烏帽子折
(大頭左兵衛本)

 そもそも安元元年三月中旬に、源の牛若殿、鞍馬の寺を御出あり。今日喜びに近江なる野路の宿にて、吉次信高に行き合はせ給ふ。その日の泊りは鏡の宿、吉次が宿は菊屋と聞こゆる。鏡の宿の遊君ども、雑掌構へ、吉次殿をもてなす。さる間吉次、世にあり顔なる風情にて、順の盃下し、逆の盃飛ばせければ、その後は酒盛に成る。あら、いたはしや、牛若殿は、人目を包ませ給ふ間、切戸の脇にすごすごと、只一人たたずみ給ふ。
 ここに平家の侍大将監物太郎頼方、悪七兵衛景清、飛騨の三郎左衛門、早馬に乗つて、番場の宿を触れて通りけるは、「この路次を、十四、五なる少人の、通らせ給ふ事のあらば、急ぎ御供申し、都へ上りたらんずる輩に、上下を選まず勲功あるべし。」と触れて、その日に都へぞ通りける。牛若殿は聞こし召し、「あら、口惜しや。この儀にてあるならば、何しに鞍馬をば出けるぞや。それ八正の大路広しと申せども、年にも足らぬ牛若が、身の置き所のなきこそ、何より以て口惜しけれ。さりながら、只今は、『児。』とこそ触れてあれ。男と触れてあらばこそ。所詮、男に成りて下らばや。」と思し召し、下女を近付け、「この辺に烏帽子折ばし候か。」下女、承つて、「今日、都より下らせ給ふ人の、これにて烏帽子を御尋ね候か。さりながら、烏帽子の御所望にて候はば、あの向かひに見えたる竹虎落の内こそ、五郎太夫と申して、烏帽子の上手にて候へ。」
 牛若、なのめに思し召し、虎落の内へ尋ね入り、「案内申さう。」内よりも、「誰そ。」と応ふる。「いや、苦しうも候はず。吉次信高の供して下る冠者にて候が、烏帽子の所望にて、これまで参りて候。」その時、烏帽子折の太夫、牛若殿を請じ申し、「さて、冠者殿の召されうずる烏帽子は、大さび候か、小さび候か。新世様、当世様、いかやうなるを召されうずるぞ。御好み候へ。やがて折つて参らせう。」牛若殿は聞こし召し、「あら、口惜しや。烏帽子は只、黒ければ黒いとばかり心得たるに、あまたの名のありける事よ。何とがな折らせうな。あう、思ひ出したり。我等が先祖は、左折りを召さるる由を承つて候へば、人数ならぬ牛若も、左へ折らせ、着ばや。」と思し召し、「なう、いかに、太夫殿。この冠者が着うずる烏帽子は、それなる大さびに、粒のちつと荒らかなるを、一くせみ、くせませ、雛形に間をあらせ、櫛形をいがいがと、一矯め矯めて、左へ折つて賜び給へ。」
 その時、烏帽子折の太夫、殊の外に腹を立て、「さればこそ。あの様なる下臈に物を好ますれば、我が身の加階の程をも知らず、事も忝なや。左折りを召されうずる人は皆、源氏の御子孫なり。一とせ、尾張の国野間の内海にて、失せ給ひし左馬頭義朝。その御子にて御座ある、嫡子悪源太義平、次男朝長。三男頼朝、四郎は阿野の御曹司、五郎は遠江蒲の御曹司範頼。六は醍醐の寺の卿の君、七は園城寺の悪禅師の君。八男に当たらせ給ふ、当時、鞍馬におはします、牛若殿などこそ召されうずるに。やあ、わ殿ばらがやうに、吉次が供をする冠者が、左折りを着うずる事、思ひも寄らぬ所望かな。」
 牛若、可笑しく思し召し、「仰せはさにて候へど、奥へ罷り下らうずる、関々、泊り泊りにて、『左折りを着たるよ。』と、人の咎めのあらん時、『都の宿に古き烏帽子のありつるを、所望して着て候が、左折りも右折りも、この冠者は知らぬなり。かかる難かしき烏帽子を、関屋に預け申す。』と言うて、うち捨てて通るならば、御身の難もあるまじき。わつぱが咎も逃るべし。」太夫、聞いて、「あら、面白の言葉づかひや。いかさまこれは、やうある人よ。」と思ひ、「一旦は申すまで。」と、烏帽子折り済まして参らする。
 牛若、烏帽子取り廻し御覧じて、「よい烏帽子にて候が、一つの難が候。」太夫、聞いて、「地に難が候か。さびに癖が候か。雛形、櫛形、小結所、いづくに難が候ぞ。折り替へて参らせう。」牛若殿、聞こし召し、「地に難も候はず、さびに癖も候はず。いづくに難はなけれども、折節、烏帽子の代はりを持ち合はせざるが、一つの難にて候。」太夫、聞いて、「あら、事々しの冠者殿の申し事や。あの吉次は、一年に一度、二年に二度、下り上りする。その供して下る冠者殿なれば、心安く思はれよ。冠者殿が奥餞に取らせうぞや。」牛若殿は聞こし召し、「あら、口惜しの、太夫が取らせ言葉やな。牛若が世に出るものならば、家の疵とも成るべき言葉なれば、太刀を取らせて行かうずるが、それは千五百里の道の用心も欠くる。刀を取らせて行かばや。」と思し召し、源氏御重代の古年刀の腰の物を取り出させ給ひて、「なう、いかに、太夫殿。この刀を烏帽子の代はりとばし思し召され候な。明年の夏の頃、奥よりもよき馬を用意申さう。暇申して、さらば。」とて、牛若、宿に帰らせ給ふ。
