第四 初茸狩りは恋草の種
作州津山の古き城下に、沼菅蔵人子息半之丞、美少、並びなく、春は限り短き桜を欺き、秋は月の満つるを欠くると見るさへ{*1}、なづまぬは無し。この所は海遠く、久米の皿山と聞こえし麓に、初茸、数生ひて、草分け衣、露にそぼち、諸士、これに狩して勤めの暇を慰み、折からのつれづれをもなだめぬ。半之丞も、今日は霧の絶え間がちに、尾花吹く嵐静かなるに、若党わづか召し連れ、ひそかに立ち出、編笠をかづき、姿自慢の色香を含み、嶺の紅葉一枝手折らせ、渓に知るべの草の庵に立ち寄り、暫く休らひけるに。
同家中、大道孫之進にかくまはれて、国の守を望みし竹倉伴蔵、これも茸狩に、片山団右衛門といふ男に誘はれて出しが、最前より半之丞を見て恋ひ沈み、後を慕ひて、同じ庵に頼りながら、卒爾に言葉をかくべきよすがもなく、たたずむ所に、半之丞、常々詩歌に心を寄せ、この庵の僧と、「楓林の月」といふ題の心を章句に二、三返。吟声の艶なるを聞くに、思ひのいや増しけるが、伴蔵も、かねてこの道を好けるやさ男にて、「かやうの推量は、高き卑しき隔てぬ習ひ。粗忽ながら。」と即座の対句に数の思ひを籠めて綴れば、「さてさて、忝き御心ざし。どなたは存ぜず。」と頂き給ふを調子に、竹縁にねぢ上がりて名乗り合ひけれども、顕はにしては、心の浅み酌まるるも恥づかしく、良い程に挨拶して帰り。
その翌日、たまりかねて、半之丞方へ見舞ひ、折を伺ひ心底を語れば、「思し召し、千万忝し。さりながら、我等如き者にさへ、『構ひ申す者ある。』と申せば事可笑しく。されども、それ程の御深切、余り過分に存ずる上、せめては。」と玉の盃の、底意なく見えしを、伴蔵、付け上がりして、「御懇ろの御方は、どなた。」と問へば、「これは、異な事御尋ねに預かり、近頃迷惑致す。私、これ程の心ざしに{*2}、その御言葉は、御自分様には似合ひませぬ。いか程仰せられても、この段は申さず。」と念者をいたはるの心ざし、面に顕はれて、強く言ひ切るに、力なく、「承りかかるからは、承らねばおかず。又、存じたる者に聞きませむ。」と帰り、難なく聞き出しける。
その男は、本町二丁目能登屋藤内とて、名を得し町六方の隠れなく、心だての結構なる御侍は、これが旗下に御機嫌取る程の器量。勿論、身代よろしきには構はず、「心底の潔き男。町人にはしほらしき。」と思ふ折から、御姿を見初め、「一命を御返事なき先に参らせたる」より可愛がらせられ、この三年の懇ろぞかし。
又、この伴蔵は、生国加州の人なりしが、これも水野何がしの流れを汲むの武道磨きなりしが、尋ね行きて、藤内を門外に呼び出し、頭から刀の反りを返し、「町人には腰が高し。下に居れ。」と只一呑みに眼を見出し、ねめ付けたる気色。藤内、まづぎよつとして、「我にこれ程に物言ふ者無し。いかさま、公儀の権威もありや。」と三指になつて窺ひぬるに。
伴蔵、刀に手を懸けながら、「聞けば、おのれめは、忝くも沼菅殿の御惣領を、勿体なくも兄弟分とする事。これを、摩利支天も憎しと思し召さむ。なれども、彼は形を見せ給はず。我、今、弓矢八幡大菩薩の神勅に任せて、ここに来る。殊に今日、半之丞様の御姿を拝み奉り、御流れを頂き、向後より恐らく、桓武帝の末孫竹倉伴蔵平正澄、御後ろ見を仕る。只今八月二十八日より、その方、かの御門外にも、からすね{*3}を運ぶ事を、堅く停止す。推参千万、言語道断。びくともせば、首と胴との後朝。さあ、只今返事は、返事は。」と大道に両剣を横たへ、白昼の往来、とどまつて見物す。さしもの藤内、この勢ひに胸轟き、雷の落ちかかる心地して、震ひ震ひ、「いかやうとも御存分にあそばし、私一命御助け、頼み奉りまする。」と涙を浮かべけるに、不憫まさりて、伴蔵は宿に帰りぬ。
