築嶋
(大頭左兵衛本)
中昔の事かとよ。其比平家の大将をば。あきのかみ清盛と申奉る。御出家あつて浄戒とこそ申けれ。有時一門連坐のざしきにての給ひけるは。夫人の世にあるしるしには。大願をおこし。或は国をあらためりさむくわうやを名所となし。たみすなをなるまつりことを末代のかたみとする也。天下のしきししきやうを。わがまゝ。ふるまふといへと。平安城のこうりうは浄戒がわざならす。然にかの平の京は。さしやうりううびやつこ。せむしゆしやくごげむむ。しゞん相応の地をしめし。北にはたゝすあむはじ。きぶねのおくよりながれ出る水のゆくゑを白川や。東山に三井寺。しゝの谷のみねつゞき。きもむにひゑい山。伝教大師のさうさうたり。南に男山岩清水と名付。和光のかけ曇なくはくわうほうそをしゆごし給ふ。西山のふもとに。松尾と法輪寺。亀山のおくよりながれ出る清瀧を。大井川と名付。末をばかつら川といふ。仁わ寺おむろ広龍寺。仏法ごしの此京にてたえする事あるまじい。つらつら物をあむずるに。なむばの四天王寺とならの京もたえせず。たとへば九條にたらずとも。末代のかたみに。新京をたてゝ見ばやとて。遠き国の。さしづまてくはしく見るに。地ぎやうなし。さてのみやまむ無念さに。兵庫の浦をわつて見るに。わづか五條の所也。これならて然るべき地形もさらにあらされば。所詮これを福原の新京と名付。さと大りをざうしんせん。此京はむじやうするならば。浄戒かなき跡のかたみと人もおもへかし。あきのいつく嶋をも此儀をもつてざうしんす。人々とこそ仰けれ。御一門の人々。此儀尤然へう候とて。皆々兵庫にくだり。里だいりをたて。福原の新京と名付。かくて爰にすませ給ふ。時の御しうと平大納言時忠。すゝみ出て申さるゝ。あはれおなじう候はゝ。あのじうかいをうめさせ。舟のとまりになすならば。本朝にか程の名所あらじと申されたり。浄戒聞しめされて。それこそ何よりも聞かまほしき事ざうよ。四国西国の舟どもか着ならば。いよいよふつきたるべし。すまいたやどはとをあさ。一の谷はあらいそにて。和田のみさきへよるふねの。いそまて着事なき間。江嶋かいそよりふくかせに。はつそむずるとてかなしめは。此京たてても曲もなし。とても一期の大願に。和田のみさきをすぢかひに。たつみむきに海上を。三町ばかりうめさせ其嶋の上に在家をたて。ふねのとまりとなすならば。すせむそうのふねつくとも。風の難にはあふまじい。但はるかの深淵を。うめむずる事どもこそ。計かたふは候へども。民をはこくむまつり事。龍神も仏神もなとかあはれみなかるへき。五條の大納言国綱のきやうはおはせぬか。御み奉行して嶋つかせられ候へ。国綱のきやう承り。かやうに申せば仰の旨をそむき申に候へども。去ためしの候。せうへいにまさかどは。坂東八ヶ国をたいらけ。しもおさの国さうまの郡に京をたて。まつりことをなし給へど。こよみのはかせかなくして。年の堺をしらされば。五節のいはひもさためえず。程なく運命つきはてぬ。是は末代まても。めてたかるへき御願なれは。はかせをめされ候て。くはしき事の子細をも。おたつねあれと申されたり。浄戒聞しめし。去事ありとの給ひて。せいめいがなかれ。あべのやすちかやすのりに三代のけうい。やすうぢと申て。天下のきつけう世をはかるはかせをいそきめされけり。やすうちやかてまいらるゝ。浄戒御覧して。今にはしめぬやすうちかうらかたに不審はよもさうし。和田のみさきをすちかひに。たつみむきに海上を。三町はかりうめさせて其嶋の上に在家をたて。ふねのとまりにせさせむと近日におもひたちぬるか。成就すべきかいかゝさう。うらかたかむがへ吉日とつて。嶋成就のきせいを。めうのかこに任せてたへ。やすうちとこそ仰けれ。やすうち承てもとよりうらは上手。うち聞所の四かむきやく。五きやうさうそくのうおむたう。しゆくやう十二たう。六みやうたいゆうさむじゆつまてわうさうをきはめてかむかふるに。あやまる所はなけれとも。うらにひとつの不審が候嶋をつかせて御覧せよ。一度に此嶋成就せし。事の体にりをうけ。うらなひ申候はん吉日は三月十八日。吉時はたつの一天と。うらなひ定申。浄戒聞しめし。さらば国綱奉行をせよ。承ると申て。大和山城伊賀伊勢はりまつのくにたむは。七ヶ国の人夫をもつて。むこ山しうち山の。岩かむせきをくわつくわつとひつくつして。和田のみさきへはこはせけり。あしたうめける大物は。みつ塩はやくてさしのくる。岩をかさね人夫をまし。よひにうめける大物は。あかつき引しほはやくして。おきへはつとひいてはいて。うむれはさつとゆりくつす。大もつ大石かすしらすろうきかいさこのたうには。