常盤問答
(越前本)
去間常盤御前はほとなく清盛になひき給ひけり老木の花のなからへて春にあへるかことくなり子とものみるもはつかしや妻のかたきになひくこそためしすくなき次第なれ心つよくてさてはては我身のことはさてをきぬ母や子共の行末まてよもすなほにはあらしものをと思ひの外にそなひかれけるさてこそ清盛引かへて浅からす契給ひけり三人の若たちにも能々あたり申せとてあまたの乳母をそへさせ給ふ母の尼公もいたはりていつきかしつき給ひけり常葉心に思召今こそかやうにありとてもかはるならひの有ならは又うきめにもあひぬへし末まて子細のなからんは出家のかたちにしかしとて嫡子にあたる今若殿を園城寺へこそあけられけれつき乙若は醍醐の寺牛若殿はおさなくていまた乳母にいたかれてあかしくらすとせし程に七歳にならせ給ひけり常葉心に思召あの牛若と申は兄弟の中のみめよしなりたい所へのほせをくならは人の口もおそろしゝ都ほとりに引こもれるこしよを尋てのほすへしいつくにかは有なんと仰出されたりけれはある人申けるやうは鞍馬寺と申はゆけの女院のみはか堂本尊は大悲多門天福智恵ともに満足せり牛若殿の御ためによかりなんとそ申ける常葉聞召されて其儀ならは鞍馬にのほりよ所なからおかみ申さも有なんと思ひなは別当に契約し牛若をのほせはやと思召賀茂の社参にことよせかりそめふりの御出なれはあじろのこしの下簾さあらぬ体にかけさせ御供の人々には女房たち一二人はしたの女二三人力者はかりを御供にてかはらをのほりにまいらるゝ賀茂の御社ふしおかみ七まかり八町坂鞍馬につき給ひけり地主権現ふしおかみらいたうにまいらせ給ひつゝかうしのうちへ御入ありらいはんにむかひ礼しつゝ高座にむすとあかりて香炉とりあけけいならし暫く念珠し給へりかゝつし所にあんはしの別当東光の阿闍梨日中のつとめのそのためにらいたうにまいりかうしのうちを見給へはゆうなる女着座してはや念珠なかはとみえにけり東光御覧してやはか女の身としてたい法座へはあかるへき他山の児のいつはりて寺をわらはむそのために高座のうへの念珠かやさありとても一たんとかめはやと思召いかれる面をふりあけさもあらすとよ只今高座へ上る人を児かと見れはさはなくてはかいむさんの女なりおなし人間といひなから女人はさはりおほくしてきよき霊地をふむ事なしましてや持戒ちりつの高僧貴僧ならては内陳のかうしへのそむ事はなきものをそのうへふしやうけたいなき男子の身たにものそまぬにかゝるいはれを知つゝ寺をあなつりのほれるか又本より愚痴の女にてまよへるまゝにのほれるか是非に付て僻事そ勿体なしや女房よあふはや出よとそいかられける常葉聞召てこなたの御事ざふらふか本よりくちの女にてしらてまいりてさふらふそをしへてたはせ給へおひしりとこそ仰けれ東光聞召れてけにもしらすはをしゆへし心静に聴聞をせよ釈迦仏と申は浄飯王の御子なり悉達太子と申せしか十九にて出家をとけ檀特山にとちこもり菜摘水くみ爪木こり六年きうしし給ひてしんくをとけさせたまひ廿五にて僧に成くとんと申奉る又六年はちやう座にてまとろむ隙もましまさす十二年を経給ひて菩提樹のもとにて仏とならせ給ひて御名をは釈迦と申也三十の御年より花厳経を説給ふ三七日の間なりしちしよはちゑに是をとく阿含経と申は十二年の間也はらないこく鹿野苑にて此法を説給ふそういちあこんちやうあこんさう阿含ちうあこん此四阿含のなかにも女をことにいましめり般若経と申は三十年にとき給ふあたらしきほんには一万六百巻二百六十余品なり紙の数を申に一万六百三十八文字の数は六十億四十万字にしるされり此経のなかにも女高座へあかれといふ要文更になきそとよ勿体なし女房よはや出よとそいかられける常葉聞召れてけにけにいはれのさふらひけるそやもし此経のなかにも女をほめたる経文のあるならは此高座をは出まし御ひしりまけさせ給はゝ御身一人にかきらす法師のそうのなをりたるへしわらはまけさふらはゝ女のふかくたるへしかまいてまけさせ給ふな随分は此女も一言つかひ申へし経文をひいての給はゝわらは成ともおとるまじいまつそま古とうし経にとくしよさいすへし男子をうみてたねをつくなんし此ほうきやうぜはまさにけたつを得へしもしせんこうとあつくはのほう此こと葉を論ぜばうちむちせつ利ばらもんびしやしゆたとうにいたる迄差別も更にあるまじき経の説との給はゝ一切経の惣一法花経をもつてほんとせり彼法華経と申はたいこみの経也まき数は八巻文字の数を申に六万九千三百八十余字に積れり彼経のはしめに妙法蓮花経とよむその第一の筆たてに女といへる文字をかくへんには女作りにはおさないと書てこそ妙とは是をよまれたりめうと書ける文字のよみ数おほしとは申せとも先たへなりとよまれたり六万九千三百八十余字のもんもんは別の事をはほめすして妙をほめむかため也妙と書ける心は詞にものへかたし筆にもいかてつくすへき言語道断なる間しんきやうしよめつなりとかや爰をもつて案するに万法のいたゝきは女をもつて極たり彼法華経と申は釈迦仏の御年七十三と申二月上の八日にとき始め給ひて八ヶ年の間也りやうせんゑの十ほんはしよほん方便品ひゆほんしんけほん薬草喩品しゆきほんけしやうゆほん五百品にんき品ほつしほんこくうへの十一品はほうたう品たいは品くいんち品あんらくきやう品ゆしゆつ品しゆりやう品ふんへつ功徳品すいきくとく品ほつしくとく品しやうふきやうほさつほんしんりきほん是也又りやうせんへ帰て七品とかせ給ひけりそくるいほんやくわうほんめうをん品普門品陀羅尼品こんわうほんふけんほん是也惣して二十八品なり其外の小経五千余巻のなかにも女高座へあかるなといましめ給ふもんもなしおほつかなし別当のさて心のうちこそゆかしけれ東光おほきにきもをつふし此間答にまけなはかつうは寺のなをりたるへしかなはぬ迄もいま一言つかはゝやと思召面白し女房いてそのいはれかたらむある経のもんにせうさんせんかい男子しよほんなうかつしゆゆい一人女人いこつしやうととかれたり此もんの心は三千界のあらゆる男子のもろもろの煩悩をあはせあつめもつて女人一人の罪障とすされは地獄は外になし女にかきる所也女人一人生れなは地獄のつかひ来りとて三世の諸仏はしたをまきおちさせたまふとこそきけ遠く漢家を尋ぬるに天台山の高山に女のまいる事はなしいわうさんまれいさんしやうりやうせんにいたる迄女をゆるし給はす間ちかき秋津嶋にも延暦寺高野山泊瀬をか寺や当麻寺たうの嶺にいたる迄内陳のかうしへのそむ事のあらされは遥におかみ奉る戒行の程のつたなさよ女と生れける事もしやうほうひほうなる間くちの闇ふかふしてしつとの思ひ浅からす邪念を作る事もなし勿体なしや女房御堂のけかれ候にはやはや御出候へ猶も御出なきならはけそうともに申付出すへしとそいかられける常葉聞召れていかにや東光物をしらすは無言あれたつとき人のけしからす女をそしり給ふ事にくむにはあらすかならす輪廻のこうをはなれんかため也まよひの前に男女ありさとりの前に男女なし善悪二つなき故に邪正も更に隔てなし是はふかき心にて申としろしめさるまし先耳ちかに申へし仏も母かましませはこそまやのために始めてほうをん経を説給ふたうり天にあかり一夏の間法をとき母のために報せらるゝ仏も昔は凡夫にて太子とおはせし其時は三人の后おはします一をはやしゆたらによ二の后をはいぎとてさうなく人に見せられす第三にくだみとてことにようかんびれいなり此三人の御中に御子あまたおはしますやしゆたらによと申は釈迦仏のいんにじゆどう菩薩とおはせし時くいによといへる女に五もとの蓮花をうへてのちねんどうふつと供養ぜしその約束の朽すして今やしゆたらと生れて太子に契こめ給ふ大唐のいわうさんしやうりやうせんにいたる迄女をそしりたまふともりやうかいの法をはやはかはそしり給ふへき胎金両部かけて後ちやうゑの二法たちかたしさ申東光も母の腹にやとつてくちゑんまんをくそくせりさいせかららい生ないしはらしやに至る迄父母ともにあたへし女をそしる法師は母の恩をそむけり父母の恩をしらさるは只畜類にたとへたり髪をそり衣を墨に染たれとくちなる物を俗といふうへのかたちはかはらねと心に発心ある人を法師と是を名付たり東光のことくに経の文をしるへにて心に発心なき人をけうしやと是を名付て木にかゝる藤の空へあかるかことくにてをのかちからて更になし愚痴妄念をさきとしていたつら事をほんとする人の心のはかなさよさもあれ此寺はいつれのみかとの御時にいかなる人の御願にて立られけると問給ふ東かう聞召我寺と申はくはうとく天皇の御代の時勧進のひしりはもとはならほつしくはんちやう坊と申せしか南都を出て天台山北谷に住給ふせう僧都と申てうけんちとくのひしり也彼僧都のすゝめによつてたいらく太子の御建立ゆけの女院のみはか堂本尊は大悲多門天福知恵ともに満足せり常葉聞召よの事をはさてをきぬ此問答にかちぬるそそれをいかにと申に女をいれぬ寺ならは女院の御墓をなど是には立をかれけん其上大悲多門天女をそしり給はすしんの御弟子いもつと吉祥天女御前とてひたりのわきに座し給ふけにと女をそしりいたさるへきにさたまらは女院の御墓と吉祥天女もろともに御寺を出しおはしませみつからも御供してへちに寺を結てあんしせんはいかにや別当とこそ仰けれ
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