大織冠
(大頭左兵衛本)

 それ我が朝と申すは、天津児屋根命の、天の岩戸を押し開き、照る日の光もろともに、春日の宮と顕はれて、国家を守り給ふなり。さればにや、春日を春の日と書く事は、夏の日は極熱す。秋の日は短し。冬の日は寒けし。春の日はのどけし。よく万物を生長す。四季に殊更すぐれ、名日なるによりつつ、春の日と書き奉つて、春日と名付け申すなり。
 かの宮の氏子は、藤原氏にておはします。藤原のその中に、大織冠と申すは、鎌足の臣の御事なり。初めは文章生にて御座ありけるが、入鹿の臣を平らげ、大織冠になされさせ給ふ。そもそもこの官と申すは、上代にためしなし。さて末代にありがたき、めでたき官途なりけり。いつも鎌を持ち給へば、鎌足の臣とも申すなり。春日の宮に参籠あつて、あまたの願を立てさせ給ふ。中にも、「興福寺の金堂、最初に建立あるべき。」とて、荘厳七宝をちりばめ、荘厳堂を建てさせ給ふ。これによつて、果報は天よりも天降り、国の靡き従ふ事は、降る雨の国土を潤し、只、草葉の風に靡くが如くなり。
 公達あまたおはします。嫡女をば光明皇后と申し奉り、聖武天皇の后に立たせ給ふ。二女に当たり給ふを紅日女と申して、三国一の美人たり。しかるに、かの姫君の優に優しき御形、たとへを取るにためしなし。桂の眉は青うして、遠山に匂ふ霞に似、百の媚びある眼先は、夕陽の霧の間に、弓張月の入る風情。翡翠の髪ざしは、黒うして長ければ、柳の糸を春風のけづる風情に異ならず。姿は三十二相にし、情けは天下に並びもなし。かかる優なる御形の、異国までも聞こえのありて、七御門の総王、太宗皇帝は、伝へ聞こし召され、見ぬ恋に憧れ、雲の上も掻き曇り、月の友もおのづから、光を失ひ給ひけり。
 臣下卿相、一同に奏聞申されけるやうは、「玉体の御風情、世の常ならず拝み申して候。何をか包ませ給ふべき。思し召さるる事候はば、侍臣が中へ宣旨あれ。」と奏し申されたりければ、御門、叡覧ましまして、「あら、恥づかしや。包むに堪へぬ花の香の、洩れても人の悟りけるか。今は何をか包むべき。これより東海数千里、日本奈良の都に住む、大織冠が乙姫を、風の便りに聞くからに、見ぬ面影の立ち添ひて、忘れもやらでいかがせむ。」臣下卿相承つて、「これは何よりもめでたき御所望にて候ものかな。勅使を立てて、綸言にて迎へ取らせ給ひ、叡覧あれ。」との僉議にて、運賀と申す兵を、勅使に立てさせ給ふ。運賀、既に太宗の金札を賜はり、数千万里の海路を過ぎ、日本奈良の都に着き、大織冠の御元にて、朝礼を捧ぐ。
 大織冠は御覧じて、「我はこれ、日域とて、小国の王の臣下として、いかにとして異国の大王を、左右なく婿に取るべき。」と、一度は勅使を辞退ある。勅使、立ち戻つて、この旨を奏聞す。太宗、いとど憧れ、再びの勅使を立てさせ給ふ。聖武皇帝、聞こし召し、「情けは上下によるべからず。小国の臣下の子なりとも、その憚りはあるべからず。麿、返牒を致す。」とて、忝くも皇帝の印判をなされければ、勅使、面目施して、急ぎ立ち戻つて返牒を捧ぐれば、太宗、大きに叡慮あり。吉日選び、早々に迎ひ船をぞ越されける。今度の迎ひの勅使には、橘の朝臣に右大臣法眼なり。
 そも、本朝と申すは、小国なりとは申せども、知恵第一の国なり。「未練の出立ち、叶ふまじ。結構あれ。」との僉議にて、宗徒の大船三百艘。后の御船をば、龍頭鷁首と名付けて、朱丹を以てかたどり、舳には鸚鵡の頭をまなび、艫に孔雀の尾を垂れたり。船の内に錦を敷き、沈檀をまじへ、光燿鸞鏡磨き立て、玉の幡は風に靡き、黄金の瓦は日に光り、弘誓の船とも言ひつべし。法被、天冠、玉を垂れ、身を飾つたる女官、侍女、三百人すぐつて、「これは、船中の御介錯のために。」とて、飾り船にぞ乗せられたりける。「日域よりも唐土まで、数千万里の海上の、御慰みのそのために、御賀の舞あるべし。」とて、稚児百人すぐつて、身を飾つてぞ乗せられたる。既に卯月の末つ方、纜解いて押し出す。天の川瀬にあらねども、妻越し船の帆を上げたり。
 かくて浪風静かにて、船は本朝津の国や、難波の浦に着きしかば、勅使は奈良の京に着く。大織冠は受け取つて、一つは異国の聞こえと言ひ、又一つは本朝の威光のためぞと思し召され、山海の珍菓を山と積み、五千人の上下を、その年の八月半ばより、明くる卯月初めまで、もてなし給ふ。大織冠、果報の程のめでたさよ。卯月もやうやう末に成り行きければ、吉日選び、玉の御輿に召され、難波の浦へ御出あり。それよりも龍頭鷁首に召され、順風に帆を上げければ、船は程なく大唐の、明州の湊に着かせ給ふ。内裏に聞こし召され、「すはや、国母の行啓よ。いざいざ、御迎ひに参らん。」と左右の大臣、女官所、百官、卿相、官人、仕丁に至るまで、残る所はなかりけり。
