満仲
(毛利家本)
それ、ひそかにおもんみるに、覆つて外無きは、天の道なり。載せて捨つる事無きは、地の徳なり。初め、清くして澄める物は、昇つて天と成り、重くして濁れる物は、降つて地と成る。中央は、人たり。これよりして、君子の道行はるるものか。
およそ人皇五十六代の帝を、清和天皇と申し奉るに、王子六人おはします。陽成院、貞秀の親王、貞元の親王。かの貞元の親王は、琵琶弾きにておはします。桂の里に住み給へば、桂の親王とも申す。貞衡の親王、貞義の親王、貞純の親王とて、兄弟六人おはします。中にも第六、貞純の親王の御子を、六孫王と申す。六孫王の御子をば、多田の満仲とこそ申しけれ。
その頃、源の姓を賜はらせ給ひ、上野守と申し奉つて、弓箭を取つて天下に並ぶ人ましまさず。すこぶる朝家の御守りとし、朝敵を滅ぼし、国を従へ給ふ事、降る雨の国土を潤すに似たり。正理の薬を以て、訴訟の病を癒し、憲法の灯を掲げ、愁歎の闇を照らす。しかる間、人敬ふ事、限りなし。
ここに満仲、思し召し立ち給ふ事あり。「それ、生死の習ひ、有為転変の理は、皆夢幻の世の中なり。この娑婆の定命、思へばわづかに六十年。下天の暁、老少不定の夢なり。行く末とても、夢ならざらんや。松樹千年の緑も、霜の後の夢と、終に覚むべし。いかにいはんや、槿花一日の栄えも、露の間の身、保ちがたし。朝には紅顔あつて、世路に誇るといへども、暮には白骨と成つて、郊原に朽ちぬ。宵には楼月をもて遊ぶといへど、暁は別離の雲に隠れり。わづかなる世の中に、何に心を留めてか、いたづらに明かし暮らしなむ。たとひ我、今生にて、かく弓箭を取つて、人に恐れらるると言ふとも、真の道に赴かん時は、数千人の眷属、一人も付き従ふべからず。只、無常の殺鬼に追つ立てられ、阿傍羅刹に呵責せられむ事の口惜しさよ。仏法に近付き、三宝を敬はむと思へば、弓箭の道、緩く成るべし。」とは思し召されけれども、思ひ立ち給ふその御心、捨てがたくて。
或る尊き上人のまします庵室に入つて、宣ひけるは、「我等如きの衆生は、何として後生を助かり候べき。」と尋ね申させ給へば、上人、聞こし召されて、「賢くも御尋ね候ものかな。尤も、出家のしるしには、さやうの事をこそ承りたく候へ。それ、欽明天皇の御代より、仏法、我が朝に渡り、上宮太子、守屋を討ち従へ給ひしより以来、仏法繁昌の今に於いて、崇敬、他に異なり。ここに法華経と申して、八軸の金文の候が、無二無三の法文にて候。かれに値遇し、結縁し給ふべし。」と仰せければ、満仲、聞こし召されて、「さて、法華妙典の本迹を、仏は、何とか説き給ひて候らむ。」と尋ね給へば、上人、聞こし召されて。
「それ法華は、『貪瞋癡の三毒より、我等衆生の仏性は、まさに出生す。』と見えたり。濁水淤泥の中よりも、法の蓮を開き出す。塵労妄想は、無作の覚体なり。これによつて、一代八万の花は、五時の春に開け、三諦即是の月は、八教の秋に明らかなり。弓箭刀杖に携はり、殺人刀、活人剣、皆、一念の内なり。『生死即涅槃、煩脳即菩提。』と説けり。因も智も、皆これ、無上の妙行なり。浄土も穢土も本来、空寂なりとかや。さてもこの御経は、釈尊四十余年の説教の後、八ヶ年に真実の相をあらはし給ひて候なり。しかれば、この御経に、『現世安穏、後生善処。』と説き、又は、『若有聞法者、無一不成仏。』と宣うたり。一偈聞法の力は、五波羅蜜の行にもすぐれ、五逆の調達は、当来作仏の記別を受け、八歳の龍女も、南方無垢世界の成道を遂げたり。いかにいはんや、弓箭を取り給ふ事も、私ならず。王法、仏法の外護、国家を守り、民を育み給はんためなり。一殺多生の功徳あるべし。仏も悪魔降伏し給ふ経あり。在俗の身にて御座ありとも、御心の向けやうにこそ、依り候はんずれ。かの天竺の浄名居士、我が朝の聖徳太子も、在家にましましながら、仏法修行し給ひぬ。十悪五逆の輩も、須臾の念によつて、無数劫の罪障を消滅すべき事は、疑ひなく候なり、満仲。」とこそ仰せけれ。
