第三 毒酒を請け太刀の事

 騨州にありし事、語り伝へて、その時の大守、森脇主税之助、病死あつて、若殿市丸殿、遺跡を継ぎ給ひ、代々の家絶えず、国の成敗を執り行ひ給へり。
 或る時、家老祝山中務に仰せ出さるるは、「御慰みかたがた、家中の若き者ども、それぞれに武芸嗜める品、時ならず御覧あるべし。その内まづ、人々すぐれたる芸、書き付けを上ぐべき」由、畏つて相心得、いづれもその頭々に触れて差し上ぐるに、「何の何がしは疋田流の兵法、馬は大窪が印可、居合は片山伯耆流、弓は当流、鑓は大島流。誰は鉄砲。彼は何々。」と、いづれか一芸なきはなかりき。
 その日、広間の当番には、外山白右衛門、坂野用助、乙見瀧之進、一所に並び居て、白右衛門言ひけるは、「何と、今の書き付けの披露の内、熊井五助が武芸の品々多きこそ、合点行かず。その仔細は、あの青男、常々の有様から生ぬるく、殊更、終に弓を手に取りたるを見たる者無し。鑓などは念もない事、及ぶまじきを、人並に書き付けを差し上ぐる事、これ程の嘘は、つかれうものにあらず。」と大笑ひしけるを、次の間に五助従弟白橋元左衛門、これを聞いてたまりかね、その番より帰りさまに、五助が元に立ち寄り、「今日、誰々うち寄りて、この沙汰ありし。」と知らせければ、「よくぞ聞かせ給はれ。これには分別する事あり。」と。
 その翌日、家老中務まで申し込みけるは、「この度、書き上げたる武芸の品々、御前にて仕りたき」願ひ。中務、取り次いで伺ひければ、幸ひ御機嫌よろしく、「今日御覧あるべき」由、仰せ出され、五助、「忝し。」と支度して、桜の庭の広縁に立ち出れば、殿にも御出座ありて、皆々相詰め、まづ弓を始めて、三寸の的をかけしに、三手の矢、五本当たり、殊更手前見事なるに、列座驚き入り、次に、しなへ{*1}。その入り身には小石与四郎とて、家中若手の内の達者なるが出たるに、三本ながら突き留め、その次に兵法。笠田卜立が一の弟子、数枝友平、立ち合ひけるに、竹刀叩き落とし、重ねての時には、打ち合はせるまでもなく勝負を見せければ、「これまでにて置くべし。」と仰せ付けられ、若殿の御感甚だしく、その外の諸役人に至るまで、舌を巻いて、「人は侮られぬものかな。」と今まで可笑しがりし者どもも、興を覚ましけり。
 暫くありて五助、御前に呼び出され、御褒美として加増百石下され、当座の面目、外聞、かたがた有り難く退出すれば、家中にその聞こえ隠れなく、それより三日過ぎて、右の三人の方へ状を付けけるは、「拙者事、先日御評判の武芸の儀、今月二十五日、桜の庭に於いて上覧に入れたる通り、偽りなきは、定めて各々も御見物あるべし。しかる上は、御取り沙汰、一分堪忍ならず。伺候致すべきや、こなたへ申し入るべきか。」と読みも切らず驚きて。
 そのまま用助、瀧之進を呼び寄せ、「何と返事をせん。」と言へば、両人、同じく色を違へ、「これはまづ、誰が言ひ始めて、このやうなるすさまじき事を仕出して、気遣ひする事ぞ。惣じて、人の噂をせぬがよい。今からもあるべき事。いづれも嗜むべし。」と言へば、「今それを言うて、埒のあく事か。とかく、この返事の仕様は。」と頭を割らして、用助、やうやう、「今、分別出たり。」と言ふに、「何。」と問へば、「まづ、いかやうに思案しても、死ぬる事は好かぬによつて、ここは陳じてやるには如かず。」その返事に、「仰せ下さるるの取り沙汰、この方三人の者は、貴公様の事、微塵、蔭にても日なたにても、悪しく申したる事無し。万一、脇に憎しむ者あつて、我々に迷惑させむために、申したるにぞあるべし。それは、御不祥ながら堪忍あそばして給はれ。」と小野流の震ひ筆を留めて遣はせば、五助、つくづく段々の断りを見て、「この上に何とも言ひ遣るべきやう無し。まづ思案すべし。」と、その日は暮れけり。
 瀧之進、用助は、白右衛門方に取り籠り、「何と五助は、堪忍してくれうか。心元なきは、あれ程の芸を隠して居る程の者じやによつて、そこが済まぬ事なり。」と一所に額を合はせ、手に汗を握り、「物申。」あれば、「すはや、それか。」と肝を冷やし、又談合して、「『昨日の御返事を遣はさるべし。』と慇懃に言うて、取りて参れ。」と家来を睨みつけて、又、五助方にやれば、五助、分別して、「沙汰せざる事に、この方より状を付くるは、かへつて無調法なり。されども、『言はぬ。』と言ふを、『是非とも相手にすべし。』と言ふも、道理知らずに成るに似たり。但し、元左衛門が聞き違へなるも、おぼつかなし。もし、実に言ひたるにしても、状付けられての上に、『申さぬ。』と言ふ程の腰抜けなれば、相手にして面白からず。」と思ひ返して、「御断りを承り届くる上は、互に意趣含み申さず。」との返事を見て、三人の者ども、二、三度押し頂き、「さても大事の命を拾ひたり。」と祝ひ、酒など飲んで悦び、まづその通りにて済みけり。
