見ぬ人顔に宵の無分別

 玄春後家とて、肥後の城下に名を得たる女の針立あり。夫、一流の上手なりしに、一子相伝の屋継ぎもなくて相果つる時、大事を女に伝へり{*1}。それより後夫を求めず、剃髪して妙春と改めて、療治に暇なく、殊更、「奥方の病中に重宝なる者。」とて屋形町、心安く出入り仕る。
 或る時、善連寺外記といへる人の妹に、おたねとて、十八まで縁遠く、部屋住まひの気尽くし、心地悩ませ、胸のつかへの養生に、妙春に針を打たせられしに、次第に験気を喜ばせられ、その後は朝暮御見舞ひ申し入れ、外よりは御懇意に預かり、折々の衣類まで召しおろしを給はり、その身は、飢ゑず寒からずして世を渡りぬ。
 又、同じ家中に福崎軍平といへる人、御使番を勤め、仁体すぐれて武芸に達し、今年二十六歳なるが、いまだ妻女もなかりき。かねての願ひに、容儀よく器用気質を人に尋ねられしに、妙春、これへもこの程より御出入りを申し、世間話のついでに、「縁付き頃の息女はあらずや。」と尋ねられしに、折に幸ひ、「かの外記殿の御妹君の御事、世に又もなき美女」のやうに、よろづをよろしく取り合はせを申すにぞ、見ぬ人を焦がれ、「その息女を我等に給はりなば、いかにもして申し請けたき」由を語り給へば、妙春、「この儀、私、御肝煎りて首尾させ申すべし。」と手に取るやうに談合。
 外記殿へ参りて、仲人口を出し、御内証へよくよく申し通じ、この婚礼を調へ、しるしの頼みを運ばせ、その霜月の十一日、「嫁取りの吉日。」とて、外記殿には送り用意、軍平殿には迎へ拵へ。妙春は先乗り物にて美々しく大座敷にざざめき、一代一度の花を飾り、銚子、加への千代の初め。軍平も心嬉しく、その面影を見しに、思ふに格別の相違ありて、姿ばかり尋常にて、横顔に幅広く、額上がりて髪少なく、しかも唇厚く鼻低う、付き付きの女に見比べてさへ、さりとは思はしからず。
 軍平腹立、胸を据ゑかねて、妙春を呼び立て、「世の昼盗人とは、おのれが事なり。女にあらずば、生けては帰さじなれども、命を助くる代はりに、あれをそのまま今宵の内に、外記方へ戻せ。」と思案もなく、無分別に申せば、妙春、挟箱の蓋を開けて金子二百両取り出して、「右に御契約は申さねども、あなたの御手前よろしき故に、この小判を送らるるなり。今の世の中は、かうした事が勝手づく。女房が良いとて、御身代の頼りにはなりませぬ。御ための悪しき事は致さぬ。」といかめしく見せければ、軍平、たまりかねて、妙春に縄をかけて乗り物に押し込み、長持、手道具残らず外記門外に積ませければ、おたねは、世に口惜しく思ひ詰め、宿には帰らず、軍平方にて自害して果てにける。
 外記、堪忍ならず、早馬にて駆けつくれば、軍平方には覚悟して、大門開きて待ち請け、外記、馬より下りて玄関前に走り上がるを、両方より長道具にてはさみ立て、心まかせに働かせず。やうやう若党二人切り臥せ、四、五人にも手負はせ{*2}、奥へ切り入る所を、石倉尉右衛門といへる浪人、軍平に掛かり人にてありしが、後ろより十文字にて突き付け、終に外記は討たれける。近所の屋形立ち騒ぎたる内に、手前早に立ち退きざまに、妙春も討つて捨て、一家、行き方知らず、空け屋敷になりける。
 その折節、外記弟、八九郎といへる者、熊野山一見の同道ありて、参詣せし留守の内なり。山は雪に埋み、大木小松に見なし、枝折の薄も葉隠れの道知れず、岩根づたひに行く末は鳥の声無く、風荒く氷を砕きて、息をつぎ、身を凝らして行く内に、和田林八といふ者、足を痛ませ、心ばかりは進みて、腑甲斐なく見えければ、八九郎立ち寄り、「日頃口程にもなき男。今からその如く腰抜けて、猶行く先の峰は、いかにして越ゆべきや。」と手を打つて笑ひ、「この度の参詣も、汝思ひ立つ故に、連れ立ちたる甲斐ぞなき。小者にあれまで肩にかかれ。それよりは、我等が抱きてなりとも越ゆべきを。」と林八に力を付くべきために、言葉荒らしければ、この者、これを無念に思ひ、「足は立たずとも、その方にまさる強き所をおぼえたり。八幡、逃さじ。」と刀抜きかざして打つてかかれば、八九郎も是非をここに極め、切先より火を出し、しのぎ削りて危ふき時。
 枯野より外記、常に変はりたる姿の顕はれ出、その中に飛び入り、「これは当座の言葉咎め。我は福崎軍平に討たれ、浮世を去つての亡霊なり。敵討たすべき者は八九郎なれば、大事の命悲しく、ここに再びまみゆるなり。この意趣やまずば、軍平を討つての後、互の思ひを成し給へ。是非に頼む。」と言ふ声の下より、消えて形はなかりけり。両人、眼前に驚き、暫し途方に暮れけるが、八九郎、涙に沈みて、「運命の尽きか。」とこれを歎く。林八、勇めて、「今は返らぬ事なり。天を分け地を返して、軍平を討ち給へ。助太刀は某。」と八九郎に力を添へ、本国に帰れば、外記、夢の告げに違はねば、八九郎、林八、すぐに肥後を立ち出、いづくを定めず尋ねける。
 かくて二年余りも心を尽くし、尋ね巡り、「信州戸隠山の社僧に内縁ありて、これを頼みにして、その山中に住みける」由聞き出し、やるせなく心の燃ゆる信濃なるその山に忍び行き、ひそかに様子を聞くに、軍平、道伝と名を変へ、世を逃れたる墨衣、仏もなき草庵を結び、東の山原に黙然として年月を送るは、さらに仏心にはあらず。臆病風に引き籠り、世上を恐れての山居ぞかし。
 八九郎、林八、笹戸を踏み破りて駆け入り、「軍平、今月今日、最後の覚悟。」と名乗りかけしに、昔の勇力出ず、手を合はせ降参して、「今はこの身になりて、外記殿の御跡を弔ひければ、命を助け給へ。」と言ふ。八九郎、庵を見廻し、「汝、心中に偽りあり。用心の枕鑓。形は墨染め、一心は以前に変はらじ。いかに逃るべき。さあ、立ち上がれ。」と責めかくれば、「叶はじ。」と鑓を取る手を打ち落とせば、甲斐甲斐しくも打ち落とされし手を左の手に持ち、林八が助太刀を打ち落とし、林八を切り伏せる所を、八九郎飛びかかり、切り倒し、とどめを刺し、林八が死骸に取りつき、歎くに甲斐なく、今は早、髻切つて発心し、津の国中山寺のほとりに身を隠し、外記、林八両人の後の世を弔ひけると。
 いにしへの名は朽ちずして、今に石塔のみ残れり。

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校訂者註
 1:底本は、「つたへたり。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「手を負(おふ)せ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。