満仲、聞こし召されて、「あら、殊勝や候。さらば、結縁のために法華経を一部、伝授申したく候。」と仰せければ、上人、聞こし召されて、「子細に及ばず授け申すべし。この御経を釈尊、説き給ひし時は、『草木国土悉皆成仏。』と見えたり。即身成仏は、疑ひ、更に候まじい。」と、程なく一部伝授し給ひけるとかや。
或る時満仲、心に思し召されけるは、「それ、人の一大事は、後生に過ぎたる事ぞ無き。所詮、子を一人、出家に成し、後生を弔はればや。」と思し召し、美女御前と申して、十二歳に成り給ふ、若君を召して仰せけるは、「汝を深く頼むべき子細あり。その故は、寺へ上つて学問し、出家に成り、我等が後生を弔ひて賜べ。」と仰せければ、美女御前は聞こし召し、「あら、何ともなや。弓馬の道に生まれては、さやうの事をこそ、心に懸けて思ひしに、今更我が身に当たつて、承る事の無用さよ。」とは思し召されけれども、力なく領掌を申させ給へば、やがて仲山といふ寺へ上せ給ふ。
その時満仲、仰せけるは、「なう。いかに、美女御前。学問の最初に、法華経をよく読み覚えて後、よろづの経を知るべし。」と、御約束ありければ、易々と領掌を申して、寺へは上らせ給へども、御経あそばさむ事は、中々思ひも寄らず。無量の木の皮を剥ぎ集め、よろづの葛を以て鎖り、鎧腹巻なんどと言ひ、木長刀、木太刀を作り、他坊の児を駆り催し、飛び越え、跳ね越え、早業、相撲、力業。かかる武芸の真似ならでは、一向夜昼只、天狗の矢取りの如くなり。師匠、同宿、教訓すれば、結句、かへつて打擲す。寺一番の悪行は、この若君一人の、いや、張行なりとぞ聞こえける。
満仲は、かかる不用の御事をば、夢にも思し召し寄らず。「今は早、美女御前、経をばよく読み覚えてぞあらむに、喚び下し、読ませ、聴聞せばや。」と思し召し、藤原の中務仲光と申す侍を御使にて、喚び下し給ふ。児、思し召す。「あら、何ともなや。この二、三ヶ年の間に、終に御経の一字をも習はず。里に下るものならば、治定、「法華経読め。」と仰せらるべし。いかがはせん。」と思し召すが、「今更、習ふに及ばず。」とて、多田の里に下り給ふ。
満仲、やがて御対面あり。「念なう成人候ものかな。さてもさても、約束申せし御経を、読み覚えてぞあらむ。それそれ、読ませ申せ。聴聞せん。」「承る。」と申して、紫檀の文机に、八軸の金泥の御経を並べて、御前にこそ置かれけれ。「かねて申し定めし事は、これなり。あそばせ、聴聞せん。」と仰せけれども、とかく返事もし給はず。満仲、御覧じて、「なう、何とて経をばあそばさぬぞ。是非一字も読み損じて、某、恨み給ふな。」と、膝の上に太刀抜きかけて、「早々、読め。」とぞ仰せける。いたはしや、美女御前は、終に一字も習はぬ経の事なれば、紐解くまでもましまさず。赤面してこそおはしけれ。
満仲、御覧じて、「頼むしるしのなき奴を。かくこそ計らふべけれ。」と、抜き打ちに、ちやうど打ち給へば、この程、寺にて習はせ給ひたる、早業のしるしに、机の上なる御経一巻押つ取つて、いや、張良が一巻の書と名付け、しつとと合はせ、居ながら後ろへひらりと飛ぶ。稲妻、天火、蜉蝣、蜻蜓、飛ぶ鳥なんどの如くに、早、ちらりと失せて見え給はず。
満仲、大きに怒らせ給ひ、仲光を召され、「汝、この太刀にて、美女が首を打つて参らせよ。」とて、やがて御重代の御佩刀を出させ給ふ。仲光は、余りの御事にて候ひし間、とかく御返事に及ばず。頭を地につけ赤面す。満仲、御覧じて、「いかさま、汝は異議に及ぶか。是非討つて参らせずは、今生後生、不忠の者にてあるべし。」と、大きに怒り給へば、「重ねて辞退を申し、悪しかりなん。」と存じ、「畏つて候。」とて、御佩刀を賜はり、我が宿所に罷り帰る。
