築島
(大頭左兵衛本)

 中昔の事かとよ。その頃、平家の大将をば、安芸守清盛と申し奉る。御出家あつて、浄海とこそ申しけれ。或る時、一門連坐の座敷にて宣ひけるは、「それ、人の世にあるしるしには、大願を起こし、或いは国を改め、里山、荒野を名所と成し、民素直なる政を、末代の形見とするなり。天下の職事、執行を、我がまま振舞ふといへど、平安城の興立は、浄海が業ならず。しかるに、かの平の京は、左青龍、右白虎、先朱雀、後玄武。四神相応の地を示し、北には糺、鞍馬寺。貴船の奥より流れ出る、水の行方を白川や。東山に三井寺。鹿の谷の峰続き、鬼門に比叡山、伝教大師の草創たり。南に男山。石清水と名付け、和光の影、曇りなく、百王、宝祚を守護し給ふ。西山の麓に松尾と法輪寺。亀山の奥より流れ出る、清瀧を大井川と名付け、末をば桂川と言ふ。仁和寺御室、広龍寺。仏法護持のこの京にて、絶えする事、あるまじい。
 「つらつら物を案ずるに、難波の四天王寺と、奈良の京も絶えせず。たとへば九條に足らずとも、『末代の形見に、新京を建てて見ばや。』とて、遠き国の指図まで、詳しく見るに地形無し。さてのみやまむ無念さに、兵庫の浦を割つて見るに、わづか五條の所なり。これならでしかるべき、地形も更にあらざれば、所詮これを福原の新京と名付け、里内裏を造進せん。この京繁昌するならば、浄海が亡き跡の、形見と人も思へかし。安芸の厳嶋をも、この儀を以て造進す、人々。」とこそ仰せけれ。御一門の人々、「この儀、尤もしかるべう候。」とて、皆々兵庫に下り、里内裏を建て、福原の新京と名付け、かくてここに住ませ給ふ。
 時の御舅、平大納言時忠、進み出て申さるる。「あはれ、同じう候はば、あの入海を埋めさせ、舟の泊りに成すならば、本朝に、か程の名所あらじ。」と申されたり。浄海、聞こし召されて、「それこそ何よりも聞かまほしき事候よ。四国、西国の舟どもが着くならば、いよいよ富貴たるべし。須磨、板宿は遠浅、一の谷は荒磯にて、和田の岬へ寄る舟の、磯まで着く事なき間、江嶋が磯より吹く風に、破損ずるとて悲しめば、この京建てても曲も無し。とても一期の大願に、和田の岬を筋交ひに、辰巳向きに海上を、三町ばかり埋めさせ、その嶋の上に在家を建て、舟の泊りと成すならば、数千艘の舟着くとも、風の難には遭ふまじい。但し遥かの深淵を、埋めんずる事どもこそ、計りがたうは候へども、民を育む政、龍神も仏神も、などか憐れみなかるべき。五條の大納言、国綱の卿はおはせぬか。御身、奉行して、嶋築かせられ候へ。」
 国綱の卿、承り、「かやうに申せば仰せの旨を、背き申すに候へども、さるためしの候。承平に将門は、坂東八ヶ国を平らげ、下総国相馬の郡に京を建て、政を成し給へど、暦の博士が無くして、年の境を知らざれば、五節の祝ひも定め得ず、程なく運命尽き果てぬ。これは末代までも、めでたかるべき御願なれば、博士を召され候て、詳しき事の子細をも、御尋ねあれ。」と申されたり。浄海、聞こし召し、「さる事あり。」と宣ひて、晴明が流れ、安倍の泰親、泰則に三代のけうい、安氏と申して、天下の吉凶、世を計る、博士を急ぎ召されけり。安氏、やがて参らるる。
 浄海、御覧じて、「今に始めぬ安氏が、占形に不審は、よも候じ。和田の岬を筋交ひに、辰巳向きに海上を、三町ばかり埋めさせて、その嶋の上に在家を建て、舟の泊りにせさせむと、近日に思ひ立ちぬるが、成就すべきか。いかが候。占形考へ、吉日取つて、嶋成就の祈誓を、冥の加護に任せて賜べ。安氏。」とこそ仰せけれ。安氏、承つて、元より占は上手。うち聞く所の支干客、五行相即、納音道、宿曜、十二道、六明、体用、算術まで、奥蔵を極めて考ふるに、誤る所はなけれども、「占に一つの不審が候。嶋を築かせて御覧ぜよ。一度にこの嶋、成就せじ。事の体に理を受け、占ひ申し候はん。吉日は三月十八日、吉時は辰の一点。」と、占ひ定め申す。
 浄海、聞こし召し、「さらば国綱、奉行をせよ。」「承る。」と申して、大和、山城、伊賀、伊勢、播磨、津の国、丹波。七ヶ国の人夫を以て、武庫山、塩槌山の岩、岩石を、くわつくわつと引つ崩して、和田の岬へ運ばせけり。朝埋めける大物は、満つ潮速くてさしのくる。岩を重ね、人夫を増し、宵に埋めける大物は、暁引く潮速くして、沖へばつと引いては出、埋むればさつと揺り崩す。大物、大石、数知らず。「螻蟻が砂の塔には、思はば頼りもありぬべし。五万人の人夫を以て、十日ばかりは埋めけれども、少しもしるしの見えざるは、龍神、納受無きやらん。さて、いかがはせむ。」との御諚なり。