 その後、烏帽子折の太夫、女房を呼び出し、「されば、この年月、かかる下在を仕り、身命を助くるを、仏神三宝も不憫と思し召さるるによつて、この刀を賜はる。見給へ、これは皆、黄金ぞ。都の町にて沽却し、一期の内を楽々と、過ぎうずる事の嬉しさは、さていかに。」女房、聞いて、何と物をば言はずして、太夫が持ちたる刀を只一目見、やがてさめざめと泣く。太夫、これを見て、「あら、不思議の女房の風情かな。男の宝を儲けて喜ばば、共に喜ばずして、わ御前は何を嘆くぞ。」
 女房、聞いて、「今は何をか包み候べき。さては先程に、烏帽子召されたる冠者殿は、みづからがためには、三代相恩の主君にて御座候ひけり。それをいかにと申すに、御身の持たせ給ひたる刀は、源氏御重代の古年刀と申す刀。みづからをば、いかなる者と思し召し候ぞ。これは一とせ、尾張の国野間の内海にて、失せ給ひし義朝の御内、鎌田のためには妹なり。君に離れ参らせ、身の置き所なきまま、この宿に落ちとどまり、御身に契りを籠め、今年は九年に成り候。九年の情けに、その刀をみづからに賜べかし、なう。我が君の奥州へと、遥々御下りましますに、奥餞に参らせん。」太夫、聞いて、「易き間の事。夫婦偕老同穴の、わりなき妹背の仲なれば、何をか惜しみ申すべき。」と、女房に取らする。
 女房、なのめに喜うで、瓶子一具に小結を取り添へ、吉次が宿へ尋ね入り、牛若御に会ひ奉つて、「なう、いかに、我が君。みづからをば、いかなる者と思し召され候ぞ。これは一とせ、故君の御供申し失せたりし、鎌田がためには妹なり。男子の身にても候はば、御最後の御供申すべきが、たとひ女の身にて候とも、いかならんずる淵瀬にも、身を沈めむこそ殉死にては候へども、捨てがたきは命。つれなく命長らへ、面目なくは候へども、烏帽子折の太夫に契りを籠め、今年は九年に成り候。九年の情けに、この刀を太夫に所望し、我が君の奥州へと、遥々御下りましますを、一目拝み申さむために、これまで参つて候ぞや。それ烏帽子を着るは、小結を結うて着る事候。その烏帽子、賜はれ。小結を結うて参らせむ。」と、橋桁様に雲居にさつと結ひ上げ、「この烏帽子召され、奥へ下らせ給ひて、秀衡、佐藤を御頼みあつて、数万騎を引率し、平家の人々を御心のままに滅ぼし、今一度御世に立たせ給へ。暇申して、我が君。」とて、女房、宿にぞ帰りける。
 牛若殿は御覧じて、「源氏の物への門出に、郎等に会うつる事のめでたさよ。それ烏帽子を着るには、二人の親を取る習ひのありと申すが、さて牛若は、誰を烏帽子親に取らうぞ。あう、思ひ出したり。我等が先祖、八幡太郎義家は、七歳の御年、八幡へ御参りあつて、八幡にて御元服召され、八幡太郎義家と名乗らせ給ふ。次男に当たり給ふは、賀茂にて元服召され、賀茂次郎と名乗らせ給ふ。三男に当たり給ふは。大津の新羅へ御参りあつて、新羅三郎と名乗らせ給ふと承る。その如く牛若も、片親をば氏神八幡を取り申さうず。片親は、この年月住み馴れし、鞍馬の大悲多聞を取り申さうず。太刀は多聞の剣、刀は八幡。」と心ざし、内の柱に立て置かせ、九つの元結、みづから召され、御ぐし御生やしあつて、烏帽子矯め付けて召され、瓶子の酒をみづから移し、太刀の前にも三々九度、刀の前にも三々九度手向け、その後、我が身も御召しあつて、「さもあれ、今夜の客人が名をば、何と申さう。仮名は源九郎、実名は義経と申すなり。」と、一人、事をし給ひて、式の祝ひを遂げさせ給ふ。あら、いたはしや、この君。御世が御世にて御元服ましまさば、天が下の諸侍、参り奉公申すべきが、浮世に従ふ習ひとて、呼ぶも応ふるも只一人の御元服。めでたきが中にも、先立つものは涙なり。
 天明けければ牛若殿、烏帽子矯め付けて召され、吉次が前に畏つておはします。吉次、きつと見て、「や、冠者殿は、烏帽子を召されて候か。それ烏帽子を着るには、二人の親を取る習ひのありと申すが、さて冠者殿は、誰を烏帽子親に召されて候ぞ。」牛若殿は聞こし召し、「さん候。余りに人々の、烏帽子召し連れたるが羨ましさに、心ならずに着ては候へども、仰せの如く、いまだ名をば付かず候。とても早、天とも地とも父母とも、万事は頼み申す上、いかやうにも名を付けて、召し使はれ候へ。」吉次、聞いて、「あう、この上、力及ばず。さあらば、今日よりも御身が名をば、京藤太と付けうぞ、やあ。」「畏つて候。」「但しと申すに、御身がやうに、なまめいたる若人を、かちにて路次を連れんずるが大事。今日よりして、吉次が太刀をかづいて、奥へ下り候へ。それ、否と思ひなば、これより都へ上られ候へ。」牛若殿は聞こし召し、「これを譬へに申すかや。世は末世に及ぶと言へど、日月はいまだ地に堕ちず。天上の唐錦下つて、泥沙に交じはる事無し。何として源氏の嫡々が、浮世を渡る吉次が太刀を持たうぞ。あら、はかなの心やな。吉次が太刀を持たばこそ、冥途にまします父義朝の、御佩刀を持つにこそ。」と思し召し、髭切の御佩刀を、輪束に掛け給ひて、吉次が太刀をかづいて、奥へ下らせ給ひけり。涙の雨は玉蔓、昔はかけて見じものを。
