がとと様は、これぞ。」と金太夫殿の御膝の上へ渡す時、門外に人の声どよめき、「人改め。」と断り申し{*2}、役人、大勢駆け入りて見るに、いづくに、権之進が妻子らしき者を隠し置ける風情も無し。金太夫、権之進は、日頃睨み合ひて不会なる事、各々存じければ、大方、あらましに吟味して立ち帰る。虎の尾、鰐の口を逃れ、危ふかりし所なり。かの九郎判官殿{*3}、弁慶がために強力と成り、富樫が関路に怪しめられ、大塔護良親王の、般若の箱に御身を縮め、按察法印が難を逃れ給ひしも、今の思ひによも過ぎじ。
それより二十日ばかりも過ぎて、様子を見合はせ、わざと雨風{*4}騒がしき夜半に忍ばせ、弟金右衛門を付けて、権之進隠れ家、吉野の下市と聞こえければ、送り届ける武士の、やたけ心ぞ頼もしき。妻子の対面、その悦び、幾そばくぞや{*5}。たとへて言はん方もなし。「この度、細井殿、浅からぬ懇情。弓矢の本懐」書中に籠め、礼儀を正し、金右衛門は、国元姫路に帰りぬ。世に浪人と成り、敵持つ身の安からぬ事。「いまだ男盛りの花桜。一片の太刀風に、今にも吹かば散るべき。」と朝暮の心油断なく、年月を送りける、武勇の程こそ勇ましけれ。
金塚数馬が一子勝之丞、後ろ見三人同道して、権之進を討たんため、諸国を巡る時、茶道{*6}休林が倅六十郎、丹後の宮津に有りしが、数馬に父を討たせ、その瞋恚、やむ事なく、勝之丞を討つべき所存起こりて、播州に下りける。連れたる供の者は、本国姫路の者なり。家中の人をも見知り、案内もおぼえたり。頼もしく付き添ひしが、勝之丞が運の尽きにや。山崎越えに上り、瀬川といふ里の出茶屋に腰掛けて、手には煙管筒を持ちながら、旅疲れにや、つらつら居眠り。正体なき所へ、それとは知らず、六十郎行き合ひたり。
小者、袖を引きて、「念願の勝之丞は、あれ候。」とささやく。聞きもあへず、刀を抜き、「休林が一子六十郎、親の敵ぞ。おぼえたか。」と名乗りかけて討つ太刀に、勝之丞、左の肩先を斬られ、抜き合はする{*7}間に、畳みかけて本望遂げ、とどめを刺して仕舞ふ所へ、後より三人追つつき、又切り結び、暫しが程、二人と三人と一命惜しまず励みしに、終に六十郎も討たれ、小者も空しくなりぬ。三人方にも二人討たれ、やうやう一人、甲斐なき命、生き残り、行き方知れずなりにき。
その後、「権之進事は、武の本意、至極」の詮議に相済みて、再び帰参して、安川の家、栄えけり。この時、細井金太夫働きも世に顕はれ、「当家、稀なる者二人。」と、その名を上げて、今の世までも語り伝へぬ。
校訂者註
1:底本は、「はかりすゝめ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「申す。」。『井原西鶴集4』(2000)に従い改めた。
3:底本は、「九郎判官(らうほうぐはん)弁慶(べんけい)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「雨風のさはがしき」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「いくばくぞや」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
6:底本は、「茶堂(さだう)」。『井原西鶴集4』(2000)に従い改めた。
7:底本は、「ぬきあはす間」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
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