第一 野机の煙比べ
石火電光、秋こそ物憂き始めなれ。嵐にもろき梢の一葉散りて、丹波の峯別るる横雲の朝、無常野に白布の幕打たせ、御駕籠、物静かに毘屋に入れ奉り、いづれも無紋の袴しほれて、儀式に焼香ありし時、三十余りの美男、両人一度に立ちて、香箱の蓋を開け、前後を争ひけるは、歴々の侍。外より見苦しかりけり。
一人は国見求馬、今一人は猪谷久四郎とて、この二人は大殿の御物上がりにて、禄も同じ如く千石の光を顕はし、世に栄えける。この度の御死去に、両人共に御供申す心ざし。御遺言に、「堅くとまるべき。」との御事なれば、思ひ極めし命を長らへ、若殿様へ一命を捧げて御奉公を相勤むる、心底卑しからざる者どもなりしが、人には意地といふ事ありて、年頃、互に武を争ひける。
「殊更、この度の首尾、両人共におとなしからず。」と年寄中の指図にて、香炉二つ出して、求馬、久四郎、前後なく御焼香を済ましぬ。この上に何の子細もなかりしに、久四郎、立ちさまに袴の裾を踏みて、晴れがましき所にして転びけるこそ由なけれ。求馬家来、何とやら笑ひぬる有様に見えければ、久四郎、せき心より又、最前の焼香の遺恨に心を成し、三昧離れて、福知山の入口にて求馬を討つて、すぐにいづくを知れず立ち退きぬ。折節悪く、この事、よろしからぬ沙汰して、久四郎を憎みける。求馬子供は龍之助とて十一歳、その次を虎之助、七歳になりて、童心にも、「親の敵」を心がけける。
それより三年過ぎて、兄弟、御暇を申し請け、母親にも涙の別れして、家久しき下人に大木角右衛門、今津文吉、この二人付き添ひ、旅の初めの国巡り、いつ会ふべきも定めなく、年月重ね、尋ねけるに、昨日今日の心に暮れて、それよりは九年の憂き事を明かし、龍之助は二十六歳、虎之助は十九の冬の末に、「敵の久四郎事、出羽の庄内に親しみありて、身を隠す」の由、ほのかに知らせける者ありて、又、都より打つ立ち、その城内は憚りあつて、領境の里に人知れず借り宿して、角右衛門は計り塩を売れば、文吉は葉煙草売りぬ。龍之助は虫食ひ歯の妙薬を売り、弟虎之助は小間物売りの負ひ箱に、編笠かぶり、屋形町を廻り、忍び忍びに敵のありかを聞けども、今に知れぬ事を歎き。
或る時、淋しき町外れにさしかかり、夕暮急ぐ春の名残に、心もなき雨降りて、軒づたひに帰るに、花山の酒機嫌なる奴、薄色桜をあらけなく手折り、手にかざして帰る酔ひの顔つき、春の木の間の入り日の如く照りて、眼に角を入れて、往来に鞘当てをして騒ぎ来る。「これかや、春の物狂ひ。」と人皆、恐れをなして、蔀、門口を鎖してけり。
虎之助も、かかる所に来合はせ、さながら男の逃げられもせず。「望みある身の、由なき所に居るも難儀。」と思ひしに、下店上げて、簾の内より二十余りの女房、優しく、「さりとては危なし。こなたへ入り給へ。」と戸鎖し開くるを嬉しく、内に入りて、この難を逃れ、暫くここに休みて、内証を見しに、草深き宿ながら、炬燵に紬の紫布団をかけて、真綿引き矢筈の元に、伽羅割りの鉈などのありしに、何とやらこの女奥ゆかしく、心を付けしに、み吉野染の着る物に、前結びの帯の憎さ、只者とは思はれず。立ち別るる事の惜しく、幾度草鞋の緒を締めて、暇入れけるに、六十ばかりの老女、煎じ茶沸かして差し出し給はるこそ嬉しけれ。少し乱れて可笑しき事言ふべき口つき見て、かの女、「おばさま。」と言ひて、差し合ひを言はせざりし。この利発、猶又可愛らしき面影を見初め、明けの日、昨日の礼にもてなして、色含みし匂ひ袋を参らせける。その後は、おのづから親しくなりて、毎日訪れけるに、おば御の留守の事もありて、よき物語して帰り、いよいよわけもなく心を通はせ、いつとなく老女の見るも恥ぢず、面白づくの懇ろを重ね{*1}。
或る時、女、戯れて、「一人笑ひの人形あるベし。慰みに見せ給へ。」と言ふ。「あらば、何惜しからじ。それは持たぬ。」と言へば、「小間物売りの、『持たぬ。』とは。我が取り出す。」と箱を開くれば、何もなく、大脇差一腰{*2}を見付け、「そなた様を最前から、世の常の商人とは見請けず。いかなる事ぞかし。女の無用なる尋ね事ながら、仮初ながら契りを籠めて、子細を聞かでは置かれじ。まづみづからが命は、貴様へ参らせおくからは。」と義理詰まり、至極の所、この上は包み難く。