 そもそも大国の国の数を申すに、一千四百四十国。郡の数を申すに、九万八千余郡。寺の数を申すに、一万二千六ヶ寺。市の数を申すに、一万二千八百。長安の市と申すは、在家の数は百万軒。人の数を申すに、五十九億十万八千人立つ市なり。長安城の湊より、十の道分かてり。険路険難道とは、辰巳をさして行く道、三十五に踏み分けり。奥南道と申すは、未申へ行く道、五十九に踏み分けり。西径道と申すは、西をさして行く道、二十六に踏み分けり。向北道と申すは、北をさして行く道、末は只二つ。東陽道は船路にて、末は日本に続けり。かかる道々よりも、貢ぎ物を供へ、后を拝み奉る。あら、ありがたや。只一目拝み申す人だにも、貧苦を逃れ、忽ちに富貴の家と成る。さればにや、皇帝も龍顔に親しみ、馴れ近付かせ給へば、諸病を癒し、忽ちに養生の大医に会へる心地して、御持の間、世、素直に、民の竈も豊かなり。
 かくて過ぎ行き給ふに、后の宮思し召す。「我はこれ日域とて、小国の者とありながら、大国の后に備はりたる、その高名を日本へ残してこそ。」と思し召し、「御父の大織冠、興福寺の金堂、同じき釈迦の霊像を御建立あるべきに、かの御堂の施入に、仏具、法具を贈つて、末代のしるしとも成さばや。」と思し召し、揃へ給ふ宝には、まづ華原磬、泗浜石。華原磬と申すは、打ち鳴らしてのその後に、声、さらに鳴りやまず。「とどめむ。」と思ふ時には、九条の袈裟を覆ふなり。泗浜石は硯。かの硯の徳用は、水なくして墨を磨つて、心のままに使ふなり。梵本の法華経を、多羅葉にて阿難尊者の遊ばしたる、七帖。瑠璃の水瓶。赤栴檀の磬台。吠瑠璃の花立。栴檀の脇息。尼拘陀樹の数珠一連。黄虎の虎の皮。金色の獅子の皮。火鼠の皮三枚。かかる宝のその中に、赤栴檀の御衣木にて、五寸の釈迦を作り、肉舎利の御舎利を、御身に作り籠めながら、方八寸の水晶の塔の中に納めて、無価宝珠と名付けて、これを一の重宝にし、送り文を別紙に書き、石の箱に納めて、贈らせ給ひけるとかや。この玉は、則ち興福寺の本尊、釈迦仏の眉間に彫りはめ給ふべきなり。」と、書きこそ送り給ひけれ。
 「さてしも、かかる重宝を、誰か守護し送るべき。器量の仁を選め。」とて、兵どもを召さるるに、大国の習ひにて、百人の大将を百戸と言ひ、千人が大将を千戸と言ひ、万人の大将を万戸と名付け候。向北道の末、雲州といふ国に、万戸将軍運宗とて、大剛の兵あり。劣らぬ程の兵を三百人相添へ、都を立つて大唐の明州の湊より、一葉の船に棹をさし、追風の風に帆を上げて、数千万里を送りけり。
 海底に住み給ふ八大龍王の惣王、玉の日本へ渡る事を神通にて知ろしめし、諸々の龍王達を集めて仰せけるは、「我等は既に海底の龍王たりといへど、五衰三熱、暇もなく、億劫にも会ひがたき。赤栴檀の御衣木にて、五寸の釈迦の霊仏の、この波の上に御座あるを、いざいざ奪ひ取つて、我等、正覚なるべし。」「尤も、しかるべし。」とて、八大龍王の波風荒く立て給へば、船、漂蕩し、遅参し、波路も静かならざりき。されども、奇特不思議の仏の召したる御舟なれば、上界の天人は雲を凌ぎ、仏法守護の夜叉、羅刹は、波風を鎮めさせ給ひければ、舟に子細はなくして、三羽の征矢を射る如く、殊更、追風と成りにけり。
 龍王、いとど怒りを成し、「浪風にてとどめずは、押さへて奪ひ取るべし。さあらん時に、異国の者、定めて強く防ぐべし。龍王の眷属に、しかるべき者は無し。修羅は猛き者なれば、頼うで見ん。」と宣ひて、阿修羅達をぞ頼まれける。かの修羅の大将、摩醯首羅、諸々の修羅どもを引き具してこそ出られけれ。元より好む闘諍なれば、百千若干の眷属どもを、異形異類に出で立たせ、鉾、刀杖を取り持たせ、「敵は数万騎候とも、戦は家のものなれば、玉に於いては奪ひ取つて参らせむ。」と申して、日本と唐土の潮境、ちくらが沖に陣を取り、万戸が舟を待ちゐたり。
 これをば知らで、万戸は順風に帆を上げて、心に任せ吹かせ行くに、日頃、ありともおぼえぬ所に、嶋一つ浮かめり。見れば、旗脚翻し、鉄の楯の間よりも、剣や鉾の稲光、刀杖の影どもが、雲霞の如く見えければ、「あれは、何といへる子細ぞや。いかなる事のあるべき。」と、心元なく思はれけれども、さあらぬ体にて吹かれ行くに、かの修羅の大将摩醯首羅、一陣に進み出、天を響かす大音にて、「唯今、この沖に関を据ゑたる兵を、いかなる者と思ふらん。修羅といへる者なり。海底の龍王達を貢がむため、旨趣をいかにと思すらむ。御舟にまします赤栴檀の御衣木にて、五寸の釈迦の霊仏。余の宝は欲しからず。その水晶の玉、速やかに渡され候へ。さらずは、一人も通すまじ。」と申す。