おもはゝたよりもありぬへし。五万人の人夫をもつて十日はかりはうめけれとも。少しもしるしの見えさるは龍神なうしうなきやらんさていかゝはせむとの御諚也。浄戒大きに御腹をたてさせ給ひ。やすうちをめされ。なむちはなにとうらなひけるそ。さらに此嶋成就せす。すひれむを入て見せてあれは。うむへき所に石もなく。よしなきかたにちりゐ。さすが底になみもなく。しつかなるよしを申すか。いかやうの子細にかやうにはあるらん。さてのみやまむ無念さよ。いかゝはせむとの御諚なり。やすうち承てさうなく不審をひらきえす。しはらくあつて申けるは。けに世にすむならひは大事にて候。うらのまゝ申せはわかみのあた。申さねはてむしのいをくたす。りやうやうちうくわのみたるへし。それ人間にかぎらす。生を請ぬるたぐゐの命に過たるたからはなし。されば仏のいましめに。五百戒の其中に。せつしやうかいを。第一にたもてとけうけし給へり。此大願にとか御座有へし。これはひとへに安氏か。ごうとなりなん事こそ何よりもつてくちおしう候へ。それをいかにと申に。人柱を御たてなくしては此嶋成就有まじいと。うらの面に見えて候。ゆゝしきざいごうこれなるべし。一人ならす二人ならす。三拾人の人柱がたつへきなりと申。浄戒聞しめされて。もたせ給へる御扇にてたゝみの面をちやうとうつて。此事ひろうあるべからす。何としても此嶋の。成就すべき事さいはいなれ。だうたうをたつるにも。一旦国のゆるぎ。たみの心をなやませば。ぜむもあくをさきとせり。それ善悪の二法といつは。裏と面のごとし。今此嶋の人柱に。たちなむ者もかならず。くわこのしゆくえむなくしては。いつかにおもふとよもとられし。さりなから人柱を。一度にとらばあらはれて。路次をとゝめてあしかりなむ。時々とれとの御諚にて。いくたこやのゝあたりに。いかにも人をかくしをき。京よりも下る人はじめて京へのぼるもの。ちうにてとつてをし籠て。声ばしたつなと。いましめて。こくぢやうするそむさんなる。さこそ旧里の恋しさを。おもひやるこそ哀なれ。とられぬる者ともか。かくあるへしと期したらは。老たる親に暇乞。なこりおしきさいしにも。かたみをとらせて行末の。過はつへき事のはをなとかはかたりをかざらん。たゝかりそめの事なれば。けふよあすよと待くらし。風のそよとふかむにも。すはやとおもはん心さし。いつをたのみにまつかね山。むなしく月日ををくら山。ゆくゑをしらねばよもたつねじ。わがみのきえん命より。まつよひむなしきふるさとを。おもひやるこそあはれなれと。籠のとほそにとりついて。かなしみあへる。あり様を見るになみたもせきあへす。一人二人の事ならす。廿余人取ぬれは。いく田こやのゝ辺にこそ。へむげのものが住やらん。みちゆき人を中にてとつてゆき方しらずと風聞すれ。おやをとらるゝものもあり。一人もちたる子をとられ。きえむとかなしむものもあり。丹波はりまいかいせ。近国他国の者ともか。いく田のあたりにみちみちて。たとひまえんのものかきて。わかちゝわか子をとりたりとも。せめてしかいを見せてたへ。いつ比か此野辺に。旅人うせて候と。たつねかねたるありさまはのがひのうしの。暮ことに子をたつぬるかことく也。かくする程にかへにみゝ。岩のものいふ世のならひ。兵庫の浦の人柱にことことくめされぬるとそきこえける。とられぬるものともの。さいししたしきもの共か。さと内裏にまいり庭上にひれふし。これは但波のわたのもの。これははりまのあかしのもの。これはきむやかたのゝもの。あるひはいかいせ。都のもの。たすけ給へと声々に。かなしみあへるありさまはめいとにおもむくさい人の。ゑむまほうわうくしやう人。みやうくわむたちの。しやはにてのつみを。かゝみにうつされこくそつの手にわたる時。六道のうけの地蔵尊。たすけ給へと声々に。かなしみ給ふもかくやらん。生死無常の憂世の中。げむせもめいどに。たがはすと余所の。たもともぬれぬへし。御一門の人々。此よしを御覧じて。たとへば此嶋なくとても。何にふそくの御座あるべき。しづむものこるもをしなへて。一かたならぬしうたむども。未来のごうとならせ給ふべし。今はさてのみ御座あれかしと。各申されたりければ。浄戒聞しめされて。何とざう一門の人々。たまたま浄戒かおもひたちぬる大願を。さまたげむとのせむぎざうや。浄戒もさほどのみちにまよふべきに候はす。夫まかた国のあじやせ王は。ぶつしやう国の将軍にうたれさせ給ふ。かいにち大王は。八万四千のきさきをころす。一しやうたいしは。りうじゆほさつの命をとる神通第一のもくれむは。ちくぢやうげだうにうたれ給ふ。むじやうの国。