馬揃へ
(大頭左兵衛本)

 頼朝の御前に盛長を召され、「いかに盛長、承れ。この間の事どもは、夢うつつの吉事。文覚の占の指す所、果報の花の蕾み来て、匂ひ渇仰の風情なり。明夢、占形とも、既にやうやう時を受くる。急いで廻文を廻して見む。」との御諚なり。盛長、承つて、状を書いて参らせければ、頼朝、御判を据ゑさせ給ふ。
 盛長、御判を賜はつて、「まづ誰々と申すとも、三浦の大介は、果報めでたき人なれば」、急ぎ三浦の舘に着き、「君の御判。」と差し上げければ、三浦の大介義明は、年積もつて百六に成られしが、「君の御判。」と承り、押しかぶり烏帽子にて、直垂の紐つがひ、孫嫡子に和田の義盛、大とうの彦太郎をひそかに召され、「いかに、孫ども子ども、承れ。先祖の君の御判を拝み申せ。祈りにも名聞にも、又は後生の訴へにも、何事かこれにまさりなむ。されば、新豊県の翁は、雲南の瀘水を逃れむとて、大石によせて臂を折る。太公望は浮き木に乗り、渭浜の浪に鉤を垂るる。瓢箪しばしば空し。草、顔淵が巷に繁し。藜藋、深くとざす。雨、原憲がとぼそを潤すが如くなり。されば屈原は、世の憂き事を厭ひつつ、草の庵に身を隠し、昔を偲びて老いにけり。義明も人ならば、山にも籠るべけれども、今の嬉しさを、この老いが身に積もる雪、我が身一つに取り成して、寄る辺も知らぬ沖の浪、浦嶋が玉手箱、開けてぞいとど悔しき。か程めでたき主君の。御判を拝み申す事、一眼の亀のたまさかに、浮木に逢へる如し。疾う疾う領状申すべし。孫や子ども、承つて、「三浦三百五十三騎。」と、長帳に判を据ゑて、君に頼まれ奉る。
 それより盛長は、海の渡りを仕り、千葉の舘に着き、「君の御判。」とさし上げければ、折節、千葉の介、他行の時分。大介出合ひ、対面して、「そもそも当国に於いて、千葉の介、上総の介と申して、父母の如し。一方欠けても悪しかりなむ。上総へ御越し候て、帰りさまに旨趣を申すべき。これは礼にて候。」とて、飼うたる馬に鞍を置き、鎧兜を引きにけり。盛長は見るよりも、「引出物は無益かな。請状の判は欲しけれど、重ねて申す、悪しかりなむ。」と、暇を乞うて帰りけり。
 さる間、盛長、先をきつと見てあれば、折節千葉の介、若党四、五騎に先陣打たせ、さめいて打つて近づいたり。盛長、きつと見て、「馬の上にて対面は、恐れにて候へども、君よりの御使なれば、まつぴら御免あれ。」と言ふままに、千葉が馬に駒うち添へて、あらましの事をぞ語りける。常胤、聞きて、「さて、親にて候大介は、何とか御返事を申され候やらん。承りたく候。」「大介の仰せには、『上総の介が参らば、千葉の介も参らん。』との仰せにて候。」「あら、それは、恐れ入つたる御返事を、申され候ものかな。たとい上総の介が参らずとも、御味方を申したくは、一騎なりとも御味方に参り、真つ先駆けて討死して、名を後代に上ぐべき身が、いでいで領状申さむ。」とて、駒より下に飛んで下り、墨摺り流し、筆に染め、「元来も千葉の介、少分限にて候へば、手勢多くも候はず。七百余騎にて参らん。」と、長帳に判を据ゑて、君に頼まれ奉る。
