鎌田
(毛利家本)

 源氏左馬の頭義朝は、待賢門の夜軍に駆け負けさせ給ひ、東国さして落ち給ふ。ここに、せんぞくかかけにて、横川法師の大将おほやのちうきが放す矢を、進朝長の弓手の膝口に受け止めさせ給ひ、その御手、大事にて、美濃国青墓の長者に着かせ給ふ。長者、急ぎ立ち出、義朝の御目にかかり、「さて朝長は、御供かきかまほしや。」とありしかば、義朝、聞こし召されて、「『大事の手負、最後の際。』と言ふならば、長者の歎き、深かるべし。」と思し召し、「さん候。朝長をば、悪源太とうち連れ、鎌倉へ遣はして候。明年の夏の頃、必ず具して参るべし。」と、深く包ませ給ひ、その後、鎌田を召され、「いかに、正清。朝長が体を見よ。尾張をさして、ひとまづ落つべきにてもあうやらん。詳しく問へ。」
 鎌田、承り、中宮大夫進朝長に参り、「明日は、都より討手の参り候べし。夜半に紛れて、一まづ落つべきにてもましまさば、御伴召され候へ。」と申す。朝長、聞こし召し、「御供申したくは候へども、痛手、薄手に七ヶ所の手負。五体安からねば、御供申しがたし。」「さあらば、平家の者どもに、かき頸なんどにせられては、骸の上の恥辱たるべし。只々、腹を切りなん。」と、御返事を申させ給ひ、やがて鎌田召され、「いかに、正清。弓箭に携はり、箕裘の家と言ひながら、自害をいまだ知らぬなり。いかやうにするものぞ。詳しく申せ。」鎌田、承り、「さん候。それ自害と申すは、十方浄土とは申せども、まづ最後の時は、西に向かつて手を合はせ、高声に念仏申し、腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心もとに刺し立てて、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、寸々に切りて捨てたるを、清き死骸と申すなり。」
 朝長、聞こし召し、やがて心得給ひて、押し手押し、起き直り、腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へやうやう引き廻し、返す刀を取り直し、心もとに刺し立てて、切らん切らんとし給へども、痛手、薄手に腕強り、御身合期ならざれば、自害を半ばにしかけ給ひ、「鎌田はなきか。首を取れ。」正清、この由見参らせ、涙と共に参りつつ、御頸を取らんとしけれども、「三代相恩の主君に、いづくに刀を立つべき。」と、泣くより外の事は無し。朝長は御覧じて、「不覚なり、正清。早、疾く疾く。」と宣へば、いたはしや、御首を、水もたまらず掻き落とし、義朝に参りつつ、御自害の由を申せば、御落涙は暇も無し。
 その後、義朝、鎌田を召され、「これより尾張へは、何として着くべきぞ。」鎌田、承り、「さん候。長者の弟に、鷲野栖の玄光を御頼みあれ。」と申す。やがて、鷲野を頼ませ給へば、「易き程の御事。」とて。柴舟下すに事寄せ、人々を舟に乗せ申し。かせを高く結ひ上げ、上に柴を積みかけ、府津の七郎が七百余騎にて支へたる関所の前を、とかく騙して押し通し、内海の浦へ舟を寄せ、鎌田兵衛を御使にて、長田を頼ませ給ふ。長田、難なく頼まれ申し、新造に御所を建て、君を入れ申し、いつきかしづき奉る。
 この事、都に隠れなし。六波羅にさし集まつて、内議評定、取り取りなり。「時刻移して叶ふまじ。」と、弥平兵衛宗清に、三百余騎を下賜ぶ。小松の内府の御諚には、「愚かなる御計らひかな。かの東国と申すは、源氏に心ある方なり。『討手下る。』と風聞せば、東に残る源氏が、雲霞の如く馳せ集まり、いかやう大事も出来なん。所詮、たばかり状を拵へ、長田を頼ませ給ひ、過分の国、所領を一旦与へ、味方に召され、義朝をたばかり、易々と討つて後、長田も討伐あるべきに、何の子細候べき。」「この儀にしくはあらじ。」とて、やがてたばかり状を拵へ、長田が舘へ着き給ふ。