 万戸、この由聞くよりも、「あら、事々しの勢ひ候や。さては、音に承る、阿修羅達にてましますよな。我が大国の習ひにて、百人が大将を百戸と名付け、官人と言ふ。千人が大将を千戸と名付け、首領と言ふ。万人が大将を万戸と名付け、将軍とこれを言ふ。甲斐甲斐しくはなけれども、一万人が大将なれば、万戸将軍運宗とは、某が事にて候。尤も、龍宮よりの御所望に従つて、水晶の玉、参らせたくは候へども、七御門の中よりも、器量の仁と選まれ、日本の勅使を賜はる時日よりも、命をば我が君の恩のために奉る。されば、命の軽き事は、この儀による事なれば、命のあらん限りは、玉に於いては取らるまじいぞ。げにと玉が欲しくは、万戸を討つて取れや。」とて、からからとぞ笑ひける。
 修羅ども、この由を聞くよりも、「さらば、手並を見せむ。」とて、鉄杖、乱刃の剣を引つ提げ、雲霞の如く攻めかかる。万戸、これを見て、叶ふべきやうあらざれば、舟底につつと入つて、装束をぞ着たりける。万子がその日の装束に、神通遊戯の腕金、さはむやつかむの臑当し、妙法蓮華の綱貫履き、忍辱慈悲の鎧を草摺長に着下して、阿耨多羅三藐三菩提の五枚兜を猪首に着、忍びの緒をぞ締めたりける。降魔利剣の大刀、真十文字に差すままに、大たうれんといふ剣、足緒長に結んで提げ、けむみやうれむといふ鉾持つて、船の舳板につつ立ち上がる。三百余人の兵ども、思ひ思ひに出立つて、端舟降ろし、押し浮かめ、既に駆けむとしたりけり。
 唐の戦の習ひにて、濫りに駆くる事は無し。調子を取つて、楽を打つて、拍子に合はせ、駆け引く。「勢揃へ。」の太鼓は、乱序乱序、序調子。「駆けよ。」と打つ太鼓は、さそうさそうと打つなり。「引けよ。」と打つ太鼓は、おむてうこつと打つなり。「組んで首を取れ。」とは、つるてうこつと打つなり。かなはぬ時の詮には、四方、鉄炮放し、乱れ拍子、切り拍子。急に及ぶ時には、血をば瀧と流して、頭を塚に埋めよと打つ。修羅、唐人の戦ひは、昔も今もためしなし。その上、修羅が戦ひに、火焔の雨を降らし、悪風を吹き飛ばし、磐石を降らす事は、雪の花の散る如く、剣を飛ばし、鉾を投げ、毒の矢を放つ事、真砂を撒くが如し。身を隠さむと思ふ時、芥子の中へ分けて入り、現れむと思ふ時、須弥にもたけを比ぶべし。かかる神通面妖を目の前に現じ、ここを先途と戦へば、既に早、唐人、心は猛く勇めど、この勢ひに押されて、逃れがたくぞ見えにける。
 さる間、万戸は、味方を召して言ひけるは、「とてもの事にてあるならば、修羅が大将四、五人、底の水屑となしてこそ、異国の聞こえもしかるべけれ。我と思はむ人々は、供をしてたべや。」とて、金剛界の曼陀羅、胎蔵界の曼陀羅、両界諸尊、一千二百余尊の曼陀羅を、母衣に掛けて吹き反らし、舟底よりも、名馬をその数あまた引き出す。万戸が秘蔵の名馬に、神通葦毛と名付け、七寸八分、明け六歳。尾髪、あくまで厚うして、追様、向かう、横端張り、尾口、承鐙、爪根のくさり、肉合、骨並、夜目の節は、作り付けたる如くなり。螺鈿の鞍を置き、蜀江の錦の上敷に、金銀塗つたる瑠璃の鐙、りきしゆの力革をば、猩々の血にて染めたりけり。同じき面繫を掛けさせ、金の轡、がむじと噛ませ、錦の手綱縒つて掛け、万戸、ゆらりとうち乗つて、浪に沈まぬ浮く沓を、四つの足に掛けたれば、浪の上を走る事は、平路を伝ふ如くなり。三百余人の兵ども、いづれも馬に乗つたれども、皆々浮く沓掛けたれば、雲居に雁の飛ぶやうに、一群がりにざつと散らし、修羅が陣へ切つて入る。
 修羅ども、これを見て、「一匹二匹のみならず、三百匹の馬どもが、いづれも浪を走る事は不思議なり。」と肝を消し、か程に勇む修羅どもも、逃げ眼にぞ成つたりける。大将の大人阿修羅、進み出て言ひけるは、「なう、ここ候ぞ。かねてより申せし事の違はぬ、なう。目垂れ顔のすくやかし、面顔、くせ目にすみ立て、要らぬ争ひ。抗ふ儀には似まじき事にて候ぞや。手を砕かでは、いかにとして高名、不覚が見えばこそ。一合戦せん。」とて、出立つたりし有様は、悪業瞋恚の鎧を着、無明堅固の兜の緒を締め、闘諍無慚の鉾ついて、瞋恚愚痴の旗差させ、百千若干の眷属どもを相従へ、しきりに鬨を作れば、碧天破れ、波上に落ち、海底を動かし、浪を上げ、虚空さながら動揺して、照る日の光も埋もれて、ひとへに長夜と成つたりけり。
 「この程、音に承る万戸将軍運宗に見参をせむ。」と言ふままに、万戸を中に取り籠めたり。万戸が兵ども、ここを先途と切つたりけり。羅睺阿修羅三百人、佉羅鶱駄阿修羅五百人、手を砕いてぞ切つたりける。万戸は面妖の馬乗り、海の上にて乗る手綱、滄海浮と龍背浮、乗り浮かめたる馬の足、弓手の者を突く時、横行の手綱、きつと引き、馬手の者を突く時に、ふきやうの鞭をちやうど打つ。逃ぐる者を追ふ時には、善巧障泥の鐙の鞭を、曲進退に乗つたりけり。西から東、切つて通る時には、三百余人が後に付いて、ここを先途と切つたりけり。入れ替へ入れ替へ戦へば、修羅が戦はこだれかかつて、叶ふべしとも見えざりけり。惣大将の摩醯首羅、八面八臂を振り立てて、八つ舌の鉾をうち振り、「討死、ここなり。」と喚き叫んで駆けにけり。