 さる間吉次、やうやう下る程に、美濃の国、青墓の長者の館に着く。かの長者の中の出居へは、大名高家の人だにも泊り給はぬに、吉次が泊る謂はれは、義朝の御ために、一間四面の光堂を建てられし時、金五十両、馬十匹、勧進に参る。「情けの深き者なれば。」とて、下り上りには、とどまり候。青墓の遊君ども、雑掌構へ、吉次殿をもてなす。さる間吉次、世にあり顔なる風情にて、「京藤太はなきか。こなたへ参つて、上臈様の御前にて御酌を申せ。」あら、いたはしや、牛若殿。いつ酌取り習ひたる事、御座なけれども、時世に従ふ習ひとて、「おつ。」と応へて召さるるに、まこと取り習はざる事なれば、銚子の酒を弓手馬手へ、さつさつとこぼし給ふ。
 吉次、きつと見て、大の眼に角を立て、「不覚の者が参り、人の御前の御酌を、さやうに賜はるものか。奇怪なり、罷り立て。」と叱る。あら、いたはしや、牛若殿。時ならぬ顔に紅葉をさつと散らし、「さん候。我、西国方にて、諸山寺の衆徒の出仕の御供申し、しきみ、躑躅、閼伽の水、さやうの奉公をこそ、申し習ひて候へ。武士の御前の御酌は、これが初めにて候に、いかにも教へて使はれ候へ。」吉次、聞いて、「やあ、さやうの事をも、私にてこそ申せ。これは、人の御前ぞ。罷り立て。」と叱る。あら、いたはしや、牛若殿、しほしほとして座敷を立たせ給ふ。
 ここに浜千鳥の局、長へ参つて申されけるは、「なう、君、聞こし召せ。主だにも吹かぬ笛を、今参りの京藤太とやらんが、吹くげに候。世にあり顔に、笛を差いて候ぞ。」君の長は聞こし召し、「わ御前は、東海道の名折りを申すものかな。芸は身を避けず。泥の内の蓮、知るを人倫と言ひ、知らぬを鬼畜に譬へたり。いかに吉次が連れたる京藤太と申すとも、吹けばこそ笛をば差すらめ。調子一つ所望せよ。」浜千鳥、承つて、牛若殿の御傍近く参り、「君の長よりの所望にて候。御身の腰に差し給ふ笛、一手あそばせ。」牛若殿は聞こし召し、「何、この冠者に笛吹けと候や。大和竹に目をあけたる、草刈笛にて候を、東の旅の徒然さに、持ちは持つて候へども、吹く事は中々、思ひも寄らぬ事にて候。」吉次、聞いて、「やあ、何と申すぞ。上様よりの御所望は、汝がためには、生涯の思ひ出にてあらずや。たとひ草刈笛にてもあれかし、又、木こり笛にてもあれかし、など調子一手、吹き申さぬぞ。」
 牛若、おかしく思し召し、「これは一旦の礼まで。さらば、一手吹いて聞かせばや。」と思し召し、母の常盤の、淀の津の弥陀次郎が元よりも、買ひ取らせ給ひたる、弘法大師の蝉折なれば、美しきとも中々に、あう、申すばかりもなかりけり。この笛を取り出し、干五上夕中六下口とて、八つの歌口に花の露をしめし、冬盤渉に音を取つて、雲居にさつと吹き上げ、万事を静めてあそばしたり。長、この由を聞こし召し、「面白の笛の音や。唐橋の中将殿は、日本一の笛吹き。富士一見のそのため、奥へ御下りましませしが、この宿に御着きあり、夜と共、笛をあそばせし、音勢、息差し、程拍子、物あひ澄んだる所は、唐橋殿の笛には、汀まさつておぼえたり。これ程の笛にて、定めて楽は吹くならん。楽一手あそばせ。」
 源、聞こし召し、「とても調子を吹く上、吹かばや。」と思し召し、一越調に音を変へ、じゆつこん楽をあそばされ、やがて押し返し、廻盃楽をあそばす。長、この由を聞こし召し、「面白の笛の音や。あら、面白の楽の名や。廻盃楽といふ楽、盃を廻らす楽しみ。下戸も上戸も押しなべて、酒を呑めとの笛の音や。しかるべくは明日ばかり、吉次殿が泊れかし。京藤太に笛を吹かせ、管絃して遊ばむ。」君の長は聞こし召し、「あら、面白の笛候や。漢家は知らず本朝に、か程の笛はありがたし。みづから一つ賜はつて、只今の笛の殿に、思ひ差し申さう。」
 吉次、聞いて、「いかに、兄弟内の者、近う参つて物を聞け。某が都にて申せし事は、これぞとよ。笛は吹かずと腰に差せ、舞は舞はずと扇を常に持てと申せしは、これにてこそ候へ。あの京藤太が笛を吹かずは、何として上臈様の御盃を賜はらうぞ。それ一つ賜はつて、現世の名聞、後世の訴へにせよ。あら、羨ましの京藤太。」と、盃を羨みしは、理とこそ聞こえけれ。その後、牛若殿、三度聞こし召す。牛若殿の御盃が、かなたこなたへ廻し、夜も更けければ浜千鳥、盃を納め、皆局々へぞ帰られける。