 浄海、大きに御腹を立てさせ給ひ、安氏を召され、「汝は、何と占ひけるぞ。更にこの嶋、成就せず。水練を入れて見せてあれば、『埋むべき所に石も無く、由なき方に散りゐ、さすが底に浪も無く、静かなる』由を申すが、いかやうの子細に、かやうにはあるらん。さてのみやまむ無念さよ。いかがはせむ。」との御諚なり。安氏、承つて、左右なく不審を開き得ず。暫くあつて申しけるは、「げに、世に住む習ひは、大事にて候。占のまま申せば、我が身の仇。申さねば、天子の威をくたす。両様、重科の身たるべし。
 「それ、人間に限らず、生を請けぬる類の、命に過ぎたる宝は無し。されば、仏の戒めに、『五百戒のその中に、殺生戒を第一に、保て。』と教化し給へり。この大願に、咎御座あるべし。これはひとへに安氏が、業と成りなん事こそ、何より以て口惜しう候へ。それをいかにと申すに、『人柱を御立てなくしては、この嶋成就あるまじい。』と、占の面に見えて候。ゆゆしき罪業、これなるべし。一人ならず二人ならず、三十人の人柱が、立つべきなり。」と申す。
 浄海、聞こし召されて、持たせ給へる御扇にて、畳の面をちやうど打つて、「この事、披露あるべからず。何としてもこの嶋の、成就すべき事、幸ひなれ。堂塔を建つるにも、一旦、国の揺ぎ、民の心を悩ませば、善も悪を先とせり。それ、善悪の二法といつぱ、裏と表の如し。今この嶋の人柱に、立ちなむ者も必ず、過去の宿縁なくしては、いかに思ふと、よも取られじ。さりながら人柱を、一度に取らば、顕はれて、路次をとどめて悪しかりなむ。時々取れ。」との御諚にて、生田、昆陽野の辺りに、いかにも人を隠し置き、京よりも下る人、初めて京へ上る者、中にて取つて押し籠めて、「声ばし立つな。」と縛めて、獄定するぞ無残なる。
 さこそ旧里の恋しさを、思ひ遣るこそ哀れなれ。取られぬる者どもが、「かくあるべしと期したらば、老いたる親に暇乞ひ、名残惜しき妻子にも、形見を取らせて行く末の、過ぎ果つべき言の葉を、などかは語り置かざらん。只仮初の事なれば、『今日よ、明日よ。』と待ち暮らし、風のそよと吹かむにも、『すはや。』と思はん心ざし、いつを頼みに待兼山、空しく月日を小倉山、行方を知らねば、よも尋ねじ。我が身の消えん命より、待つ宵空しきふるさとを、思ひ遣るこそ哀れなれ。」と、牢のとぼそに取り付いて、悲しみ合へる有様を、見るに涙も堰きあへず。一人二人の事ならず、二十余人取りぬれば、生田、昆陽野の辺にこそ、「変化の者が住むやらん、道行き人を中にて取つて、行き方知らず。」と風聞すれ。親を取らるる者もあり。一人持ちたる子を取られ、「消えむ。」と悲しむ者もあり。丹波、播磨、伊賀、伊勢、近国、他国の者どもが、生田の辺りに満ち満ちて、「たとひ魔縁の者が来て、我が父、我が子を取りたりとも、せめて死骸を見せて賜べ。いつ頃かこの野辺に、旅人失せて候。」と、尋ねかねたる有様は、野飼の牛の暮毎に、子を尋ぬるが如くなり。
 かくする程に、壁に耳、岩の物言ふ世の習ひ、「兵庫の浦の人柱に、悉く召されぬる。」とぞ聞こえける。取られぬる者どもの、妻子、親しき者どもが、里内裏に参り、庭上にひれ伏し、「これは、丹波の和田の者。」「これは、播磨の明石の者。」「これは、禁野交野の者。」或いは伊賀、伊勢、都の者、「助け給へ。」と声々に、悲しみ合へる有様は、冥途に赴く罪人の、閻魔法王、倶生神、冥官達の娑婆にての、罪を鏡に映され、獄卒の手に渡る時、「六道能化の地蔵尊、助け給へ。」と声々に、悲しみ給ふもかくやらん。「生死無常の憂世の中、現世も冥途に違はず。」と、よその袂も濡れぬべし。
 御一門の人々、この由を御覧じて、「たとへばこの嶋なきとても、何に不足の御座あるべき。沈むも残るも押しなべて、一方ならぬ愁嘆ども、未来の業と成らせ給ふべし。今はさてのみ御座あれかし。」と、各々申されたりければ、浄海、聞こし召されて、「何と候、一門の人々。たまたま浄海が、思ひ立ちぬる大願を、妨げむとの僉議候や。浄海も、さ程の道に、迷ふべきに候はず。それ、摩掲陀国の阿闍世王は、仏生国の将軍に、討たれさせ給ふ。戒日大王は、八万四千の后を殺す。引正太子は、龍樹菩薩の命を取る。神通第一の目連は、執杖外道に討たれ給ふ。無上の国、上り給へる釈尊だにも、提婆達多に御足を打たれ給ふ。これ、怨憎会苦の法なり。いはむや、末世の人間に於いてをや。