 長田、難なく頼まれ申し、御教書頂き、披いて拝見申す。その御書に曰く、
  下し状
  源氏左馬頭義朝は、親の首を斬るのみならず、親しむべき兄弟を滅ぼし、六親不和にして、三宝の加護無し。父母不孝にして、天罰を蒙る。その謂はれ、相違はず。去年の罪、近年に感じ、平治の戦に駆け負け、帝都を去つて、遠嶋遠鄙に迷ひ、わづかに露命を石草にかけ、芭蕉の四大を乱風に任す。その頼み少なき事は、槿花一日の栄を待つが如し。草風、春の雨を待つに似たり。とても自滅すべきものをや。この味方に与せん事は、只、深淵に臨んで薄氷を踏むに似たるべし。早、義朝が頭を斬つて、天下に捧げ申すべし。勧賞には、美濃、尾張、三河三ヶ国を宛て行ふ。同じく受領は、望みたるべし。仍つて状、件の如し。
    平治二年正月一日 長田が舘へ
と書かれたり。
 長田、御教書を頂き、夜半に人を廻し、五人の子どもを近付け、「これこれ、拝み申せ。綸旨の旨、至極の道理、ここにあり。げにも義朝は、親の首を斬り給ふ、五逆罪の人なるを、主に頼みて何かせん。いざ、この君を討ち申し、美濃、尾張、三河三ヶ国を賜はり、上見ぬ鷲と思ふは、いかが計らふ。」子ども、承り、「こは、ゆゆしき御大事にて御座候。この人々三人を討たんには、尾張の国が動きても、たやすく討たれ給ふまじ。御思案あれ。」と申す。長田、聞きて、「不覚なり、汝等。勢を揃へて討たばこそ。たばかつて討つべきに、何の子細のあるべきぞ。」と申す。
 かかつし処に、三男先生と申す者、烏帽子の先を地につけ、「仰せの如く、この君は、親の首を斬り給ふ、五逆罪の人。さて又、一代ならず二代ならず、三代相恩の主の頸を斬り給はば、五逆をばさて置きぬ、八虐罪をいかがせん。長々しくは候へども、ここに譬への候を、語つて聞かせ申すべし。昔、天竺せつせんの傍に、めいみやうてうといふ鳥あり。かの鳥、胴一つにて、嘴二つ。一つの嘴が、餌を求めて服せんとせし時、一つの嘴、賢くて、この餌を宙にて奪うて喰ふ。一つの嘴、思ふやう、『いかなれば余の鳥は、胴も一つ、嘴も一つ。我等、いかなる因果にや、胴一つにて、嘴二つ。たまたま求むる餌食をも、奪はる事の口惜しさよ。所詮、一方を退治せばや。』と思ひ、毒の虫を求めて、服する真似をせし時、常の如く心得、この餌を宙にて奪うて喰ふ。嘴は二つと申せども、胴が一つである間、その毒、胴に収まりて、身体が破れつつ、胴体が損じて、己さへに死したると、承りて候ぞ。
 「我も人も、自然は以ては等しかるべし。この君と申すは、政道賢くおはします。鎌田兵衛正清は、並びもなき剛の者。童に渋屋の金王は、弓箭を取つて名人と、名を得たる程の者なり。これ三人を討たむには、尾張八郡動きても、たやすく討たれ給ふまじ。我々が心中には、とても捨つる命ならば、君に頼まれ奉り、内海に城を拵へ、敵向かふと見るならば、軍兵どもをさし遣はして、目覚まし軍せさせ、軍兵尽きば、腹切つて、死出の山の御供こそ、弓矢を取つての面目なれ。昔が今に至るまで、婿と主とを討ち取つて、いや、世に出たる法やある。しかるべくは、この事を只、思ひとどまり給へとよ。」