のほり給へるしやくそむだにも。だいばだつたに。みあしをうたれ給ふこれおむぞうゑくの法也。いはむや末世の人間におひておや。善悪ふたつのきなくして。成就する事あるべからす国綱のきやうはおはせぬか庭上にひれふすやつばらを。門よりそとへおひ出し。ぢやうをつよくさいてをけ。左右なく人を入るなと内心に腹はたゝねども。あるゝけしきを見せむがため。御ざしきをおたちあり。板あららかにふみならし。此嶋むやくとおぼさむずる。御内とざまの人々。御出仕はかなふまじ。浄戒けうくむせむものは。あめか下におぼえずと。あひのしやうじをはたとたて。簾中ふかく入給へば。御一門の人々。此よしを御覧じて。やくじむてむまがきたつても。此人なだむる事あらじ。三十人の人柱を。中々いそぎそろへよとて。しのびしのびにとらすれば。廿九人ぞとつたりける。今一人とらんずる。国とも平安ならざれば。みちゆき人もとゝまつて辺路遠路の旅まても。おぢおのゝいてとをらす。一人となつて日を送るあつはれ国土の煩やあふさながらたみのなげきなり。爰に諸国をめぐる修行者一人。兵庫の浦をとをりけり。とりての人数これを見て。こゝをとをるは修行者の身なれども。人待かぬるおりふし。とをりあふこそさいわいなれ。かれを人数にせむとて。くびにかけたるかさもぎ捨やがて人数とそなしにける。かくて三十人の人柱の。おもひはいづれもおとらねとも。とり分この修行者の。ゆらひをくはしくたづぬるに。たとへば津の国。なには入江のみつまつに。刑阝左衛門国はると申せし人にて候が。四十のゐんに入まて子のなき事をかなしみ。くらまのたもむにまいり申子をこそし給ひけれ。国春卅二妻女廿八と申八月に。ゆうなる姫をまふくる。時しも十五夜のくまなき月のさよなかに。生れぬる姫なればとて名月女と名付。かむか本朝にもためしなふこそかしづきけれ。其心中はくわう女にてゑむてんたりしさうかは。遠山の月に相同し。霞の中の。山さくら。匂ひあくまてみにあまり。人にまみゆる其すがた。池のはちすのあさ露にかたふくふぜひもかくやらむ。姫のすかたを見聞人。をよぶもをよばさりけるも。のぞみはおほくありけれと。ませの内の八重ぎくの。つゝめど色のます風情。りやうしやうするかた。あらずして十三のくれまてひとりすむ。十四と申花の春。父にも母にもしのび。めのとの女房ばかり引ぐして。あしやの野辺にたちいてちぐさの花をながめてあそぶ。爰にひとつの物語あり。丹波の国をがわの庄のせと申所はおむろの御領なりけり。かの所のあづかせをば。仁和寺の蔵人かねうぢとこそ申けれ。其人の子に藤兵衛家包とて。其比十九に成けるか。詩哥管絃の道にちやうじ。情も人にすぐれたりしが。河内の国きむやに所領あるによつて。十日計きむやにありしが。これもつれつれさのまゝ。あしやの野辺にたち出て鶉がりをぞしたりける。家包何となく姫のすかたを見付。うつろひやすき紫の。色ぞめぬるこそよしなけれ。声たつほどにおもへども。おもひの外にあらはれてはあしかりなむとおもひ。供の者をばはるはるとしのばせ。わがみは一村すゝきの候ひけるにやすらひ立て。姫のすがたを心しづかに見奉るに。夕日西にかたふき給へば。姫は家ぢにかへらんとて。駒つなぎの一ふさもえ出たるをとりもちて。春はまづ。駒つなぎにそわかばさす。ふるはの色も。見えわかはこそ。くさむらにしのふ家かぬが。しのふ心のつゝみかねて。春の野に。主も見えざるはなれ駒。くものゐにてもつなきとめはや。かやうに詠してあらはれ出る。名月は御覧じて。あらはづかしや此野辺に。人あるべしともしらずして。くちずさみけむかなしやと。おぼしめされける間。おもひの色も青柳の。いとはつかしげなる御ありさまは。露にしほるゝ花かとよ。めのともさそはてふり捨て。閙げにてかへるさは。嵐にたぐふ落花の。ふけゆく風情もかくやらん。家かぬいとゞ心あこかれて。ふうふ和合の情はわたくしならぬ事。四十のうちのあいしやうも。いづもぢの神のむすびなり。虎ふすのへをふみならし。くさむらにきえむも此みち也。いせ物語けむじにも。かやうの事をこそつたえて候へ。たとへばそつじの儀なりとも。風の便になびけてたべ。御供の人といひ捨て。いそきおつつき候ひて。らうぜきながら御供を。申へきにて候とて。とつて馬にうちのせ申。めのともともに引ぐしてたむばののせにぞかへりける。あらいたはしや二人の人々は。ふるさとしのぶは中々に朝夕隙なくおもへども。めのとはおそれて音信せず。名月はちゝはゝのふけうをいたく憚て。明ぬ暮ぬとせしほどに三とせになるは程もなし。国春ふうふのなげきは申計もなかりけり。人の子の其中に。