 「善悪二つの機なくして、成就する事、あるべからず。国綱の卿はおはせぬか。庭上にひれ伏す奴ばらを、門より外へ追ひ出し、錠を強くさいて置け。左右なく人を入るな。」と、内心に腹は立たねども、荒るる気色を見せむがため、御座敷を御立ちあり。板荒らかに踏み鳴らし、「『この嶋、無益。』と思さんずる、御内、外様の人々、御出仕は叶ふまじ。浄海、教訓せむ者は、天が下におぼえず。」と、間の障子をはたと立て、簾中深く入り給へば、御一門の人々、この由を御覧じて、「疫神、天魔が来つても、この人宥むる事あらじ。三十人の人柱を、中々急ぎ揃へよ。」とて、忍び忍びに取らすれば、二十九人ぞ取つたりける。今一人取らんずる、国土も平安ならざれば、道行き人もとどまつて、辺路遠路の旅までも、怖ぢおののいて通らず。一人と成つて日を送る、あつぱれ国土の煩ひや。あう、さながら民の嘆きなり。
 ここに諸国を巡る修行者一人、兵庫の浦を通りけり。取り手の人数、これを見て、「ここを通るは、修行者の身なれども、人待ちかぬる折節、通り合ふこそ幸ひなれ。彼を人数にせむ。」とて、首に掛けたる笠もぎ捨て、やがて人数とぞ成しにける。かくて三十人の人柱の、思ひはいづれも劣らねども、とり分けこの修行者の、由来を詳しく尋ぬるに、たとへば津の国、難波入江の三つ松に、刑部左衛門国春と、申せし人にて候が、四十の陰に入るまで、子の無き事を悲しみ、鞍馬の多聞に参り、申し子をこそし給ひけれ。国春三十二、妻女二十八と申す八月に、優なる姫を儲くる。
 時しも十五夜の、隈なき月の小夜中に、生まれぬる姫なればとて、名月女と名付け、漢家、本朝にも、ためしなうこそかしづきけれ。その心中は孝女にて、宛転たりし双蛾は、遠山の月に相同じ。霞の内の山桜、匂ひ飽くまで身に余り、人にまみゆるその姿、池の蓮の朝露に、傾く風情もかくやらむ。姫の姿を見聞く人、及ぶも及ばざりけるも、望みは多くありけれど、ませの内の八重菊の、包めど色の増す風情、領掌する方あらずして、十三の暮まで一人住む。十四と申す花の春、父にも母にも忍び、乳母の女房ばかり引き具して、芦屋の野辺に立ち出、千草の花を眺めて遊ぶ。
 ここに一つの物語あり。丹波の国小川の庄能勢と申す所は、御室の御領なりけり。かの所の預かりをば、仁和寺の蔵人兼氏とこそ申しけれ。その人の子に藤兵衛家包とて、その頃十九に成りけるが、詩歌管絃の道に長じ、情けも人にすぐれたりしが、河内の国禁野に所領あるによつて、十日ばかり禁野にありしが、これもつれづれさのまま、芦屋の野辺に立ち出て、鶉狩をぞしたりける。家包、何となく姫の姿を見付け、移ろひ易き紫の、色染めぬるこそ由なけれ。声立つ程に思へども、「思ひの外に顕はれては、悪しかりなむ。」と思ひ、供の者をば遥々と忍ばせ、我が身は一叢薄の、候ひけるに休らひ立つて、姫の姿を心静かに見奉るに、夕日、西に傾き給へば、姫は家路に帰らんとて、駒繋ぎの一房、萌え出たるを取り持ちて、
  春はまづ駒繋ぎにぞ若葉さす古葉の色も見え分かばこそ
叢に忍ぶ家包が、忍ぶ心の包みかねて、
  春の野に主も見えざる放れ駒蜘蛛のゐにても繋ぎ留めばや
かやうに詠じて顕はれ出る。
 名月は御覧じて、「あら、恥づかしや。この野辺に、人あるべしとも知らずして、口ずさみけむ。悲しや。」と、思し召されける間、思ひの色も青柳の、いと恥づかしげなる御有様は、露にしをるる花かとよ。乳母も誘はで、振り捨てて、忙しげにて帰るさは、嵐にたぐふ落花の、吹け行く風情もかくやらん。家包、いとど心憧れて、「夫婦和合の情けは、私ならぬ事。四州の内の相性も、出雲路の神の結びなり。虎臥す野辺を踏みならし、叢に消えむもこの道なり。伊勢物語、源氏にも、かやうの事をこそ伝へて候へ。たとへば卒爾の儀なりとも、風の便りに靡けて賜べ、御供の人。」と言ひ捨てて、急ぎ追つつき候ひて、「狼藉ながら御供を、申すべきにて候。」とて、取つて馬にうち乗せ申す。乳母も共に引き具して、丹波の能勢にぞ帰りける。
 あら、いたはしや。二人の人々は、ふるさと偲ぶは中々に、朝夕暇なく思へども、乳母は恐れて音信せず。名月は父母の、不孝をいたく憚りて、明けぬ暮れぬとせし程に、三とせに成るは、程も無し。国春夫婦の嘆きは、申すばかりもなかりけり。人の子のその中に、悪しき我が子をば、猶し不憫に思ふ習ひ。いはむやこれは仏神に、祈誓申して只一人、持ちたる姫にてある間、世に類なうかしづきしを、行き方知らず失ひて、嘆く思ひはいかばかり。いたはしや、母御前は、三年と申す秋の霜、思ひに消えぞ果てにける。