 万戸、これを見て、かなふべきやうあらざれば、潮を結び、手水とし、諸天に深く祈誓する。「しかるべくは観世音、悲願違へ給ふな。怖畏軍陣中、念彼観音力、衆怨悉退散。誓ひ、今ならでは。修羅が恐れし華鬘の幡を、只さし掛けよ。やあ、さし掛けよ。」と下知すれば、華鬘鸞鳳、玉の幡を真先にささせ、「我、劣らじ。」と攻めかかる。万戸が兵ども、勝つに乗つて、追つ伏せ追つ伏せ切つたりけり。神力も尽き果て、通力飛行も叶はずし、底の水屑と成りにけり。生き残る修羅ども、住みか住みかに隠れたり。万戸、勝ち鬨作りかけ、元の舟にとり乗り、「修羅唐人の戦ひに、勝ちぬや、勝ちぬや。」と勇みをなし、唐土、高麗走り過ぎ、日本近うぞなりにける。
 さる間、龍王達、「これをばさて、いかがはせん。」とぞ僉議せられける。その中にとつても、難陀龍王、宣はく、「それ、人間の心をたばからんには、見目よき女によもしかじ。ここを以て案ずるに、龍女を以て、この玉をたばかつて取るべきなり。」「尤も、しかるべし。」とて、龍宮の乙姫にこひさい女と申して、並びなきかりし美人たりしを、見目美しく飾り、うつほ舟に作り籠め、浪の上に押し上ぐる。これをば知らで、万戸は順風に帆を上げて、心に任せ、吹かせ行く。海漫々としては又、波上沈々たり。碧天の沖吹く風、浩々としては又、いづれの木草にか声宿さん。頭なし、大河原、きとの嶋、諸見の嶋、もめい嶋、薩摩の国に鬼界が嶋、壱岐の本堀、対馬の内院、事ゆゑなく走り過ぎ、九国の地をば弓手に見て、讃岐の国に聞こえたる、房崎の沖を通りけり。
 流れ木一本浮かんであり。水手、楫取、これを見て、「ここに奇体なる木こそ候へ。この程の大風に、天竺唐土の沈香ばし、吹かれて流るるやらむ。」と、人々怪しめたりければ、万戸、これを見て、「何の怪しめ事ぞ。取り上げよ。」と言ふ。御諚に従ひ、端舟降ろし、取り見るに、沈香にては無し。「怪しや。割つて見よ。」とて、この木を割つて見るに、何と言葉に述べがたき、美人一人おはします。水手、楫取、これを見て、斧、鉞を投げ捨てて、「あつ。」とばかり申す。
 万戸、この由見るよりも、「いか様にも、御身は天魔波旬の化現にて、障礙をなさむそのためな。怪しや。いかに。」と言ひければ、何と物をば言はずして、涙ぐみたるばかりなり。万戸、重ねて申しけるは、「何とたるませ給ふとも、是非に付けておぼつかなし。只海底に沈め、水屑になせ。」と、勇みをなせば、荒けなき兵、御手にすがり、海へ入れんとす。龍女は、いとど憧れて、「あら、恨めしの人の言葉。野に伏し山を家とする、虎狼野干の類さへ、情けはありとこそ聞け。みづからと申すは、契丹国の大王の、いつきの姫にて候なるが、或る后の讒により、うつほ舟に作り籠め、滄波万里へ流さるる。たまたま奇特不思議に、人倫に会ひたれば、さりともとこそ思ひしに、何の罪に、再び憂き海底に沈むべきぞ。恨めしさよ。」と掻き口説く。
 乱れ髪を伝ひて、涙の露のこぼるるは、貫く玉の如くなり。霜を置いたる女郎花、下葉しをるる風情して、西施がやさうに捨てられて、「引敷物には袖し濡れ、干す日もなし。」と侘びけるも、今こそ思ひ知られたれ。桂を描きし黛、蓮を含む唇、百の媚び増す愛嬌、浪と涙にうち濡れ、もの思ふ人の風情かや。うちむつけたる御有様、よその見る目も痛はしや。さしも賢き万戸とは申せども、やがてたるまかされ、「げにげに、さぞおはすらむ。それそれ、同船申せ。」とて、やがて舟に乗する。かくて、龍王の業なれば、向かふ様に風吹いて、房崎の沖に十日ばかり逗留す。
 さなきだに、旅泊はもの憂き。万戸、余りに堪へかねて、風の便りに通ひ来て、いねかりそめのうたた寝は、何と鳴子の音高く、世にも雀の住み憂きに、驚かさむが痛はしさに、扇の風を諫めつつ、「月、重山に隠れぬれば、扇を挙げてこれを譬ふ。風、太虚にやみぬれば、木を動かしてこれを教ふ。相見る人を恋ふるには、文通はねども恋ふる習ひ。君が心を取りに来る。なう、いかに、いかに。」と驚かす。
 龍女は元より寝も入らず。さりながら、うたた寝入りたる風情にて、「誰そや、夢見る折からに、うつつともなき言の葉の、夢の浮世のあだなれば、人の言葉も頼まれず。夜の間に変はる飛鳥川、水粒の泡の仮初に、風に消えぬる言の葉の、末も通らぬもの故に、あだ名立ちては何かせむ。中々人には初めより、問はれぬは恨みあらばこそ。その上、我は生まれてよりこの方、戒文を過たず。無始より今に至るまで、多くの生を受けし事、或いは六欲四生に生まれ、五衰八苦の苦を受け、或いは三途四悪に堕ち、四大物の火にあへり。
