第四 炬燵も歩く四つ足の庭

 大雪、軒より高く、国は隔てながら目前の白山。水辺は離れて、橇の浮き舟漕ぎ通ひて、「たまたまの御出、これは、これは。この頃の景色に隣家を見失ひて、市中の山居と存ずる。」など言ひかはしたる朋友四、五人、語るには夜の長きを重宝に、落とし話も耳馴れたるは、早言ひ尽くして、「何と、化け物の出る百物語とやらを始めては。」と言へば、「これ一興たるべし。」と行灯かすかに、帷子を打ち掛け、炬燵も取つてのけ、各々、座を占め。
 「昔、空き屋敷に。」と言ふ程の事恐ろしく、目に見ぬ鬼も面影に立ち、話の六、七十も済む頃より、隙間漏る風も、「それか。」と驚き、片隅に居たる男も次第ににじり出、天井に鼠の騒ぐも、「雷の落ちかかるか。」と疑はる。屋根を物めが歩くやうに聞こえ、もはや九十七、八に語り詰めたる時、皆々、面の色を違へて、五人一所に鼻を突き合はせ、今は話一つに極まりたるにぞ、目を見合はせ、手に汗を握り、ちりけ元より何物やら掴み立てると。
 榑縁より爪の長き物、這ひ出づる音しきりなるに、心玉も消え消えと成りながら、さすがすくみも果てず、刀取り廻して、一度に声をかけて、はらりと立ち、障子を開くるまでは叶はず、唾にて穴を開けて覗けば、最前みづから置ける炬燵の櫓、縁より下に下りて、霜枯れの菊畠に走り出たるに、「いざ、し留め給はぬか。」と言へば、「まづこなたに。」「いや、御辞儀に及びませぬ。」と言はれぬ所で礼儀を述べて、埒あかざるを。
 中にも亭主、武辺、人にすぐれ、そのまま廊下に走り行くと、手槍ひつ提げて駆け出、ぼつ詰めて突き留め、「し留めたり。」と呼ばはる声に力を得て、各々駆けつけ、「まづは御手柄。これを殿の御耳に達せん。」と早取り取りなるに、亭主騒がず。「これ、人の疑ふ事なれば、いづれも証拠状を書いて給はれ。」と言へば、「心得たり。」と、「天正三年十一月二十八日の夜、畠山の末孫友枝為右衛門重之、化生の者をし留むる所、実正明白なり。そのため件の如し。花崎波右衛門、笠井和平、常磐瀧右衛門、戸島与四左衛門。」と連判を据ゑて、「いざ、正体見せ給へ。」と蒲団をまくれば、日頃手飼ひの犬なり。宵の暖かなるに寝ぐらとせしが、夜更け、寒ずるを厭ひて駆け出たるにぞありける。これに興覚めて、大笑ひして帰りぬ。
 その後、これ沙汰一倍になりて、「さても今は、御代静謐に治まり、血臭き事なきによつて、この頃、さる方にて諸歴々衆、『犬を突き留めたり。』とて証拠状を取り、これを言ひ立てに外に知行望む由。向後、人の首取る刀をやめて、犬を切るにはなまくら物良し。」と名を指さぬばかりに評判しけるを、右同座の戸島与四左衛門、伝へ聞いて、「何とやら、言はれぬ所に為右衛門が武辺して、諸士の物笑ひになり、我々まで面目を失ひ、この言ひ分け立たず。」と波右衛門に語り、悔む所へ、為右衛門も当番にて来かかり、これを聞きて、「拙者一人の迷惑に極まる。それは、誰々の批判にて聞かれし。」と言ふ時。
 篠村三九郎といへる男、ふと来り、何心もなく、「いづれもは、この頃の沙汰を聞き給はずや。」と言ひしに、「それは何事ならん。」と言ふに、「犬を突き留めたる感状の事。」と気負ひかかりて話すを、「これは幸ひの所へ御出。則ち、その臆病者は拙者なるが、この事に付いて、御一分立たぬ衆もこの座にあり。『その申し訳に、どなたにても仰せらるるを相手に致すべき。』と存ずる所へ、御自分御出。定めて申し出したる者はあるべけれども、とても仰せられまじ。とかく御不祥ながら、我ら相手にこなたを致す。」と言ひかけられて、三九郎も引かれぬ所。二言と遅々せず、是非なく言葉をつがひ、「ここは御城内。番下り次第。」と約束を極め。
 その明けの夕暮、中橋にて出合ひ、目釘竹の飛ぶ程戦ふ由。右の四人も、「逃れぬ所。」と駆けつけたるに、三九郎方にも助太刀ありて、両方三十二人切り合ひ、討たるる者十五人。為右衛門は三九郎、同林八郎を討ちながら、あまた手を負ひ、与四左衛門、瀧右衛門は即座に切られ、和平、波右衛門、以上三人、草履取一人召し連れ、その場よりすぐに立ち退きける。
 その後、三九郎子、林八郎弟三八、十二才{*1}になりしが、喧嘩の時節、十死一生に患ひありて、この事、今知らせければ、自ら御暇の事、御前へ申し込めたるに、「潔し。」と三九郎甥芝村湖助に後ろ見仰せ付けられ、両人、その明けの春より立ち出、北国街道残らず尋ね上り、京三條通信濃屋に宿取りて、或る時は清水の群集に立ちまじり、狙ひ歩くに、終に巡り逢はず。
 ここに三ヶ月足をとどめ、旅より旅の仮寝。物憂き夜半毎に、空也上人の流れを汲む鉢叩きの物哀れなる声して、「生死無常の理を、聞けど驚く人も無し。」と口説くにも、先立ち給ふ父の事を思ひ出し、夢も結ばず聞き居しに、この者共は{*2}皆、その筋ありて、山城の国に限りたるに、「今宵の二人連れは、なまり声なるは不思議なり。」と湖助、気を付けて、施し物遣るついでに、火影に顔をよく見れば、和平、波右衛門なり。
 まづこれを捕らへけるに、三八、「さては敵よ。」と刀抜きかかるを、湖助、暫しとどめて、「各々は、まさしき相手にあらざれば、討つに及ばず。さて為右衛門は、いづ方に忍び居申すや。もしこれを知らせ給はらずは、御両人共に逃さぬ。」と言ふ勢ひに、この者、後れながら、「侍は互なり。我々も、かの者故にこそ流浪致せ。何をか包まん。為右衛門は、今は西の京大将軍に、戸川友元といふ医者の庵に身を隠して、用心深く致せども、夜は糧を{*3}求めんため、太平記を素読して、今宵も出づべし。」と言ふに任せて、堀川を上へ上がれば、一條戻り橋にて言葉をかけて、討ちおほせ、両人の者は助けて帰りぬ。

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校訂者註
 1:底本は、「十二に」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「者(もの)共に皆(みな)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「粮(かて)もとめん」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。