笛巻
(毛利家本)

去間洞幸の阿闍梨。常葉の御前にかしこまり。見くるしけなるさうあんを。むすひて持て候。庭の花の御興にも御出とこそまふされけれ。常槃きこしめされて。よはす共たつねゆき。坊中の案内をも。見はやとおほしめさるれは。時刻うつさす御出ある。ちうせつけうをつくし。爰をせんとゝそきらめきける。酒もなかは成し時。常槃仰けるやうは。いかにやとうかう。牛若と申て。世になしわらは一人あり。別当にまいらする。よくは弟子ともおほしめせ。あしくは下のくさきりとも。おほしめされさふらへ。あはれむ人のなくしては。いかてかかなひさふらふへき。よきやうにとりたてゝ御覧せよとそ仰ける。とうかうきこしめされて。やかてりやうしやう申し。別当自身御むかひにまいらるゝ。角て牛若殿。くらまにあかり給ひ。学文せさせ給ふに。師か一字を教ゆれは二字とさとり。二字をゝしゆれは百字にくらからす。筆をとつてのひつはうに。魚鱗虎爪水露のてん。孔子老子の筆のあと。文書のかすをのこさす。ならひそつくし給ひける。しもんたさむの其うちにも。かゝるめいよの児学匠の。有つへしとも学へすと。ほめぬ人こそなかりけれ。六原におはします。常葉聞召れて。御怡ひはかきりもなし。夫児のもてあそびには。何々と申共くわけんにすきたる事はなし。其中にとつても。笛は一の名物なれは。よからんふえをもとめ。牛若にとらせはやとおほしめし。都まちかき淀の津の。みた次郎かもとよりも。笛を一くわんかひとつて。くらまへのほせ給ひけり。牛若なゝめにおほしめし。衣更着半の比よりも。吹はしめさせ給ひつゝ。其歳のくれには。百廿てうの。かくをは。ふきこそおほへ給ひけれ。有時牛若殿。此笛の出処を。たつねはやとおほしめし。弥陀次郎をそめされける。みた次郎めしと承り。いそきくらまにのほり。牛若殿の御坊にまいり。庭上にかしこまる。牛若殿は御覧して。汝かよどの弥陀次郎とは。さん候とまふす。此笛は漢竹か梵竹か。きかまほしやと仰けれは。弥陀次郎承り。さん候其笛と申は。一年讃岐国びやうぶのうらにて。宝亀五年に産れ給ふ。弘法大師入唐あり。しやうりうしにおはします。恵果和尚を師とたのみ。真言の秘密をきはめさせ給ひ。我入唐のつゐてに。天竺りやうしゆせんにおはします。大聖文珠をおかまんため。しんしんと有ゑんたうを。わけこえ給ひけるほとに。たいしうのをきを透り。かうしうといへる国には。拾のみちわかてり。其中に取ても。かうなむといへるは。せきけんの南なり。彼国にさしかゝり。たいたくの野辺を行過。かうたくのつゝみをつたひつゝ。般若台をそおかまれける彼。般若台と申は。南岳大師ひさしくもをこなひ給ふみてらなり。今日本に生ては。まやとのわうし聖徳太子とも申なり。衆生済度の慈悲ふかき。南岳大師とふしおかみ。又五千里を行過て。きよくせんしとて御寺あり。彼寺と申は。南岳一の弟子ちきしやうにんの御寺なり。彼天台にかよひ。御法をとかせ給ひけり。あなたへも五千里。こなたへも五千里。一万里の道なるを。夜日七日にゆきかへり。御法をときたまひけり。故に釈文にも。荊楊往復途将万里ととかれたり。かゝるれいほうをわけこえ給ひけるほとに。唐天竺の域なる流砂の河につかせ給ふ。彼河のひろき事。さむはく二十よちやうなり。水碧天にひたし。浪ばんてんにさかのほり。はやくしてみなきれは砂をあらひなかせり。流砂の川とかひては。砂なかるゝ河とよむ。葱嶺の山の麓に一のはしわたる。石橋と是を云。石橋とかひては。