これ程に名を得し男だても、さすが長袖のわりなく、胸のほむらは塩釜の「うらみは半之丞。かの男と盃までせし事、思へば堪忍ならぬ所。世の思はく、人の嘲り、生きて甲斐なく」ぢきに屋敷に駆け込みて、半之丞に逢ひて、段々言ひも果てず、藤内、脇差切り付くるを、ひらりと退き、「さりとては、それには様子あり。まづ心を鎮めて物を聞き給へ。」と、とどむるをも聞き入れず、ひた打ちに打つ太刀に、半之丞、右の肩先を誤り、この騒ぎに、家老、家の子ども走り出、懸け隔たり、藤内を微塵に斬り砕き、「半之丞、深手に見えさせ給ふ。」と各々肩にかけ{*4}、内に入り、「藤内事は、慮外者故、討ち捨てに致したる。」と奉行所へ断り、死骸は弟藤八に下さるるにて済みぬ。
半之丞、さまでの手とも思はざりし難儀、九月十二、三日の頃より験気を得て、「つらつら藤内仕方、余りに短気にて、仕損じ給ふ時、我、この手を負はずは、家来の手にかけてやみやみと殺させはせまじもの。悔みて甲斐なき事ながら、去年の明日の夜は、ひそかにおぬしの部屋に伴はれ、みづから東の窓を開け、南面の簾を巻きて、しめやかに語り慰み、二人が仲にかはす枕は、傾く月の桂ならでは知る者なく、籬の菊のしたたりを受けては、不老不死の仙薬を求めても、契り久しからむ事を誓ひしに、思ひの外の憂き別れ。その言葉も早、夢になりたるよな。この懐かしき心の中をば、つゆも知り給はず、はかなく消え給ふ時、さぞ某を恨みと思しけん。さうではない心底を、とても叶はぬ浮世に、竹倉伴蔵が憎き仕業故、まざまざ、かうし成し、『死なば共に。』と言へる人を先に立てたる始末。これは、いかなる因果巡り来て、今の悲しみ。思へば、兄分藤内殿の敵は、伴蔵なる者。南無三宝、後れたり。逃さぬ、逃さぬ。」と、いまだ疵の半ばも平癒せざるに、駆け出ては絶え入り、狂ひ出ては伏しまろび、うつつなき風情。親父蔵人を始めて、付き付きの者までも、興覚めながら押し静めぬ。この下心を知れる程の者は、殊更哀れに袖を絞りける。
ここに、藤内弟藤八、今年十六になれるが、兄やみやみと討たれたるを無念に思ひ詰め、「所詮、敵は半之丞。年来の心底翻したる侍畜生。今は、駆け込んで一太刀恨みむ。今宵は忍び入らん。」とは思へども、「仕損じては、かへつて恥に恥を重ぬる。とかく時節を窺ひて。」と、これも常々、死に支度して時を移し。
その年の十月十九日の夜半に、「沼菅半之丞、御見舞。」と言ふ。「さてこそ望む所。」と身拵へして、「尋常に討ち果さん。」と、まづ座敷に通し、逢ふより早く、半之丞、涙を流し、「こなたに御目にかかるも面目無し。今まで命長らへし事は、これをその方へ渡したく思ひし故。」と下着の片袖を引きちぎりて包みたる物を、投げ出して、前に臥すと見えしを、引き起こせば早、懐の中にて鎧通しを心元に刺し込みながら、息絶えぬ。
さて、包みたる物を開くれば、竹倉伴蔵が首なり。「これは。」と切り目を見るに、血引かず。いづ方にてか洗ひて、落ち着きたる仕方。藤八、呆れ果て、「何事も前世の業なるべきを。これ程潔き心底知らずして、今まで半之丞を恨みたる。由なや。これを種として、二人の仏果を祈らんには。」と出家しぬ。
校訂者註
1:底本は、「見たへ」。『武道伝来記』(1992)本文及び語釈に従い改めた。
2:底本は、「心ざしは其(その)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
3:底本は、「御門外(もんぐはい)にもすねを」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「かけて内(うち)に」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
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