第一 我が命の早使

 月は変はらぬ昔の空。日に向かふ国の守に仕へし磯辺頼母とて、勇に色深く、春秋の花紅葉、紅閨とこしなへに、いまだ妻女は定めず、幾人かもて遊び、酒淫、日々に長じて、勤めもおのづからに欠けぬ。
 或る時、己が家老塚林権之右衛門を呼びて、「公用の事について、急用これあるの間、伯父春川主計殿へ、この書簡、早々持参致すべし。」と慌ただしく言ひ付けられ、問ひ返すに及ばず、支度して、参州吉田に{*1}急ぎぬ。程なく着きて、主計に対面し、「仔細は御書中に御座あるベし。」と差し上げける。
 「何事やらん。」と封切つて披見あり。文の半ば過ぎて、驚ける気色にて、そのまま懐に収め、権之右衛門が顔をうち眺め、「何と、国に変はつた事はなきか。」と言へば、畏つて、「まづ、殿様には御機嫌よく御座なされまし、三俣修理助殿の跡目の儀、甥の内匠殿へ仰せ付けられて、まづ家中まで悦び、さては城下の町外れに童ども集まりて、土遊び致しけるに、丈五寸ばかりの朽ち木を掘り出し、捨て置きたるを、極楽寺の長老、これを見付け給ひ、行基の御作の観音にて、寺の傍らに仮堂の奉加を進めてしつらひ、これへの参詣、国中群集仕る事、中々おびただしく、この頃、喧嘩これありけれども、それは鎮まり、又、旅芝居二、三軒下り、水茶屋、八幡の前より立ち並び、京、大坂の如く、御国の賑はひ、申すばかり無し。」と何心なく語れば。
 主計、一円合点の行かぬ顔して、「いや、よその事は聞きたう無し。頼母が屋敷に変はりたる事はなきか。」と尋ねしに、「されば、御当代になりて、諸国御簡略に付き、御自分様、七年以前に御越しの時ありし泉水も、『内証舟遊山の聞こえ、よろしからじ。』と、それをも潰し、跡には蘇鉄山を致し、その外の栄耀道具、皆減少致し、只今は結局、大旦那の時の借金まで相済まし、世間、御勝手共によく罷りなり、拙者まで大慶に存ずる。」と言へば、主計、重ねて、「別儀にあらず。頼母、若き者にて、さぞその方が世話になるらん。京より美女呼び寄せし事、この頃、江戸参勤の衆の物語にて聞きし。親は早く果て、誰あつて諫言すべき者、その方より外に無し。」と言ふ時、権之右衛門、「御意、返し申せば、慮外がましく存ずれども、尤も旦那、年若いながら、勤めの欠けたる事なく、交はりも、御家中に於いてはいづれに劣り給はん。されども、御祝言いまだこれなきによつて、私はからひとして、この頃、京より女呼び下しおきぬ。その上の御気遣ひは、私、罷りあるから、少しもあそばさるまじ。」と何心なく語りし時。
 主計、気色変はり、膝立て直し、「その方は、近頃利口に物言ふ大胆者。これこれ、この状を見よ。」と投げ出しけるを、取り上げて見れば、「何々、この者、重罪ありといへども、当地にて手討致せば、世間、事やかましく罷りなるにつき、そこ元へ遣はす事。早々御成敗あそばし給はれ。」の由。はつと驚きたるを、主計、「何とそれは、屋敷に別儀なき体か。その段々、委細に白状すべし。」と刀に手をかけて睨みつけし時、権之右衛門、少しも騒がず。「御紙面の通り眺め奉り、覚悟仕る上は、いかやうとも御はからひに任すべし。殊更、御手討に預からば、本望の至り。別に仔細申し上ぐる事、かつてこれ無し。」と差しうつぶきてゐるを、主計、重ねて。
 「様子なきを、『討て。』とは申し越すまじ。必定、その方に落ち度あるにまがひ無し。仔細を言はずは、只今討つが。」と言へば、「成程、御討ちあそばせ。元より一命を差し上げての勤めなれば、何しに前後を顧みるベし。」と潔き気色。主計、暫し分別して、「よしよし。右より、『まことに討つべき。』と思へば、この状、見するまでも無し。その方、年来の旧功、何の過り{*2}あるべし。」と言へるに、権之右衛門、涙を流し、「誠に、磯辺の御家、久しく打ち続き、私、不肖なれども代々執権役相勤めしに、もはやこの度、御家の滅亡なり。この御心入れと存じたらば、御手討に逢ふまでもなく、静めやうありしものを。口惜しや。」と男泣き。主計、見て、「さぞあるらん。最前より思ひしに違はず。辺りに人も無し。仔細語るべし。」と御尋ね。
 「中々申し上ぐるも御恥づかしく、憚り多く存ずれども、私女房、友沢七郎平娘、去年、御存知の通り、祝言致す所に、当八月の中旬より、しきりに暇を乞ひし。謂はれを{*3}たつて承るに、勿体なくも、旦那、この女に御心を移され、『貞女の道を守らんとすれば、主命に背く、このつらさ。』とさめざめと申せしを、『何ぞ主命を夫に替ふべしや。いかやうとも御意に従ふべし。』と一まづなだめおきぬ。必定、これを思し召し詰められて、私を無実の科に落とし給はんとの御はかり事。この上は、人非畜生を主とも存ぜず。猶又、二君に仕ふべき心底にもあらず。早く首打つて給はれ。」と前後思ひ比べし心の内。主計も横手を打ち、やうやうになだめて、長屋の一間なるにいたはり入れておきぬ。