 長田、聞きて、殊の外に腹を立て、「何と申すぞ、あの冠者め。それ、天地開け始めてより以来、天は父、地は母。親の恩を蒙り、荘司が申し事を、直に背くは奇怪なり。惣じてあの先生めを、見れば中々、腹も立つ。罷り立つ。」と言ふままに、居たる処をづんど立ち、簾中深く入つたるは、とかう申すに及ばれず。あら、無残や。先生は、父に叱られ、常の所に立ち入り、つくづく案じけるやうは、「親の命を背かじとて、主に弓矢を引くならば、八逆罪の咎。主と一所に成り申し、父に弓箭を引くならば、五逆罪の咎たるべし。しかじ、只、元結を切つて様を変へ、浮世を厭はばや。」と思ひ、年十七と申すには、翠の髻を押し切りて、刀と共に西へ投げ、頭陀の縁笈、肩に懸け、心と衣を墨に染め、遁世修行に出たりし、かの先生を見し人の、褒めぬ人こそなかりけれ。
 その後、長田、残る子どもを近付け、「げに先生めは遁世したるとな。さて汝等は、先生に同ずべきか、父が議に従ふべきか。早々、返事を申せ。」子ども、承り、「ともかくも、御計らひの悪しくは、よも候はじ。」と申す。長田、聞きて、うち笑ひ、「かやうに申すも、汝等を、世にあらせんがためぞかし。まづ、婿の鎌田をば、先生が出居へ請じ、山海の珍物を取り替へ取り替へ、酒を強いよ。酔ひたらん所を見て、酌に立つたる者が、持つたる酒を投げかけ、ひらまん所をむずと組め。一間所によき兵を隠し置き、折り合うて討つべし。童の金王をば、内海の沖に大網を下ろし、網の奉行に事寄せ、内海にて討つべし。主の義朝をば、この庄司めに任せよ。まづ金王を謀りてこそ。」と言ふままに、蔀戸の元の塵取らせ、若き女を使にて、金王を請ずる。
 渋屋、左右なく来る。長田、急ぎ立ち出、三献盃過ぎて後、「いかに、渋屋殿を万事頼み申すべき事の候が、但し、頼まれ給はんならば、申すべし。」金王、聞きて、「何事を仰せ候べき。長田の大事たるべくは、一命をなりとも進ずべし。」長田、聞きて、うち笑ひ、「それまでも候はず。我が君のこれまでの御下向を、一期の面目、優曇花と存じ、蓬莱を絡組み、君を祝ひ申さんため、蓬莱の下組には、魚と鹿が要る事にて候程に、五人の子どもをば、三河の国足助の山へ、鹿狩に越し候ひぬ。又、内海の沖に大網を下ろして候が、奉行にはたと事を欠いて候。若き時の遊びに、猟漁りと申して、苦しからぬ事なれば、奉行に立つて賜べかし。」と、打ち解け顔にぞ諮りける。
 金王、聞きあへず、やがて腹こそ立つたりけれ。たけなる髪を唐輪にきつとわげたるが、ふるふると解いて、大童にぞ成つたりける。ここに譬へあり。樊噲、勇みを成せば、髪、兜の鉢を生ひ抜く。これにはいかでまさるべき。いつも離さず持ちたりし、四尺三寸の角鍔の打ち物、鍔元二、三寸くつろげ、長田をはつたと睨んで、「何と候、長田。君を大事に思ひ申さば、御分なりとも出まじきか。さなくば、りんたん隣郷に、傍輩どももありこそするらめ。など呼び寄せて致さぬぞ。陽明、待賢、郁芳門。泊り泊り、関々にて、合戦に骨折り、物具に肩引かせ、下つて三日も過ぎざるに、『網の奉行に立て。』と候や。鴉の子が白く成つて、駒に角の生ひん程、待ち候へよ、庄司。定めて上へ申さるべし。太刀取、縄取定まつて、汀で切つて捨てらるるとも、全く金王、出づまじい。見れば中々、腹も立つ。罷り立つ。」と言ふままに、銚子土器蹴散らかし、外の出居まで躍り出し、かの金王が勢ひは、いかなる天魔、疫神も、面を向くべきやうぞ無き。
