第一 太夫格子に立つ名の男
吸ひ付け煙草の煙、富士を夜見る女郎町、安倍川の騒ぎ。三島屋が格子の前に立ち重なり、聞き耳を駿河なるはやり太夫、相模、吉野が連れ歌。かはりさんさの節も、色に映りて、人皆なづみ深く、身代「破れ菅笠」と歌ひしも、古き昔とはなりぬ。恋は闇こそ可笑しけれ。出家も頭巾の山深く、茶問屋の客も女珍しく、旅人も一夜切りの慰みに浮かれ、かざし扇をするもあり、編笠を人も咎めず。かかる悪所は、互に堪忍するこそよけれ。
折節、同じ屋敷を忍びの友、青柳十蔵、榎坂専左衛門。この両人、供をも連れず、ひそかに浮世狂ひに乱れ歩き、宵に呑み過ごしたる酔ひの機嫌に正気を忘れ、無用の口論をして、日頃のよしみを顧みず、刀抜き合はせて切り結びしが、十蔵、首尾よく専左衛門{*1}討つて捨て、取り廻しよく立ち退き、屋敷に帰り、沙汰なしにして、世上を聞き合はせける。
専左衛門弟専兵衛、その夜の明け方に聞きつけ、その所に行きて、様々穿鑿すれども、遊女町の者、相手は知らぬ極まり、辻番、ねだれて甲斐なく、まづ死骸を取り置きて、その後、屋形に立ち帰り、無念重なり、身をもだえて、討ち手分明ならねば、是非なし。しかも掟を背き、夜中に屋敷を立ち出、その上、所悪しき身の果て。かれこれ御立腹あそばされければ、御長屋にたまりかね、大横目衆、内証申し、立ち退きしが。
専左衛門女房の歎き、殊に七歳になる専太郎。この二人、専兵衛介抱して、清見寺の近里に知るべありて、俄住まひの仮枕。夢さへ連れ合ひの事、面影に立ち添ひ、寝覚めに専太郎が、「とと様は。」と尋ねし時、猶又、心も乱れて、「世に長らへて物思ひ。身をあだ浪に沈めん。」と妻戸開くれば、浦淋しく、三保の松風吹き続き、月冴え渡る小舟に、海人の呼び声、女の声。子を思うての蘆火焚く、賤しき身にさへ心ざし殊勝に、清見寺鐘も耳に響き。
「昔もこの里の母人、子を尋ね行き、近江なる三井の古寺の事ども」を思ひ出して、一しほ袖を絞り、「我、相果てなば、さぞ専太郎が歎くベし。女の心のはかなや。夜を日に継ぎて成人させ、是非に敵を討たせでは。」と覚悟し替へて、身堅め、愁へを胸に含ませ、面は鬼に見せて、その後、更に歎かず。専太郎が一人遊びのでくの坊、竹馬を捨てさせ、女房ながら打ち太刀して、兵法を励ませける。
専兵衛は、安倍川のほとりに忍び行きて{*2}、喧嘩の次第、世の噂を聞けども、いよいよ相手は知れざりき。この事、無念なれども是非なく、色々思案巡らし、「かねて挨拶悪しき人もや。」と吟味せしに、その思ひ当たりし事も無し。分別尽き果て、世間の人に会ふも恥づかしく、脇道にさしかかり、傾城町より野を分けて、川辺、宝台院の前を過ぎて、狐が崎に暮れかかりしに。
冬野の草枕して、乞食四、五人集まりて、「生あれば食あり。これを代なして、仲間の酒手せん。」と黒き羽織を一つ、袖を返して、「これを今、仕立てさせば、小判二両にては出来まじ。たけも二尺七寸あり。良い買ひ手あらば、捨てても三十五匁。五人に七匁割り。」と算用する声。聞きて立ち寄れば、専兵衛勢ひに恐れて、咎めぬ先に声を震はし、「これは、この程女郎町の喧嘩の夜、拾ひました。」と申すにぞ、取り上げて紋所を見しに、丸に水車。これぞ青柳十蔵が定紋なり。さては、敵知れての嬉しく、「この羽織を落とせし人は、いづ方へ行くぞ。」と尋ねしに、「それは存ぜず。人立ち騒ぐ中にて拾ひました。」と申すに偽りはあらじ。「この羽織、我にくれよ。」とて、あり合はせたる金子を取らせ、この紋所を証拠に十蔵を狙ひける。
この沙汰、屋敷に聞こえて、十蔵、妻子もなき者なれば、立ち退き、行き方知れずなりて、専兵衛、猶悔みて、「おのれと知れぬ内こそなれ。天を分け地を探し、この本望遂ぐべし。」と一筋に思ひ定め、十蔵、生国出羽の山形の者なれば、ここに立ち越え、一年余りも狙ひしに、いまだ故郷へは帰らぬに極まり、又、駿河に戻りて、空しき年月送る内に。
頼みし宿の主、一子に嫁を迎へけるに、草深き所なれば、祝言の作法も弁へなく、専太郎母人に尋ねける。この人、都育ちにして、万事心得給へば、銚子の取り廻し、末々の女に教へられし装ひ、昔の姿残りて、美しき生まれ付きなり。専兵衛は、まな板にかかり、結び昆布など拵へしが、その夜から出来心にて兄嫁を思ひ初め、武士の義理をも顧みず、寝間に忍びて、言葉数々尽くし、人の聞こえ、世の思はくをも構はねば、一生の迷惑、ここに極まり、涙、袂に余り。