ああら、いたはしや。美女御前は、仲光が門の内に御座あり。世に面目なげなる風情にて、たたずみ給ふ所へ、罷り帰る直垂の袖にすがり付き給ひ、「かねてより御内に多き侍の中に、取り分けて汝をこそ頼もしく思ひつれ。」とて、さめざめと泣き給へば、まさに御討手に遣はされけれども、余りのいたはしさに、「何とてそれに御座候ぞ。こなたへ御入り候へ。」とて、急ぎ内へ入れ奉つて、仲光、申す。「さてもさても、御内に多き侍の中に、誰にも仰せつけられずして、何がしに御討手を賜はつて候事は、ひとへに御命の助かり給ふべき故なり。たとひ我が首をば打たれ申すとも、御命に於いては助け申すべく候。」と申す所へ、満仲の御方より、重ねて御使立ち、「何とて美女が首は、遅なはりたるぞ。東は安久留、津軽の果て、西は櫓櫂の届かんずる程、天下のその内を、探し求めて討つべし。疾く討つて参らせよ。」とて、重ね重ねの御使立つ。
仲光、承り、「あら、何ともなや。さては、御命に替はり申して、某、腹を切つたりとも、若君の御命の助かり給ふ事あらじ。さあらん時は、何も無益たるべし。さて、何とすべきぞや。まさに『討て。』と仰せらるるは、三代相恩の主君。又、『助けよ。』と仰せらるるも、主君にておはします。」とやせん、かくやあらましと、かき集めたる藻塩草、進退ここに窮まつて、是非をも更に弁へず。「所詮、思ひ出したる事あり。この若君と御同年に、参り合ふ子、一人あり。名をば幸寿丸と言ふ。九つの年、寺へ上せ、学問させ候が、今年十五に罷り成る。この者を喚び下し、御命に替へばや。」とこそ思はれけれ。
しかるに、かの幸寿の心立て、世に柔軟にして、神妙なりければ、師匠、同宿も、多くある児の中には、一大事とぞ思はれける。大方、姿尋常にし、楊柳よりもたをやかなり。肌は白雪の如し。あたかも十五夜の月の如く、一度笑めば、百の媚びあり。学問、世にすぐれ、並びなき児学匠の名を得たり。殊には詩歌管絃の道に長じ、酒宴遊興、人にすぐれ、しかる間、一寺の僧形、或いは心を高嶺の月にかけ、思ひを志賀の浦浪に、寄せざりけるはなかりけり。一樹の花を見ては皆、我が家の光を争ふ如くなり。およそ心ざしは山岳の如く、義は黄金よりも猶堅し。半夜の鐘の声、暁の別れを恨む。一旦の芳志は、彼もこれも只同じ。いつも心に詩を作り、歌を詠じて、閑居に日月を送り給ひけり。
かかる優なる児の方へ、迎へを上せ、「ちつと申し談ずべき子細の候。急ぎ下られ候へ。」と言へば、幸寿丸、この六、七年の間、父母に向顔も申さず、内々恋しく思ふ所に、迎への上りたりければ、嬉しさ類なうして、師匠、同宿に暇を乞うて、やがて里に下る。父仲光は、門に立つて待つ。児、父を見付け、嬉しげにて馬より下り、歩み寄りける姿、骨柄、礼儀したる風情、大人しやかなりけり。
父、つくづくとこれを見て、「あら、無残や。か程まで育て置きたるしるしもなく、只今、我が手に懸けん事の不憫さよ。」と思へば、忍びの涙、堰きあへず。かくても、つつむべき事ならねば、「汝を只今喚び下す事、別の子細ならず。その故は、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ふによつて、何がしに御討手を賜はつて候所に、若君の頼うで御入り候へば、何として情けなく討ち奉るべきぞ。いかにもして御命を助け申さばやと存ずる。それ、義を重くして命を軽くす。境に臨んで屍を土中に捨つる事は、君臣の法なり。君は臣を使ふに恩を以てし、臣は君に仕ふるに、義を守つて身を惜しまざるは、忠臣の法なり。恩に属する臣下、終に一度は主君の、御命に替はるべきものなり。親に孝ある子は、身を捨てて菩提を弔へといふ事あり。汝、この間、寺にての学問のしるしに、定めてこの旨をば存じつらむ。面目もなき申し事なれども、あはれ、御命に替はり申して賜べかしと、思ひて喚び下したるぞ。」と言へば、幸寿丸、聞きあへず、につこと笑ひ。