いしの橋とよむ故に。はりをならへてすのことし。るりをつらねてかうろとす。はしけたはしらには。めなうをつくりのへてあり。とをくわたりてそれる事。虹をなせるかことくなり。見るにきもきえひさふるひ。あしすさましくみのけたち。渡るへきやうさらになし。弘法此由御覧して。さりとも是をわたらすは。白雲万里をへたゝりて。何としてかはまいるへき。渡にこそとおほしめし。いのちをすてゝわたらるゝ。法力なれは。相違なくむかひにつかせ給ひけり。河上さしてよちのほりそうれいの。嶺にあかりつゝ。遥の空を見あくれは。夕日ほともなかりけり。手にとるはかりちかくして。霞は谷の底にあり。らいてん雲をひゝかし。風小雲を。はらつて銀漢はことにちゝんたり。かゝりける処に。はつせんとうし行あひて。いつくよりいつかたへとをるものそと有しかは。是は日域の弘法と申すものなるか。天竺りやうしゆせんにおはします。大聖文珠をおかまんため。是まて参りて候。りやうせんへの道つたひを。教へてたへとそ仰ける。童子聞しめされて。是よりりやうせんしやうとへは。白雲万里をへたゝりぬ。としをかさねて歩むとも。いかてたやすくまいるへき。はやかへれとそ仰ける。弘法聞しめされて。万里の道も一足の。下より続くことなれは。心なかく歩まは。なとかまいらて候へき。をしへてたへとそ仰ける。童子聞しめされて。汝はけしにたとへたる。そくさんこくの小僧か。唐土を越るたにも貴き事なるに。ましてやまふさん天竺を。あゆみつくしてまいらんこと。おもひもよらぬ事なるへし。唯かへれとそ仰ける。弘法きこしめされて。国は小国なれとも。名を日域となつけて。日をかたとれる国なり。唐土ひろしとまふせとも。震旦国となつけて。ほしをかたとる国なり。天竺そのなたかけれと。月氏国となつけて。月をかたとる国なりくには。大小にはよるへからす。唯智恵こそほんにて有へけれ。童子きこしめし。おもしろし弘法。智恵くらへなるならは。いていてさらはまいらん。さて弘法は日本より。是まて尋ねきたれるは。くちの僧にあらすや。心のうちをたつねは。りやうしゆせんも心に有。文殊も心のうちに有。むねのほとりにもちなから。遠嶋を尋るは。くちの僧にあらすや。弘法聞しめし。愚なりあの童子。法には叓理の二つ有。心のうちの文殊は。惣のもんしゆ是なり。りやうしゆせんの文殊は。別のもんしゆ是なり。別をきらへは惣もなし。惣ときらへは別もなし。叓理惣別の不二なるをあふ智者とはまふし候そ。童子聞しめし言葉のしよけむむやくなり。名誉をけむして。きとくを見せよもちひん。きとくは何をあらはさん。かみもなく墨もなく。筆もなくして只今。文字を一つかひてたへ。弘法きこしめし。かゝんす事はやすけれと。とうしの奇特まつ見せよ。童子聞しめし。いていてさらはかかむとて。はしる雲にむかつて。阿毘羅吽欠{*1}と指をふる。あらしに雲ははやけれとも。文字はちつともみたれす。あさあさとこそ見えにけれ。こうほう御覧して。しゆせうなりあの童子。いていてさらはかゝんとて。なかるゝ水のおもてに。たつといへる文字をかく。さしもに水ははやけれとも。文字はちつともみたれす。帯をむすへる如くにてあさあさとこそ見えにけれ。童子御覧して。あの字にてんをうつてこそ。りうとはよまれ候らへ。弘法聞しめし。うたむす事はやすけれと。りうとならんかゆふせさに。さてこそてんはりやくしたれ。何ほとの事の有へきそ。唯うち給へ弘法。いていてさらはうたんとて。一のてんをうち給ひ。