 その後、浜千鳥、御前達を近付け、「いかに、わ御前達、聞き給へ。今度、吉次殿が初めて連れて下る初冠は、見目も美しい者、笛も上手。但しと申すに、おかしき事を申すものかな。それ笛の名は、漢竹、胡竹、やう竹。青葉、双葉、天人の一重隠し、弘法大師の蝉折。我が朝の笛は、宇治竹、大和嶋竹、寄竹などとこそ申せ。まだこそ聞かね、草刈笛。あう、昔の人は、心の至りがなうて、笛にて草を刈りたればこそ、草刈笛とは申しつらん。おかしさよ。」なんどと申して、とりどりにこそ笑ひけれ。折節、君の長は、物越しにて聞こし召し、「なう。さて、わ御前達は、その草刈笛の由来を、知つて笑ふか、知らで笑ふか。『百様を知つたりとも、一様を知らずは、争ふ事なかれ。』と申す譬へのあるぞとよ。いでいで、その草刈笛の謂はれを、語つて聞かせむ。
 「昔、我が朝に用明天皇と申せしは、十六に成らせ給ふまで、后の宮もましまさず。或る時、公卿殿上人さし集まつて、扇を六十六本折らせ、六十六本に絵女房を書かせ、国々へ廻し、『いかならんずる賤の女、賤の子なりとも、この扇の絵に似たる女房やある。急ぎ内裏へ参らせよ。一の后に祝ふべし。』と、日本国をぞ触れられたる。日本広しと申せども、この扇の絵に似たる女房は一人もなくして、扇は皆、都へぞ帰りける。
 「かかりける所に、筑紫豊後の国、内山といふ所に、長者一人あり。四方に四万の蔵を建てて住めば、四万の長者と申せしを、人の申し易きまま、まの殿と申す。四十の陰に入るまで、子のなき事を悲しみ、内山の正観音に参り、申し子をこそし給ひけれ。あら、ありがたや。祈誓のしるし、早見えて、『宝珠を賜はる。』と、北の御方御覧じて、やがて御着帯の御身と成り、七月の煩ひ、九月の苦しみ、十月半ばと申すに、産の紐、平らかなり。取り上げ見給へば、玉を延べたる如くなる、姫君にておはします。御夢想によそへ、玉よの姫と名付け申し、いつきかしづき給ひけり。
 「かの姫、十四の春の頃、絵扇の下りけるを、引き合はせて見給へば、物言はば、扇の絵が妬むべうに見ゆる。急ぎ内裏へ奏聞申されたり。御門、叡覧ましまして、『急ぎ内裏へ参らせよ。一の后に祝ふべし。』と、やがて勅使下る。長者、承つて、『たとひ宣旨にても候へ、只一人の姫なれば、思ひも寄らぬ事なり。』と、宣旨を背き申されたり。御門、叡覧ましまして、『その儀ならば、まの殿、芥子の種を日の内に、一万石参らせよ。それが叶はぬものならば、姫を内裏へ参らすべし。』とて、重ねて勅使下る。長者、承つて、『たとひ、いか体の物なりとも、日数を経らば求むべきが、殊更、芥子の種を日の内に一万石、何としてかは求むべき。やあ、女房。只、姫を内裏へ参らせよ。』
 「長者女房、これを聞き、『なう、まの殿。いたうな騒ぎ給ひそよ。御身十八、みづから十四の秋よりも、長者の院号蒙りて、内の者、眷属、何につけて乏しき事はなけれども、『かかる物は時として、草合はせにも合ふや。』と思ひ、あの乾に当たりて茅の蔵を造らせ、年々の芥子の種を取り集めて置いたるが、一万石は、そは知らず。十万石もあるらむ。』長者、なのめに喜びて、『さらば、車を飾れ。』とて、車の数を飾つて、日の内に一万石、内裏へ供へ奉る。御門、叡覧ましまして、『所詮只、まの殿は三国一の長者であり。』
 「御門、叡覧ましまして、『その儀ならば、まの殿、蜀江の錦を以て、両界の曼荼羅を二十尋に七流れ、織り付けて参らせよ。それが叶はぬものならば、姫を内裏へ参らすべし。』と、重ね重ねの勅使立つ。長者、承つて、『こはいかに。蜀江の錦を以て、両界の曼荼羅とやらんは、仏達の、浄土にて蓮の糸を以て、織らせ給ふと承る。我は凡夫の身とし、何としてかは求むべきぞ。やあ、女房。姫を内裏へ参らせよ。』長者の女房、これを聞き、『只一人の姫なるを、内裏へ供へ参らせ、玉楼金殿の台の内の住まひをせば、我が子とは思ふとも、見んずる事もかたかるべし。』
 「夕さりは、『名残惜しみの管絃。』とて、夜と共の管絃なり。されども暁はまどろみ給ふ。かかりける所に、内山の正観音は、長者夫婦が枕上に立ち寄らせ給ひて、『いかに、長者。御身が娘は、みづからが申し子よな。惜しむ所も不憫なれば、諸々の仏達を請じ申し、長者が中の出居にて、錦を織るぞ。聴聞せよ。』承つて聴聞す。七夕、彦星の織る梭の音は、てい、ほろろ。声はさながら御法なり。二十尋に七流れ織りつけて、長者殿の中の出居に置き給ふ。長者、なのめに喜うで、急ぎ内裏へ参らせけり。御門、叡覧ましまして、『所詮只、まの殿は、仏にてましますや。仏の娘を請ひかねて、十善の位をすべるとも、何かは苦しかるべき。』と、位を御すべりましまして、十六の春の頃、たどろたどろと下らせ給ひける程に、十八日と申すには、豊後の国に聞こえたる、早、内山に着き給ふ。
