硫黄が嶋
(大頭左兵衛本)

 ここに門脇の平宰相教盛、折を得て小松殿に参り、大臣に申されけるは、「今度、后の宮御入胎につき、非常の大赦行はるべき由、承る。それ、人の嘆きをやめ給はば、何より以てすぐれたる御祈祷たるべし。しかるに一とせ、硫黄が嶋へ流し失はれし丹波の少将成経、平判官康頼、法勝寺の執行が事、今度の内に赦免成らせ給はば、さこそ悦び申すべき。まづ案じても御覧ぜよ。薩摩潟、硫黄が嶋の憂き住まひ、思ひ遣るさへあはれなり。」
 大臣、「げにも。」と思し召し、浄海へ御参りあつて、この由、「かく。」と申させ給へば、浄海、聞こし召されて、丹波の少将、平判官、二人の御教書ばかり出さるる。大臣、御覧じて、重ねて申し上げさせ給ひけるは、「三人を召し集め、一つ嶋へ流し、二人を召し返し、一人、後に残しなば、いよいよ恨み深かるべし。只同じくは、このついでにしかるべし。」と申させ給へば、浄海、大きに怒らせ給ひ、「執行が事は、随分、浄海が口入によつて、人と成りし者ぞかし。しかるに、鹿の谷に集まつて、散々に悪口しぬと聞く。執行が事に於いては、浄海は知るべからず。」と、大きに怒らせ給へば、「この上、力及ばず。」とて、二人の御教書ばかり、八條殿より出さるる。
 同じき使、二十日に京を立つ。薩摩潟とは惣名、奥七嶋は唐土、口五嶋は日本なり。惣じて嶋は十二嶋。初めは白石が嶋、千鳥嶋、硫黄が嶋へ、一人づつ流さるべきにてありしを、門脇殿、御訴訟深きによつて、一つ硫黄が嶋へ流さるる。かくて三人の人々、徒然さの余りに、「いざや、嶋巡りしてあそばむ。」とて、嶋巡りをぞし給ひける。
 げにや、都にて伝へ聞きしより、遥かに超えておぼえたり。戌亥より辰巳へ長山連なつて、百千万の雷の音絶えず、嶺には雷電暇無し。麓の里に雨降りて、昔は鬼が住みければ、鬼界が嶋とも申すなり。今は又、何と無く、嶺に硫黄が立ちければ、薩摩潟、硫黄が嶋とも申すなり。たまたまこの嶋に住む人は、我が住む国の人に変はり、我言ふ事を彼知らず、彼言ふ事を我知らず。男はあれども烏帽子着ず、女はあれども髪下げず。賤が山田を返さねば、米穀の種もなかりけり。園の桑を採らざれば、絹帛の類もなかりけり。水をむすばむとては、沢に下り、木垂ら木を取らむとては、山林に入りて迷ひけり。明け暮れ月日を送りける、憂き身の程こそ悲しけれ。されども少将の御ために、御舅にておはします、門脇の平宰相教盛の所領、肥前の国嘉瀬の庄たるによつて、少将一人の衣裳食事を、日に従つて送らせ給へば、少将一人の衣裳食事を以て、二人の人を育み給ふ。
 かくて丹波の少将成経、並びに平判官康頼、一つ心に仰せけるは、「我、都にありし時、熊野を信じ、十度参らんと大願を立て、五度づつ参り、今五度参り、十度に足さんと思ひし時、この嶋に流さるる。まことや熊野の権現は、我を念ぜむ衆生のあらば、野の末、山の奥にありとも、光をさして導かむとの御誓願。本誓、今に違はせ給はずは、いざや、この嶋に権現を勧請申し、我等が帰洛を祈り申さむ。さて、僧都は何とか思し召す。」僧都、聞こし召されて、「山王の事ならば、しかり。権現の御事は、さして信心は候ず。」「この上、力及ばず。」とて、二人、すごすごと御立ちあり。
 漫々たる海上を見渡し、峨々とある磯辺を伝ひ、三つの御山に似たる所を尋ねけり。或いは山高うして、浄水久しく流れ出、或いは木々の梢、冷々として峙てり。「ここは本宮証誠殿。」「かしこは新宮神の倉。」「遥かの北に当たりつつ、白石の峨々とあるよりも、瀧水、雲より流れ出、松の嵐も神さび、飛瀧権現の御立ちある、那智の御山に似たり。」とて、ここを那智とぞ定めける。津の国窪津の王子より、九十九所の王子王子を、型の如く勧請申し、それより黒辺に下向ある。