 刑部の丞国春は、ひと方ならぬ思ひどもに、妻女の形見を取り集め、高野の嶺に上りつつ、奥の院にて元結切り、妻女の形見を籠め置きて、「姫が行方を尋ねむ。」とて、高野の嶺を下向して、まづ三熊野に参らるる。三つの御山を伏し拝み、尋ね給へど行き方無し。道者舟に便船し、四国に渡りて尋ぬれども、その行き方のあらざれば、又、舟に便船し、播磨の室に上がりつつ、都の方のゆかしさに、明けぬ暮れぬと上るとて、兵庫の浦を通りけるが、取り手の人数に行きあひて、押さへて取られて牢者と成る。とにもかくにも国春の、運の際とぞ聞こえける。
 かくてこの嶋は、三月十八日の、辰の一点と定まりけれども、人柱の煩ひによつて、卯月も過ぎて雨月に成る。「卯月、皐月は良き日も無し。」とて、六月二十三日の、午の刻にぞ定まりける。取られぬる者どもが、「とても助かるべき命にてもあらず。早して海に入れられて、水屑と成つて消えばや。」と、思ひ切るこそ哀れなれ。中にも国春の、思ひぞいとど哀れなる。「かくあるべしと期したらば、高野の嶺にて、露とも霜とも消ゆべきものを。『憂世にもしも長らへば、姫が行方や聞く。』と思ひ、かかる修行に思ひ立つて、今更憂き目を見る事よ。か程に薄き縁ならば、何しに生まれ来りけむ。恨めしの契りや。」とて、親子の契りをば、今更恨み給ひけり。
 かやうに恨み給ひけむ、思ひの念や通じけむ、又、神の恵みにてや候ひけむ。丹波の能勢におはします、名月女の御方へ、不思議の便りぞ候ひける。その故いかにと尋ぬるに、たとへば津の国、渡辺近き神崎に、葛葉の庄司、長清と申す人の子に、近藤次重友とて候ひけるが、これも国春の姫の姿を見付け、よりより心を尽くせしに、思ひの外にかの姫の、失せぬる由を伝へ聞き、世をあぢきなく思ひ切つて、やがて遁世し、諸国を修行仕るとて、丹波の能勢に着く。名月女のましますとは、夢にも思ひ寄らず、家包が門外にたたずむで、袖の上の斎料を、所望して休らふが、「さもあれ国春禅門が、兵庫の浦の人柱に、取られぬるよ。」とあさましくて、何となく一首の歌をぞ詠じける。
  憂世ぞと思ひ捨てても一筋に人の上にも憂き事ぞ聞く
かやうに詠じて休らひけり。
 折節、名月は、物越し近く御坐ありけるが、今の歌を聞くからに、何とやらん胸うち騒ぎ、人を出して、「修行者は、いづくの人ぞ。」と問はすれば、修行者承り、「かくあさましき身にて、世にあり顔にふるさとを、申すべきにて候はねども、又、包みても何かせむ。これは津の国神崎の、者にて候。」と申す。乳母も名月も、神崎の者と聞くからに、吹き来る風も懐かしくて、障子の暇より見出せば、年にも足らぬ修行者なり。「なう、修行者。以前のあらましに、『憂世ぞと思ひ捨てても一筋に人の上にも憂き事ぞ聞く』と口ずさみ給ふは、さて世には何事候ぞ。」
 修行者承り、「人の上と申すも、この発心の由来なり。何をか包み申すべき。たとへば津の国、難波入江の三つ松に、刑部左衛門国春と、申せし人の候ひしが、一人の姫を持つ。玉の姿を身にまとひ、情けの深き心ざしは、楊貴妃、李夫人にも、相劣らじと聞こえしが、住吉詣のありし時、そつと見しより、静心なき恋と成つて、よりより心を尽くせしに、思ひの外にかの姫の、失せぬる由を伝へ聞き、世をあぢきなく思ひ切つて、やがて遁世し、諸国を修行仕るが、この四、五日さきに、商人の便りにふるさとの、事を尋ねて候へば、名月女の母は去年の秋、空しく成らせ給ひぬ。父国春は、高野の嶺にて遁世し、諸国を修行仕るとて、兵庫の浦の人柱に取られ、六月二十三日に、沈めらるべき由を伝へ聞き、『ゆかりし人の行方さへ、かく成り行くよ。』とあさましくて、何となく腰折を連ねぬる。」と申す。