 さる間、長田は、金王に脅され、震ひ震ひ座敷を立ち、頭殿の御前に参り、何と物をば申さずして、只さめざめと泣く。義朝、御覧あつて、「あれは、いかに。長田は何事を歎くぞ。」「さん候。別の子細にて候はず。我が君のこれまでの御下向を、一期の面目、優曇花と存じ、当世はやる蓬莱を絡組み、君を祝ひ申さんため、蓬莱の下組には、魚と鹿が要る事にて候程に、五人の子どもをば、家の子、郎等差し添へ、三河の国足助の山へ、鹿狩に越し候ひぬ。又、内海の沖に、大網を下ろして候が、奉行にはたと事を欠いて候程に、御内の渋屋を頼うで候へば、奉行にこそは立たざらめ。あまつさへ、年寄りたる庄司めを、散々に悪口せられ申す。つれなく命長らへ、これまで参りて候。」とて、はらはらと泣く。義朝、聞こし召されて、「げにげに。それは、さぞあらん。地体、あの金王は、物狂はしき者にて、我が云ふ事をさへ、五度に三度は背く。まして、御分が申さん事を、いかで承引すべきぞ。よしよし。庄司、腹居て帰れ。奉行には致さうずるにてあるぞ。」とて、長田を帰させ給ひて後、金王を召さるる。
 渋屋、承り、「あは、庄司が訴訟申した。こそあらめ。ゆゆしき大事。」と心得、御前に畏る。義朝、御覧あつて、あらけなくは宣はで、「やあ、何とて汝は違うたるぞ。都よりこの国まで、長田を頼み、下る身が、山ならば須弥山、海ならば滄海よりも、猶頼もしう候に、一旦違ふ事ありとも、など承引をせざるべき。その上、猟漁りとやらんは、若き時の遊びにて、苦しからぬ事ぞとよ。奉行に立つて魚を取り、庄司が心を慰めよ。」金王、承り、謹しんで申しけるは、「さん候。某、全く奉行に出まじきにても候はぬが、長田が今の振舞を見候に、君に心変はりを申し、五人の子どもをば、狩倉に事寄せ、催促廻し勢揃へ、我が君を討ち申さんずる、巧みを巡らすと見て候を、御存じなくて、かやうに君は仰せられ候よ、なう。」義朝、聞こし召されて、「よし、それとても、力無し。長田が心、変はるならば、一所にあつても何かせん。もしも忠臣たるべくは、後の恨みをいかがせん。只、出て魚を取り、庄司が心を慰めよ。」
 金王、承り、「飽かぬは君の御諚。」とて、御請けを申して、御前を罷り立つが、「君も聞こし召せ。」と高らかに、「人は運命尽きぬれば、智恵の鏡もかき曇り、才覚の花も散り果つる。郎等がたばかるを、御存じなきぞ口惜しき。」かやうにかき口説き、一間所へつゝと入り、肌には唐紅引つ違へ、滋目結の直垂の、上下四つの括りをゆるゆると寄せさせ、黒糸縅の大鎧、草摺長にさつくと着、惣じて刀は三腰差す。四尺三寸の角鍔の打ち物、三尺五寸の太刀を重ね佩きに佩いて、四尺八寸の長刀を、引き杖について、頭殿の御前に参り、「東岱の前後の夕煙、昨日も昇り、今日も立つ。北邙朝露の幻は、後れ先立つ世の習ひ。もし内海にて討たれずは、参りて御目にかからん。」と、涙と共に立ち出る。義朝は御覧じて、「忌まはしし、金王。門出、祝へ。」と宣ひて、みづから酒をぞ下されける。御暇申して金王は、内海の沖へ出にけり。
 契りはあれど山鳥の、尾を隔つるが如くなり。さても内海には、組手の人数を定むるに、まづ一番に岸岡十郎、野組小栗を先として、宗旨大力三十六人。大船八艘催し、上に歩みの板を渡し、金王を乗せ、沖をさして漕ぎ出し、「ここにも魚はなきぞ。」「かしこにも魚はなきか。」と、かなたこなたと目を見合はせ、金王を討たんとする。渋屋、元より存じの事。ちつとも騒ぐ気色もなく、持つたる長刀にて舟底をとうとうと突き鳴らし、「何とて面々は、夕日、西に傾き給ふに、綱手をば取らずして、ややともすれば某に、目をかくるこそ不審なれ。あう。やがて心得たり。汝等が主の長田、君に心変はりを申し、某をこの沖にて討たんずる、その巧みを巡らすとおぼえたり。思ひ、内にあれば、色、外に顕はるる。天知る、地知る、我知る、人知る。
