第四 愁への中へ樽肴
古、参州に小見山惣左衛門とて、物頭役を勤め、よろづに理屈がましく、武を高く振ひ、付け届けを第一におぼえたる男。
傍輩深谷弥惣子息、祝言の祝儀として、珍しからぬ塩鯛、柳樽、若党与四兵衛に口上言ひつけて遣はし、「その戻り足に岩平徳内へ、御娘子御死去の悔み、申し入れ、御返事に及ばず帰るベし。」と。使、請け取りて行くに、聞き違へて、弥惣所にて弔ひの悔み、言ひ捨てにして走り出、それより徳内方に行きて、樽肴を持つて、「めでたし。」と言ふに、家来、合点せず。「これは、門違ひにてあるべし。」と言へば、無調法千万に、「成程、かやうに承りたる。」と、たつて断るに付けて、旦那に、「かく。」と言ひ上ぐるに、「それならば、まづ留め置け。」とて使を帰しぬ。
さて又、弥惣所にては、寿半ばに、忌々しき使。亭主、気にかけて、ぢきに惣左衛門方に行きて、「最前は格別の御使。いかなる思し召しぞ。」と苦々しく言ひ出せば、惣左衛門、横手を打つて、「近頃、迷惑。」徳内方への使の通りを言ひ分けたるに、弥惣、かへつて気の毒に思ひ、「この類の事、多し。必ず使の者は御免を蒙る。」と言ひて帰りけれども、又、「徳内思はく、かれこれ憎き奴。」と与四兵衛呼びつけて、手討にせぬばかりに叱られけるを、「もはや首をも打たるるか。」と脇差ひねくり廻し、慮外、面に顕はれたるに、たまりかねて抜き打ちにするを、丁と受けて切り結び、惣左衛門が小鬢にしたたか手を負はせながら、「叶はじ。」と逃げ出、その隣屋敷、里鐘郷左衛門長屋に駆け込み、子細語りて頼みけるに、この由、郷左衛門に言へば、「随分いたはりてかくまふべし。」と疵をば内縁ある外科にかけて、養生させける。
惣左衛門も、門まで追つかけ、正しくここに駆け込みしかども、家来を他の屋敷へ切り散らす事を遠慮して、まづ内に帰れば、頭の疵、けしからず痛み、これを悩みて、公儀をやめて居しを、家中の取り沙汰よからず。「家来に斬られたる、浅まし。」と言ひはやらすを、壁に耳ありて、これを惣左衛門に告げたるに、「この上は、諸士に面を合はすべきにあらず。畢竟、かの者を貰うて討つベし。」と使を遣るに、郷左衛門、一円受けず。
再三の使に、「これは、格別の駆け込み者の事なれば、『いつまでも了簡頼む』由、言ひたるに、天地は動くとも、渡すまじき。」と返事し切るに、「このままにてやめば、猶々恥辱重なり、今は是非に叶はず。押し付けて貰ふベし。」と先立つて状を付け、追つ続いて若党三人召し連れ、死に装束して、玄関に入ると、かねて覚悟の者ども立ち合ひ、郷左衛門家来四人討たれし時、自身、手鑓の鞘外して、二人突き倒す働きの内に、早、与四兵衛を引き出し、首を打つを見るより、惣左衛門を突き伏せ、即座に切腹して、あたら侍二人、相果てけるに、郷左衛門が一子弥七、無分別にこの場より行方知らず立ち退きしが、越前敦賀に父郷左衛門が兄あるに行きて、年月を送りぬ。
しかるに、惣左衛門果てし、七月ありて生まれたる子専太郎、成人して、諸国を狙ひに出し子細は、互に親と親、相果てたる上は、意趣なしといへども、弥七、立ち退きたるに、これを、「敵。」と脇より取り囃すに、おのづから敵を討ちに出ざれば、一分立たず。方々尋ね巡り、それとも知らず敦賀に来り、聞けば、里鐘の同名あるを不思議に、様子窺はんため、この屋敷に忍び入り、濡れ縁より簀子の下に隠れ、一間なる下に一夜を明かす合点して、身を縮めて窺ひぬ。
ここに、弥七いとこ娘に美女ありしが、縁遠く、十九の秋まで一人丸寝の出来心して、弥七に度々、文を通はせども、かつてこれを取り上げざるを恨みて、「今や命を捨つべし。」と言ふに、不憫は増さりながら、「それとは無しになだめん。」と思ひ、「今宵ひそかに忍び給へ。」とつぶやくに、悦びて来り、「この頃の物思ひ。さりとては心強し。」など戯れけるに、弥七、とかくの返事なく。
「こなたの思し召しの通りに従ひたくはあれども、我に思ふ子細あり。これを語らんために招きたるなり。これを聞き分けて給はるべし。我、元、暫しもここに居る者にもあらざりしに、過ぎし年、この段々の首尾ありて、苦しからぬ所を、何の思案なく立ち退き、意趣残らぬ事に敵と成り、かの者の一子、我を狙ひに出たる由。しかれば、明日にも相果てし時は、末も届かぬ事に憂き目見給はんも、由無し。もし又、このまま長らふるとても、『一度敵に逢はざる内は、枕をかはす事、せまじ。』と誓願を立てたり。奥の首尾もいかが。早、帰り給へ。」と諫めける心の内、「潔し。」と思ふ時。
娘、涙を流して、「とても承引なされぬ上は、分別極めたり。」と懐より剃刀取り出して、危きをとどめて立ち騒ぐ時、専太郎、この心入れを感じ、縁の下より、「弥七、弥七。」と声かけたるに、興を覚まし、「何者ぞ。」と言へば、「惣左衛門が一子、専太郎なり。対面すべし。」と言ふに、畳を上げて覚悟すれば、まづ座敷へ上がらぬ先に、下より大小を渡し、「その心底にあらず。元より意趣なき事ながら、世間の手前に、かく身を砕いて狙ふといへども、その方、今宵の心根。これ程の恋に、我に巡り逢ふべきを大切にして、潔き振舞に、もはや遺恨残らず。再び武士立つべきとも思はず。互に恋慕を晴れ給へ。」と、その座にて髻切つて出たるに。
弥七もこれを感じ、一夜は比翼の契りを成して、執心を晴れさせ、二念をつがず発心して、専太郎が閉ぢ籠りし嵯峨の片庵に尋ね行きて、諸共に父の菩提を弔ひける心こそ殊勝なれ。
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