 「さる間、御門は、とある小家に一夜の宿を借り給ふ。宿の亭主、見参らせ、『あら、美しの初冠や。御身はいづくの人ぞ。』『さん候。これは、習はぬ旅の浮き雲の、泊り定めぬ修行者にて候。』太夫、聞いて、『あら、やうやうしや。只、国を仰せ候へ。』『都の者にて候。』『花の都人は、かかる遠国へは、何のための御下向ぞ。』『奉公の望みにて候。』太夫、聞いて、『あら、しようの冠者殿の奉公好みや。この太夫こそ、長者殿の執事なれば、この年に成るまで、子といふものを持たず候。今日よりして、太夫が子に成り候ひて、田地を耕作せうずるとも、又、廻船をせうずるとも、それは御身のまま候よ。』御門、叡覧ましまして、『御覧ぜられ候如く、楊柳の風に吹けたる如くにて、田地を耕作せむ事も、又、廻船とやらんも、中々思ひも寄らず。只、奉公ならば、望みにて候。』
 「太夫、聞いて、『あう、この上は力及ばず。さらば、長者に申さん。』とて、長者殿に参り、この由、『かく。』と申し上ぐる。長者、聞こし召し、『急いで連れて参れ。』『承る。』と申して、御門を具足し奉る。長者、御覧あつて、『あら、美しの初冠や。御身はいづくの人ぞ。』『都の者にて候。』『名をば、何と言ふぞ。』『山路と申し候。』『山路とは、山の道。人の名には初めて聞いた。やあら、面白の名や。いかに、山路殿。この長者こそ、牛を千匹持つて飼ひ候が、九百九十九匹には、舎人が添うて飼ひ候。あれに候、あめなる牛は、舎人どもが、はつたと憎んで、草をも水をも飼はぬなり。今日よりして、山路殿に奉る。草をも水をも、よきに飼うて賜び給へ。』
 「あら、いたはしや、御門は、恋故、領掌し給ひて、明くれば牛の口を引き、千人の舎人とうち連れて、後ろの野辺に出させ給ふ。千人の舎人どもは、刈り習ひたる事なれば、てんでに鎌をひつ提げて、掻き寄せ掻き寄せ草を刈る。いたはしや、御門は、いつ刈り習はせ給はねば、牛にうちかかり、笛うち吹いてまします。馬は馬頭観音、牛は大日如来の化身と承るが、げにや、さありけるか。人間は見知り申さねど、畜生なれども色風情を、見知りたるかと思しくて、草をも食まず、角を傾け舌を垂れ、御門の笛を聴聞す。千人の舎人ども、この由を聞くよりも、『山路殿が吹く物の、名をば何と言ふやらん。』『横笛と申し候。』『あう、面白いぞや、山路殿。草ばし刈るな、笛を吹け。汝が牛には、草を刈りて掛けうぞよ。吹けよ、吹けよ。』と言ふ程に、一度も草を刈り給はず。これを以てこそ、夜更けて心澄めるをば、山路の草刈、夜の笛。和布刈るは田子の浦。若草刈るは武蔵野よ。和布、若草、和歌の浦。用明天皇の、恋故あそばす笛をこそ、草刈笛と申すなり。これは、筑紫の物語。
 「さても都には、御門を失ひ参らせ、公卿殿上人、さし集まつて、博士を急ぎ召されけり。博士参り、占ひ申す。『さん候。来うずる八月十五日に、宇佐八幡の御前にて、御放生会と申す事を取り行はせ給へ。』『それはさて、いか体の者にさすべきぞ。』『さん候。筑紫豊後の国、内山といふ所に、長者一人あり。かの者に御神事を勤めさするならば、御門は都へ還御なつて、天下はめでたかるべき』由を、例文を引いて申す。『さらば、急ぎ筑紫へ使者を立てよ。』とて、長者が門に、榊を立つる。
 「折節長者、出合はせ給ひ、『これは、何といへる子細ぞや。』『さん候。来うずる八月十五日に、宇佐八幡の御前にて、御放生会と申す事を、取り行はせ給へ。』『それはさて、いか体のものが要る事にて候ぞ。』『さん候。職掌、国掌、神官、宮人、八人の八乙女、五人の神楽男参り、ていとうの鼓を打ち、さつさつの鈴を振り上げ、競馬、上げ馬、神子のむら、獅子、田楽通つて後、流鏑馬候よ。』長者、聞こし召して、『あら、事難かしげなる事や。』とて、近里近郷を尋ぬるに、残りは皆揃ひたれども、この流鏑馬とやらんに、はつたと事を欠く。
 「その時、千人の舎人を召して、『もし汝らが中に、流鏑馬ばし知つてあるか。』舎人、承つて、『上にだにも知ろし召されず。その上、我等は明け暮れ、牛にこそ乗り習ひて候へ。流鏑馬とやらんは、中々思ひも寄らぬ事にて候。』長者、聞こし召し、『げにげに、それは、さぞあるらむ。あの山路は、都の者と聞いてあり。もし流鏑馬を知つて、御神事を勤めさするものならば、宇佐八幡も御知見あれ。長者が婿に取らうぞ。』その時御門は、につこと御笑ひあつて、『さん候。流鏑馬とやらんは、易さうなる事にて候。都には、十町に馬場をやり、二町はのけ馬場と名付く。八所に的を立ててあそばすをば、八つ的と申して、これは公卿殿上人の業。神の前には、三町に馬場をやつて、三所に的を立ててあそばすをば、流鏑馬と申して、これは武士の仕業にて、何よりも易さうなる事にて候。』長者、聞こし召して、『さては汝は、よく心得てありける事や。流鏑馬知つて、御神事を勤めさすものならば、是非、長者が婿に取つて、四方に四万の蔵を建て、数多の宝を添へて得させうずる。』と、堅く契約し給ふ。