 「間近く寄つて叶ふまじ。まづ、長刀の切り手には、こむ手、薙ぐ手、開く手、八方さひしき長刀の、手を使ふものならば、あう、算を乱して討たるべし。長刀折れ砕けば、二振りの太刀を以て散々に斬るべし。太刀の柄、折れ砕けば、三腰の刀を抜き替へ抜き替へ、取つて引き寄せ刺し殺して、底の水屑と成すべきなり。運命尽き果てて、太刀も刀も折れ砕けば、汝等髻を取つて、五人も十人も左右の脇に掻い込うで、海底につゝと入り、五日も十日も底にて日を送るならば、汝等が命はとどまるべし。間近く寄つて叶ふまじい。」と、艫舳を駆けり廻れば、内海を出し時には、「金王ならば、我組まん。」「誰組まん。」とは勇みしかど、この勢ひに恐れつつ、舟底、船枻にひれ伏して、震ひわななき居たりけるは、事可笑しうこそ見えにけれ。これは、内海の物語。
 ここに物の哀れをとどめしは、鎌田兵衛正清なり。宵までは御前に伺候申し、宮仕ひ参らせ、小夜更け方に御暇賜はり、廊の屋に立ち帰り、弥陀石、弥陀若とて、二人の若のありけるを、弓手妻手の膝に置き、後れの髪を掻き撫で、涙を流し、申しけるは、「正清、都にて度々の合戦に、すぞろに命の惜しかりつるも、只、汝等がある故なり。いつか汝等成人し、父が供を仕り、はちある矢をも一筋射る、その折柄を見るならば、いかがは嬉しかるべきと、明け暮れこれを願ひしに、思ひの外に引き替へて、君落人と成り給へば、御供申して正清も、討たれん事は治定なり。さあらん時に汝等は、三河の真福寺の院主の御坊に、深く契約申すなり。院主の御坊に参りつつ、小経の一巻をも、良きに学して正清が、なからん跡を弔へや。」とて、包むに余るその泪、よその袂も濡れぬべし。
 廊の御方は御覧じて、「これは、いまだ正月三日も過ぎざるに、御身は何と宣ふぞ。」と、言ひもあへぬに舅の長田、組手あまた用意し、「鎌田殿やまします。物申さん。」とありしかば、正清、舅の声と聞き、「これに候。」とて、太刀押つ取り、出んとする。廊の御方は御覧じて、袂を取つて引つとどめ、「慌てたり、鎌田殿。騒いで見えさせ給ふものかな。今日この頃の習ひにて、親は子をたばかれば、子は親に楯を突く。しかも御身は落人にて、よろづに心を置くべき身が、明けまじき夜にてもなし。今夜を明かし給ひて、夜明かしておいてましませや、鎌田殿。」とぞとどめける。正清、聞いて、いつよりも睦ましげなる風情にて立ち帰り、うち笑ひ、「なう。さのみにとどめ給ひそよ。召さるるは御身の父、正清がために舅なり。居ながら返事を申さんは、不覚の至りと存ずるなり。やがて帰らん。さらば。」とて、名残の袂引きさけて、長田と連れてぞ出にける。かりそめながら別れとは、後にぞ思ひ知られたる。
 その後、先生が出居へ請じ、山海の珍物、国土の菓子を調へ、色を変へては三度盛り、風情を変へては五度七度、盃の数も重なれば、さしもに剛なる正清も、次第次第にひらめいたり。長田、これを見て、「あは、時分は良いぞ。」と思ひ、帳台へつつと入り、かいを一つ取り出し、微塵さつとうち払ひ、につこと笑つて申すやう、「如何に、なう、鎌田殿。この間の御疲れ、思ひ遣られて痛しう候。子どもあまた候ひぬ。庄司もかくて候へば、何かは苦しく候べき。只うち解けて御遊びあれ。かいのみにとつては、山田郷と申して、三百町の処の候を、鎌田殿に奉る。庄司も三度賜はるなり。御身も三度参れ。」とて、婿の鎌田に思ひ差す。さる間、正清、舅の呑うだる盃に、所領を添へて得さする上、いづくに心の置かるべき。差し受け差し受け呑む程に、微塵積もりて山と成り、砂長じて岩と成る。盃の数も重なれば、弓手の座敷が妻手へ廻り、妻手の座敷が弓手へ廻つて、天井の大床がひらりくるりと舞ひければ、後ろの障子に寄り添ひて、とろりとろりと眠りけり。