 名月は聞こし召し、夢かと思へばうつつ、うつつかと思へばまことしからず。重ねて、「いかに。」と尋ねさせ給へば、「なう、さのみに問はせ給ひそとよ。憂き身のかやうに成る事も、その姫故の事なれば、なにはにつけて恨みの数、涙ならでは友も無し。よその見る目も恥づかしや。」と、袂を顔に押し当つる。名月は聞こし召し、「さる事のありしぞや。住吉詣のありし時、輿の先に玉章を、引き結びて落とせしを、供の下女が拾ひ取つて、みづからに、『見よ。』と言ふ。何なるらんと見てあれば、『思ひも寄らぬ花を見て、露と消えなむ悲しさよ。もしこの風の便りを不憫に思し召され、御返事ましまさば、神崎に聞こえたる、釈迦堂の鐘の緒に、結びて賜べ。』と書きとどめ、奥に一首の歌を、かく。『知らせてもしるしなくては杉の門あけぬ暮れぬといかで待ちなむ』と、書き留めたりし水茎を、只大方に思ひ成し、捨てたりし事のありしぞや。我を忍ぶの恋衣、今きて見るぞ、由無き。我故かやうに成る人ならずは、只今も立ち出て、父母の御事を、問はまほしくは思へども、我故かやうに成ると言へば、さすがかうとも岩代の」まづ言の葉もかきくれて、落つる涙の暇よりも、「乳母はなきか。修行者に、斎料奉れや。」とて、簾中深く入り給ひ、衣引つかづき、倒れ臥し、流涕焦がれ給ひけり。
 その頃、丹波の国へは都より、本家の一族下向あつて、三日の狩倉あり。国にあり合ふ弓取達、皆狩倉に出らるる。家包も同じく罷り出る。かかる他行の暇なりしに、父の御事聞こし召し、あるにあられぬ御有様、中々申すばかり無し。乳母の女房を近づけ、「この人帰らせ給ひては、いかに思ふと叶ふまじ。少しも急ぎ行き、父の命に替はるべし。」と、乳母の女房ばかり引き具し、人目を包む事なれば、夜半に紛れて只二人、丹波の能勢を立ち出て、足に任せて辿り行く。
 かの三草山と申すは、木こりの通ふ道多し。かなたこなたと踏み迷ひ、とある木蔭に立ち寄りて、一夜を明かし給ひけり。憂くても果てぬ夜半なれば、月、西山に傾きほのぼのと、明かしがたなる早天に、やうやう木蔭を立ち出る。末の松山、恋の森、心ばかりは急げども、行く道、更に見も分かず。日輪出させ給ふをこそ、東とばかりは弁ふれ。西北に迷へど何とてか、南へ道のなかるらん。かくて二人の人々は、その主知らぬ玉章の、ふみ迷ひ行く折節、斧、鉞持ちたりし、山人一人行き合うたり。
 この山人が見参らせ、「あら、不思議や。秋待ちかぬる萩の花、桔梗、刈萱、女郎花。露重げにて、くねるかや。時雨に染むる紅葉葉と、ませの内の八重菊に、相紛ひぬる女房の、野干の恐れも憚らで、袖絞りたる立ち姿。人倫稀なる深山に、何をしるべの便りにか、かやうに立ち出給ふらん。」と、怪しめ申して立つ程に、咎めも問ひもせられずして、互に休らふばかりなり。「いや、虎狼の変化か。怪し。」と、山人の思ふも理なり。
 乳母の女房、これを見て、「心ありげなる山人なれば、少し偽り、兵庫への、道の案内をも問はばや。」と思ひ、「いかに。これなる山人に、尋ね申すべき事の候。わらはと申すは当国羽束の、郡の者にて候が、これなる上臈様の父御は、兵庫の浦の築島の、奉行に立たせ給ひて、更に暇なくおはします。母御は継母にてましませば、殊の外憎ませ給ひ、父御帰らせ給はぬ先に、あらざる事を申し付け、失ふべしとの巧みの候程に、みづから余りのいたはしさに、夜半に紛れて御供し、これまで迷ひ候へども、行方を知らでたたずむなり。野にも山にもしるべ草、兵庫の浦へ案内を、教へ給へや。山人よ。」この山人が承り、「さらば、疾くにもこの道を、かくとは仰せもなくて。こなたへ御出候へ。」とて、谷川を渡り、岨を行く。
 乳母も名月も、互に袂を取り交はし、草葉草葉を分けて行き、高き所へ上がつて、「これはいにしへ兵庫への、追分と申し候を、近年、人待つが峠と、申し習はす由来の候を、語つて聞かせ申したくは候へども、少しも先へと急がせ給ふ、上臈達にてましませば、懇ろには申さぬなり。あれあれ、御覧候へ。西へ道の候は、あれは室、高砂へ下る道。構へてそなたへ行かせ給ふな。辰巳へ少し行き、一段高き所より、東の方を御覧ぜられ候へ。湊川、西代が下、楫取、雀の松原、御影の森、雲居にさらす布引や。渡辺、神崎、天王寺、住吉の浜も見えぬべし。西は明石、高砂、大蔵谷といふ方なり。南に霞める渚こそ、兵庫の浦にて候へ。東西へ分かつ道の辺の、いかに多く候と、左右へ危ぶみましまさで、兵庫の浦を目にかけて、すぐに行かせ給ふべし。名残小塩の夕日影、これより御暇申す。」とて、山人は嶺に留まりけり。
 乳母も主も諸共に、「この恐ろしき山の内、道しるべせし嬉しさよ。いかさまこれは、山人にてよもあらじ。多年頼みを懸け申す、鞍馬の大悲多聞の、山人と現じ給ふかや。有り難さよ。」と語りつつ、さしもに物憂き道なれども、この物語に慰みて、やうやう行けば津の国の、兵庫に着かせ給ひけり。