「嬉しくも承り候ものかな。弓取の御子と生まれ候よりも、主君の御命に替はるべき事をば、思ひ設けて候。一つには御命に替はり申し、又は、親の御命に従はんずる事こそ、幸ひにて候へ。早々、首を召され、美女御前を助け参らせ給へ。身の命に於いては、露塵程も惜しみ申すまじい。それ、鴛鴦の衾を重ねても、身体の破れざる間なり。亀鶴の契りを致すも、露の命の消えざる程。いづくの里人か、一人として残り留まり候べき。只、疾く生を替へむこそ、身の喜びにて候へ。さりながら、少しの御暇を賜び候へ。母にて候人に、最後の体面申したく候。」と言へば、仲光、聞いて涙を流し、「あら、不憫の申し事や。急ぎ立ち越え対面あれ。構へてこの事を、母に知らせて賜ぶな。」と言へば、その時幸寿、腹を立て、「さては、未練至極の者と思し召し、御限り候か。そこの程をば、御心安く思し召せ。」と、さもけなげに申し成し、母の御前に参り、母を見奉つて、やがて涙を流す。
母、この由を御覧じて、「あら、珍しの幸寿丸や。この六、七年の間、寺に居、たまたま下り、さこそ喜ぶべき身が、我を見て泣く事よ。」と仰せければ、幸寿丸、落つる涙を押さへて、とりあへず申す。「さん候。かの唐土の漢王、胡国を攻めさせ給ひし時、かうせい将軍を大将軍とし、百万騎を率し、胡国へ遣はされたりけるに、合戦、既に十二ヶ年経て、終に軍にうち勝つて、故郷へ引いて帰る時、とくしやうの都をばよそに見て、母のまします所へ行き、母を見奉つて、やがて涙を流す。
「母、この由を御覧じて、『これ程、軍にうち勝つて、喜びにて上る人の、何の憂ひあつて泣き給ふぞ。』と問ひ給へば、『さん候。胡国へ罷り向かひし時は、白き御髪も見えさせ給はざりしが、今、幾程か無き間に、御髪やうやう白妙に、見えさせ給ひ候程に、それを泣き候。』と申されければ、将軍の母、聞こし召され、『身に積もる年月を、主だにも思はぬに、親の齢の傾き、老いの浪を寄せ、末の近く成るを見て泣く事よ。』と、哀れにも嬉しくも思はれけると、或る文に見えて候を、今更思ひ出されて候。寺へ罷り上りし時は、黒く渡らせ給ひし御髪の、やうやう白妙に見えさせ給ひ候程に、今幾程か見参らせんと悲しくて、不覚の涙を流すなり。」
偽り申したりければ、母はまことと思し召し、「不憫の者の申し事や。げに、子にて無くは、何者か、母が髪の白く成るをば悲しむべき。まして、なからん後の世を、弔はれん事の嬉しや。」と、只今、先に立て給はん事をば知ろし召されずし、世に頼もしく思はれける、母の心ぞいたはしき。その後幸寿、申しけるは、「今暫く候ひて、御物語申したくは候へども、まことやらん、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ひて、これに御座の由を承る。そつと参り、御目にかかり、やがて罷り帰り、この年月離れ申し、恋しく思ひ申しつる御物語申さん。」と、さあらぬ体にもてなし、母の御前を罷り立つ。これを最後と思はれける、幸寿の心ぞ哀れなる。
その後、児は、一間所に立ち入り、御経読み、念仏申し、一首の歌にかくばかり。
君がため命に替はる後の世の闇をば照らせ山の端の月
かやうに書き留め、「師匠、同宿、小師の坊へ、数々の形見の文を、参らせたくは候へども、それさへ叶ふべからず。」と、只、文一通に偽り、かうぞ書かれける。「さてもさても、この度罷り下る事、別の子細ならず。その故は、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ふによつて、自身、御手に懸け給ふを、弔ひ申せと喚び下して候程に、若君の御最後の体を見るに、心も心ならず。余りのいたはしさに、御骨を取り、首に掛け、高野の峯とやらんに思ひ立つて候。三年が間の春秋を送り迎へ、必ず参り、御目にかかり候べき。師匠、同宿、小師の坊へ。幸寿丸。」と書き留め、鬢の髪を少し抜いて、文の奥に巻き込めてこそ置かれけれ。我が文ながら一しほに、名残の惜しさ、限りなし。