 その後、途中にて逢ふ度毎に、何とやら気味悪く、その上、この事、誰言ふともなく、「果たし状付けられて、詫び言したり。」との取り沙汰隠れなく、かれこれ心よからず。三人、寄り合ふ毎に、これを苦にして、「この頃の取り沙汰聞きて、無益しき事。」と言へば、「我々も左様に思ふ。何とぞして、五助を殺す分別はあるまじきか。」と言へば、「あれ程の手者なれば、まづ太刀打ちは、とても叶はじ。」
 とやかく案じ入りて、白右衛門、小声になつて言ひけるは、「先日の意趣、互に少しも残らぬ仲直りに、無菜の振舞に是非呼び請け、食類にまじへて一服{*2}さすれば、骨折らずして、ころりとやるが。」と言へば、「これに過ぎたる手立て無し。」と日限を定め、「御茶進じたき」由、五助方へ言ひやれば、さして進まざれども、「行かねば、先度の意趣残るやうなり。」と心得、「忝し。参るべし。」と返事するに、その日いづれも相伴にて、馳走様々なる体にもてなし、後段済むと、心持ち例ならず。宿に帰ると、五体、血筋引きて、身をもだえ、半時ばかり悩み、血を吐いて、息絶えぬ。
 前かどより、医者も、「それ。」とは見ながら、大事の事なれば、聊爾に言ひ出さず、「不思議なる病。」とばかり評判して、そのなりけりに野辺の送り、人は煙の種。一子五七郎、幼少なれば、本知半分にて跡目立ちて済みぬ。かの者どもは、「し済ましたり。」と喜び、この内証は誰も知らず。
 過ぎ行く春は、夏に替はり、この三人の者は平生、兄弟同然に語り、たとへいかなる事ありても、引くまじき語らひ成しぬ。その日は、白右衛門方に集まりて、雑談するついでに、「明くれば端午の節句、月代を剃るべし。幸ひ、その方家来関内、髪月代よく致す由。頼むべし。」と言へば、言ひ付けて剃らせけるに、折節の夕立、しきりに降りて、雷、耳の辺りに轟き渡り、「早、落ちかかるか。」とおぼえし時、瀧之進、日頃、雷に怖がる事、人にすぐれたれば、この響きに動転して、「関内、まづ待ちてくれよ。」と半分、頭剃りかけしを、慌てて立ち騒ぎ、「天井の板の厚き所はないか。」と逃げ廻り、脱ぎ捨てし一重羽織の、ある程引つかぶり、「桑原、桑原。」と身を縮め、片隅に倒れ臥したる可笑しさ。
 白右衛門、用助、大笑ひして、「さても結構なる御侍。それそれ、又光りたるは。」と脅しかけて興がりけるに、程なく空晴れて後、瀧之進、這ひ出しを、「その頭つきは、どこの去り荷物を持たれしぞ。さても臆病千万なり。」とおどけたるを、瀧之進、虫にさはり、「最前も笑ひ者にするのみならず、『卑怯なる侍。』など言はれ、それさへ心にかかる。人には物の言ひやうあり。雷は武辺の外、好きといふ者無し。もし卑怯の穿鑿ならば、その方達こそ侍畜生なり。」と顔色を変へて言へば、座興に思ひし両人も、この一言に堪忍ならず、「侍畜生とは何ぞ。」と刀を取り廻す時。
 「されば、過ぎし年、『熊井五助と太刀打ちはならず。』とて、何ぞや、女童の巧む毒薬を以て殺す。勿論、我は同心にあらざれども、『それを改むれば、傍輩のちなみを空しくする。』と思ふばかりに黙りぬ。何と、その仕方が侍の言ひ出す事か。」と同じく刀を取り廻すに、両人、目を見合はせ、「南無三宝。内輪破れして、大事の事を人に洩らす悪人。」と二人して切り伏せ、まづ、門を打たせ、心静かに支度し、路金まで才覚し、すぐに、勢州長島に知れる者ありて、立ち退きける。この事、意趣は確かならずして、国中に隠れなし。
 ここに瀧之進が一子角之丞、御暇申し上げて、敵狙ひに立ち出、諸国尋ね巡り、この度は東海道にかかり、それとも知らず、この長島に入りて一日逗留するに、かの二人の者は、蘆屋町、針立の賢意といへる者を頼みて居しが、今は糧、皆に成し、亭主は元より貧しければ、せん方なくて門謡。編笠深くかぶり、連れ節に小浜町を通るを、角之丞見付けて、言葉をかけ、敵二人を薄手をも負はず、物の見事に討ちおほせ、「この首、国の土産に。」と下人に持たせて、夜を日に継いで屋敷に帰り、母に対面して、「かやう、かやう。」と語る言葉を押しとどめ。