 或る浦人に行き合はせ給ひ、人柱の行方を尋ねさせ給へば、この浦人が承り、「『惣じて人柱の行方とて、尋ね来らん者に、案内を知らせ、音信を言はせたらん者を、やがて取つて人柱に立つべし。』と定めさせ給ふ上、いかに上臈達を、いたはしく思ひ申せばとて、我が身に代へて申すべきか。中々思ひも寄らぬ事なり。」と、語り捨ててぞ通りける。さすがに道理なりければ、重ねて尋ぬるまでもなく、とある所に宿を取つて、空しく日数を送られけり。
 さても丹波の家包は、三日の狩倉過ぎ、我が宿所に罷り帰る。御内の者、走り向つて、「なう、上様こそ過ぎし夜、乳母の女房ばかり引き具して、行き方知らず、失せさせ給ひて候を、いかに尋ね申せども、御行き方もましまさず。いかがはせむ。」と申す。家包、これを聞き、「不思議の事を申すものかな。」と、簾中に立ち入り見れば、げにげに失せて見え給はず。「こはいかに。」とあさましくて、常に住み給ひし所を見れば、詳しき事を書き置き給ふ。「何々。『今生ならざる花の縁、かやうに散り変はるべしとは、ゆめゆめ思はざりしに、父、帚木の御行方を、風の便りに聞きぬれば、身の咎、業も恐ろしく、御身の咎も恨めしや。いたはしや、母御前は、去年の秋、空しく成らせ給ひぬ。父国春は、ひと方ならぬ思ひ故、諸国を修行召さるとて、兵庫の浦の人柱に取られ、今日とも明日とも御最後の、定めぬ由と承る。情けの縁が尽きばこそ、御身の恨みもおはせめ。少しも急ぎ行き、父の命に替はるべし。みづから亡からんその後に、いかなる花に馴れ給ふとも、思し召し忘れずは、菩提を弔うて賜び給へ。返す返す。』」と書きとどむ。
 家包、これを見て、「こはいかに。兵庫の浦の人柱をば、只大方に思ひ成し、よその嘆きと思ひしに、身の上かかる我が袂の、涙の雨と成る事よ。道理なり、理や。さりながら、かねては比翼連理と契りしに、など夢ばかり知らせて賜ばせ給はぬぞ。」と、取る物を取りあへず、駒を速めて打つ程に、兵庫広しと申せども、げにや尽きせぬ契りにや、女房の宿に尋ね合ひ、嬉しと言ふも中々に、申すばかりはなかりけり。
 さて、「父御の御事は、いかに。」と問へば、「中々、音信だにも申さぬなり。」とこそ嘆かれたれ。家包、これを聞き、「御心安く思し召せ。この嶋と申すは、五條の大納言国綱の卿の、一円御預かりと承る。国綱の卿によき内縁を、持ち申して候。やがて参りて申さむ。」とて、国綱の卿に参り、この由、「かく。」と申しければ、国綱の卿は聞こし召し、「面々様の御訴訟を、自余の事にて候はば、何かは背き申すべき。この嶋と申すは、私ならぬ大願にて、国綱が計らひにては、中々思ひも寄らず。さりながら、明々日は必ず、嶋築かるべき内談あるべし。里内裏に御参あつて、庭中あらば、国綱も、心の及びは申すべし。御一門の御座敷を、伺ひ給へ。」と仰せければ、家包、なのめならず悦ぶ。
 我が宿所に罷り帰り、夜もすがら出仕の出立引つ繕ひ、明けければ、「出仕仕る。」とて、女房に語りけるは、「この事、申し叶へずは、庭上にて腹切つて、冥途、閻魔の庁にて、待ち申さむ。」と語り捨て、里内裏に参り、事の子細を伺ひ申すに、浄海、かねての御諚に、「三十人の人柱が、十八人は男にて、今十二人は女と聞く。男十八人を沖に沈め、女十二人は磯の方に沈めよ。とりどりの嘆きを、分きて見んずる事どもも、中々思ふも不憫なるべし。一度にばつと沈むべし。」と、仰せ出されたりければ、思ひ切りぬる家包も、肝魂も身に添はず。
 「今申さでは、いつの世にか申すべき。」と、震へる声をさし上げ、「一人ならぬ嘆きを、分きて言上せしむる事、世にも恐れ入つたる申し條にて候へども、三十人の人柱の満ずる時、召し置かれたる修行者は、たとへば津の国、難波入江の三つ松に、刑部左衛門国春と、申す者にて候が、去年の秋、妻女に離れ、さやうの心中にてや候ひけむ、高野の嶺にて遁世し、諸国を修行仕るとて、御願の人数に召し置かれ、嶋の柱と立ち候べき、かの修行者が娘は、かう申す家包めが、妻女にて候が、父が別れを悲しみ、『命に替はらん。』と申して、これまで参りて候へども、さすが女の身にて候程に、恐れを成し、庭中申し上ぐる事なうて、余りに嘆き候程に、この家包めが参り、庭中申し上ぐる事の、忝きよ。」と申す。恐れおののく有様は、水に従ふ柳の、伏し沈めるが如くなり。
 浄海、御覧じて、「やあ。あれは、何と言へる訴訟ぞや。『惣じて人柱の行方とて、尋ね来らんずる者に、案内をも知らせ、音信を言はせたらん者を、やがて取つて人柱に立つべし。』と、定め置きて候に、誰が計らひにて、これまでは参りたるぞ。汝も、思うても見よ。三十人の人柱を、一人憐れみ、取り替へなば、自余の恨みをいかがせむ。中々、思ひも寄らぬ事なれども、余りに汝が生涯に替へて、申す所も不憫なるに、明々日を相待てよ。そつと見参さすべし。」とて、御内に入らせ給へば、家包、時の面目施し、我が宿所に罷り帰る。