その後、父の御前に参り、「母御にこそ最後の対面、心静かに申して候へ。一間所に文の一通候をば、この年月住み馴れし、寺へ送りて賜び給へ。」と、坪の内に我と敷皮を敷き、たけなる髪を高く巻き上げ、西に向かつて手を合せ、「南無西方極楽世界の阿弥陀仏。殊には我が頼みを懸け奉る、大慈大悲の観世音。願はくは本願を捨てず、我を導き給へ。」と、誠心涼しく見えけるに、父、太刀抜き持つて立ち寄りけるに、目もくれ、心も消え果てて、太刀の打ちども見も分かず。悲しきかなや、春三月の花も、無常の風の吹かざる程、三五の夜の月も、雲の覆はざる程なり。無常の剣を抜き、一度身に触れなば、一期の位を転じて、即ち得脱すべきなり。いづれの人か親と成り、何者か子と生まれ、ためしなき事をもらすべき。命葉落ち易し。秋一時の電光の影の内に、剣を振ると見えしかば、首は前へぞ落ちにける。
かねて思ひ設けたる事なれば、初めて騒ぐに及ばずとて、若君の御直垂を申しおろして首を包み、満仲の御前に参り、「御意背きがたきによつて、御首をこそ賜はつて候へ。今は、御本望を遂げさせ給ふ上、御腹、居させ給へ。あら、御情けなの御所存や。」と申しもあへず、首を御前に置き、直垂の袖を顔に押し当てければ、満仲、御覧じあへず。「いしう仕つたり。今こそ気は散じて候へ。さりながら、首をば汝に取らするぞ。良きに孝養し、跡をば弔うて得させよ。」とて、御内に入らせ給ひければ、その後、首を取り、我が宿所に帰り、女房を呼び出し、詳しき事を語り、幸寿が首を見せければ、母は幸寿が首を見て、やがて消え入り、物言はず。それ、窈窕たる紅の顔ばせ、花にそねまれし姿も、夕の風に誘はれ、嬋娟たる翠の黛、月に妬まれし形も、暁の雲に隠れ、会者定離は人間の習ひ。生死無常の理は、様々多しと申せども、取り分き哀れなりけるは、幸寿が事にとどめたり。
ややあつて母御前は、落つる涙の暇よりも、「さればこそ、幸寿。寺より下り、さこそ悦ぶべき身が、我を見て泣きし程に、不審を立てて候へば、異国の事を語り出し、みづからが心を慰めしを、夢にもみづから知らぬなり。たとへば御主の、命に代はるべき事を、みづからいかでとどむべき。かくと知らするものならば、共に介錯して、最後の体を見るならば、か程にものは思ふまじ。情けなの仲光や。」と、首に抱き付き、伏し沈みてぞ泣きにける。
折節、美女御前は、物越し近く御座ありけるが、幸寿が最後の由を聞こし召し、際の障子をさつと開け、立ち出させ給ひて、「何と申すぞ、夫婦の者。幸寿を切る程ならば、何とて美女が首をば打たぬぞ。幸寿を切らせ、我、浮世に永らへ、誰に面を合はすべき。」と、思ひ切らせ給ふ御色を見て、夫婦の者が参り、御守り刀を奪ひ取り、「今日よりも、不用の御心中を留め、学問よきに召され、幸寿が菩提を弔ひて御取らせ候へ。さらば、御急ぎ候へ。」とて、人目を包む事なれば、夜に紛れ、多田の里を出、都に着く。「ここは人目も繁し。」とて、天台山の麓、十禅師の御前に御伴申す。
「この神慮の御計らひとして、いかならん碩学の人にも御付きあつて、学問召され候へ。いかに若君、聞こし召せ。それ、天竺に獅子と申すは、獣の中の王なり。かの獅子、年に三つづつの子を産む。生まれて三日と申すに、一万丈の巌石を落としてみるに、損ぜず破れざるをば子とし、空しく成るをばそのままなり。かかる獣までも、子をば試す習ひあり。若君を御勘当候事を、恨みとばし思し召され候な。御暇申して、若君。」美女御前は聞こし召し、「早、帰るか、中務。浮世は車の輪の如く、命の内に今一度、巡り会ふべき由もがな。名残惜しや。」と宣ひて、遥々見送りたゝずみ給へば、行く道、更に見も分かず。たまたま言問ふものとては、嶺にさ渡る猿の声も、我が身の上と哀れなり。振り返り振り返り見送りて、後に心はとどまりて、多田の里にぞ着きにける。