 「それは、聞くまでも無し。まづ、声を高くするな。さても、父瀧之進を始め、白右衛門、用助、先年五助に遺恨ありて、毒薬にて殺したる由、露顕あり。子息五七郎、『親の敵は、その方並びに白右衛門、用助。』と一昨日、討ちに出たり。暫くもここにはたまられず。我も諸共に、いづくへも退くべし。」と、その夜の九つ過ぎに、又ひそかに、家久しき下人一人召し連れ、親子伴ひて立ち出、江州醒井の宿に知るべを頼みて、世の浮き住まひをとどめける。
 さて又、五七郎は、三人を狙ひて、国々残らず、姿をやつして巡り、今は勢州鳥羽に着きて、旅籠する宿に一夜を明かすに、障子のあなた、旅人の物語するを聞けば、さても先月十八日、長島にての敵討の段々。聞く程、角之丞が有様なり。「この上は早、三人の敵、二人は相果てたり。残り多き事ながら、力なき仕合せ。定めて角之丞は、本国に帰るらん。」と、それより引き返して、又本国に急ぎて行けば、醒井の宿、何心なく打ち過ぐるに、頃は極月十三日、家々、「煤払ひ。」とて諸道具、大道に積み重ねしを取り入るるに、古簾を吊れる貧家に似合はざる鑓、長刀。葛籠の上に提灯くくり付け、その袋の紋、井筒の内に若松。
 「これは、敵の乙見が定紋なる。」と気を付けて、その隣なる家に立ち寄り、「粗忽ながら、この北隣の御亭主は、何人にて候。」と言へば、「されば、主は終に見たる事無し。伊勢の浪人衆とやら聞き及びたり。」と言ふに、いよいよおぼつかなく、それより辻堂に行きて、小者に持たせし着籠み取り出し、身拵へする内に、小者に、「汝は旅人の体して、見聞して参れ。」と言ひ付けしに、走り行き、「駕籠を借りたし。」と言ふ調子に入りて、様体見届けて帰り、「成程、角之丞殿にまがひ無し。」と言ふに。
 踏み込んで名乗りかけし時、角之丞は水風呂に入りながら、この体を見て、言葉を合はせ、母親に、「刀給はれ。」と言へるに、五七郎、これを見るより、「その体をば討たず。心静かに支度致さるベし。」と言ひ捨てて、表に出れば、母親、浴衣をうち着せ、「潔くすべし。」と勇めて、簾の内に見物して、互に汗水になつて戦ふ内に、五七郎、刀の目釘走りて落ちたるに、「弓矢八幡、運命尽きたり。」と差し添へ抜かんとせし隙間を、畳みかけて打つを。
 母親、これを見て、「角之丞、暫し。」とどめ、「その方は、道を知らぬ男かな。最前この方、湯上がりの支度を待ち給はずや。その心底を顧みず、心なき仕方。」と恥ぢしめ、「随分、心静かに目釘を留め給へ。」と、その間を待たせて、又打ち合ひけるが、角之丞、深入りして、指三本落とされて、ひるむ所を踏み込んで、大袈裟に討ちとどめ、「あら、嬉しや。年来の本望遂げたり。」と息をつぐ所へ。
 母親駆け出、「さてもあそばしたり。」と角之丞がむくろを、つくづく眺めながら、涙をば流さず。「誠に、我が子ながらも、心の剛なる事は、中々御自分に劣る者にあらず。されども、父瀧之進、武士の本意に背きたる冥理の程、弓矢神にも見放されし。天罰逃れずして、角之丞に報ひて、只今、御手にかかりたり。討つも討たるるも武士の習ひ。あつぱれ神妙なる御働き。御父五助殿、草葉の蔭にても、『嬉し。』と思し召さん。」
 ここにてほろりと涙ぐみ、「我が身は頼みなき者なれば、思ふに任せぬ、憂きに憂きを重ねる事の、行方こそ定めなけれ。角之丞が跡をば、よきに弔ひて給はれ。」と言ひ捨てて内に入り、黒羽二重の羽織を取り出し、「これは、『角之丞に着せん。』と思ひしばかりにて、いまだ手も通さず。これを道すがらの風厭ひにあそばせ。」と持ちて出し、「この御心底、忝し。」と暇乞ひして本国に帰るを、懇ろに見送り、それより濃州関の藤川といふ里の傍らに、草の庵を結びて、行ひ澄ませし心の、水のあはれをとどめけり。

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校訂者註
 1:底本は、「竹刀(ちくたう)」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
 2:底本は、「一貼(ぶく)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。