 「かかる罪業を経り、今、人間と生まるる事も、戒力によつてなり。第一殺生戒を保つては、心の臓と成る。偸盗戒を保つては、肝の臓と成る。邪淫戒を保つては、脾の臓と成る。妄語戒を保つては、肺の臓と成る。飲酒戒を保つては、腎の臓と成る。これに五音七声あり。いはゆる宮商角徴羽、双黄平盤一越。これ又、微妙の御法とし、五智の音声、これなり。これに五つの魂あり。魂志魄意神なりき。この五つの形を具足するを、仏と申す。五つの形、欠けぬれば、愚痴暗蔽の畜類たり。いかにも仏を願はんずる人は、五戒をよく保つべし。一つも戒を破りなば、無足、多足の物となつて、長く仏になるまじい。仰せは重く候へど、第三の戒文を、いかにとして破らん。」と、涙ぐみたるばかりにて、思ひ入つてぞおはしける。
 万戸も大唐育ち、仏法流布の国なれば、あらあら語り申す。「あら殊勝や。さては後生の御ために、禁戒を保たせ給ふか。その戒文の中に、六波羅密の行あり。その中にとつても、忍辱波羅蜜とは、人の心を破らず。いかに五戒を保ちても、人の心を破りなば、仏と更に成りがたし。さればにや、仏には三明六通まします。これはひとへに過去にして、諸波羅蜜を行とせし、その徳、今に顕はれて、仏と成り給へり。たとひ一度は瀧の水、濁りて澄まぬものなりと、終には澄みて清からん。恋には人の死なぬか。さても空しく恋ひ死なば、一念五百生、繋念無量劫。生々世々の間に、尽きせぬ恨みの深うして、共に蛇身と成るならば、仏には成らずして、蛇道に永く堕つべし。
 「戒の品、あまたあり。五戒をよく保つては、人間と生まれて五体を受くるなり。十戒を保つては、天人と生まれて五衰を受くるなり。二百五十戒は又、声聞と生まれて、仏には成りがたし。五百戒を保つては、縁覚とこれ成る。これも仏に、え成らず。菩薩三聚一心戒、この戒を保つては、やがて菩薩と成りつつ、仏と更に成りがたし。大乗円頓戒、この戒を保つては、やがて仏に成るなり。大乗の戒行は、二念をつかぬ戒なり。身体は無相にて、我身、元より自空なり。生死にも繋がれず、涅槃に更に住せず。邪正、即ち清ければ、濯ぐべき垢もなし。厭ふべき煩悩なし。願ひて来たる仏なし。見る一念を法とし、聞く事を御法とす。ここを知らぬを迷ひとす。陰陽二つ、和合の道。妹背夫婦の仲らひ、これ、仏法の源。愚かに思ふべからず。御靡きあれやとぞ思ふ。いかに、いかに。」と申しけり。
 龍女は聞こし召されて、「それは、法身の御法とし、仏法に於いては、秘蔵のところなれども、願ふ事なくしては、仏と更に成りがたし。上代は機も上根にして、智恵も大智恵なるべし。末世の今は下根にて、智恵ある人も少なし。昔、上代の大智恵の人だにも、家を出て妻子を捨て、法のために難行す。悉達太子は、高位なる万乗の位を振り捨て、わりなき契り深かりき耶輸陀羅女をよそに見、十九にて出家を遂げ、檀特山の法霊、阿羅邏仙人を師と頼み、鷲の御山の霊峰に、焚木をこり、身を焦がし、山谷に掬ぶ閼伽の水、氷のひまを汲む度に、涙は袖の氷柱と成る。夜は又、夜もすがら、仙人の床の上にして、座禅の床の布団と成り、かかる辛苦の功を積み、まさしく釈迦と成り給ひ、三界の独尊、四生の依怙とましまして、一大聖教を説き広め給ふなり。
 「ここを以て案ずるに、煩悩即菩提心、生死即涅槃とて、妻子を帯し候ひて、仏と易く成るならば、などや太子釈尊は、王の位を振り捨てて、后を厭ひ給ひけむ。その外、証果の羅漢達、いづれか妻子を帯して、仏と成りし人やある。さても仏の御弟、難陀太子と申せしは、習気煩悩尽きずして、女人を好み給ひしを、『かくては仏に成らじ。』とて、仏、方便巡らして、浄土、地獄の有様を即身に見せ奉り、終に出家遂げさせて、難陀比丘とぞ成し給ふ。いとど好む邪行を、良しと教へ給ふは、盲目に悪しき道教ふる風情なるべし。
 「かやうに申せばとて、元より我は、仏にてあるなり。虚空一生同一体、頭は薬師、耳鼻は阿弥陀、胸は弥勒、腹は釈迦、腰は大日如来なり。その外、十方の諸仏たち、諸々の菩薩として、我が体に具足し、十方の虚空に法如としておはします。来りもせず、去りもせず、いつも絶えせずましますを、法身仏と申す。形を作り顕はし、浄土を立てて住みかとし給ふを、報身仏と申すなり。八相成道し給ひて、法を説き、即ち衆生を利益し給ふを、応身仏と申すなり。三身を取り分き、一身を信ずるは、悟りの前の仏なり。三身一即と観じ、いづれをも信ずるを、悟りの前と申す。仏と成らんそのため、難行苦行せむ者、いかで善悪乱るべし。身はいたづらに成さるると、叶ふまじ。」と仰せける。
 さる間、万戸、殊の外に腹を立て、「いかに、いかに、聞こし召せ。仏を願ふ人は皆、道と智恵と慈悲心、一つ欠けても成りがたし。道といつぱ、行体。智恵といつぱ、悟りの心。慈悲といつぱ、一切衆生を深く憐れみて、人の心に従へり。第一慈悲の欠けては、仏と更に成りがたし。あう、所詮、ものを申せばこそ、言葉も多く作れ。今は、ものを申すまじ。かくてここにひれ伏し、思ひ死にと成つて、この世の契りこそ浅くとも、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天に、生まれ変はり死に変はり、六道四生のその中を、くるりくるりと追ひ巡り、憂さも辛さも、後の世に思ひ知らせ申さむ。」と、その後、ものを言はず。