 「既に八月当日にも成りければ、宇佐八幡の御前に、近里近郷の大名小名、桟敷を打ち、埒を結ひ、各々見物し給ふ。長者夫婦も同じく、桟敷を打つて見物す。さる間、職掌、国掌、神官、宮人、八人の八乙女、五人の神楽男参り、ていとうの鼓を打ち、さつさつの鈴を振り上げ、競馬、上げ馬、神子のむら、獅子、田楽通つて後、流鏑馬に成る。さる間、御門には、色よき装束奉り、鹿毛なる駒に貝鞍置いて、御門に引つ立て奉る。御門、なのめに思し召し、引き寄せ、ゆらりと召され、馬場渡し取つて返し、一の的、ちやうどあそばす。二の的、はたと当たつて、三の的にこの度、開いて懸からせ給ひけるに、神殿、俄に震動して、白き水干、立烏帽子、金の笏を御持ちあり、忝くも八幡は、揺るぎ出させ給ひて、白洲に畏り、『いかなる御事候ぞ。王は十善、神は九善。九善の神の神事を、十善の御身として勤めさせ給へば、いよいよ五衰、重う成り候。今は都に還御成れ。還御成らぬものならば、末世の衆生を罰せうずるで候ぞ。』
 「人多きその中に、長者夫婦は、桟敷よりこぼれ落ちさせ給ひて、『いかなる御事ぞ。十善の御身を三年が間、使ひ申す事ども、口惜しさよ。』と申して、流涕焦がれたりければ、御門、叡覧ましまして、『よしよし、苦しかるまじ。御身が娘を恋ふる故に、三年は奉公ありつるぞ。今は姫を参らせよ。』『承る。』と申して、忝くも宇佐八幡の介錯人にて、玉よの姫は十六、用明天皇十八と申すに、都に還御成り、玉楼金殿の台の内の御住まひし、鴛鴦比翼の語らひ、浅からずこそ聞こえけれ。その後、御子を儲けさせ給ひて、聖徳太子と申して、我が朝に仏法を広めさせ給ふなり。玉よの姫は正観音、用明天皇は阿弥陀如来の化身。聖徳太子、救世観音の権化なり。用明天皇、恋故あそばす笛をこそ、草刈笛と申すなれ。知らぬ事をばわ御前達、笑はぬ事であるぞとよ。」
 その後、君の長は、浜千鳥を召され、「以前に笛吹いたる京藤太とやらんは、思へば見る所のあるに、こなたへ具して参れ。」「承る。」と申して、牛若殿を具足し申す。さる間、牛若殿、座敷に直らせ給ふ。長、この由を御覧じて、「あら、不思議の冠者殿や。座敷に直る風情は、義朝に違はず。御目の内は、ひとへに悪源太にて御座候。物宣ふ声色は、朝長に違はず。もしも源氏のゆかりかかりにてましまさば、早々、御名乗り候へや。」牛若殿は聞こし召し、「さん候。これは上臈の子にても候はず。都は三條よね町に住まひする、下臈の子にて候ふ者。」長、この由を聞こし召し、「なう。御内は何と宣ふぞ。みづからは義朝の妻女なり。万寿の姫と申して、忘れ形見の御座候を、いらたか寺の麓に、出家に成し置き申すなり。さて、このあなたに一間四面に光堂を建て、阿弥陀の三尊を安置申す。義朝、悪源太、朝長、父子三人の御影を顕はし申すなり。もしも源氏のゆかりかかりにてましまさば、焼香なんどあれかし、なう。あら、心深の冠者殿や。」
 源、聞こし召し、軒の玉水ちりちり草、包めども包まれず、さて隠せども隠されず。「父よ。」と言へる声を聞き、山吹、顔にうち匂ひ、「今は何をか包むべき。義朝には八男、常盤腹には三男、鞍馬の寺に住まひせし、牛若と申す者なり。」長、この由を聞こし召し、「さては鞍馬におはせし、牛若御にて御座ありけり。若君を見申せば、死して久しく成り給ふ、義朝の御姿を、見参らする心地のありて、懐かしさよ。」と宣へば、源も、「二歳の年、離れ申せし父御をば、夢とも更に弁へず。只今かやうに仰せらるれば、冥途にまします父御前を、拝み申す心地のありて、懐かしさよ。」と宣ひて、御袂にすがり付き、伏し沈みてぞ泣き給ふ。互に尽きぬその涙、よその袂も濡れぬべし。
 君の長は、浜千鳥を召され、「あれあれ、具足し申し、御影拝ませ申せ。」「承る。」と申して、牛若殿を具足し申す。さる間牛若殿、立ち入り御覧ありければ、げにと義朝、悪源太、朝長、父子三人の御影を顕はし申す。牛若、なのめに思し召し、焼香礼を参らせ、習はぬ旅の御疲れ、礼盤引き寄せ、枕と定め、少しまどろみ給ひけり。
