第四 石臼引くべき埴生の琴

 過ぎし頃、越の国の太守に増倉治部太夫と聞こえし。同じく家老徳沢刑部、或る時、大小姓役勤めし赤西専八、広間に傍輩二、三人相詰めて居しを呼び立て、「ちと申したき事あり。」と御居間の前栽の片蔭まで連れ行き、「別儀にあらず。只今、殿の仰せ付けられしは、『思し召す仔細あるの條、出崎新五平を討つて来るべき。器量選びて遣はすべき。』との事なり。大切の御意なるに、誰と差図すべき者、御自分ならで外にこれなし。」と述べられぬるに、専八、承り届けながら、「それは、いかやうなる落ち度ありての事にて、この仰せ付けにて候。」と言ふ時、刑部{*1}、「されば、拙者も御心入れ、はかり難し。」と言へば、専八、「尤も、御自分の御言葉を疑ひ申すにはあらざれども、とてもの事に、ぢきに御意を承りたき。」と言ふに、「いかにもよき御念なり。さらば、御前へ御出あれ。」と伴ひ、この由、申し上ぐれば。
 専八召し出され、「刑部申し付けたる一儀、首尾致せ。」との由、畏り入りて、私宅に帰り、「その咎は知らねども、武士の習ひ程、世に定めなきものなし。今までは、互に傍輩のよしみ深かりし甲斐なく、我が身に思はぬ御意を受けて、討つこそ本意なけれ。」とつぶやきながら、新五平所に入りて、一つ二つ物語して、「御意なり。」と言ふ言葉の下に、討ち済まして出るを、家来立ち騒ぐに、「これは、上意なり。全く当座の喧嘩にあらず。」と言ひ聞かせ、すぐに屋敷も取り上げられける。
 「移り変はる世の習ひ。」とは言ひながら、知れぬは人の行く末。哀れなるは、この内室。親里は隣国の片蔭に、日蔭の浪人の娘なりしが、新五平親と古傍輩のよしみにて、その身死すべき前の秋より、外聞よろしく取り囃して、婚礼の儀式して、世に頼む方なくおはしけるに、思ひも寄らぬこの次第に、驚きながら詮方なく、「このまま同じ道にも果つべき。」と思ひ詰めしに、その身、只ならぬ忘れ形見の中々に、一度これをまみえたく、心引かれて。
 袖は涙の堰きかねしより、奈呉の海を後に出ながら、誰を頼むともなく、頃は卯の花山を眺め過ぎ、里の垣根に色こぼす{*2}、雪の高浜遥々と見え渡り、越の舟路も漕がれ漕がれし旅の、空定めなき短夜、有明の嶺の麓にやうやうゆかりを尋ねけるに、その里の侘しき憂き住まひ、たとへん方なく{*3}、今日と暮らし、明日の命も頼みなきまばら家に、心地例ならずして二日悩み、取り揚げ婆といふものもなくて、つい生まれけるは、殊更男子にて、「猶、果報つたなき身の果て。」と恨みて甲斐なく、月日を送りぬ。
 この所には、物縫ふ女も稀なるに、雇はれて、浮世を暮らす種として、この子成人して、今は十四才。育ち賤しげながら、生まれ付き、さすが、「それ。」と見えて、爪外れの尋常、面影の優しきに付けても、ありし世を思ひ比べて、母の歎き、大方ならず。されども、国を出さまに、親より給はりし新羅琴、後付けに長国、国宗の大小放さず。長き夜の折々の手ずさみに、組の証歌を歌ひて、諸共に慰めて、住まひせし哀れは限りもなかりしが。
 世は不定の習ひにて、赤西専八、少しのあやまりに御前を仕損じ、浪人と成りて、四、五年さまよひ、やうやう、この里近き城下に又、身代済みけれども、この人々の事は、夢にも知らざりける。或る日、傍輩、鳥山九郎八にいざなはれ、野駆けの慰みに出て、この山蔭に百舌を脅して帰る細道に、琴の音かすかに音づるるを、松吹く風と聞き捨てて行くに、なほ爪音の近く気高くて、「数ならぬ思ひは、なくてあれかし。」と声の嵐に集ひ来しに、「これは合点のゆかぬ。山里に、かかる音づれのする事は。」と各々立ち止まりて、耳を傾け、その方を見れば、賤しの竹の編戸の内なり。
 「いかなる者ぞ。」とおぼつかなく、立ち寄りて覗けば、臈たけなる女も、三十五年には麗しき姿して、東の母屋に寄りかかりたる有様、世を恨み侘びたる顔ばせながら、調べしは尋常ならず。傍らに庄之介、母の手跡の仮名文写して、何となき粧ひ。この美形に呆れて、「これは不思議なる者ども。とてもの事に、尋ねて見るベし。」と、「御免。」と言ひて内に入りて、煙草飲みちらして立ち出、「世には様々の成れ果てもあるものかな。」と何心なく帰りて。