女房を呼び出し、「只今こそ罷り帰りて候へ。あら、面目もなや、女房。なんぼう人の命は捨てがたきものぞ。幸寿が最後の時、とにもいかにもならばやと、千度百度思ひつれども、若君を一まづ落とし申さばやと存ずるによつて、つれなく命長らへたり。今は今生に思ひ置く事、候はず。暇申して、女房。」とて、腰の刀を引ん抜いて、弓手の脇に突き立てんとせし時、女房、刀にすがり付き、「静まり給へ、仲光よ。誰も思ひは劣らぬぞ。まづみづからを害しつつ、その後、腹を切り給へ。げに、まこと、忘れたり。我々なからんその後に、幸寿丸が最後の体、君の御耳に入るならば、いたはしや、若君の、隠れゐておはしますを、探し出させ給ふならば、草の蔭にて幸寿丸、歎かん事も無残なり。しかるべくは中務、自害を思ひとどまりて、我々夫婦、一筋に念仏申し、幸寿が菩提を弔ひて取らせなば、などかは得脱ならざらん。かやうに申せばみづからが、命を惜しむに似たるべし。ともかくもよきやうに計らひ給へ。」と言ひければ、思ひ切りぬる道なれども、至極の道理に中務、自害を止まりけるとかや。これは、多田の里の事。
さても美女御前は、十禅師の御前に、まことに東西をも弁へさせ給はず。誰に付いて学問し、何と成り給ふべき方もなく、只茫々として御座ありけるが、まことに十禅師の御引き合はせかとおぼしくて、山よりも恵心の僧都、参社ましましけるが、美女御前を御覧じて、「あら、いつくしの少人や。当山にては、いまだ見参らせたりともおぼえず。国はいづくの国、御里はいかやうの人にてましますぞ。」と尋ね申させ給へば、美女御前は聞こし召し、「これは、幼少にて親に後れ、賤しき一人身にて候。」と語り給へば、「それは、いかやうの人にてもおはせよ、それそれ、御供申せ。」とて、同宿達に御手を引かせ、我が坊に置き奉り、かくて年月積もり行けば、蛍雪の窓の前には臂を引き、天台止観の門に心を照らし、鑽仰の室内には、円頓実相の観念に底を極め、御歳十九と申す時、正法念誦経を読み給ひけるが、傍らにうち向かひ、さめざめと泣き給ふ。
僧都、御覧あつて。「あら、軽忽や。児は、何を泣き給ふぞ。」と問ひ給へば、「さん候。この御経を見候に、『親に不孝の子は、阿鼻地獄を出ず。』と候程に、それを泣き候。」と仰せければ、僧都、聞こし召されて、「不思議の事を宣ふものかな。御身は、『幼少にて親に後れ、賤しき一人身にて候。』と、まさしく語り給ひしが、今更、不孝と仰せらるるこそ、心得がたう候へ。」「あう、今は何をか包み候べき。学問もせず、余り不用に候ひしによつて、親の不興を蒙りたる身にて候。」「さて、親は、いかやうの人にておはしますぞ。」「摂津国多田の里に、満仲と申す人の子にて候。」と語り給へば、「あう、さればこそかねてより、只人ならず御姿を、見参らせて候ひしか。さては音に承る多田の満仲の、御若君にて御座ありけるを、今まで存じ申さぬこそ、愚僧が不覚で候へ。これに付けても、学問をいかにも召され候へ。御勘当の御事をば、源信参りて、乞ひ許し申さん。」とて、十九の年、御髪下ろし、恵心院の円覚とこそ申けれされば、止観の窓の前には、一実中道の月を澄まし、又、忍辱の衣の袖に、四曼相応の花を包みて、終に天台円宗の奥蔵を究め給ひて、御年二十五と申すに、師匠恵心の御供して、多田の里へぞ下られける。
昔の買臣は、錦の袴を着てこそ故郷の人に見えぬると、承りて候が、今の美女御前は、錦にまさる墨染の衣を召されて、故郷に帰り給ひけり。まづ中務が所へ立ち寄らせ給ひて、案内を仰せければ、仲光、急ぎ罷り出、若君の御姿をつくづくと見参らせ、余りの事の嬉しさに、暫しは物を申さず。ややあつて中務、流るる涙を押しとどめ、「あら、めでたの若君の御姿や候。これにつけても、幸寿が事をこそ思ひ出されて候へ。かねてよりも御法体の御姿を、御望みにて候ひし間、やがて御対面候べし。御機嫌を伺ひ申さん。」とて、満仲の御前に参り、若君の御事をば、何とも申し出さずし、「この北嶺に聞こえ給ふ恵心の僧都、御対面のそのため、只今御来臨。」と申す。