「生国は丹波の者にて、猪谷久四郎といへる者、この所に隠れゐるの由、それ尋ねぬる。」と語りも果てぬに、「それこそ私、存じたる事あり。この国の家老衆、柳田長五左衛門と申す方に、忍びてかくまへ置かれ、出崎といふ所に下屋敷ありけるが、中々用心厳しく、外門二重三重番所。仮初には出入り成り難し。私、これを存じたるは、この秋の出替はりに、置くべき由にて{*3}参りけれども、何とやら恐ろしく思はれ、欲捨てて浪人して、そなた様に不思議の縁を結びぬ。『命を参らすべし。』といふ一言は違へじ。今に人置き、我を偲べば、行く先の三月五日よりそこへ奉公に出、みづから手引きをして、心任せに討たせ申すべし。只今は、名を夢楽と申す」由、段々語れば、虎之助、涙をこぼし、「いまだ馴染もなき内に、身に替へての心ざし。二世までも忘れおかじ。」と猶々情けを掛け合ひける。
それより兄龍之助、両人の家来にも様子を語り聞かせ、商ひの見せかけもそこそこにして、その時を待ちけるに、程なく春の出替はり頃に成りて、人置きの元へ行きて、「いつぞやの方へ、銀さへ良くば宿下りをせず、はしたばかりを遣はし、御奉公に参らう。」と言へば、人置き、喜び、夢楽の御方へ申して、一年切りに、その身と使ひ女と二人を、仕着せの外、銀百五十目に極め、表向きの女郎分に出しに、思ひの外なる事になりて、夢楽御内証に引き込まれて、心にもあらぬ枕物語。是非もなき事ながら、これ皆、虎之助様と申しかはせしためなれば、とても身は捨て物にして、御機嫌に入りける。
この事、少しも包まず、ありのままに小さく文認めて、下女によくよく申し含め、島田髷の髪の中へ、かの文を入れて、袋に扶持方米の刎ね、入れさせ、御門を出しけるに、子細のある屋形なれば、身を振るはせ、万事を改めて出しけるに、髪は思ひも寄らず。度々虎之助と状取りかはしける。
首尾心がけぬるに、女の身は是非もなく、終に懐胎して、物思ふ内に月重なりて、男子を安産しけるに、憂き中にも、子といふもの不憫にて、この女捨て難くなりて、「今日よりは、某が奥様なり。」と、あまたの女に言葉を直させ、さりとてはさりとては、御恩忘れ難き御仕方なれば、心も乱れかかりて、「虎之助事を夢楽に語り、返り討ちにさせん。」と女心のはかなき時、「さても口惜しや。一度虎之助殿と申しかはし、今又、栄花に思ひ替ふる事なかれ。」と心底を堅めける。
折節、花の盛りになりて、「毎年三月十七日には、父親の命日にして、光明院といふ山寺へ参詣するなり。されども、人を忍ぶ事あれば、長持に入り、仏事道具に{*4}見せて参る事なり。そなたより乗り物にて参られ、この程の気づまりを晴らし給へ。」とあれば、「これ、天の与へ。」と喜び、この事、書き認め、宵に虎之助方へ申し遣はしければ、これを待ち得たる嬉しさ。
明くれば十七日に、以上四人、身拵へして、その寺の道筋に待ちければ、約束に違はず塗長持、上に寒天、干し大根など置きて担ひ来る。後先より切り立て、三人の中間残らず討つて捨て、さて長持の棒を抜き、「武運の尽きの久四郎。求馬が兄弟の倅龍之助、虎之助なるぞ。このまま討つも、余りむごし。せめて立ち出、太刀打ちせよ。」と蓋を開くれど、足立たず。
時刻移れば、是非なく首を討ち、体ばかり長持を、両人家来、その寺に担ひ行けば、住持立ち出て、「それは、これへ。」と法師あまたに舁かせ、「去年の今日は、雨にて散々。今日の日和の仕合せ。」と物語しながら蓋を開けて、「これは。」と驚き騒ぐ所へ、かの女来りて、歎く事を歎かず、始めの段々を語り、「この子も。我が腹は貸し物。」とそのまま刺し殺し、その手にて自害して、目前の落花とは成りぬ。この女仕方、惜しまぬ人はなかりき。
龍之助は生国に帰り、父求馬の恥をすすぎぬ。弟の虎之助は、かの女の事を思ひ遣りて、叡山に登り出家して、その跡を弔ひけるとなり。
校訂者註
1:底本は、「かさぬ。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「大脇差をこしを」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
3:底本は、「よしには参(まい)りけれ共。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
4:底本は、「道具(だうぐ)見せて」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
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