あしきわが子をばなをしふひむにおもふならひ。いはむやこれは仏神に。きせい申て唯一人。持たる姫にてあるあひた世にたぐひなふかしづきしを。ゆき方しらす。うしなひてなげくおもひはいかはかり。いたはしや母ごせむは。三年と申秋の霜おもひにきえぞはてにける。刑阝のぜう国春は。一かたならぬ。おもひどもに妻女のかたみをとりあつめ。高野のみねに上りつゝ。おくのゐむにてもとひきり。妻女のかたみをこめをきて。姫がゆくゑをたづねむとて。高野の嶺を。下向して先三熊野にまいらるゝ。三のお山をふしおがみ。たづね給へとゆきかたなし。だうしやふねにびむぜんし。四国にわたりてたづぬれとも。其ゆきがたのあらざれば。又ふねに便船し。はりまのむろにあかりつゝ。都の方のゆかしさに。明ぬくれぬとのほるとて。兵庫の浦をとをりけるが。とりての人数にゆきあひて。をさへてとられて籠者となるとにもかくにも。国春のうむのきはとぞ聞えける。かくて此嶋は。三月十八日のたつの一天とさだまりけれども。人柱のわづらひによつて。卯月も過て雨月になる。卯月さつきはよき日もなしとて。六月廿三日の午刻にぞさだまりける。とられぬるものどもが。とてもたすかるべき命にてもあらず。はやしてうみにいれられて。みくずとなつてきえばやと思ひ切こそ哀なれ。中にも国春の思ひぞいとゝ哀成。角有べしと期たらば。高野のみねにて露とも霜ともきゆべき物を。憂世にもしもなからへば。姫が行衛やきくとおもひ。かゝる修行におもひたつて今更うき目を見る事よ。かほとにうすき縁ならば。何しに生れ来りけむ。うらめしのちきりやとて。おや子のちぎりをば今更うらみ給ひけり。か様に恨給ひけむ。おもひの念やつうじけむ。又神のめぐみにてや候ひけむ。丹波ののせにおはします。名月女の御方へふしぎのたよりぞ候ひける。其故いかにとたづぬるに。たとへば津の国。わたなへちかきかむざきに。くづわのしやうじ長清と申人の子に。こむどうじ重友とて候ひけるが。これも国春の姫のすがたを見付。よりより心をつくせしに。おもひの外にかの姫のうせぬるよしをつたえ聞。世をあぢきなくおもひ切てやがて遁世し。諸国を修行仕るとて。丹波ののせにつく。名月女のましますとは夢にもおもひよらず。家かぬが門ぐわひにたゝずむて。袖の上の時れうを所望してやすらふが。さもあれ国春禅門が。兵庫のうらの人柱にとられぬるよとあさましくて。何となく一首の哥をぞ詠しける。憂世ぞとおもひ捨ても一筋に。人の上にもうき事ぞきく。かやうに詠じて休らひけり。折節名月は物ごしちかく御坐ありけるか。今の哥を聞からに。何とやらん胸うちさはぎ。人を出して修行者は。いつくの人ぞととはすれば。修行者承はり。かくあさましきみにて。世にありがほにふるさとを申べきにて候はねども。又つゝみてもなにかせむ。是はつの国かむざきのものにて候と申。めのとも名月もかむざきのものと聞からに。ふきくる風もなつかしくて。しやうじの隙より見出せば。年にもたらぬ修行者なり。なふ修行者。いぜむのあらましに憂世ぞとおもひ捨ても一すぢに。人の上にもうき事ぞきくと。くちすさみ給ふは。さて世には何事さふらふぞ。修行者承り。人の上と申も此ほつしむの由来也。なにをかつゝみ申べき。たとへばつの国なには入江のみつまつに。刑阝左衛門国春と申せし人の候ひしが。一人の姫を持。たまのすがたをみにまとひ。情のふかき心ざしは。やうきひりふじんにもあひおとらじと聞えしが。住吉まふでの有し時。そつと見しより。しづ心なき恋となつてよりより心をつくせしに。おもひの外にかの姫の。うせぬるよしをつたえきゝ。世をあぢきなくおもひ切てやがて遁世し。諸国を修行仕るが。此四五日さきに。あき人のたよりにふるさとの事をたづねて候へば。名月女の母は去年の秋むなしくならせ給ひぬ。父国春は高野の嶺にて遁世し。諸国を修行仕るとて。兵庫の浦の人柱にとられ。六月廿三日にしづめらるべきよしをつたえきゝ。ゆかりし人のゆくゑさへ。かく成行よとあさましくて。何となくこしおれをつらねぬると申。名月は聞召。夢かとおもへばうつゝ。うつゝかとおもへば誠しからす。重ていかにとたづねさせ給へば。なふさのみにとはせ給ひそとよ。憂身のかやうになる事も。その姫ゆへの事なれば。何はにつけて恨みのかず。なみたならてはともゝなし。余所の見る目も。はつかしやとたもとをかほにをしあつる。名月は聞しめし。去事のありしぞや。住吉まふでのありし時。こしのさきにたまつさを引むすびておとせしを。供の下女がひろひとつてみづからに見よといふ。何なるらんと見てあれば。おもひもよらぬ花を見て。露ときえなむかなしさよ。