 「あら、めでたや。『明々日は、必ず国春を賜はるべき。』との御諚の候。」と、とにかくに慰むれども、名月は、「父にも逢はでこのまま、さてのみ果てむ悲しさよ。父よ、父よ。」と言ひけるを、物によくよく譬ふれば、棄老国のはくとうが、山路に捨てし父を恋ひ、「老父、老父。」と三度呼び、消え入りつらん有様も、かくやと思ひ知られたり。
 かくて人柱の、吉日吉時に早成りぬ。三十人の籠を作らせ、「三十人の人柱を、牢の内より籠に入れ、舟一艘に一人づつ。」とぞ定めける。取られぬる者どもの、妻子、親しき者どもが、近国他国より来つて、「あれは、我が子か。」「我が父か。」或いは、「兄弟。」なんどとて、袂にすがり悲しむを、放逸邪見の武士ども、「心弱くて叶はじ。」と、笞を当てて追ひのくる。今を最後の事なれば、言ひたき事の数々、さこそと思ひ遣らるれど、せめて近づく事なければ、笠を上げ、袂を上げ、あるにあられぬ有様は、目も当てられぬ風情なり。
 中にも国春禅門は、自余の人柱に交じはらせず。「その故、いかに。」と尋ぬるに、「家包も、さる弓取なれば、『とても最後の道。』と思ひ、いかなる所存か巧むべきに、軍兵あまた添へよ。」とて、牢よりも籠に入れさせ、宙に担ひて出る。乳母の女房、これを見て、「只今通らせ給ふこそ、父国春にましませ。」と、申しもあへず名月は、笠をかしこに脱ぎ捨てて、諸人の中を分け入り、この籠にすがりつき、「なう、名月こそ、これまで参つて候へ。我諸共に沈まむ。」と、言はむとすれば武士ども、笞を当てて追ひのくる。
 家包、その身を憚らで、「や、情けなしとよ、武士達。その人一人ばかりをば、御免あるぞ。」と言ひければ、時の奉行の上総守、「荒くな申しそ。その人は、條々訴訟のある方なり。少し籠を舁き据ゑ、名残惜しませ申せ。」「承る。」と申して、籠をかしこに舁き据うる。「終の別れ。」とは思へども、「束の間の対面、さこそ。」と、思ひ遣られて中々に、喜びの涙は淵と成つて、陸にて沈むばかりなり。
 ややあつて父国春は、落つる涙の暇よりも、「げに心ざしのましませばこそ、これまでは尋ね来り給ふらめ。何とてか人の子の、親の思ふ心中に、相違してあるやらん。わ御前が思ひ、深うして、母は終に死してあり。国春も、『同じ道へ。』と、千度百度思ひつれども、『憂世にもしも長らへば、わ御前が行方や聞く。』と思ひ、かかる修行に思ひ立つて、今更憂き目を見る事も、ひとへにわ御前故ぞとよ。子は宝か、敵かと、善悪二つを案ずるに、人の子は宝にて、わ御前は親の敵なり。かくは言うてあれども、深き恨みは残らぬぞ。この年月、仏神に、祈誓申せし利生には、命の内に見つるこそ、何より以て嬉しけれ。かやうに小車の、巡り逢ふべき道ならば、母諸共に長らへて、見るとだに思ひなば、いかがは嬉しかるべきぞ。但し、嬉しき中にも、かくあさましき最後の体を、あのまれ人に見えぬるこそ、何より以て恥づかしけれ。よしよし、それも事の縁。姫を思ひ捨て給はずは、見し者と思し召し、菩提を弔うて賜び給へ。
 「情けなの乳母や。か程に近き辺りに、住み長らへてある者が、今まで音信せぬ事の、恨めしさよ。」とありしかば、姫は涙の暇よりも、「御道理にておはします。許させ給ひ候へや。みづから共に沈みつつ、御手を引かへて三途の川、死出の山路を越え過ぎて、閻魔の庁の御供を、申すべきにて候ぞや。みづからをもこの籠に、添へさせ給へ、人々。」とて、もだえ焦がれ悲しめば、父も籠の内にして、泣いては口説き、恨みて泣く。「善知鳥が流す血の涙、今こそ思ひ知られたり。人の嘆きも我が思ひも、憂き世に住めば多けれど、かかる哀れは類無し。」と、上下万民押しなべて、「哀れ。」と問はぬ人ぞ無き。上総守は御覧じて、「時刻移れば嘆きあり。疾く舁かせよ。」と仰せければ、又、宙に担ひて出る。