 龍女は、元よりかやうに召されむため、たばかり済まさせ給ひて、玉を延べたる御手にて、万戸が袂を控へさせ給ひ、「なう、いたうな恨み給ひそよ。まことに心ざしのましまさば、みづからが所望を叶へてたべ。草の枕のうたた寝の、露の情けは夢ばかり契りなむ。」万戸、余りの嬉しさに、かつぱと起きて身を抱き、「なう、こはまことにて御坐候か。二つとなき命をも参らせむ。」と申す。「いや、それまでも候はず。げにやらむ、承れば、赤栴檀の御衣木にて、五寸の釈迦の霊仏の、舟に御座ある由を承る。その水晶の玉、みづからに一夜、預けさせ給へ。ともかくも仰せに従ふべし。」
 万戸、この由聞くよりも、「あら、正体なや。自余の所望とこそ思ひしに、この水晶の玉に於いては、中々思ひも寄らぬ事なるべし。」と、ふつつと思ひ切りけるが、「いやいや、何程の事のあるべきぞ。」と思ひ直し、「さてもさても、御身は何として御存知候ひたるぞ。優しくも御所望候ものかな。さらば、そつと拝ませ申さむ。」と、鉄錠を下し、印判を以て封じたる、石の唐櫃の中よりも、水晶の玉を取り出し、龍女の方へ渡す。「傾城。」と書いては、「都傾く。」と読まれしも、今こそ思ひ知られたれ。
 かくて、執愛恋慕のわりなき契りと見えつるが、三日も過ぎざるに、かき消すやうに失せぬ。「玉は。」と人に見せければ、「取りて失せぬ。」と申す。只茫然と呆れ果て、虚空に手をこそたんだくすれ。「あら、口惜しや。龍宮よりたばかりけるを知らずして。とかう申すに及ばず。」と、残る宝を先として、大織冠の御元に着き、様々の宝物を取り出して、大織冠に参らせ上ぐる。大織冠は御覧じて、「送り文のその中に、第一の宝物、水晶の宝の見えぬはいかに。」と尋ねさせ給ふ。
 万戸、承り、「包むべきにて候はず。ありのままに申すべし。この玉を取らんとて、龍王、度々に所望するを、惜しみて更に出さず。修羅を語らひ、取らんとす。陣の戦ひおのづから、言葉にも述べがたし。筆にもいかで尽くすべき。多くの修羅を討ち取つて、今はと心安くし、讃岐の国房崎の沖を通りし時、流れ木一本浮かむだり。水手、楫取、これを見て、『ここに奇体なる木こそ候へ。天竺、唐土の沈香ばし、吹かれて流るるやらむ。』と、人々怪しめたりければ、万戸、この由聞くよりも、『何の怪しめ事ぞ。取り上げよ。』と下知を成す。御意に従ひ、取り上げ見るに、沈香にては無し。『怪しや。割つて見よ。』とて、取り上げ見るに、天下無双の天女あり。海へ入れむとせし時、流涕、焦がれ悲しぶを見れば、余り可愛さに、只一夜、同船す。暇を伺ひ、忍び入つて、取りて失せぬ。』と申す。
 鎌足、聞こし召されて、「余り思へば無念なるに、せめて我を具足し、その浦の有様を我に見せよ。」と仰せければ、「承る。」と申し、戻りの舟に乗せ申し、房崎の沖へ押し出して、「ここなり。」と申す。只茫々としたる浪の上を御覧じて、空しく戻り給ふ。道すがら思し召す。「さもあれ、無念なるものかな。三国一の重宝を、我が朝の宝とは成さずして、いたづらに龍宮の宝と成しけむ口惜しさよ。よくよくものを案ずるに、龍宮界は、六道に於いても、畜生道の内。人間の智恵には、遥かに劣るべきものを。さあらむ時は、何としてか、たばかられけむ不思議さよ。我又、善巧方便し、いかにも案を巡らし、この玉に於いては取らうずるもの。」と思し召し、都に帰り給ひて、朝夕、案を巡らし、王を取るべき謀り事、工夫ましましけれども、さすが海中隔たつて、他州遠嶋ならざれば、「舟の通ひ路あらばこそ。しかりとは申せども、神足に於いてをや。大施太子は忝くも、如意の玉を取らんとて、嬰児の貝を以て巨海を量り尽くしつつ、終に宝珠、得給へり。大願としては又、終に空しき事あらじ。我も誓ひて願はくば、生々世々の間に、この玉に於いては取らうずるもの。」と思し召し、都の内を忍び出、形をやつし給ひ、又、房崎へ下らるる。
