浜出
(大頭左兵衛本)
かの鎌倉と申すは、昔、一足踏めば三町揺るぐ、大分の沼にて候ひしを、和田、畠山惣奉行を賜はり、石切、鶴の嘴を以て、高き所を切り平らげ、大分の沼を埋め給ふ。上八界、中八界、下八界と三つに割る。上八界は山、中八界は在家、下八界は海なり。上八界の一段高き所に、源氏の氏神、正八幡大菩薩を斎ひ崇め奉る。中八界の在家を、鎌倉谷七郷にぞ割られける。あら、面白の谷々や。春はまづ咲く梅が谷、続きの里や匂ふらん。夏は涼しき扇が谷、秋は露草、笹目が谷。冬は、げにも雪の下、亀谷が谷こそ久しけれ。遥かの沖を見渡せば、舟に帆掛くる稲村が崎とかや。飯嶋、江の嶋続いたり。蓬莱宮と申すとも、いかでこれにはまさるべき。かるが故に名付けて、歩みを運ぶ輩は、所願必ず満足せり。ていとうの鼓の音、さつさつの鈴の声々に、ちはやの袖を振りかざす、神慮涼しめの御神楽の音は暇もなし。
かかるめでたき折節に、頼朝上洛ましまして、大仏供養をのべさせ給ひ、御身は右大将に経上がらせ給ひ、兵衛司十人、左衛門司十人、二十人の官途を申し賜はつて、其頃、忠の人々に、皆々下し賜びにけり。中にも左衛門司をば、梶原平三景時に下されければ、 嫡子の源太に譲る。源太、司を賜はり、「この事、披露申さであるべきか。」と、急ぎ国に下り、大名小名招請申し、いつきかしづき奉る。まづ初番の日の雑掌には、蓬莱の山を絡組み、中に甘露の酒を入れ、不死の薬と名付け、銀の竿に黄金の釣瓶を結び下げ、跳ね釣瓶にてこれを汲む。酒にあまたの威徳あり。疎き人さへ近づく。親しき仲は猶親しむ。遠近のたつきも知らぬ旅人に、馴るるも酒の威徳なり。蓬莱の山の上には、李夫人が橘、玄圃の梨、巣父の椎、くわかくが柚、とうなむせいの栗と榧、皆色々になり連れて、その味はひは乳味を成す。まこと、不死の薬ぞ。」と、酔ひを進めて参らする。
二日の日の雑掌には、肴の数を揃へけり。沈のほた、麝香のへそ、鎧、腹巻、太刀、刀、名馬の数を揃へ、思ひ思ひに引かれたり。
三日の日の雑掌には、江の嶋詣に事寄せて、御浜出とぞ聞こえける。忝くも御寮の北の御方、出させ給ふ。その上、大名達の北の方も、皆御供とぞ聞こえける。舟の上に舞台を高く飾り立て、紫檀、花梨木遣り渡し、高欄、擬宝珠磨き立て、舞台の上に綾を敷き、水引に錦を下げぬれば、浦吹く風に飄揺して、極楽浄土は海の面に浮き出ぬるかと疑はる。「御賀の舞あるべし。」とて、絃管の役をぞ指されける。秩父の六郎殿、笛の役とぞ聞こえける。長沼の五郎は銅拍子の役なり。梶原の源太景末は、太鼓の役とぞ聞こえける。御簾中には琵琶三面、琴二張。琴の琴の役をば、北の御方、弾き給ふ。一面の琵琶をば、北條殿の御内様。上総介の御内様、和琴を調べ給ひけり。絃管いづれも名にし負うたる上手なり。舞台の上の舞稚児に、秩父殿の二男、藤若殿と申して、十三に成り給ふ、慈光育ちの名童なり。左の一頭受け取りの高坂殿、鶴若殿、惣じて稚児は十八人。九人づつに分かちて、左右の舞を舞ひ給ふ。いづれも舞は上手なり。陵王に一踊り、還城楽の差し足、抜頭の舞のばち返り。輪台破には差す腕、青海波には開く手、古鳥蘇に羽返し。いづれも曲を洩らさず、夜日三日ぞ舞うたりける。打つも吹くも奏づるも、菩薩の行は、これなり。天人は天降り、龍神は浮き上がり、舟行道に巡るらん。見聞覚知の輩、浮かれてここに立ち給ふ。
大将殿は御覧じて。「面白や。かくあらば、いつもかやうに打ち解けて遊ばばや。」との御諚にて、御前なりし人々、御所領賜はり、所知入りとこそ聞こえけれ。
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