もし此風のたよりを不便におぼしめされ。御返事ましまさば。かむさきに聞えたるしやかだうの鐘のをに。むすひてたべとかきとゝめ。おくに一首の哥をかく。しらせても。しるしなくては杉の門。明ぬ暮ぬといかで待なむ。と。書きとめたりし水ぐきを。たゝ大方におもひなし捨たりし事のありしそや。われをしのふの恋ころもいまきて見るそよしなき。われゆへかやうになる人ならすは。唯今もたち出て。ちゝはゝの御事を。とはまほしくはおもへとも。われゆへか様になるといへば。さすがかふともいはしろのまつことのはもかきくれて。おつるなみたのひまよりも。めのとはなきか修行者に。時れうたてまつれやとて。簾中ふかく入給ひ絹引かつき。たをれふしりうていこかれ給ひけり。其比丹波の国へは。都より本家の一族下向あつて。三日のかりくらあり。国にありあふ弓取たちみなかりくらにいてらるゝ。家かぬもおなしくまかり出る。かゝる他行の隙なりしに。父の御事聞召。あるにあられぬ御ありさま中々申計なし。めのとの女房をちかづけ。此人かへらせ給ひては。いかにおもふとかなふまし。すこしもいそきゆき。父のいのちにかはるへしと。めのとの女房ばかり引具し。人目をつゝむ事なれば。夜半にまぎれてたゝ二人。丹波ののせをたち出て。あしにまかせてたどりゆく。かのみくさ山と申は。木こりのかよふ道おほし。かなたこなたとふみまよひ。とある木かけに。たち寄て一夜を明し給ひけり。うくてもはてぬ夜半なれば。月西山にかたふき。ほのほのとあかしがたなる早天に。やうやう木陰をたち出る。末の松山恋の森。心ばかりはいそげとも。ゆくみちさらに見もわかず。日輪出させ給ふをこそひかしとはかりはわきまゆれ。西北にまよへと。何とてか南へみちのなかるらん。かくて二人の人々は。其主しらぬ玉づさのふみまよひゆく折節。おのまさかり持たりし山人壱人ゆきあふたり。此山人が見まいらせ。あらふしきや。あき待かぬる萩の花。ききやうかるかやをみなへし。露おもけにてくねるかや。時雨にそむるもみちばと。ませの内の八重ぎくにあひまがひぬる女房の。やかむのおそれもはゞからて。袖しほりたるたちすかた。人倫まれなる深山に。なにをしるへのたよりにか。かやうにたち出給ふらんと。あやしめ申てたつ程に。とがめもとひもせられすして。たかひにやすらふばかりなりいや。こらうのへむけかあやしと山人の。おもふも理なり。めのとの女房是を見て。心ありげなる山人なれば。少偽兵庫へのみちの案内をもとはばやとおもひ。いかに是成山人にたづね申べき事のさふらふ。わらはと申は当国はつかの郡のものにて候が。これなる上らふ様のちゝごは。兵庫の浦のつきじまの。ぶぎやうにたゝせ給ひて。さらに隙なくおはします。はゝごは継母にてましませは。事の外にくませ給ひ。父子帰らせ給はぬ先に。あらざる事を申付。うしなふべしとのたくみのさふらふ程に。みづから余のいたはしさに。夜半にまぎれて御供し。是まてまよひさふらへとも。ゆくゑをしらて。たゝすむなり。野にも山にもしるべぐさ。兵庫の浦へ。案内ををしへ給へや山人よ。此山人が承り。さらばとくにも此道を。かくとは仰もなくて。こなたへ御出候へとて。谷川を渡りそはをゆく。めのとも名月も。たがいにたもとをとりかはし。くさばくさばをわけてゆき。たかき所へあがつて。是はいにしへ兵庫へのおひ分と申候を。近年人待がたうげと申ならはす由来の候を。かたつてきかせ申たくは候へども。すこしもさきへといそがせ給ふ上らふたちにてましませば。懇には申さぬ也。あれあれ御覧候へ。西へみちの候はあれはむろたかさごへ下るみち。かまへてそなたへゆかせ給ふな。たつみへすこしゆき。一段たかき所よりひがしの方を御覧せられ候へ。みなと川さいたが下かむとり。雀の松原みかけのもり。雲ゐにさらすぬのひきや。渡辺神崎天皇寺住吉のはまも見えぬへし。西はあかしたかさご。大倉谷といふかた也。南にかすめるなぎさこそ。兵庫の浦にて候へ東西へわかつみちのべの。いかに多く候と。左右へあやぶみましまさて。兵庫の浦を。目にかけてすぐにゆかせ給ふべし。名残おしほの夕日影。これよりお暇申とて山人はみねにとまりけり。めのともしうももろともに。此おそろしき山の内。みちしるへせしうれしさよ。いかさま是は。山人にてよもあらじ。多年たのみをかけ申。くらまの大悲たもむの。山人とげむじ給ふかや。ありかたさよと語つゝ。さしもに物うきみちなれども。此物語になぐさみて。やうやうゆけば。つの国の兵庫につかせ給ひけり。有浦人にゆきあはせ給ひ。人柱のゆくゑをたづねさせ給へば。此浦人が承り。惣じて人柱のゆくゑとて。尋来らんものに。案内をしらせ音信をいはせたらんものを。やがてとつて人柱にたつべしとさだめさせ給ふ上。いかに上らふたちをいたはしくおもひ申せはとて。わがみにかへて申べきか。中々おもひもよらぬ事なりと。語りすてゝぞとをりける。さすがにだうりなりければ。重てたづぬるまでもなく。とある所に宿をとつてむなしく日数をおくられけり。さても丹波の家かぬは。三日のかりくら過。わが宿所にまかりかへる。御内の者はしりむかつて。なふ上さまこそ過し夜。めのとの女房ばかり引ぐして。ゆき方しらずうせさせ給ひて候を。いつかにたづね申せとも。御ゆき方もましまさす。いかゝはせむと申。家包これを聞。ふしぎの事を申者哉と。簾中にたち入見れば。げにげにうせて見え給はす。こはいかにとあさましくて。つねに住給ひし所を見れば。くはしき事を書をき給ふ。なになに今生ならざる花のえむ。かやうにちりかはるべしとは。ゆめゆめおもはさりしに。ちゝはゝきゞの御ゆくゑを。風のたよりに聞ぬれば。みのとがごうもおそろしく。御みのとがもうらめしや。いたはしやはゝごぜむは。こぞのあきむなしくならせ給ひぬ。ちゝ国春は一かたならぬおもひゆへ。諸国を修行めさるとて。兵庫の浦の人柱にとられ。けふともあすとも御最後のさためぬよしと承る。情のえむがつきばこそ。御みのうらみもおはせんめ。すこしもいそぎゆき。ちゝのいのちにかはるべし。みづからなからんその跡に。いかなる花になれ給ふとも。おほしめしわすれすは。ぼだいをとふて。たひ給へかへす。かへすと書とゞむ。家かぬこれを見て。こはいかに兵庫の浦の人柱をば。たゞ大かたにおもひなし。余所のなげきとおもひしに。みの上かゝるわがたもとの。なみたの雨となる事よ。だうりなり理や。去ながらかねては。ひよくれむりとちぎりしに。なと夢計しらせてたばせ給はぬそと。取物を取あへず。駒をはやめてうつほとに。兵庫ひろしと申せとも。けにやつきせぬちきりにや。女房の宿にたづねあひ。うれしといふも。中々に申計はなかりけり。さてちゝごの御事は。いかにととへば。中々音信たにも申さぬなりとこそなげかれたれ。家かぬ是を聞。御心安くおぼしめせ。此嶋と申は。五條の大納言国つなのきやうの。一円御あづかりと承る。国綱のきやうによき内縁をもち申て候。やがて参りて申さむとて。国綱の卿に参り。此よしかくと申ければ。国綱のきやうは聞しめし。めむめむ様の御訴訟を。自余の事にて候はゝ。なにかはそむき申べき。此嶋と申は。わたくしならぬ大願にて。国綱がはからひにては。中々おもひもよらす去なから。明明日はかならす。嶋つかるべき内談あるべし。里内裏に御参あつて。庭中あらば国綱も。心のをよびは申べし。御一門の御ざしきを。うかゞひ給へと仰けれは。家かぬなのめならず悦。わが宿所に罷帰り。夜もすがら出仕の出立つくろひ。明ければ出仕つかまつるとて。女房に語けるは。此事申かなえずは。庭上にて腹切て。めいどゑむまのちやうにて待申さむとかたり捨て。さと内裏にまいり。事の子細をうかゞひ申に。浄戒かねての御諚に。三十人の人柱が。十八人は男にて今十二人は女と聞。おとこ十八人を。おきにしづめ。女十二人は。いそのかたにしづめよ。とりどりのなげきを。わきて見むずる事ともも。中々おもふも不便なるべし一度にばつとしづむべしと。仰出されたりければおもひ切ぬる家かぬもきもたましゐも。みにそはず。今申さではいつの世にか申へきと。ふるへる声をさしあげ。一人ならぬなげきをわきてごむじやうせしむる事。世にもおそれ入たる申條にて候へとも。卅人の人柱のまむずる時めしをかれたる修行じやは。たとへばつの国。なには入江のみつまつに。刑阝左衛門国春と。申者にて候が。去年の秋妻女にはなれ。さやうの心中にてや候ひけむ。高野のみねにて遁世し。諸国を修行仕るとて。御願の人数にめしをかれ。嶋の柱とたちさうべき。かの修行者がむすめは。かう申家かぬめが妻女にて候が。ちゝがわかれをかなしみ。いのちにかはらんと申て。是まてまいりて候へども。さすが女のみにて候程に。おそれをなし庭中申上る事なふて。余になげき候程に。此家かぬめが参り。庭中申上る事のかたじけなきよと申。おそれおのゝくありさまは。水にしたがふ。柳のふししつめるがことく也。浄戒御覧じてやあ。あれは何といへる訴訟ぞや。そうじて人柱のゆくゑとてたつね来らんする者に。あむないをもしらせ音信をいわせたらんものを。やがてとつて人柱にたつべしとさためをきて候に。たがはからひにて是までは参りたるぞ。なんぢもおもふても見よ。三十人の人柱を。壱人あはれみとりかへなば。自余の恨をいかゞせむ。