 かの浦に着き給ひ、浦の景色を見給ふに、海女ども多く集まつて、かづきする事おびただし。かの海女の中に、年の齢二十ばかりに見え、見目かたち尋常なるが、流水にむつれて遊ぶ事は、ただ平路を伝ふ如くなり。鎌足、見籠め給ひて、かの海女の苫屋に宿を取り、日数を送らせ給ひけるに、海女にもいまだ夫も無し。鎌足、旅の一人寝の、床も寂しき事ながら、ここにて日をや重ねけむ、寝がたけれども姫松の、早、浦風にうち靡く、難波もつらき浦ながら、「そよ、よしあし。」と言ひ語りて、二人あればぞ慰みぬ。浮き寝の床の楫枕、波のよるにも成りぬれは、友もなぎさの小夜千鳥、吹きしをれたる浦風に、声を比ぶる浪の音。州崎の松に鷺あれば、梢を浪の越ゆるに似て、塩屋の煙、一結び。末は霞に消え匂ひ、夢路に似たるうたかたの、浪の越し舟かすかにて、から艪の音の遠ければ、花に鳴く音の雁がねか、我も都の恋しさに、声を比べて泣くばかり。憂き身ながらも槙の戸を、あけぬ暮れぬと過ぎ行けば、三年に成るは、程も無し。かくて男女仲らへ、わりなき仲の契りにや、若君、出来給ふ。今は互に何事をも、うち解けたりし色見えたり。
 鎌足、仰せけるやうは、「今は何をか包むべき。我こそ都に隠れもなき、大織冠とは我が事なり。心に深き望みのありて、この程、これにありつるぞ。しかるべくはみづからが、所望を叶へてたびてんや。」海女人、承り、「なう、こはまことにて御座候か。あら、恥づかしや。四海に御名隠れもなき、かかる貴人に親しみ申しける事よ。一つは冥加尽きぬべし。又は白女下賤にて、肌は波の荒磯、立ち居は磯の流れ木。声は荒磯に砕くる打つ瀬波の音。髪は八潮に引き乱す、つくもの如くなる身にて、都の雲の上人に、起き伏し一つ床にして、見、見えぬるこそ恥づかしけれ。如かじ、只、身を投げて死なむ。」とこそは口説きけれ。
 鎌足、仰せけるやうは、「とても死せむ命を、我がために与へ、龍宮界へ分け入つて、尋ぬる玉の有り所を見て帰れ。」との御諚なり。海女人、承りて、「龍宮界とやらんは、ありとは聞いて、いまだ見ず。行きて帰らん事は、難かるべし。たとひいかなる仰せなりとも、いかでか背き候べき。」と、鎌足に暇を申し、一葉の舟に棹をさし、沖をさして漕ぎ出、浪間を分けてつつと入り、一日にも上がらず、二日にも上がらず、三日四日も早過ぎて、七日にこそ成りにけれ。鎌足、仰せけるやうは、「あら、無残や。かの者は、魚の餌食と成りけるか。怪しや、いかに。おぼつかなし。」と、心を尽くさせ給ふ所に、蘇りしたる風情にて、元の舟にぞ上がりける。
 鎌足、御覧じ候ひて、「いかに。」と問はせ給へば、暫しは物を申さず。ややありて申しけるは、「なう、この土より龍宮界へ行く道は、事もなのめの事ならず。一つの頭を先として、暗き所をまぼつて、千尋の底へ分けて入る。潮の流水の尽きぬれば、紅色の水ぞある。猶し底へ分け行くに、黄金の浜地に落ち着く。五色の蓮華生ひ伏し、青き蛇多くして、蓮華の腰をまとへり。猶し先を見渡すに、麗河清く流れ、水の色は五色にて、双岸高く峙てり。河に一つの橋あり。七宝をちりばめ、玉の幡幢立て並べ、風に任せて漂揺す。かの橋を渡るに、足すさまじく、肝消え、夢うつつとも弁へず。猶し先を見渡すに、楼門、雲にさし挟み、玉のまぐさは霞の内、黄金の瓦は日に光り、蒼天までも輝けり。三重の廻廊に、四重の門を建てたる、一つの内裏おはします。龍宮城、これなりけり。
 「吠瑠璃の柱を立て、瑪瑙の行桁に、玻璃の壁を入れにけり。四種の満珠の瓔珞、玉の簾を掛け並べ、帳にも綾を掛けつつ、床に錦のしとねを敷き、沈檀をまじへ、猶、鸞鏡を磨き立つ。かかるめでたき宮宅に、沙竭羅龍王始めとして、和修吉龍に至るまで、宝衣を飾り、座せらるる。諸々の小龍、毒龍、黄金の鎧兜を着て、四つの門を守れり。さても尋ぬる玉をば、別に殿を作つて、宝の幡を立て並べ、香を盛り、花を摘み、二六時中に番を置く。囲繞渇仰中々に、申すに及ばざりけり。八人の龍王、時々刻々に守護すれば、この玉を取らん事、今生にては叶ふまじ。まして未来で取りがたし。思し召し切り給へ、我が君。」とこそ申しけれ。
 鎌足、聞こし召されて、「さては、玉のあり所を、確かに見つるものかな。ありとだにも思ひなば、取り得む事は決定なり。龍どもも、謀り事を巡らして、たばかつて取りたれば、我も巧みを巡らして、たばかつて取るべきなり。それ、龍神と申すは、五衰三熱、暇もなく、苦しみ多き御身なり。この苦しみ免るる事は、調べの音に、よも如かじ。ここを以て案ずるに、龍王をたばかるならば、舞と管絃にてたばかるべし。この海の面に極楽浄土をまなぶべし。玉の幡幢、百流れ立て並べ、さて又、楽屋を左右に飾つて、左右の絃管を調べ澄まし、そのみぎりに見目よき児を揃へ、音楽を奏する程ならば、只、天人に似たるべし。さあらん時に大僧正、唐鈴を打ち鳴らし、上天下界の龍神を驚かし、勧請する程ならば、勧めによつて神仏臨み、来臨ましまさば、龍宮の都より八大龍王先として、そこばくの眷属どもを引き具して出らるべし。その間は、龍宮界には龍、一人もあるまじきぞ。留守の間を窺つて、そろりと入つて盗み取つて、やあ、たべかし。」とぞ仰せける。