 それよりも盛長は、伊北、伊南、長北、長南、畔蒜、川上、武射、山辺、かなたこなたを触れにけり。頼まれ申す国は十三ヶ国、大名は七十余人、小名は数を知らず。「我も我も。」と判を据ゑて、君に頼まれ奉る。さる間、盛長は、国々の御請けの判を取り持ちて、百二十日と申すに、奈古屋の御所に参り、君の御目にかけ申す。かの盛長を見聞く人、褒めぬ人こそなかりけれ。さる間頼朝、伊豆の御山に御陣を召され、続く味方を待たせ給ふ。「我も我も。」と参られけるを、着到つけて見給へば、頼朝の御勢は、「以上、三百五十三騎。」と記さるる。頼朝、御覧じて、「これは、佐が祝言の初めなれば、面々の召されたる馬どもを、一目見む。」との御諚なり。
 まづ一番に、近江源氏の大将に、佐々木の四郎高綱の、四白に白鞍置かせ、六人の舎人に引かせ、御前を通されたり。所々に四目結の型ついて、「優しき名馬の紋かな。」と、どつと褒めて通されたり。その次を見てあれば、土肥の小黒に白鞍置かせ、白竿差させ、六人の舎人に引かせ、御前を通されけり。「面白の馬の風情や。この馬と申すは、まだ牧出の駒にて、勇みに勇んで、前の足をづんど上げ、後ろの足を引つしき、頭を振つて目を見出し、躍り出て嘶ふ。これも劣らぬ名馬かな。」と、どつと褒めて通されたり。その次を見てあれば、さても御舅に、北條の四郎時政の、さざ浪葦毛といふ馬に、白鞍置かせ、白竿差させ、六人の舎人に引かせ、御前を通されたり。「面白の馬の風情や。この馬と申すは、骨は太うて筋多し。左右の面顔、肉もなく、耳は短く小さくて、上首長く厚うして、下首吊つて短し。胸は出て、端張りあり。尾口小さく分け入つて、尾は三重の瀧の、落つるが如くなり。左右の腿は、唐の琵琶、転手と反手とはらりと捥いで、二面さかさまに、立てて見るが如くなり。追つさま三頭に肉余り、夜目の付きざま、爪根の骨、黒がねを延べたる如くなり。爪は厚うて突つ高し。千里を打つとも疲るまじ。前より見れば秋の鹿、遠山を飛んだる如くなり。傍より見れば鶏が、大庭に躍り出、時を歌ふが如くなり。廻りて見れば、龍が雲を引き連れ、虎が風に毛を震ひ、象の牙を噛み鳴らし、獅子が歯噛みをしたりしも、これにはいかでまさるべき。あつぱれ、馬の勢ひかな。」と、どつと褒めて通されたり。
 これを始めと仕つて、佐原の十郎が雷葦毛、狩野の介が金槌葦毛、田代の冠者が美女栗毛、祐経が奥州栗毛、沼田の平内が飛び雀、南條が小鷹河原毛、古堀が帆掛舟、三嶋の源三田が獅子の子に、宗藤太が岩砕き、土屋の三郎虎月毛、さて岡崎が深山鹿毛、大貫の四郎が黒糟毛。惣じて名馬の色々は、あしか斑、黒鹿毛、蔓斑、鹿毛斑、あいさう斑、柑子、栗毛、姫栗毛。「我も我も。」と引かれてあり。「以上、三百二十五騎は、いづれも劣らぬ名馬かな。」と、どつと褒めて通されたり。
 さる程に頼朝、治承四年八月二十三日に、兵具揃へ、馬揃へ召されて、いつも久しき真鶴が嶽にうち上がつて、御陣を召されしに、御世を召されんそのために、手勢七騎を引き分かつて、土肥の谷とが浦より御舟に召され、安房の龍嶋を心がけ、沖中に白旗を、ほのぼのと差し上げ給へば、三浦、横山、丹、児玉、この由を見申し、「あは、君の沖に御座あるは。いざや、さらば参らん。」と、百騎、二百騎、千騎、二千騎、うち連れうち連れ参る程に、武蔵の国とかや、国府の六所の分倍の宮の前にて、着到付けて見給へば、頼朝の御勢は、二十八万一千余騎に、程なく成らせ給ひて、一天四海に光を放つ。
 「平家を三年三月に攻め靡け、天下を治め給ふ事、八幡大菩薩の御誓ひ。」とぞ聞こえける。

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