第二 吟味は奥縞の袴
昔日、誰が乗り初めて壱岐の島、夕波騒ぐ群千鳥に夢も結ばず。
糸鹿梅之助とて、かかる鄙にも又あるものか、面影の花。浦風の激しきをも厭ひて、深く語らひける男は、村芝与十郎といへる舟改め。身代は軽けれども、水主、船頭に崇められながら、余情に生まれ付き、「無念や、その昔は筑前にて五百石。筋目も人に劣らず。」と常にこれを悔みけるは、この若衆の親父糸鹿内蔵は、国の奉行職なれば、なまなか恋の習ひとて、兄分といふ恨めしく、世間の思はくも心よからず。されどもこの道の隔てなく、忝き事、嬉しき事に一命を投げて、年月を送りぬ。
ここに国の守なる若殿、或る時、梅之助を只一目御覧ありて、しきりに召し出さるべき由、仰せ下されたるを、内蔵、忝く御請け申し上げて帰り、この段、梅之助に、「心得ベき。」と言ふに、何の色なく返事して、その夜すがらも与十郎と語るにも、この事を話さず。心にこれを思ひ煩ひしは、「もし是非召し出され、御傍近く御用承る時には、与十郎手前の道を欠く」事の恨めしく、分別し極めて、その明けの日より、「病気。」と言ひなして部屋より外に出ず。親父、これを気の毒に、様々と慰むるに験なく、別して、「若殿の御前いかが。」と御機嫌のついでを以て、「倅、病気」の由、申し上ぐるに、御気色変はりて、座を立たせ給ひ、その後、近習勤めし十倉新六に御雑談あり。
「梅之助、今に本復せずや。」と問はせられしに、新六、内々梅之助に執心深く、文遣はしければ、その返事に自身来りて、「懇ろ分けあり。」との言ひ訳なりしかども、「言ひかかりたる一言、無下には。」と申せし時、「それ程の御心底、忘れ置かず。」と言ふに、ほだされぬ。その後、勝島の入江に小舟浮かべ、その友には村芝与十郎を伴はれて魚釣りし風情、心得ず。又、「過ぎし月見る宵、浪都に三味線引かせ、与十郎と夜更くるまで私宅に語りながら、浪都は帰しぬる後は、心憎し。」と語り、これより気を付くるに、いよいよ懇ろに隠れなく、それとは無しに遺恨にさしはさみ、「折を以て参るべし。」と思ふに。
これを幸ひにして段々申し上げ、「この度の病気も、虚病に疑ひ無し。とかく、与十郎生きて罷りある内は、大殿の御意にても、御奉公致す心底にあらず。」と意趣ある下心より、つぶさに言上すれば、「しからば、手立てを以て与十郎を成敗すべし。さりながら、大殿の者なれば{*1}、一旦貰ひての上。」と家老白浜刑部まで、「村芝与十郎、利口者たるにより、若殿、御召し使ひなされたき」由、仰せ遣はさるるに、「これ程の者、御耳に達するまでも無し。いかやうとも御用承るべし。」と与十郎を呼び寄せ、仰せ渡しを申し付けたるに、有り難く、ぢきに若殿へ御目見え。即座に切米十石の御加増、殊に女中部屋の下横目役仰せ付けられ、首尾残る所なく、外聞かたがた面目身に余り、宿に帰りぬ。
その後、鈴の間の番に上がるに、相役三人づつ詰めしは、田上磯右衛門、柏義左衛門、村芝与十郎なりしが、いつも三人の内、二人は臥して、一人づつは一時がはりに寝ずの番、与十郎に当たりて勤めしに、元よりこの役目を仰せ付けられたるは、「何ぞ無調法を仕出させ、それをついでに成敗すべし。」と巧みたれども、この男、よろづ律儀に勤め、落ち度なく、古座の者にまさり奉公するにつけて、少しも見落とされざるを、右の新六、若殿の御心底を察し、時の権を借つて、おのが叔母野沢、女中頭を勤めしを幸ひに、「随分、与十郎落ち度になるべき事を巧み給はるベし。」と言ひしに、野沢、心易く頼まれ、昼夜これを心掛けたる時。
夜半の頃、与十郎、袴を脱ぎて後架に行きけるを、ひそかにこれを盗みて、足早に奥に入り、妻戸固く閉めぬ。与十郎、帰りて見るに、袴無し。相番は、前後知らず寝入りて音なく、不思議に思ひて通ひ路の扉を見れども、厳しくとざし、いよいよ工夫に堕ちず。夜もすがらこれを思案するに、行方合点行かず。「さりとては奇妙千万。」と思ひながら、「相番の者に穿鑿しても、とても知るべき事に非ず。なまなか不埒なる事を尋ねて、いぶかし。」と夜明けてもこれを語らずして、番より下る時に。
磯右衛門、この体を見て、「御手前の袴は。」と言へば、「夜辺より見えざれども、事やかましく詮議するに及ばず。大儀なれども、新しく拵へるばかり。」と言へば、義左衛門聞きて、「それはまづ、勝手づくの事。ここは御城内の番所なるに、盗人来るべき道にあらず。また、只見えずと言うたばかりにしておいても、済まぬ事なり。磯右、何と。」「中々。合点が参らず。」とやかく沙汰する時、女中頭野沢、奥より走り出、「夜前当番の衆、一人も帰らるる事、無用。仔細は、大目付津川重五左衛門殿、御出なされてからの穿鑿。」と言ひ捨てて奥に入りぬ。