 酌に立つたる友柳、持つたる酒を投げかけ、押し並べてむずと組む。鎌田、元より剛の者、「察したり。」と言ふままに、友柳が髻を取つて、膝の下に引つ敷いたり。長田、これを見て、居たる所をづんど立つて、鎌田が髻を取つて、後へ「えい。」とおりつくる。鎌田、これを見て、「情けなし、長田。さやうにはせらるまじい。」と、長田を掻い掴んで、取つて引き寄せたりけれども、いかがは以て逃すべき。隠し置きし兵が、隙をあらせず折り合ひて、一刀づつと思へども、十三刀刺されて、樊噲と勇む正清も、弱々と成つて、かつぱと伏す。あら、無残や。
 正清、最後の言葉ぞ哀れなる。「されば、弓取の持つまじきものは、国を隔つる妻女なり。親の起こす謀反を、などかは知らであるべきぞ。たとひ縁こそ尽くるとも、二人の若があるなれば、など最後をば知らせぬぞや。『七の子は成すとも、女に心許すな。』と、申し伝へて候。『妻子珍宝及王位、臨命終時不随者。』げに思へば仇なり。子は三界の首枷とは、今こそ思ひ知られたれ。三界の首枷と、煩悩の絆に引かれつつ、不覚の死をするものかな。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。」と、これを最後の言葉にて、朝の露と消えにけり。正清の最後の体、推し量られて哀れなり。さすがに長田も不憫に思ひ、「夜明けて頸を取らん。」とて、空しき死骸に衣引き覆ひ、各々、鳴りをぞ静めける。
 ああら、いたはしや。廊の御方、これをば夢にも知らず。「小夜更け、人も静まり、兄弟の人々も、皆々帰らせ給ふが。不思議や、夫の正清は、何とてか遅く見えさせ給ふらん。」と、薄衣取つて髪にかけ、東廊廻り、孫廂を通る時、人に忍うだる声にて、「鎌田殿やまします。正清。」と呼びけれど、宵に討たれたる事なれば、夜更けて呼ぶに、音もせず。四間の出居を見てあれば、灯、少しかき立て、辺りに人一人、衣引きかつぎ、臥してあり。討たれたるとは思ひも寄らず、「酔ひ伏したるぞ。」と思ひ、するすると寄つて、「なう、御身は鎌田殿にてましますか。さやうに酒に酔ひ給ひては、自然、我が君の御前に、何として立たせ給ふべき。起きさせ給へ。」と言ふままに、衣引きのけて見てあれば、紅に身をぞ染めにける。
 余りの事の悲しさに、死骸にがばとうちかかり、暫し消え入り給ひけり。少し心を取り直し、「さこそ最後にみづからを、恨みさせ給ひつらん。夢にもみづから知らぬなり。我をば誰に預け置き、捨ててはいづくへ行くやらん。我をも連れて行けや。」とて、最後に抜かぬ刀を抜き、既に自害と見えけるが、「待て暫し、我が心。明日にも成るならば、無残や、二人の若どもは、父母が行方を知らずして、『父よ、母よ。』と呼ぶならば、邪慳の祖父、伯父にて、鵜鷹の餌を撃つやうに、打たせ給はん無残さよ。同じ道に。」と思ひ切り、又、廊の屋に立ち帰り、二人の若を見給へば、兄が手をば弟にかけ、弟が手をば兄にかけ、余念もなうて臥しにけり。廊の御方は御覧じて、二人の若をかき抱き、父正清の臥したりし、前後にとうど下ろし置き、「いかに、二人の若どもよ。祖父、伯父御の仕業を見よ。情なの事や。」とて、流涕、焦がれ泣き給へば、二人の若も諸共に、伏し沈みてぞ泣きにける。