 さる間、浄海は、「和田の岬の観音堂にて、御見物あるべし。」とて、御一門三百余人、ざざめき渡つて見えさせ給ふ。さても博士の安氏は、渚に悲しむ有様を見て、「これは、ひとへに安氏が、業と成りなむ事こそ、何より以て口惜しさよ。」と思ひ、観音堂に参り、庭上に畏まり、「あれあれ、御覧候へ。諸人の嘆きはひとへに、阿鼻大城の罪人の、熱鉄の炎に咽ぶらんも、かくやと思ひ知られて候。されば教主釈尊の、難行苦行、実相と、説かせ給ひて候を、御思案あるべく候。釈尊一代の説教の中に、法華経を経王とす。一万部の法華経を書写させられ、三十人の人柱の、名字、名乗を書き記し、沈めの石には年号日付、『龍神、納受ましませ。』とて、海底に沈むるものならば、五十展転の随喜の功徳には、八十億劫の生死の罪を滅し、必ず嶋は成就候べし。いかが。」と申されたりければ、浄海、聞こし召されて、とかく御返事もなく、御眼の気色、変はりければ、御一門の人々も、博士の安氏も、皆赤面してこそおはしけれ。
 さても丹波の家包は、その恐れをも憚らで、女房、乳母を引き具し、観音堂に参り、庭上に畏まり、「あら、御情なや候。只、『御助けあれ。』と申さむにこそ、『憎し。』とも思し召すべけれ。二人が中に一人、取り替へさせ給はんに、何に不足の御座あるべきぞ。しかるべくも候はば、我々夫婦に国春を、取り替へさせ給へや。」とて、天に仰ぎ地に伏し、流涕焦がれ悲しみけり。
 浄海、御覧じて、不憫とや思しけむ、祇王を召して仰せけるは、「人の上に吹く風の、我が身に当たらぬ事やある。いかに心強くとも、あの女に情けを問うて得させよ。」と仰せければ、祇王、なのめに喜うで、名月女の傍に行き、「御身の嘆きは浄海も、不憫と思し召さるるに、近う御入りあつて、御申しあれ。」とて引つ立つる。浄海、御覧じて、「やう。近う来りて申さずとも、汝が訴訟をば聞き分けぬるぞ。さらば国春一人は、あの女に取らせよ。残る二十九人をば、時刻移れば嘆きあり、疾く沈めよ。」と仰せければ、残る人数の嘆きは、中々申すばかりもなし。
 かかりける所に、浄海の御内、三十人の童の中に、松王健児と申して、見目形、尋常なるが、観音堂に参り、庭上に畏まり、「三十人の人柱を、皆々立てさせ給ふとも、人の嘆きの嶋ならば、成就する事、候まじ。又、思し召し立ち給ふ、御願を無駄にし給ひては、君の御意にも背くべし。所詮、博士の御申しの如く、一万部の法華経を書写させられ、三十人の代官に、何がし一人立つならば、末代、嶋は成就して、絶えする事、候まじい。」と、申し乞うたる松王は、上古も今も末代も、ためし少なき心かな。
 浄海、不憫に思し召し、誠に随喜の涙を流し、「あら、不憫の者の申し事や。さらば博士、ともかくも計らへ。」と仰せければ、博士、なのめに喜うで、急ぎ浜へ下り、まづ国春を取り出し、名月女に賜ぶ。さて又、残る二十九人をも、皆々取り出し給ひて、悉く帰し賜びければ、請け取り請け取り浜に出、嬉しきにも涙、辛きにも涙、先立つものは涙なり。「三十人の人柱、不思議の命助かるは、難波入江の国春の、姫故なり。」と喜び、我が国里に帰つて、或いは兄弟、孫子どもに、取り付き取り付き喜ぶ事、浦嶋がいにしへ、七世の孫に逢ひぬるも、これにはいかでまさるべき。
 浄海よりの御諚には、「丹波の家包が、舅が命に替はらんと、思ひ切るこそ優しけれ。禁野、交野、能勢の庄、八百町を取らする。舅を扶持し、天下へ、よきに宮付き申せ。」とて、下し賜ぶこそめでたけれ。
 又、吉日を改め、七月十三日に定めさせ給ひて、一万部の法華経を、洛中洛外の寺々へ、日記を上げて書写させらるる。程なく御経出来、兵庫の浦に参らする。博士、御経取り集め、数の御幣を切り立てて、舟押し浮かめ、うち乗つて、遥かの沖へ押し出し、御経沈め、御幣を振つて、経釈、祝詞申さるる。誠に松王、望み申しける間、彼一人人柱に、立てられけるぞ殊勝なる。「読誦の御経あるべし。」とて、一千余人の御僧達を、洛中洛外より請じ下し給ひて、渚に御経あそばせば、大乗軸の結縁の、龍神納受あるによつて、嶋は成就する。十四町の所なり。経の嶋と申して、平相国の興立の、今にありとぞ見えにける。
 「名月と申すも、只世の常の人ならず。鞍馬の大悲多聞の、御計らひによつて、吉祥天女の化身にて、嶋をも成就、人柱をも助けむために、名月と現じ給ふなり。さて松王と申すも、只世の常の人ならず。大日王の化身にて、嶋を成就のそのために、立ち給ふ。」とぞ聞こえける。
 伝へ聞くいにしへの、大施太子は忝くも、「如意の珠を取らん。」とて、嬰児の貝を以て、巨海を量り尽くし、終に宝珠、得給へり。大願としては又、終に空しき事あらじ。この浄海も、末代、民を憐れみて、兵庫に嶋を築き給ふ。地蔵薩埵の化身、四弘誓願の御誓ひ。有り難しとも中々に、申すばかりはなかりけり。

前頁  目次  次頁  翻字版