第一 人差し指が三百石

 菖蒲の節句は幟、兜の光を飾り、屋形町は殊更美々しく、中居、茶の間の女の手業に、綜の小笹は恋の山。
 出羽の国庄内に、昔日、徳岡伊織とて、中古、御家にすみて、七十三歳まで堅固に相勤めしが、それまで御用に立つ程の御奉公もなく、外様の番所に変はらぬ役目を承り、初知行三百石、今に立身なく、馬一疋、若党三人世並みに抱へ、身に奢り無く軽薄言はず、一子も無く養子もせず、我一代の覚悟。律義千万に物堅き昔作りの男なり。五日の未明より、家中残らず大書院に相詰め、大殿、唐獅子の間に御安座あそばされ、近習の諸役人、いかめしく列座して、一人一人召し出させられ、目見え受けさせられ、御手づから御菓子を給はる事、御作法なり。
 伊織、罷り出て首尾よく頂戴仕る時、右の人差し指のなかりしを御覧あそばし、「その方が指は。」と御意あそばされし時、後へしさりて、「若い時の過ち。」とばかり申し上ぐる。折節、御前に豊田隼人といふ大目付、有り合はせ、「伊織、指の儀は、古主、相州様に罷り有りし時、同じ家中、鳥本権左衛門と申す者の留守を考へ、夜盗あまた忍び入り、財宝を奪ひ取り、それのみか、その老母を刺し殺し、裏道を立ち退く節、伊織、野末を通り合はせけるに、権左衛門若党追つかけ、「それ、盗人。頼みます。」と声をかくる。伊織、二人捕らへ、両脇にはさみ、その男を待つ内に、身の切なきままに指を喰ひ切れども、離さず。子細聞き届けて縄をかけ、権左衛門屋形に渡し、この時の働き。伊織、十八の年。」と申し上ぐれば、「その頃、若年にして、よくも仕りける。」と即座に三百石の御加増下し給はり、面目、世の聞こえ、かれこれ有り難く、老後の思ひ出、この時なり。
 次第に行歩も不自由なれば、「是非に養子。」と懇ろなる各々、勧めければ、「ともかくも。」と人々にうち任せ置きしに、同じ組仲間、亀石仁左衛門末子仁七郎、今年十六。満足に生まれ付き、伊織、子にして恥づかしからねば、これを取り持ち、内証相済み、御前へ御訴訟申すまでの折節。
 山吹の色深く、岸の坊といへる真言寺の花盛りに、若盛りの人、酒に暮らし、おぼつかなくも藤村佐太右衛門といふ男、人の話を外になして、「まづ新しき事は、伊織養子に仁七郎、行くに極まれり。この若衆も、念者に指切つて取らせければ、又三百石御加増取るベし。十本切れば三千石がもの。飯は人にくくめられても、知行になる指を切り給はむか。」と大笑ひして、しかも下戸の口から人の身の上{*1}をあざけりしは、武士に浅ましき心底なり。
 仁七郎が念友、駒谷杢左衛門が耳に入りて、これ堪忍ならず。折から病後にて、足の踏みどもおぼえざりしが、堅固の時を待ちかね、仁七郎にも知らせず、佐太右衛門屋敷に状を付けて、風松といふ野原に待ちける。今は引かれぬ所にて、弟佐太九郎と心を合はせ、杢左衛門に渡り合ひ、そもそもより助太刀、後ろには下人を四、五人廻し置きぬ。杢左衛門、随分働きぬれども、病上がりにして気勢なく、初太刀は勝ちを得たれども、相手、大勢なれば、終に討たれて、哀れや。それより佐太右衛門は国遠して、丹後の宮津に重縁あつて、身を隠しぬ。
 仁七郎、聞き付け、北国に尋ね行き、まだ踏みはじめの磯道、天の橋立の里に忍び、敵知るまでの手立てに、京よりの小道具売りとなつて、小者に負ひ箱、目貫、小柄の品々持たせて、その身は一つ脇差に編笠かづき、近付き求めて見合はせ廻りしに、若衆頃と思ひをかけ、無理にたはぶれられて、商ひ物を小者が言ふ通りに、値切らずに買はるるも、下心ありて可笑し。「身に望みある故に、様々の難儀にあふも、これ皆、杢左衛門殿の御ためなれば、何事も口惜しからず。」と気を尽くして、やうやう佐太右衛門が有り所を聞き出し、心静かに討ちぬべき事を悦び、「この三月二十七日、祥月命日に相当たれば、是非に念願晴らさん。」と思ひ極めし内に。
 宮津の家中に、内海丹右衛門といふ者あり。中将棋の友として朝暮参会せしが、佐太右衛門、無用の助言言ひつのりて、丹右衛門と口論になる。両方共に怒りて、人のあつかひも聞かずして、既にその夜、野墓に出合ひ、討ち果たすの由{*2}、その内証を小者が聞き出しければ、さりとは悲しく、「もしも佐太右衛門、その者に討たれなば、年月の大願、あだに成り行く事の無念なり。」と身拵へするまでもなく、刀おつ取り出て行く。暮れての道の朧月、帰雁遥かに声続き、沢田の蛙、雨を乞ひ、岸に角ぐむ蘆の繁く、踏み越し足を痛ませ、心玉飛ばせて行けば、少年の塚のみ、立て竹の哀れに眺め、丸葉柳の蔭にして息を継ぎしに、所へ内海丹右衛門、下人あまた召し連れ、果たし眼にて来る。
 「これならん。」と立ち寄れば、丹右衛門、「何者か。」とあらけなく咎めける。仁七郎、礼儀正しく言葉を述べ、段々始めを語り、「某が兄{*3}の敵なれば、佐太右衛門を我に討たせて給はるべし。御自分の御事は、申しても当座の儀なり。御手にかけられ、討ち給はば、残念、後の世までの思ひの種。この事、御聞き分けあそばされ、御許し給はれ。」と手を下げて頼みしに、さりとは道理を弁へぬ武士にて、「その段、存じも寄らぬ事。この男が相手取りにする者を、この時に及んで断り申すは、慮外なる丁稚め。」と憎さげに申せば、仁七郎堪りかね、「おのれ、侍かと思ひ、色々言葉を尽くせし。この上は、八幡、逃さじ。」と打つてかかれば。
 丹右衛門、当惑して、「その儀ならば、相待つべし。」と言ふ。「今は、その返事遅し。死出の山に待てよ。」と飛びかかつて首を落とし、家来を追つ散らして、石塔の手向け水を掬び、口にそそぐ所へ、佐太右衛門、白衣に鉢巻、下人に長刀を持たせ、山の動くが如くここに来るを、仁七郎、名乗りかけて討つて出、暫くしのぎをけづり切り結びしが、仁七郎、運命強く、これも中腰を切り下げ、弱る所を畳みかけて切り立て、首尾よく{*4}とどめ刺す時、この働きに驚き、召し使ひの者、跡無くなりぬ。
 その後、気を静めて、佐太右衛門、丹右衛門が二つの首を、長刀にて小者にかつがせ、本国への家苞にして立ち帰りける。

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校訂者註
 1:底本は、「身うへ」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
 2:底本は、「うち果(はた)すよし」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「それがし兄(あに)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「首尾とゞめさす」。『井原西鶴集4』(2000)語釈に従い改めた。