 さてあるべきにてあらざれば、「いかに聞くか、兄弟よ。かく恨めしき浮世に、長らへてあらんより、父諸共にうち連れて、閻魔の庁にて母を待てよ。」と語りつつ、兄弥陀石を引き寄せて、弓手の肱のかかりを、二刀害して押し臥する。弟がこれを見て、「あら、恐ろしの母上や。我をば許し給へ。」とて、居たる所をづんど立ち、さらばよそへも行かずして、殺すべき母にすがりつく。いとど心は消ゆれども、眼を塞ぎ、思ひ切り、心もとを一刀。「あつ。」とばかりを最後にて、兄弟の若どもを、三刀に害しつつ、我が身は肌の守りより、呪遍の珠数を取り出し、西に向かつて手を合はせ、「いとどだに、『女は五障三従に選まれて、罪の深い。』と承る。弓箭にかかるみづからを、助け給へや、神仏。南無阿弥陀仏。」を最後にて、刀を口にくはへつつ、鎌田の死骸にうちかかり、朝の露と消えにけり。廊の御方の最後の体、哀れと言ふも余りあり。
 あら、いたはしや。母上、これをば夢にも知ろし召されず、「鎌田、討たれぬる。」と聞こし召し、「さこそ廊の御方が歎くらん。弔はばや。」と思し召し、廊の屋に立ち寄り、呼べど、応ふる者も無し。「さては、鎌田討たれぬる所にあるぞ。」と思し召し、四間の出居を見給へば、廊の御方、二人の若。皆々、朱に染み、同じ枕に臥してあり。母、この由を御覧じて、「なう、これは夢かや、うつつかや。さりながら、道理なり、理や。何に命の惜しからん。子よりも孫は愛ほしきに、花のやうなる若どもを先に立て、齢傾くみづからが、一人、後に残りなば、深山隠れの遅桜、梢の花は散り果てて、下枝に一房残りて、嵐を待つに似たるべし。我をも連れて行けや。」とて、母も自害を遂げ給ふ。平治二年正月の、二日の夜の事なるに、鎌田を始め、父子五人、水の泡とぞ消えにける。
 天明けければ、長田、「鎌田が首を取らん。」とて、四間の出居を見てあれば、我が女房を先として、皆々、朱に染み、同じ枕に臥してあり。さしも情けなき長田とは申せども、心弱り、「遁世するか、腹を切るか。いかがはせん。」と思ふが、「いやいや、身より出せる罪なれば、誰を指してか恨みん。」と、心に内に存ずれば、「ああら、果報なの者どもが成りたる有様や。長田が世に出るならば、果報の妻女はいか程もあるべきに。南無三宝、阿弥陀仏。」と、偏執の念仏を申し、鎌田が首を取つたるは、とかう申すに及ばれず。その後、義朝の御前に参り、「今日は、三ヶ日の御嘉例、八幡宮へ御社参あるべく候。田上の湯殿と申して、子細なき所の候へば、御出あつて御行水。」と申す。義朝、聞こし召されて、「先祖の郎等ならずは、誰かかやう振舞ふべき。かまへて長田、弓箭の冥加、七代まで安穏なれや。」と宣ひて、御重代の御剣、御腰の物、長田に預け給ふは、御運の尽くる処なり。かくて義朝、湯殿の内へ入り給ふ。
 宵より定めし事なれば、都合二百余騎にて、湯殿を二重三重に押つ取り巻いて、鬨をどつと上ぐる。義朝、聞こし召されて、「心変はりか、長田。」「さん候。都より討手の参りて候に、御自害あれ。」と申す。義朝、聞こし召されて、「長田が事は、かねてより思ひ設けつる事。情け無し、鎌田。たとひ舅と一所に成り、我に替はるとも、三代相恩の主に、など最後をば知らせぬぞや。いかに、えい、長田。刀参らせよ。自害せん。」「承る。」と申して、刀に鎌田が首を添へ、湯殿の内へ参らせ上ぐる。義朝、鎌田が首を御膝の上にかき載せ給ひて、「ああら、はかなの只今の恨み事や。我より先に立ちけるぞや。死出の山にて待てよ。えい、三途の川で追ひつかん。」
 腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心元に刺し立てて、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、四方の壁に投げつけ、湯船にて御手を濯ぎ、西に向つて手を合はせ、「何とて義朝、死なれぬぞ。さる事ありや、父為義、天台山月輪の御坊に、深く忍びておはせしを、たばかり出し申して、御首を斬り申すその因果、忽ち報うて死なれぬ事は、口惜し。いかに、えい、長田。急ぎ参りて頸を取れ。」長田、左右なく参り得ず、長刀にて刺し参らせ、おづおづ御首賜はり、知多の郡で討たれ給ふ。只、人間の因果は、巡るに速きものであり。かくて長田は、義朝の御首をも易々と賜はりぬ。今は、金王が首を、「遅し。」と待つる。
 さても金王は、内海の沖にありけるが、例ならず胸騒ぎしきりなれば、「何事か君にましますらんと、心元なく存ずれば、舟を寄せよ。」と下知をする。「力及ばぬ次第。」とて、左右なう舟を差し寄する。金王、ゆらりと飛んで下り、「暇申して、面々。」とて、五十町の所なるを、もみにもうでぞ走りける。ここに、鎌田が召し使ひし下女一人、走り向ひ、「なう、御身はいづくへ行きてましますぞ。鎌田殿は夕、討たれ給ひぬ。君は只今、たかみの湯殿にて、御腹召され候ひぬ。今は、御身の頸を、遅しと待たせ給ふに、いづくへも一まづ忍ばせ給へ。」と申す。金王、聞きあへず、涙をはらはらと流し、「さばかり某が申しつる事を御承引なくして、討たれさせ給ひて候や。さては鎌田は、御心変はりをば申さざりけるや。あう、尤もかうこそあるべけれ。定めて長田は、我が舘には、よもあらじ。君の御最後所、田上の湯にぞあるらん。某が討たれん事を、一定と心得、うち解けたらん所へつゝと行き、長田が首を打ち落とし、御孝養に報ぜん。」と、心の内に存ずれば、田上を心がけて、ゆらりゆらり上がりけり。
 長田、これを見て、「すはや。金王が内海にて討ち洩らされ、これまで来つたるは。余すな、洩らすな。」とて、真中に取り籠むる。金王、これを見て、「面白し、長田。そなたは猛勢なり。我は只一人。参り候。」と言ふままに、大勢の中へ割つて入り、散々に切つたりけり。さる間、長田、叶ふべきやうあらざれば、我が舘を指いて、もみにもうで逃げにけり。金王、これを見て、「いづくまで。」と言ふままに、長田を目にかけて走りけり。さる間、長田、我が舘へつゝと入り、堀の橋を引いて、四方の城戸をちやうと打つ。金王、これを見て、「あら、物々し。螻蛄の猛り。」と言ふままに、三重の堀をば、ひらりひらりと跳ね越して、八尺築地のありけるに、手を懸くるこそ遅かりけれ、懸けず、ゆらりと跳ね越へ、中門、面廊、遠侍、長田を追うて走りしは、あら、鷹が、鳥屋をくぐつて雉子を追ふが如くなり。
 さる間、長田、妻戸よりもつつと抜け、行方知らず成りにけり。金王、これを見て、「力及ばぬ次第。」とて、又、取つて返して、大勢の中へ割つて入り、西東、北南、蜘蛛手、角縄、十文字、八花形といふものに、散々に切つたりけり。手元に進む兵を五十三騎切り伏せ、大勢手を負はせ、東西へぱつと追つ散らし、海の渡りを左右無くし、都を指いて上りける。金王が心中をば、貴賤上下押しなべ、感ぜぬ人はなかりけり。

    元和第四暦戊午孟秋吉日

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