 かかりける所に、義朝、悪源太、朝長、父子三人の人、真黒に鎧ひ、牛若殿の枕上に立ち寄らせ給ひ、「あう、嬉しくも幼心に思ひ立つて、奥へ下るものかな。吉次、吉内、吉六とて、兄弟三人が言ふ事を、我々父子三人が言ふと心得、西を東、北を南へとも、背くべからず。吉次が太刀をかづいて、奥へ下り候へ。暇申して、さらば。」とて、立ち帰らんとし給ひしが、「そよ、まこと、忘れたり。日本国の盗人が、吉次が皮籠に目をかけ、青野が原に与力し、夕さり、夜討ちに寄せうず。用心、よきに仕れ。我々父子三人の者、草の蔭にて鉄の楯と成るべきぞ。かくてもあらまほしけれども、修羅が始まるに、暇申して、さらば。」とて、立ち帰らんとし給ひし時、源、夢心に、「あら、御情けなや。なう、暫く。」と仰せあつて、鎧の袖にすがるかと思し召し、両眼覚めて御覧ずれば、御影の袖に取り付き申す。「さては夢にてありけるや。あへなの今の対面や。」とて、流涕焦がれ給ひけり。
 さる間牛若殿、「確かに御夢想のありつるものよ。」と思し召し、元の座敷へ御帰りあり、萌黄匂の腹巻を草摺長にざつくと召し、古年刀の腰の物、一文字に御差しあり、笄抜き出し、枕と定め、髭切の御佩刀を腹の上にとうど置き、弓手の足をさし延べ、馬手の足をきつと立て、弓手の御目のまどろむ間に、馬手の御眼が天井をはつたと睨んで、宿直をしてこそ臥されけれ。
 さても、青野が原に与力する、盗人は誰々ぞ。まづ、越後と信濃の境なる、熊坂の長範親子六人座す。善光寺の南大門の、居計らひの右馬丞。胡蝶の四次、在口の七郎、八田の刑部、掻い掴みの鷲次郎、窓を覗くは空めくら、宵に塗つたる生畔を、暁走る螻蛄次郎。田楽が窪には、友を迷はす狐三郎。同じく鼬次郎、富士に坂東次、坂東内、伊豆の御山の柳下の小六。この人々を先として、大将は七十余人。その外都合小盗人、三百人には過ぎざりけり。青野が原にうち寄り、大幕三重に打たせ、筒、大瓶を舁き据ゑ、「我等が宝を呑まばこそ、吉次が皮籠を呑むなるに、呑めや、歌へや。」「尤も。」とて、舞うつ歌うつ酒盛する。
 かかりける所に、熊坂の長範は、東西の鳴りをしつとと鎮め、「面々は、何と定むる子細によつて、さやうに酒をば参るぞ。いでいで、長範が盗みし始めし、謂はれを語つて聞かせむ。某が親にて候者は、越後と信濃の境なる、熊坂といふ所にて、只、仏のやうなる全人なり。某は、いかなる仏神の御計らひにや、七歳の年、岡野郷といふ所にて、叔父の馬を盗み取つて、並び飯田の市にて売つたるに、ちつとも子細が候はず。それよりも盗みには、元手も要らず、よき商ひと思ひ定め、日本国を走り廻つて盗みをするに、一度不覚を取らず。
 「かくて長範、子を五人持つて候。太郎は昼強盗が上手、次郎は忍びが上手、三郎は夜討が上手、四郎は馬をよく盗み候。五郎は人をかどへ取つて、佐渡が嶋にて売つたるは、ちつとも子細が候はず。きやつばらは、一期過ぎうずる能を、皆持ちて候が、七歳の年よりも、一度不覚をかかぬ長範が、今宵、胸こそ騒げ。あつぱれ、三百余人が中に、才覚廻つて弁舌の、明らかなる人やましますらむ。吉次が館へうち越え、内の警固をそつと見て、やがて御戻り候へ。」
 人多き、その中に、伊豆の御山の柳下の小六、「何がし、見て参らん。」と言ふままに、柿の篠懸、飾磨の兜巾、眉はつかに引つこうで、青墓の君の長の門外に立ち寄つて、大音上げて呼ばはる。「熊野山の山伏が、仏法の修行のそのために、奥松嶋へ通るなり。山伏は十人に余つて候。今夜一夜の陪当賜べや。」と呼ばはつて、内の警固を静かに見てぞ通りける。ややあつて内よりも、米の俵を投げ出す。小六、きつと見て、「や、物への門出に、縄掛かつたるものよ。」と思ひ、腰の刀を引ん抜いて、掛縄はらりと切つて捨て、米を少し取つて、青野が原に走り帰つて、中の座敷にとうど居て、二の息ほつとつく。
 長範、これを見て、「さていかに、柳下殿。」小六、承つて、「さん候。得物は幾らも候。八十四の皮籠を切戸の脇に積んだるは、只、宝の山の如し。四十二匹の雑駄、三匹の乗り馬、いづれも皆、よい馬にて候。四十余人の兵士の者、弓、胡簶、太刀、長刀を押つ取り添へ、用心する顔には見えて候へども、例の胴突を当つるならば、きやつばらは皆、縁の下に隠れうず。馬も皮籠も易々と取らうずるが、ここに大事の事が候。」長範、聞いて、「今初めて柳下殿の大事とは、何事ぞ。」
 小六、承つて、「語らば聞こし召されよ。古は連れても下らぬ、十四、五なる初冠が候。このわつぱが衣裳の体を、そつと見たる所は、色白く尋常なるが、肌には緞錦といふ物を着て候。着たる直垂は、日本の絹にては候はず。唐絹を以て、地をば山鳩色に、一刷毛さつと刷いて、十八五色の糸を以て、物の上手が縫ひ物を縫うて候。まづ弓手の紐付には、斎垣、鳥居、社壇を縫ひ、馬手の紐付には、丈比べに杉を三本縫うて、源氏の氏神白鳩が、十二のかひ子を飼ひ育て、羽節と羽節とを食ひ違へ、ばつと立つてはさつと下り、舞ひ遊うだる所を、ありありと縫うて候。後ろの菊綴には、北山殿山荘、住吉の水浜、御室の御所の景気を、ありありと縫うて候。