 その間に僧都は、高き所に上がり、東西南北を見渡し、よろづ観念してましましけるに、黒雲厚く引き覆ひ、石巌崩れて海に入る。その時僧都、禅に古き詩を思ひ出、「風仏前に花を散ず。岸崩れて魚害す。その岸、心なうして罪を得ず。されば五体は五つの借り物、地水火風をかたどれり。心は虚空の如くにて、形なければ色もなし。諸法は有無の二道にて、ありとも見え、又は無し。立つても居ても、座禅なり。」と、破戒無慚の高枕し、起きぬ臥しぬとし給ひけり。
 かくて二人の人々は、日数積もれども、裁ち替ふべき浄衣のあらざれば、麻の衣の潮に朽ちたるを、沢の水にて洗ひ、岩田川の清き瀬にて、煩悩の垢をすすぎ、五体王子を伏し拝み、それより山路に入りぬれば、高原や嶺の嵐に誘はれて、巌を越して参るにぞ、中天竺も遠からず。十條、近露、熊瀬川、発心門にも入りぬれば、早、本宮に参りけり。「あら、ありがたや。これこそ本宮証誠殿にて御坐候へ。いざや、我等が帰洛の祝詞を申さむ。」とて、散米のあらざれば、浜の真砂を潮にて洗ひ、散米と定め、花を手折つて御幣に捧げ、帰洛の祝詞をぞ申されける。
 「再拝再拝。それ当たり来る歳次、治承二年戊戌。月の並びは十月二月、日の数三百五十余ヶ日。吉日良辰を撰むで、かけまくも忝くまします、日本第一大霊権現、熊野三所権現並びに飛瀧大薩埵の教令。珍の広前にして信心の大施主、羽林藤原の成経、並びに沙弥性照、一心清浄の誠を致し、三業相応の心ざしを抜きん出、謹んで以て敬ひ白す。それ、証誠大菩薩は済度苦海の教主、三身円満の覚王たり。両所権現は、東方浄瑠璃医王の主、衆病悉除の如来たり。或いは南方補陀落能化の主、入重玄門の大士。若王子は、娑婆世界の本主、施無畏者の大士。頂上の仏面を現じて、衆生の諸願を満てしめ給ふ。
 「かるが故に、上一人を始め、下万民に至るまで、或いは現世安穏、又は後生善処のために、朝には浄水をむすんで煩悩の垢をすすぎ、夕には深山に向つて宝号を唱ふるに、感応怠る事無し。峨々とある嶺の高きをば、神徳の高きに譬ふ。嶮々とある谷の深きをば、弘誓の深きになぞらへ、雲を分けて登り、露を凌いで下る。ここに利益の地を頼まずんば、いかが歩みを嶮難の道に運ばむや。権現の徳を仰がずんば、何ぞ必ずしも幽遠の境にましまさんや。よつて証誠大権現、並びに飛瀧大菩薩は、青蓮慈悲の御眼を並べ、小牡鹿の御耳をふり立て、我等が無二の丹誠を知見して、一々の懇志を納受せしめ給へまくのみ。
 「両所権現は各々、機に従つて、或いは有縁の衆生を導き、又は無縁の群類を救はんがために、七宝荘厳の住みかを離れ、八万四千の光を和らげ、仮に垂迹と現じ、六道三有の塵に同じ給へり。かるが故に、定業亦能転、求長寿得長寿と、礼拝、袖を連ね、幣帛礼奠を捧ぐる事、暇も無し。忍辱の衣を重ね、渇仰の花を捧げ、神殿の床を動かし、信心の水を澄まして、利生の池にたたへたり。神明、納受ましまさば、諸願、何ぞ成就せざらんや。願はくは十二所権現、利生の翼を連ねて、遥かに苦海の空をかけつて、左遷の愁へをやめ、帰洛の本懐を見せしめ給へ。再拝再拝。」と礼拝して、浄衣の袂を絞るは、ありがたうこそ聞こえけれ。

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