いまた其手もひかぬまに雷なつて雨くたり。洪水出来つたり。水はなを見てあれは。百尋の大龍かかしらをたかくさしあけ。みつに尾を湛て。大木枯木の朶くたけいはほなかれてくたるをと地震のゆるかことくなり。こうほう御覧して。すはや水よ童子。逃給へと有しかは。童子ちつともさはかす。虚空にあかり雲をふんてさらぬていにたち給ひ。いたはしゝ弘法。北給へと有しかは。弘法ちつともさはかす。盤石のゐんをむすんて。川のおもてへなけ給ふ。廿余丈にそひへたる大盤石となりけれは。其上にとひあかり独鈷を握り弘法。しはらく念誦し給へり。童子御覧して。あらたつとしや弘法。今は何をかつゝむへき。我こそ天竺りやうしゆせんの文殊なれ。あれにてまたんひさしさに。是まてむかひにきたりたり。いて本体をあらはさん。うてんわうはなきか。獅子いてこよとのたまへは。雲の内に声有て。おつとこたへてほともなく。金の宝冠をいたゝき。赤衣に剣を要たりける。獅子にはらてんの鞍をゝき。御前にひつたつる。童子則文殊となり。五しきのひかりをはなしつゝ。しゝにめされたりけれは。所はやかて浄土となるりやうせん浄土是なり。抑文殊と申は。しやうるりしやうとの其中に。はつたいほさつのそういちなり。行者をむかへとつては。ごくらくしやうとへをくらるゝ。有時はりやうぜんじやうどにて。法花のすいさうをとき。又有時は即。寂滅道場にして。三世諸法の実儀をたて。一ねんしやうじゆをいつしゆにし。無相無意のさうをちやくし。獅子のうへにしてはまた。釈尊の右のわきに座し給ひ。一乗三昧ほつきし。弥陀の願をたて給ふ。かゝる有難き文殊を。まのあたりにおかみ給ふ。弘法大師の御心さこそうれしくおほすらん。文殊かさねてのたまはく。末世のしゆしやうのまよひには。うさうしうちやくこれおほし。有想といへる心は。万の物を有と見る。是は有想のまよひとて。地獄におつるはしめなり亦万のものをなしと見る。是も断空の迷ひとて地獄におつる心なり。唯一念不生なるをこそ。文殊の智恵と申て。そつこん仏に成ものなり。此道をまほつて下向せよとそ仰ける。弘法聞しめされて。御なこりおしくはさふらへとも。さらはおいとままふすとてそれよりも下向し給へり。そうれいの山の麓に。一の瀧おちにけり。彼瀧のさうかんに。三本の竹おひにけり。もゝよにふしをこめつゝ。此竹ちいろ成けり。弘法剣をぬきもつて。彼竹のすゑのよを。みふしこめて伐給ひ。ちきりのあらは日本にて。めくりあへやと。のたまひて河にそなかし給ひける。それよりもとのはし渡り。はや大唐に出給ふ。たうとの寺のはしめは。やうしうの白馬寺ことさらたつとかりけり。きてうのこちの吹けれは。みやうしうに出給ふ。御船にめす時。もつ所のふつくに。五ことつこ三こを。虚空へなけさせ給ひけり。しうむくたつて是をまき。はるかのうみをわけこえて。きのくにゝきこえたるかうやの峯にとゝまれり三このまつと。まふすこと此時よりもはしまれり。独𦙶は花の都なる。東寺の塔にとゝまる。五鈷は越後の国。くかみの寺にとゝまれり。夫よりも大師は。御船にめされ。のろしまときさみのしまを。はるかのにしに御覧して。ほりかはといへる湊こそ。たうとのわうの。都よりなかれ出たる大河なれ。それより三日はしりすき。かしらなしといふ津こそ。大唐国船の泊なれ。きみしうといへるをきすをすき。かうらいたうとの域なる。もめいしまをはしりすき。きやうのみさきはくたんしゆもころいのみせんもゝしま。きとのしまもろみのしま。