第二 若衆盛りは宮城野の萩

 古歌に聞きし、「御侍」。宮城野の萩山勝五右衛門といへる男、久しき浪人にて、この里に寝ぐらの鳥の尾羽うち枯らし、この身の果ての成れる二人の仲に、勝之介とて、「さすがは我が子程ありけるよ。」と姿の花を思ひ出に、眺め暮らしつ。殊更、諸礼の家として、指南に暇あらず。同じ世を侘びし浪人田越弁左衛門と懇ろに、昔の全盛を語り合ひしに、勝五右衛門、衰老して{*1}おのづから弱り、はかなくも臨終の折から、勝之介を弁左衛門に、くれぐれ頼み置ける。
 一言忘れず、幸ひ、千海右衛門殿家老屋島十郎右衛門に、日頃出入りければ、勝之介、器量すぐれたるを言ひ立て、「旦那へ、御草履取なりとも。」と願ひしに、右衛門元来、小姓御好きなれば、よきついでを以て、その筋目正しく美形なる由、申し上ぐるに、早速召し出され、御寵愛限りなく、昼夜御側を離れず勤めしに、傍輩、葉田川九郎治、勝之介目見えの初めより恋悩み、度々文通にかき口説きぬれど、勝之介、御眼鏡を守り、「御心底は忝し。」と様々言ひなだめ遣はしけるを、聞かず。「太刀先にて本望達せん。」と言ひ越したる明けの日、御膳上がりて、勝之介、雉の間を通る襖の蔭より、九郎治立ち出、「仔細は覚えあるべし。」と切り付けしを、抜き合はせ、二打ち三打ち受け流して、九郎治を水もたまらず泡と成しぬ。
 手ばしかく仕舞ひ、すぐに弁左衛門宿に帰り、「かやう、かやう。」と段々語りければ、「我、息の通ふ内は、少しも気遣ひなる事無し。」と、まづ奥の一間に影をくろめし所へ、十郎右衛門、早駆け着け、「勝之介は、これへ参りたるが、定めて仔細は聞き給ふべし。元、我取り次ぎの者なれば、随分贔屓致す心底なれども、『他所へ退くべきにあらず。』と穿鑿極まりて、我、来れり。『いよいよ勝之介は行方知れざる』分に申しおかん。言ふに及ばざれども、御いたはり、頼み申す。」と言ひ捨てて帰り、「弁左衛門へも帰らざる」由、言へども、右衛門殿、合点せられず。
 「尤も、九郎治、兄弟すらなき者なれば、誰あつて敵討つべき者無し。主従のよしみに、天地の間を尋ね出して成敗すべし。幸ひ十郎右衛門、取り次ぎたる者なり。きつと追手をかけて、搦め出せ。」と気色変はりて仰せ付けられ、十郎右衛門、分別ここに定めかねしが、「旦那、この内証御存知なき故に、かかる憎しみ探し。なまなか{*2}勝之介を伴ひ出て、九郎治不義の体を申し上げなば、かへつて褒美あるべきものなり。もし承引なき時は、是非無し。諸共に切腹すべし。」と分別極めて、弁左衛門方に行き、様子言ふに、合点せず。
 「勿論、御心底疑ひ申すにあらねど、もし旦那、それを承引なされざる時は、勝之介が命はなきもの。しからば私、一分立たず。ここは御分別なされ。」と言へば、十郎右衛門、「とかく、この分にては済まず。屋敷へ帰りて、何を以て拙者、一分も立たず。貰ひかけしは我、給はらぬは御自分。討ち果たさねば済まぬ事。」と言ひかけられて、引かず。切り結びしに、勝之介、その時は早、縁ある寺に預けられ、誰あつて助太刀に出合ふ者もなく、老体、力なき弁左衛門を心安く討つて、屋敷に立ち帰り、その段々語るに、今は勝之介事、脇になりて、「弁左衛門、兄弟あるべし。十郎右衛門、用心致せ。」と家中、心地安からず。右衛門殿、重ねて、「領地の外の浜へ、急ぎ退くべし。」と仰せ付けられ、忍びやかに有様をやつし、送られける。
 ここに弁左衛門弟弁蔵、同じ家中、三形式部殿に勤めしが、この事、聞きもあへず、宿に帰り、狙ひ支度する所に、十郎右衛門が召し使ひの下女、暇を出され、弁左衛門が宿に近き人置き婆が元に集まり、下臈の筋なき者にて、内証取り沙汰し、「外の浜のそこそことやらんへ、立ち忍ばれたる。」と語るを聞きて悦び、立ち出る所に、勝之介伝へ聞き、今は身顕はれて走り来り、「元より我が身逃れず。御供申さん。」と言ふ所へ又、弁蔵、日頃目かけし浪人宇野彦之丞、正木宅平、篠井門蔵、林折右衛門、三栖郷{*3}右衛門、各々駆け付け、「この度の御事。」と支度して、以上十三人、外の浜に急ぎ、聞きし所に着きて、様体見るに、厳しく要害して、大藪なる惣堀の内に門々堅めて、番の者数十人、内より仮初に出入る者も改め、そこそこに気を付けたる有様、たやすく討たるべきとは見えず。
 まづ傍らの家を借り、皆々身拵へ、長旅の疲れ、暫し骨を休め、「今宵の四つ半時、南の門より取りかくべし。」と相談を極め、心を一つにして、空行く月に古里を眺めやり、「哀れや、知れぬ命。」など口ずさみて並み居たる時、庭の枯れ垣の元に人のうめく声、しきりなるに驚き、「何事。」と立ち出て見れば、勝之介、みづから草葉を朱の血汐になして伏しぬ。「これは、いかに。」と見るに、一通を残し置きぬ。「初め、弁左衛門殿の御恩、滄海より深く、十郎右衛門殿の一言、高山より高し。しかれば、いづれに向つて弓を引かん。されども、深き方に恩を謝せむ心ざしにて{*4}、これまでは御供致し、憤りを顕はすのみなり。各々、首尾よく本望を遂げ給へ。心底、紙上に尽くし難し。」と書き留めし心の内、皆々、感涙流して、あたら姿の花を土に帰しぬ。
 「早、時分よし。」と言ふ程こそあれ、手毎に松明を振り立て、門前に寄り、こぞつて声かけしに、「今は逃れぬ所。」と尋常に門を開かせけるに、早、軒端に提灯、数を並べ、その身は着籠に鉢巻し、床几に腰うちかけ、長刀を右手につき、家の子それぞれの覚悟姿、両方に取り廻し、木蔭木蔭に篝火を焚き立て、あたかも白昼の如し。弁蔵も、今は十二人、心静かに門に入り、双方互に立ち別れ、門を閉めさせ、神妙に名乗り合ひて切り結ぶと、土煙を立て、以上四十五人、相戦ふ太刀音。近所の者ども驚き出、隣郷の者は、この篝火、雲に映ろひ、「火事。」と心得、駆け付けける程に、百姓数百人、この堀を十重百の重に取り巻き、「それにはあらぬ見物。」と立ち重なりて、胆を冷やして目を驚かす。
 既に討たるる者二十七人。その外も、半死半生に血迷ひける所に、弁蔵、小高き所に上がり、「早、敵は討ちおほせたり。」と言ふ時、「門を開きて鎮めよ。」と大勢登り梯を以て分けける{*5}。「未聞の敵討なり。」と語り伝へておびただし。

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校訂者註
 1:底本は、「老衰(すいらう)して」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
 2:底本は、「なまやか」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
 3:底本は、「三栖江(みすがう)右衛門」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「心ざしにはこれ迄は」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「わけけり。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。