 専八、庄之介に深くなづみ、誰知らず行き通ひ、いつとなく執心かけ、その後は念若の誓約堅く、庄之介を城下に伴ひ、母にも扶持を合力し、「行く末はいかやうとも申し上げて、庄之介をも身代あり付くべき」心から、他事なく思ひかはして、一年余りも過ぎて、母、専八をつくづく眺めて、「あの男は確かに、御意蒙りて、新五平殿を討ちたる男にまがひ無し。」と、よそながら先祖を問へば、何年の事ども語るに、いよいよ違はず。
 或る時、庄之介を近付け、「いつは語らんと思ひしが、その方が父新五平殿、尤も、上意討ちとは言ひながら、専八、手に懸けたれば、汝が親の敵にまぎれ無し。潔く討つて孝養にすべし。」と言ふに驚き、「さては、それとも知らず過ごしぬる事こそ無念なれ。しかしながら、みづからの遺恨にあらず、主の仰せなれば、専八も是非に及ばぬ所なり。もし敵討つべきならば、治部太夫殿にこそ候へ。殊にこの年月の厚恩、須弥よりも高し。かれこれ、私の敵とて討つべき義理にあらず。ここは分別して御覧あれ。」と言ひも果てぬに。
 母、顔色変はりて、「とても、その方は得討つまじ。前方より、かくと知らば、たとへば干死にするとても、彼が合力、受くべきにあらず。その方、仮の兄弟の契約したればとて、まことの親に思ひ替ふる事が、侍の道か。よしよし、我が夫の敵、その方が手には懸けまじ。」と守り刀を懐に押し込み、駆け出給ふをすがり付き、「それ程に思し召すならば、私、手にかけて本望達し申さむ。」となだめ置きて、その支度するに付けても。
 「仮初の事ながら、この二年の契り。深くかはせし言葉の松に誓ひしも、皆偽りと成り、いとほしと思ふ兄分を、手に懸くべきか。これを包みて、討つべきにあらず。」と、いつに変はりて専八を呼び請け、恨めしき顔ばせ。専八、見咎めて、「何とやら異な有様。心にかかる事ありや。」と問ふに、思ひのまさりて、涙は袖に余りたるに、なほ心得ず。「いかなる思ひにか。語り給へ。」と言へば、「さても是非なき次第。拙者は出崎新五平が倅。御自分に覚えあるべし。しかれば、勿論上意とは言ひながら、承るに堪忍ならず。」と、その時は胎内に宿りゐし事、段々語りて、「さて、只今まで御懇意、中々言葉に尽くされず。」と言ひきりもやらず、うちしほれたるに。
 専八、横手を打つて、「さても人間の行方は知れざるもの。成程、手に懸けし事、まがひ無し。いざ、討つて本望遂げ給へ。」と大小投げ出して、首を差し延べたるにぞ、庄之介が思ひ、一かたならざる至極の所。その有様を、何しに討たるべき。「御自分にも、太刀取り上げて給はれ。」と言ふに、哀れは深く見えし時、母、次の間にたたずみ、この体を見て、庄之介を呼び立て、「潔き心底、残る所無し。今宵限りの事なれば、今までのよしみに、暇乞ひの盃、したかるべし。」と母のはからひを語りて、土器を取り出し、みづから持ちて出て、常の如く夜更くるまで語るに、時移り、母も次の間にうたた寝の夢見明かして、朝の五つになれども起きず。
 さし覗きて見れば、二人、枕をかはして臥したるを「油断者。」と声かくれども音なく、不思議に思ひて、立ち寄りても驚かぬに、夜着を取りて見れば、専八が心元より我が背中まで、貫きて死したり。母、二目とも見ず、同じ枕に、これも自害して果てしを、聞くさへ哀れは尽きず。

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校訂者註
 1:底本は、「刑部(ぎやうぶ)申されは」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「色(いろ)とほす」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「たとへかたなく」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。