中々おもひもよらぬ事なれども。余になむぢがしやうがいにかへて申所もふびんなるに。明々日を相待よ。卒度見参さすべしとて。御内にいらせ給へば。いへかぬ時の面目ほとこし。我宿所に罷帰。あらめでたや明々日は。かならず国春を給はるべきとの御諚の候と。とにかくになくさむれども名月は。ちゝにもあはで此まゝ。さてのみはてむかなしさよ。父よ父よといひけるを。物によくよくたとふれば。きらう国の。はくとうが山路に捨しちゝをこひ。らうぶらうぶと三度よび。きえ入つらん。ありさまもかくやとおもひしられたり。かくて人柱の吉日吉時にはやなりぬ。卅人のかごをつくらせ。卅人の人柱を。ろうの内よりかごにいれ。舟一そうに一人づゝとぞ定ける。とられぬるものどもの。妻子したしきものどもが。近国他国より来つて。あれはわが子かわかちゝか。あるひは兄弟なむどゝて。たもとにすがりかなしむを。はういち邪見のものゝふとも。心よはくてかなはじと。しもつをあてゝおひのくる。今を最後の事なれば。いひたき事のかずかず。さこそとおもひやらるれど。せめてちかづく事なければ。かさをあげたもとをあけ。あるにあられぬあり様は。目もあてられぬふぜひなり。中にも国春禅門は。自余の人柱にまじはらせず。其故いかにとたづぬるに。家包も去弓取なれば。迚最後の道とおもひ。いかなる所存かたくむべきに。軍兵あまたそへよとて。ろうよりもかごにいれさせ。中にになひて出る。めのとの女房これを見て。只今とをらせ給ふこそ。父国春に。ましませと。申もあへず名月は。かさをかしこにぬぎ捨。諸人の中をわけ入。此かごにすがりつき。なふ名月こそ是まて参て候へ。我もろともにしづまむと。いはむとすればものゝふども。しもつを当ておひのくる。家包其身をはゞからで。や情なしとよものゝふたち。其人一人ばかりをば。御免あるぞといひけれは。時の奉行のかづさのかみ。あらくな申そ其人は。條々そせうのあるかた也。すこしかごをかきすへ。名残おしませ申せ。承ると申て。かごをかしこにかきすゆる。つゐの別とはおもへとも。つかのまの対面。さこそとおもひやられて。中々によろこひのなみたは淵となつて。くかにてしつむ計也。やゝあつて父国春はおつるなみたのひまよりも。げに心ざしのましませばこそ。これまでは尋ねきたり給ふらめ。何とてか人の子の。おやのおもふ心中に相違して有や覧。わこせがおもひふかうして。母は終に死してあり。国春も同じみちへと。千度百度おもひつれども。憂世にもしもながらへば。わごせがゆくゑやきくとおもひ。かゝる修行におもひ立て。今さら憂目を見る事も。ひとへにわごせゆへそとよ。子はたからかかたきかと。善悪ふたつをあむするに。人の子は。たからにてわごせはおやのかたきなり。かくはいふてあれども。ふかき恨はのこらぬぞ。此年月仏神に。きせい申せしりしやうには。いのちの内に見つるこそ。何よりもつてうれしけれ。かやうに小車のめぐり。あふへき道ならば。母もろともにながらへて。見るとだにおもひなば。いかゝはうれしかるへきぞ。但うれしき中にも。かくあさましき最後の体を。あのまれ人に見えぬるこそ。何よりもつてはづかしけれ。よしよしそれも事の縁。姫をおもひ捨たまはすは。見しものと。おほしめし菩提をとふてたび給へ。情なのめのとや。か程にちかきあたりに。住ながらへてあるものが。今まて音信せぬ事の。うらめしさよとありしかば。姫はなみだのひまよりも。御道理にておはします。ゆるさせ給ひさふらへや。みづからともにしづみつゝ。御手をひかへて三津の川。しでの山路をこえ過て。ゑむまのじやうの御供を。申べきにてさふらふぞや。みづからをも此かごに。そへさせ給へ人々とてもたえこがれかなしめは。ちゝもかごの内にして。ないてはくどきうらみてなく。うとうがながす。ちのなみた今こそおもひしられたり。人のなげきもわがおもひも。憂世にすめばおほけれと。かゝるあはれはたぐゐなしと。上下万民。をしなへてあはれととはぬ人そなき。かづさのかみは御覧じて。時刻うつればなけきあり。とつくかゝせよと仰ければ。又ちうにになひていつる。去間浄戒は。和田のみさきの観音だうにて。御見物あるべしとて。御一門三百余人ざゝめきわたつて見えさせ給ふ。扨もはかせのやすうぢは。なぎさにかなしむ有様をみて。是はひとへにやすうぢが。ごうとなりなむ事こそ何よりもつて口惜さよとおもひ。観音堂に参り庭上にかしこまり。あれあれ御覧候へ。諸人のなげきは偏に。あひ大しやうのざい人の。ねつてつのほのほにむせぶ覧もかくやとおもひしられて候。さればけうしゆ尺尊の。なむぎやうくぎやう実相とゝかせ給ひて候を。