ふなこし過て。つちよりもあくれはつしまのないにつく。いきのかさもとはしりすき。いきのもとをりめにかけて。あはやちくせんの箱崎や。はかたの津こそ見ゆれとて。をのをのいさむおりからに。あくふう俄にふひてきて。高麗の。おきすなるきとのしまゝて吹もとす。大師秘印をむすひ。我また帰朝する事。いほうの為にて候らはす。衆生済渡の為なれは。順風たへや龍王ときせいをふかくまふさるゝ。かゝりける処に。ひんつらさうにゆふたる童子。浪の上にたゝすむて。此風とまふすは大唐の仏たち。大師に余波をおしみ。今一度大唐へむかへんための風なれは。龍王のしよいならすとて。かきけすやうにうせにけり。弘法聞しめされて。其儀にて有ならは。先日本へつけてたへ。にほんにつくほとならは。唐土の寺をまなふへし。金剛峯寺と額をうつて。大唐の仏達を勧請まふし。あれにておめにかゝらんと。祈誓をふかくまふさるゝ檝取共かこれを聞。あそこなるほつしは。何を云てさゝやくそ。しなふす事か目に見えて。独ことをするやと。笑者も有にけりたれもいのちはおしひとてなけく者も有にけり大師の祈誓実にて追手そ吹にけるとかや。過にし桓武。天皇の御時。三十七にて。入唐ましまし。さてまた四十三の歳。嵯峨の帝の御時。御帰朝とこそ聞へけれされとも人はなとやらんしらさりけるそふしきなる。つくしのはかたにあかり。ふちおいとつてかたにかけ都へのほり給ひしか旧里は忍有によりさぬきの国に渡り。ひやうふの浦に立寄。父母のみはかをふしおかみ有いそへを透らるゝ。より竹ひとつあり。取あけ御覧有けれはてんちくりうさかはにて。伐なかしたる竹てあり。希代不思義におほしめし。三のよの有けるを。三ふしに刻み。笈のあしにゆひつけ。都へのほり給ひしに。三ふしの竹のよにいれは五音のこゑを出す。五音の声とまふすは。宮商角徴羽これなり。三管のふえにゑり給ふ。おほすいれうこすいれう青葉の笛是なり。青葉の笛とまふすは。竹は塩にかれたれと青葉は一つ節にありかれさるとくに名付たり。こすいれうとまふすを。しゆしやくゐんのをにかとりよなよな是を吹しを。天人是をとらんとて。羽衣をもつて。なてゝは天にあかり。摩ては天にあかる。故に名付つゝ。ひとへかくしと是を云。この三管の笛をは。天下の重宝なりとて。大裏に籠をかれしを。さころものちうしやうの。吉野山にて花見の興の有し時。此笛をまふしうけ吹てあそはれたりけるに。まんしゆらくをふきしかは天人是をちやうもんし。五衰の苦をのかれて菩薩と成てまひあそふ。其後中将。淀の津にすまひせし。小式部にたひ給ふ。小式部とし老てのち。弥陀次郎か祖父の。弥陀太郎か是をとり我々まては三代なり。ふく事はなけれとも。此笛をもちぬれは災難さらにきたらす。仏神の加護にあつかる。てうほうにて候をいかなる人のまふしけむ。かみさまに聞しめし。めしをかれ候らへはちからにをよひさふらはす若君とこそまふしけれ。牛若聞しめし。おもしろし弥陀次郎。いはひに三度かたれとて。をしかへしかたらせ。猶もあかすやおほしけむさうしにとゝめ給ひて。笛のまきとまふして。鞍馬寺にありとかや。其後に弥陀次郎。御褒美にあつかり。みた次郎も怡。家ちへとてそ帰ける。

    元和四年七月日
行年七拾三歳 如滴(花押)

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校訂者注
 1:この五字、底本では梵字。漢字は『舞の本』(1994)による。