満仲、聞こし召されて、「あら、思ひ寄らずや。急ぎこなたへ申せ。」とて、僧都を請じ奉り、やがて御対面あり。「初対面に、かやうの事を尋ね申せば、何とやらん、憚り多く候へども、我等如きの大悪逆の俗は、何として後生を助かり、極楽に往生すべく候や。」と尋ね申させ給へば、僧都、聞こし召されて、「それ法華の名文に、『大通知勝仏、十劫坐道場、仏法不現前、不得成仏道。』と説かれたり。仏も未だ出世し給はざる時は、成仏も無く、咎も無し。一念未生以前には、無生無死にして、成仏の直道にあらず。人の教へによらず、只、我と思し召すべきなり。一偈聞法の功徳は、倶胝劫の善根たり。およそ他生、曠輪なるべし。尤も仏道の便りあり。殊更、弓箭を取り給ふとも、合戦の道までこれを思し召さば、『一念浄戒の源に立ち帰つて、衆罪は草露の如く消えて、即身成仏たるべし。』と、『玄疏』といふ物に見えて候。」と述べ給へば、満仲、喜悦の眉を開き、「さては、弓箭を取り候とも、一心の向けやうによつて、極楽に往生すべく候や。」と、御悦びは限りも無し。
時しも頃は、九月十三夜の明月、隈もなかりしに、山ありと知らする鹿の遠声も、心すごく聞き成して、千種にすだく虫の音までも、我あり顔にもの哀れなる折からに、円覚、尊き御声にて、「寂寞無人声、読誦此経典。我爾時為現、清浄光明身。」と、高らかにあそばせば、まことに人倫の住所なりと言ふとも、寂寞にして人の声も無し。四明の洞にはあらねども、読誦の御声は、梵天、忉利天の、雲の上にも聞こゆらん。尊しと申すも余りあり。心のあるもあらざるも、袖を絞らぬ人ぞ無き。
満仲は、まこと殊勝に思し召し、僧都を暫しとどめ申させ給へば、「これは、日を指して勤行の子細の候。又こそ参り候はめ。明日帰山あるべし。」と仰せければ、「さらば、御弟子の御僧を、一七日とどめ申したく候。」と仰せければ、僧都、聞こし召し、「幼少よりも、身を離さぬ弟子にて候へども、御経御聴聞のためならば、一七日はとどめ置かるべく候。御用過ぎなば、本山へ送りて賜べ。」と宣ひて、御勘当の御事をば、何とも仰せ出されずし、翌日、僧都は御登山ある。
円覚、一人とどまつて、七日、御経あそばす。満仲、仰せられけるは、「さもあれ貴方は、いかやうの人にてましますぞ。某も、御年の程の子を持つて候ひしが、学問もせず、余り不用に候ひし間、侍に申し付け、首を討つて候へば、今更後悔仕れども、そのしるしも候はず。これに候女は、その子が母にて、別れを悲しみ、御覧ぜられ候へ、両眼を泣き潰して候。何とやらん、御姿を見奉るに、その子に似させ給ひて候事よ。なう。いかに、御台、聞こし召せ。この程、御経あそばされ候御僧こそ、ありし美女に少し似させ給ひて候へ。」と仰せければ、御台、聞こし召されて、「懐かしや候。今より後は、させる御用候はずとも、常には立ち寄らせ給ひ、御経あそばし、みづから慰めて賜はり候へ。」
円覚、聞こし召し、「さては、我が不用によつて、母の盲目と成らせ給ふ事よ。さこそ仏神三宝も、吾を憎しと思すらむ、罪障の程こそ口惜しけれ。」と、発露涕泣ましまして、祈念申されける事こそ殊勝なれ。「南無霊山世界の釈迦善逝、法華守護三十番神、本山護擁山王十禅師。仏法の威力、霊験、地に落ち給はずは、母の盲眼を忽ち開かしめ給へ。『我見灯明仏、本光瑞如此。』」と、この文を唱へ、肝胆を砕き祈られければ、誠に仏神も、不憫に思し召さるるか。本尊の御前よりも、金色の光立つて、北の御方の頂を照らし給ふ。満仲、大きに驚き、「なう、あれあれ、御覧候へ。本尊の御前よりも、金色の光の立たせ給ひて候。」と仰せありければ、北の御方、聞こし召し、「それは、いづくに候。」と御覧じければ、ありがたや。目しひて久しき両眼、忽ちぱつと開きけり。奇特なりとも中々、申すばかりもなかりけり。