御思案あるべく候。しやくそむ一代のせつけうの中に。法花経を経王とす。一万部の法花経を書写させられ。三十人の人柱の。名字なのりを書しるし。しづめの石には年号日付。龍神なうじうましませとて。海底にしづむる物ならば。五十てむてむのずいきのくとくには。八十おつこうの生死のつみをめつし。かならず嶋は成就候べし。いかゞと申されたりけれは。浄戒聞しめされて。とかく御返事もなく御まなこのけしきかはりければ。御一門の人々も。はかせのやすうぢもみなせきめむしてこそおはしけれ。さてもたむばの家かぬは。そのおほそれをもはゞからで。女房めのとを引ぐし。観音堂にまいり。庭上にかしこまり。あらお情なや候。たゝおたすけあれと申さむにこそ。にくしとも思しめすべけれ。二人が中に一人。とりかへさせ給はんに。なにゝふそくの御座あるべきそ。然るべくも候はゝ。われわれふうふに国春を。とりかへさせ給へやとて。天にあふぎ地にふし。りうていこがれかなしみけり。浄戒御覧じて。ぶびむとやおぼしけむ。ぎわうをめして仰けるは。人の上にふくかせの。わがみにあたらぬ事やある。いかに心づよくとも。あの女に情をとふてえさせよと仰ければ。ぎわうなのめによろこふて。名月女のそばにゆき。御身のなげきは浄戒も。不便とおぼしめさるゝに。ちかふ御入あつて御申あれとてひつたつる。浄戒御覧じてやう。ちかふきたりて申さずとも。なむぢが訴訟をば聞わけぬるぞ。さらば国春一人は。あの女にとらせよ。のこる廿九人をば。時刻うつればなけきあり。とつくしづめよと仰ければ。のこる人数のなげきは。中々申計もなし。かゝりける所に。浄戒の御内。卅人のわらはの中に。松王こむでいと申て。みめかたちじむじやうなるが。観音だうにまいり。庭上にかしこまり。三十人の人柱を。みなみなたてさせ給ふとも。人のなげきの嶋ならば。成就する事候まし。又おぼしめしたち給ふ。御願をむだにし給ひては。君の御意にもそむくべし。所詮はかせの御申のごとく。一万部の法花経を所写させられ。卅人の代官に。なにかし一人たつならば。末代嶋は成就して。たえする事候まじいと。申こうたる松王は。しやうこも今も。末代もためしすくなき心かな。浄戒不便におほしめし。誠にすいきのなむだをながし。あら不便の物の申事や。さらばはかせともかくも。はからへと仰ければ。はかせなのめによろこふで。いそきはまへ下。先国春を取出し。名月女にたぶ。扨又のこる廿九人をも。皆々取いたし給ひて。ことごとくかへしたびければ。請取請取。はまに出。うれしきにもなみだ。つらきにもなみださきだつ物はなみた也。三十人の人柱。ふじぎの命たすかるは。なには入江の国春の。姫故なりとよろこび。わが国さとにかへつて。あるいは兄弟。孫子ともに。とりつきとりつきよろこぶ事。うらしまがいにしへ。七世の孫にあひぬるもこれにはいかでまさるべき。浄戒よりの御諚にはたむはの家かぬか。しうとかいのちにかはらんと。おもひきるこそやさしけれ。きむやかたののせの庄八百町をとらするしうとを扶持し天下へ。よきにみやづき申せとてくだしたぶこそ目出たけれ。又。吉日をあらため。七月十三日にさためさせ給ひて。一万部の法花経を。洛中洛外の。寺々へ。日記を上て。所写させらるゝ程なく御経いてき。兵庫の浦にまいらする。はかせ御経取あつめ。数の御へいを。きりたてゝ。ふねをしうかめ。うち乗てはるかのおきへをし出し。御経しつめ。御へいをふつて。きやうしやくのつと申さるゝ。誠に松王望申ける間かれ一人ひと柱にたてられけるそ殊勝なる。どくじゆの御経有べしとて。一千余人の。御僧たちを。洛中洛外より請し下し給ひて。なぎさに御経あそはせは大乗ぢくのけちえむの。龍神なうじう。有によつて。嶋は成就する。十四町の所也。きやうの嶋と申て。平相国のこうりうの今にありとぞ見えにける。名月と申もたゝよのつねの人ならす。鞍馬の大悲。たもむの。御はからひによつて。吉祥天女の化心にて。嶋をも成就。人柱をも。たすけむために。名月とげむじ給ふ也。さて松王と申もたゝよのつねの人ならす。大日わうの。化心にて嶋を成就のそのためにたち給ふとそ聞えける。つたえきくいにしへの大せ太子は。辱もによいのたまをとらんとてゑむしのかいをもつて。きよつかいをはかりつくし終に宝珠え給へり。大願としては又終にむなしき事あらしこの浄戒も。末代たみを。あはれみて兵庫に嶋をつき給ふ地蔵さつたの化心しむくせいくわんの御ちかひ。ありがたしとも中々に申計はなかりけり。
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