「さりとは天命背き、道ならぬ御事。思ひも寄らぬ御たはぶれ。いかに女なればとて、専左衛門殿に離れ、後夫を求むる心底にあらず。」と道理至極の断り。専兵衛、更に聞き分けずして、猶々無理を進み、夜着の下臥しする時、今は是非を一つに思ひ定め、肌刀を抜きて、専兵衛が脇腹を刺し通し、その刀にて胸を貫き、惜しや、二十四の春の夜の夢とはなりぬ。亭主、悦びの中にかかる難儀に逢ひ、この人の親類もなきがらを取り置きて、思ひも寄らぬ無常を見し事ぞかし。
その後、専太郎九歳になれば、おとなしく叔父専兵衛を恨み、母を悲しみ、「長らへて詮無し。」と命を捨つるを抱きとどめ、「武士の子として、知れたる親の敵を討たずして、今空しくなり給はば、草の蔭なる父母、さぞ口惜しかるベし。」と様々申すを聞き分け、「この上ながら、頼む。」と涙をこぼすを見て、心なき野人まで、哀れみをかけぬは無し。
それより、「世上を知るため。」とて清見寺の膏薬に遣はし、藤の丸屋の店に置きしに、美少なれば、旅人の目に立ち、すぐに通るはなかりし。年の浪、沖津に重ね、十三歳になりて、「当年は父専左衛門七年なれば、敵十蔵が行方を探し出し、首を仏前に手向けん。」と、いづれもに暇乞ひて、思ひ立ち行く心入れ。「さすが侍の子なり。」とて各々、涙に暮れける。召し連れし一人は、親専左衛門に使はれし吉蔵といへる小者なるが、昔の御恩に尋ね出、その時{*3}の後ろ見するこそ頼もしけれ。十蔵面も、この者見知れば、これを頼みに、まづ東路に下りける。
この事、十蔵伝へ聞きて、「若年の気を尽くし、我を討つべき所存、専左衛門子なり。つらつら世の有様を観ずるに、とかくは夢に極まれり。我、専左衛門を討つて後、そのまま切腹すべきこそ武道なれ。さもしき心底起こりて、世を忍び、人のそしりを請けぬる事も、由無し。我が方より名乗り出て、仔細なく討たれて、専太郎が本望を遂げさすべし。」と遥々の国里を急ぎ、清見潟に尋ね上れば、「専太郎は東国に行く。」と聞きて、帰れば北国に廻り、西国巡れば南海に行き、一年に余り逢はざる事をとけしなく、「我が生国、出羽の羽黒山の麓寺、観音院にて待つベし。」と興津川に札を立て置き、その身は東に下りけるが。
いつとなく疝気に悩み、様々養生するに頼み少なく、世の限りと見えし時、観音院を深く頼み、「我が事、常々申す如く、人に命を預かりし身なれば、今と成りての病死、さりとは武勇の本意にあらず。しかりといへども、時節の命なれば是非無し。死去の後、形をこのまま土中に築き込め、専太郎尋ね来らば、たとひ白骨となるとも、再び我を掘り出し、敵を討たせ給へ。」と確かなる言葉残して、終に空しくなりぬ。十蔵遺言の通り、その体を取り置きける。
専太郎は、諸国巡り来て、興津の札を見るより、出羽の羽黒に立ち越え、観音院に名乗り入りしに、住僧、始めを語り給へば、専太郎驚き、「折角ここに下りし甲斐もなく、敵を手にかけざる事の残念なり。されども十蔵殿、心底疑ふまじきは、清見寺まで尋ね出られし所、男なり。この上の願ひ、その死骸を見ずしては、浮世に心の残れり。それ、見せ給へ。」と申せば、法師、おつ取り鍬して、塚のしるしを掘りのけ、形を見せけるに、早百日余りも過ぎけれども、ありし姿のさのみ変はらず、生ある人の眠れる如くなり。走り寄つて声をかけ、「榎坂専左衛門が倅専太郎なるが、親の敵の体なれば、討つ。」と言へば、十蔵死骸、眼を開き、笑ひ顔して首差し伸ばす。この心通を見て、猶潔く、差したる刀、脇差を見れば、刃引きにして、目釘竹を外し置き、専太郎に手向かひせず討たるる覚悟の心入れ。ためしなき男なり。
「この後、恨みは無し。」と元の如くに埋みて、その跡、懇ろに弔ひ、「今は世界に望み無し。」と即座に髻切つて、観音院を師と頼み、出家堅固に勤めける。
惜しや、盛りを待つ花の帽子、身は墨染の桜散る世語り。
校訂者註
1:底本は、「専左衛門をうつて」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「行き喧嘩(けんくは)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
3:底本は、「此時」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
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