 海女人、承り、「あら、ゆゆしの君の御巧みや候。かかる善巧なくしては、いかでたやすく取り得なむ。但し留守の間なりとも、玉の警護はあるべし。たとひ空しく成るとも、又垂乳男のみどり子の、乳房を離るる事もなし。君ならで、後の世を憐れむ人のあるべきか。」とて、泣くより外の事は無し。鎌足、聞こし召されて、「心安く思へ。もしも空しく成るならば、孝養のそのために、奈良の都に大伽藍を建立すべし。又、この若に於いては、いまだ幼稚なりといふとも、この浦によそへ、淡海公と名付け、都へ具足して上り、天下の御目に掛け、不比等と成し、藤原の棟梁たるべき」由を、細々と宣へば、海女人、承つて、喜ぶ事は限りなし。
 やがて都へ使者を立て、舞主を召し下し、辺りの浦の舟を寄せ、朱丹を以て彩れる、舞台をこそ張り立てけれ。十丈の幡幢、百流れ立て並べ、風に任せて翻せば、滄海はやがて浄土と成る。左右の楽屋に飾り立てたる大太鼓、幔幕を上げさせ、朱簾に玉の簾を掛け、宝座を左右に飾らせ、有験知徳の大僧正、唐鈴を打ち鳴らし、上天下界の龍神を驚かし、請ずれば、八大龍王入来して、僉議まちまちなりけり。「南贍部洲房崎の浦にして、宝座を飾り、召請ある。いざや、来臨影向成つて、聴聞せむ。」と僉議して、そこばくの眷属ども、引き具してこそ出られけれ。已に龍神出給へば、国中の児達、身を飾り設け、ここを先途と舞ひ給ふ。只、天人の如くなり。
 さる程に龍神、五衰三熱、忽ち免れ給ひける間、何事もうち忘れ、舞に見とれ給ひて、房崎に日ぞ送らるる。「すはや、暇こそよけれ。」とて、海女も出立ちを構へけり。五色の綾を以て身をまとひ、夜光の玉を額に当て、布綱の端を腰に付け、鉄よき刀、脇挟み、浪間を分けてつつと入る。たとひ男子の身なりとも、毒の魚、龍、亀、大蛇の恐れもあるべきに、申さむや、女の身とあつて、一人、海へ入る事は、類少なき心かな。数千万里の海路を過ぎ、龍宮の都に着く。夜光の玉に照らされて、暗き所はなかりけり。かねて見置きたりし事なれば、迷ふべきにて候はず。龍宮の宝殿に崇め置く水晶の玉、思ひのままに盗み取つて、腰に付けたる約束の布綱を引けば、船中の人々、「あはや。約束、ここなり。」と、手んでに綱をぞ引きにける。海女は勇みてかづけば、上よりもいとど引き上ぐる。
 「今は、かう。」と思ふ所に、玉を守れる小龍、この由を見付け、後を求めて追ふ事は、只、三羽の征矢を射る如く、船中の人々、「あはや。ほのかに見ゆるに、あう、繰り上げよ。」と下知するに、海女の後について、一つの大蛇、追うて来る。たけは十丈ばかりにて、鰭に剣を挟み立て、眼は只、夕日の水に映ろふ如くなり。紅の如くなる舌の先を振り立て、隙間なく追つかくる。海女、「叶はじ。」と思ひける間、刀を抜いて防ぎけり。船中の人々、この由を御覧じ、手をあがき、身を抱き、追つつ臥いつ転んづ、「あはや、あはや。」と仰せけり。
 鎌足、御覧じ、御剣を抜き、幼稚の時、狐の与へ賜びたる一つの鎌に取り添へ、飛んで入らんとし給ふを、船中の人々、弓手馬手にすがつて、「こは、いかに。」とてとどめけり。既に早、この綱、残り少なく見えし時、大蛇、走りかかつて、情けなくも、かの海女の二つの足を食ちぎれば、水の泡とぞ消えにける。空しき死骸を引き上げ、諸人の中にこれを置き、一度にわつと叫ぶ。鎌足、御覧じて、「玉は取り得ぬ物ゆゑに、二世の機縁は尽き果てぬ。胸の間に疵あり。大蛇の裂けるのみならず。」と怪しめ、御覧ありければ、この疵の中よりも、水晶の玉、出させ給ふ。
 「大蛇の追つかけし時、刀を振ると見えしは、防がんためになくし、玉を隠さむそのために、我が身を害しけるかとよ。せめてこの疵を、我が身、少し負ひたらば、か程に物は思ふまじきを。女は、はかなき有様かな。男の命を違へじとて、命を捨つるはかなさよ。灯し火に消ゆる夜の虫は、妻ゆゑ、その身を焦がすなり。笛に寄る秋の鹿は、はかなき契りに命を失ふ。それは皆々、執愛恋慕のわりなき契りとは言ひながら、かかる哀れは稀なるべし。我には二世の機縁なれば、又来む世にも相見えなむ。汝は今こそ限りなれ。別れの姿をよく見よ。」とて、いとけなき若君を、死骸に押し添へたりければ、死したる親と知らぬ子の、この程、母に離れつつ、たまに会うたる嬉しさに、空しき乳房を含みつつ、母の胸を叩くを見て、上下万民押しなべて、皆涙をぞ流しける。
 海女は空しく成りたれど、賢き善巧方便によつて、龍宮界へ奪はれし、宝珠を事ゆゑなく奪ひ返し給ふ事、ありがたしとも中々に、申すに及ばざりけり。この玉は即ち、送り文に任せ、興福寺の本尊釈迦仏の、眉間に彫りはめ給ひけるとかや。生身の霊像、赤栴檀の御衣木にて、五寸の釈迦を作り、肉舎利の御舎利、御身に作り籠めながら、方八寸の水晶の塔の中に納め、無価宝珠と名付け、三国一の重宝。龍王の惜しみ給ひし、理とこそ聞こえけれ。

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