 「さて又、袴の下りには、四弘誓願をまなんで、唐土の猿も千匹、日本の猿も千匹。唐土の猿は大国なれば、背を大きう面を白く縫うて候。日本の猿は小国なれば、背を小さう面を赤く縫うて候。唐と日本の潮境、ちくらが沖といふ所にて、唐土の猿は日本へ越さんとす。日本の猿は唐土へ越さんとす。越さう越さじの降魔の相の所をば、あう、ありありと縫うて候。さて又、袴の蹴廻しに、岩に松、鶴に亀、井堰にかかる川柳、沖の浪がどうど打つて、さつと引いて行く、潮境を縫うて候。着たる腹巻は、毛は萌黄縅なり。世の常の腹巻は、草摺を八枚下ぐるが、この草摺は十二枚。十二枚の草摺に、白金黄金を以て、薬師の十二神をいがいがと表す。
 「差いたる刀は皆、黄金造りなり。取付、鞘口に、倶利伽羅不動明王の、あう、瀧壺へ飛んでおり、剣を呑うだる所を、ありありと彫つて候。面の目貫は不動の体、裏の目貫は、鞍馬の大悲多聞の御神体を表す。下緒には、法華経の七の巻薬王品を、三流れ組んで候ぞ。持つたる太刀は、二尺六寸か七寸かとおぼえたり。切羽、腿寄、雲同が兜金、まことの目貫、空目貫、責、芝引、石突、革先に至るまでも、上品の黄金を以て、ひかめき立つて見えて候。
 「着たる烏帽子は、六波羅様の当世向きの、粒のちつとあららかなるを、一くせみくせませ、雛形に間をあらせ、櫛形をいがいがと、ひと矯め矯めて、左へ折つた烏帽子なり。鬢の髪は縮んだり、眉の毛は刈つたり。昨日か今日かの山出し、このわつぱが有様を、物によくよく譬ふれば、木ならば紫檀、鳥ならば鳳凰、金ならば沙金。昔を取るならば源氏の大将、当世様を取るならば、清盛、宗盛の御公達でましますが、継母の仲に憎まれ、東と聞いて、吉次を頼うで奥へ下るとおぼえたり。このわつぱが目の内を、只一目見て候が、油断するものならば、三百七十余人の、やあ、盗人の細首は、助かりがたくおぼえたり。」
 長範、聞いて、「柳下殿の物語は、更に気も散ぜぬ事候よ。そのわつぱが何とも逸らば逸れ、例の長範が棒を以て、ゆり開いて、只一打ちの勝負候よ。夜は何時ぞ。」「八つの頃。」「時分はよいぞ。早、うつ立てや。」「尤も。」とて、てんでに松明とぼし連れ、青墓の君の長の門外へ、ののめきかかつて押し寄する。熊坂の太郎は、胴突を押つ取つて、どうどうと当てた。源、聞こし召し、「あは、夜盗よ。」と思し召し、わざと表の蔀を二、三枚取つて、縁より下へ投げおろし、寄する盗人を、「今や遅し。」と待ち給ふ。
 かかりける所に、熊坂の太郎は、黒皮の胴丸着、髪をばつと乱し、長刀を引きづりて、松明をばつと振り立て、「人はないぞ。只参れ、やあ。参れや、参れや。」と下知を成す。源、御覧じて、「きやつは曲者かな。切らばや。」と思し召し、走りかかつて、雷切りと名付けて、ちやうど切つて御覧ずれば、無残やな、太郎は、あへなく首を打ち落とされて、首は内へ転びければ、胴は外へぞ倒れたる。熊坂の四郎が、急ぎ走り帰つて、「いかに、なう、長範。太郎殿こそ手負うてましませ。」長範、聞いて、「やあ。痛手か、薄手か。」四郎、承つて、「痛手やらん、薄手やらん。首が失せて候ばこそ。」長範、この由聞くよりも、「無念の次第かな。そのわつぱに手並見せん。」と言ふままに、八尺五寸の、さても棒をば、茎長に押つ取り延べ、源に渡り合ふ。
 源は御覧じ、長範が棒をば、一尺おいてづんど切り、二尺おいてちやうど切つて、手元ばかり残されたり。三百七十余人の盗人、源を真中に取り籠めて、「火水に成れ。」と揉うだりけり。源は御覧じ、玉に馴れたる蓬莱の、鳥の風情もかくやらん、驚く気色もましまさず、大勢の中へ割つて入り、西から東、北から南、蜘蛛手かくなは十文字、八つ花形といふものに、割り立て追ん廻して、散々に切つて廻る。天は渦巻いて、地は朱に染め変へ、龍が水を得、雲を分け、虚空へ上がる如くなり。いまだ時も移さぬ間に、究竟の盗人どもを、八十三騎切り伏せたり。
 長範、この由見るよりも、「是非某、手並見せん。」と言ふままに、六尺三寸の、さても長刀、水車に廻いて、源に渡り合ふ。源は御覧じ、多くの敵に渡り合ひ、骨は折つたり。げにや、長範は新手の武者なり。大長刀にて叩き立てられ、受け太刀に成つて、きつきつと引き給ふ。長範、これを見て、「あは、よいぞ。」と心得、隙間なく打つてかかりけり。さる間、源、「僧正が崖にて習ひし、さても天狗の法は出よう所。」と思し召し、霧の法を結んで敵の方へ投げかけ、小鷹の法を結んで、我が身にざつとうちかけ、ちやうど切つて御覧ずれば、無残やな、熊坂、真向二つに打ち割られ、朝の露と消えにけり。
 それよりも源、奥へ下らせ給ひて、天下を治め給ひけり。

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