「さてこそ、お見やれ。これは、まがひなき怪事なり。」と行方気づかひして居ると、早、桜の間に呼び出され、野沢口書きを以ての詮議。「夜前、九つの時計過ぎて、南女中部屋の方に怪しき男の面影見えたる由、西の深殿なる方より告げ来り。一々これをただすに、別儀なき故、『いかなる者か目にかかりたる。』と、そのなりけりに済ます所に、今朝ほのぼのなる時、梅の庭の忍び返しに、奥縞に片色の裏付きたる袴、打ちかかりてありしままに、今にこれあり。全く外より来るべきにあらず。まづ当番の者を改むべき由なり。いづれも袴に別儀なきか。」と言はれし時。
磯右衛門罷り出、「これに相詰めし与十郎、今朝、白衣なるを改むる所に、夜中より見えざる由、申したる。」と言ふ時、与十郎這ひ出、「まさしくこれは、狐狸のしわざと存ずるは、暫しの間の儀に、誰とも形の見え申さざれば、力なき仕合せ。御了簡を以て御詮議頼み奉る。拙者、もし不義の心あつて、忍び入る程の事に、これを落として来るべきものにあらず。私一分に致して、つゆ程も覚えなき御事。」と言ひも果てぬに、「しからば、その見えざる{*2}時、きつと穿鑿せずして、磯右衛門咎むるまでは隠したるや。この言ひ分け、いかにしても晴れず。但し、『やかましくむつかし。』とて改めざるとは、公儀に向かつては言はれざる私にして、おのづからその方落ち度、極まりぬ。それ、二人の者に預くる。」と座を立ちさまに、「この上は、南部屋にも不義の相手あるベし。これを糾明すべし。」と言ひ捨てて、若殿へ申し上ぐるに、「かねての巧み。」と悦び給ひ、二言と言はず、縛り首打たれて、定めなきかな、村芝与十郎、葉末の露と消えぬ。
そのまま梅之助に、「只今登城すべし。暫しの内、叶はざる御用あり。もし病中と言はば、乗り物にて迎ひ来るべし。」と徒士、六尺数十人、御手医者坂川玄春、御使者には今の御物甲斐品之丞を遣はされけるに、内蔵、「これは冥加なき仕合せ。」と早々梅之助を送り、さて御前に出たるに、今まで御前に罷り出ざる御不足、数々ありて、「それも様子を聞けば、憎からず。さるによつて与十郎事、不義の科にかこつけて今朝成敗したれば、この上は、もはや障る事はあるまじ。身に奉公すべし。」と仰せらるる半ばより、はつと思ひながら、色に出さず。
「これは、御意ともおぼえず。与十郎と拙者儀、さらさら左様の事にあらず。かやうなる儀は、御側に佞人あつて、跡かたもなき讒言申し上げたるものにて御座あるベし。」と言ふ言葉の下より、新六罷り出て、「何と、『御側の佞人。』とは誰を指すぞ。その上、その方と{*3}与十郎懇ろの事は、国中に隠れなきによつて、某、申し上げたり。生若輩なる口より言はれざる過言、一つには御前をも憚らぬ。それを佞人と言ふ。」と色を変へて言葉戦ひするを、若殿、両人を御なだめあつて、「それはともかくも、梅之助、身が近習へ詰むれば別儀無し。向後、互に意趣に含む事なかれ。」と奥に入らせ給ひけるに、梅之助、すぐに宿に帰り、「さても是非なき次第。これ、新六がなせる所。与十郎、つゆも知らせ給はず、やみやみとなられたる事の悲しき」に涙に暮れながら、文細々と書き置き。
その夕暮、立ち出て、新六が帰るさを待ちかけたるに、菱蔓の紋提灯。「これ、新六。」と言葉をかけ、抜き合はせて、打つ一太刀に切り伏せ、若党二人も逃さず切り倒し、鑓持、小者追つ散らし、「今はこれまで。」と新六が死骸に腰をかけ、心静かに切腹し、みづから首掻き落として消えぬ。
この太刀音、近所に驚き、駆け寄るに、早両方事切れて、一通の書簡あり。披き見るに、「およそこの一道に於いては、高き賤しき隔てなく、たとへば一天の王子も、草露の牧笛を鳴らし給ひて、御思ひを晴れさせ給ひき。いはんやその下つ方は、申すも愚かなれども、恋慕に捨つる命は風塵より軽く、屍を霜刃に刻まるるとも、一度かはす侍の一言をや。ここに、この恋知らずありて、みだりに忠信の者を無実の科に偽りて殺害す。よしや存命して、人皮畜の世界に遊んで、契り絶え絶えならんより、邪魔の関を踏み破つて、永き黄泉の旅枕。重ぬる{*4}衾は、これぞ鴛鴦の剣を以て、愛しと思ふ兄分の敵を討つて、浮世の夢を覚ますものなり。」と。
見る者、感涙の雨。盛りなる梅のあたら落花の名残を惜しまぬ人なく、今に語り伝へて、聞くさへあはれなり。
校訂者註
1:底本は、「者(もの)ならば」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「見えたる時」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
3:底本は、「その方与十郎」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「かぬる」。『武道伝来記』(1992)本文及び語釈に従い改めた。
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