満仲夫婦、御手を合はせ、「あら、殊勝や。まことに、生き仏にて御坐ありけり。」と、恭敬礼拝し給へば、円覚、座を去つて、恐れを成し給ふ。満仲、御覧あつて、「なう、忝や。何しに御座を去らせ給ふぞ。」円覚、聞こし召されて、「さん候。釈尊、御説法の砌、父浄飯大王の、御聴聞に出させ給ひし時、仏だにも蓮華座を去り給ふ。ましてや我等は賤しき僧。いかで恐れを成さざらむ。」満仲、聞こし召されて、「あら、愚かの仰せや。それは、親子の礼儀。これは、他人の事なれば、何かは苦しく候べき。」円覚、聞こし召されて、「今は、何をか包み候べき。我こそ美女にて候へ。中務が情けにより、我が子の幸寿を切り、我をば助けて候ぞや。かの僧都に付き奉り、不思議にかかる身と罷り成りて候。」と語り給へば、満仲夫婦、円覚の衣の袖にすがり付き、「これは、夢かや。夢ならば、覚めての後をいかがせん。」まことはうつつなりければ、嬉しさ、類ましまさず。
「さればこそ良き郎等には、別して恩を与へ召し使ふと、申し伝へて候が、中務が情けをば、生々世々に忘るまじい。」と宣ひて、急ぎ夫婦を召され、「やあ、これこれ。見よや、夫婦の者。今より後は美女御前を、汝等夫婦がためには、幸寿丸と思ふべし。後生の事をば頼もしく思へ。」とて、満仲も北の方も、中務夫婦の者、円覚に抱きつき給ひ、嬉しき今の涙には、ひとしほ濡るる袂かな。およそ九万八千町の、御領を半分分け、仲光に宛て行はせ給ふ。幸寿丸が菩提を弔はむため、少童寺といふ寺を建て、本尊には児文殊を、作つて獅子に乗せ給ふ。
法華といつぱ、弥陀会上法万徳の位。三世の諸仏出世の本懐は、衆生成仏の直道なり。経にあらはす時は、妙法蓮華の五字につづめ、名に説く時は、南無阿弥陀仏の六字に摂す。或いは五劫思惟の遺思の経を、六字の名につづめて、十劫正覚の果得、一念称念の衆生に施すと見えたり。思惟といつぱ、坐禅の異名。天台には止観と説き、真言には実相教相と宣うたり。法相、三論には、空有の二有の二相に関はる。究竟虚融の名詮も、皆これ、一実無相の開顕にしかず。只、「止ゝ不須説、我法妙難思。」と観ずべし。妙楽大師の御釈に曰く、「諸教所讃多在弥陀、故以西方而為一準。」唯心の弥陀、己身の浄土なれば、「本来無東西、何処有南北。」と聞く時は、いかにもして声に出して、念仏を申すべし。阿弥陀は本来の面目なり。十万億土も隔てず、我等が方寸の内、歴々として分明なり。元より方角無し。多念清浄たり。豈色相に預からんや。元より法華と念仏は、一具の法門なり。されば、古仏の伝に曰く、「昔在霊山名法華、今在西方名弥陀。濁世末代名観音、三世利益同一体。離取捨。」と云々。いかにとして法華と念仏、格別に心得べき。只、生死は春の夜の夢の如し。真如の月は、本より明白たり。他人の寿命を借つて、自身の命を継ぐ。迷ひの前の是非は、是非共に非なり。悟りの前の是非は、是非共に是なり。自他一如たり。
分明なるかなや、先に死する幸寿、後に死する美女御前。今は早、名のみばかりぞ残りける。されば、空也上人の一首の歌に、かくばかり。
世の中に一人留まる者あらばもし我かはと身をや頼まん
と詠じ給ひけるとかや。東方朔の九千歳、鬱陀羅の八万歳も、名のみばかりぞ残りける。非想八万劫。運洞が眠りも只、夢の世の内なり。満仲の御心、法のために企て、罪障の流れを汲み、菩提の道明らかに、子々孫々も繁昌し、天下を保ち給ふ事、千秋万歳の源を、顕はし給ふものなり。はた又、かやうに義を重んじ、命を軽くし、名を後の世に残し置く、幸寿丸が心中、上古も今も末代も、こや、ためしなかるらむ。人々、申し合ひにけり。
于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)
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