 その明けの日、呼び出されしに、「権之右衛門、大小、羽織のみ残して、いづくへか行き方知らずなりける」由、申し上げければ、主計、呆れて、「尤も不憫千万」なる事に思はれ、「頼母が心底、憎き仕方。この上は、おのがままにさせて、思ひ知らすべし。」と権之右衛門が大小、並びに羽織を持たせて、使者を遣はし、「申し越さるる通り、成敗したるしるしなり。」とて送りければ、頼母、悦ぶ事限りなく、されども屋敷中にはこれを隠し置き、その夕、権之右衛門が妻に、「灸なされたき」由にて、度々の使来れども、再三に及び辞退するに、叶はず。
 奥深く召され、口説きかかり給ふに、右より合点せざれば、「幾度仰せられても、この段は御免なさるべし。殊に権之右衛門が留守の内、暫くも人の思はくあり。」と立ち帰る所を引きとどめ、「さては、権之右衛門に貞女の道を欠くまじきばかりならば、包むに余る思ひ寄り、伯父主計方にて早く成敗して、そのしるしは、これ。見よ。」と大小、羽織を取り散らしければ、この女、気も魂も消え消えと、繋がぬ玉の涙は堰きかねながら、この心を包みて、「さては、心にかかる雲も無し。いかやうとも、御意には洩れず。しからば私、御心に叶ふ上は、向後、御本妻を寿き給ふ事は、御とどまりあそばすか。」と言へば、「それはそれは、世上の思はく顧みるやうな、浅き事にあらず。その方さへ変はらずは。」と打ちくつろぐ所を。
 頼母に飛びかかり、「夫の敵を{*4}逃すべきや。」と脇差を抜く所を、取つて伏せても、男の汚さは、「今の一言に似合はぬ仕方。只今刺し殺すが。承引せまじきや。」と、いらざる所に念を入れて問ひ返すに、女房、しらしらと打ち笑ひ、「やれ、侍畜生め。たとへ身はづたづたになるとても、その方に身を任すべきや。口惜しくも、やみやみと御手前が手にかかりて、夫婦共に殺さるる事の無念や。」と声を立てて歎くこそ理なれ。頼母、猶々立腹して、「このまま殺すも可笑しからず。」と庭前の桜に縛り付け、手鑓ひつ提げてなぶり殺し、目も当てられぬ有様なるを、いまだ息の通ふ内に、内庭の片隅に掘り埋められし。姿の花は根に帰り、あたら朽ち木と成りぬ。
 隠すより顕はるるはなく、この事、親里、友沢七郎平も伝へ聞きしかど、その頃、不慮の落ち度ありて、改易に逢ひて、備前国に立ち退きけれども、その妹娘を修理殿の中小姓増井兵蔵にめ合はせおきしが、この事を聞いて、しきりに又、兵蔵に暇を乞ひし。「謂はれ、いかなる。」と咎められて、この段々語りて、「女ながら、姉の敵を討たん」願ひ。兵蔵、聞くよりも頼もしく、「少しも気遣ひするな。その方に替はつて討つべし。」と俄に御暇を貰ひ、浪人して、折を窺ひて狙ひ寄る。
 その日は頼母、当番にて、帰るは夜の四つ半。外堀に夫婦待ちかけて、先に持たせし提灯切り落とせば、あやめも知らぬ五月闇、この太刀風に慌てて、若党三人、惣堀へ転び落ちけるに、頼母、驚き、「これは何者ぞ。」と声かけし時、「汝が手にかけし女の敵を知らぬか。」と言ふに、「物々しや。鑓おこせ。」と取り延ぶるを、踏み込んで、二尺余り切り落とされ、刀に手をかくるを馬より引きずり下ろし、胴骨を踏み付け、「やれ、女ども。来つて敵を討て。」と手を持ち添へて、首打つて、「さあ、本望は遂げたり。」と言ふ所へ。
 最前、堀にはまりし若党、這ひ上がり、「逃さじ。」と一つに固まり、両人を中に取り籠めて戦ふに、兵蔵は、早あまた手負ひ、疲れて立ちかぬるを、駒寄せに取りつかせて、「女なりとも、おのれら。」と男二人に立ち向かひて切り合ふ時、兵蔵声として、「南無阿弥陀仏。」と打ち倒れたるを聞いて、「今はこれまで。」と思ひ定め、切り死にして、両人共にここにて果てぬる、心の内こそ哀れなれ。
 さて、権之右衛門が行方は見えざりつるが、再び故郷を顧みず、今は小田原の片山蔭に発心して行ひ澄まし、たまたま城下に出て托鉢せし時、この沙汰、伝へ聞きて、墨の袖を絞り、いよいよ三人の菩提を弔ひける。世の理せめて、悲しき物語にこそ。

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校訂者註
 1:底本は、「よし田へ急(いそぎ)ぬ。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「過(あやまり)か有べし」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「謂(いはれ)は達(たつ)て」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「敵(かたき)のがすべきや」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。