静
(大頭左兵衛本)
梶原平蔵景時、鎌倉を立つて都に着く。判官殿の思ひ人、静御前の御行方を、尋ね給へど行き方無し。辻々に札を立て、その告げを待ちける。九重の内にも、「あはれ、静が逃れよかし。たとひ勲功あるべくと、誰やの者か参り、六波羅にてかくと申すべき。」と、上下涙を催して、「哀れ。」と問はぬ人ぞなき。
かかりける所に、母の禅師召し使ひし、あこやと申す女、或る札を読うで見るに、「判官殿の思ひ人、磯の禅師が娘、静御前の御行方を、六波羅に参り、申したらんずる輩に、上臈ならば官を成し、下ならばいとのしやう。勲功は功によつて、勧賞、望みたるべし。景時判。」と書き留めたり。あこや、左右なくこの札を懐中し、六波羅さして急ぐ。既に梶原は、静御前を尋ねかね、「関東下向。」とて、馬引き寄せ乗らむとす。あこや、やがて走り寄り、人目を憚りこの札を、景時が袂に落とし入る。梶原、やがて心得、この女房を先馬に取り乗せ、六波羅を出る。女、手綱を引き向け、大和大路にさしかかり、一二の橋うち渡り、法性寺をば行き過ぎ、伏見と深草との境なる、浄土寺へ乗り入れて、「ここぞ。」と言うて馬を止む。
梶原、馬に乗りながら、大音上げて申す。「磯の禅師の娘、静御前のこの寺に、まします由を承り、関東の梶原が、御迎ひに参つて候。早々、御出候へ。」と、大音上げて申す。静も母も諸共に、「夢にも人の知らじ。」と、深く頼みをかけつるに、「誰やの者か参り、六波羅にて『かく。』と申しつらん。恨めしさよ。」とかき口説き、簾の間より見出せば、年頃召し使ひし、あこやと申す女、先馬に乗りて来りたり。「さては早、この女が、注進によりにけり。貪欲妄念は、情けをも振り捨てて、恥をもさらに顧みず。あこやがしるべをする上は、何と思ふと叶ふまじ。いかがはせむ。」とかき口説き、泣くより外の事は無し。
母の禅師、立ち出、簾巻き上げ、梶原に見えければ、「まづ余さじ。」と取らむとす。禅師、涙をとどめ、「なう、静御前は昨日まで、この寺に候ひしが、都の人目を包みかね、大和の方を心がけ、小夜更け方に出つるが、男を連れぬ夜道にて、宇治の方にや迷ふらん。追手をかけさせ給へ。」と、一旦偽りたりければ、梶原、聞いて、「まづ寺中を探し申し、げに無くは、追手をかけ申すべし。東は安久留、津軽の果て、西は艪櫂の届かん程、天が下のその内に、探さぬ所あるまじ。誰かある。参り、寺中を探し申せ。やあ、兵ども。」と下知すれば、静、この由聞くよりも、「なう、それまでも候はず。みづからはこれに候ぞや。暫く暇賜び給へ。この程馴染み申す比丘尼達に御暇申し、やがて罷り出べし。乗り物用意し給へ、梶原殿。」
梶原聞いて、腹を立て、「さらば、疾くにも。『この道を、かく。』とは仰せもなくして。その間は門前に、待ちこそ申し候はめ。やあ、こなたへしざれ、兵。」と、門より外に引き出す。網代の輿のふりたるに、力者ばかりを相添へて、門より内へ入りにけり。あら、いたはしや、静御前。この程馴染み申す、比丘尼達に御暇申し、泣く泣く「出む。」としたりしを、母の禅師、これを見て、「暫く。なう、静御前。いとどだに女は、五障三従に選ばれ、罪の深いと承る。義経の草の種宿して、露の消えもやらず、『たらちねのその中まで、探せ。』と言ふ事あらば、冥途に赴く人ぞかし。敵の手に渡らぬ間に、髪剃り衣脱ぎ替へ、戒保つて冥途の道、教へられさせ給へ。」
「げにげに、これも言はれたり。」と、辺りに尊き御聖を請じ、「髪下ろして。」とありしかば、「公方の御咎め、いかがせむ。」と、人を出して梶原に、出家の暇を乞ひければ、梶原聞いて、「これも関東よりの御使。私にては叶ひ候まじ。まづ御ぐしを付けながら下向あれ。よきやうに申し成し、御出家の御暇を参らせむ。」と申す。「げにげに、これも言はれたり。」とて、髪をばいまだ付けながら、剃刀ばかり額に当て、戒経の文を唱へて、五戒を授け給ひけり。
「そもそも五戒と申すは、殺、盗、淫、妄語、飲酒。この源を尋ぬるに、良弁たしやうの、かかの流れを汲んで、鑑真の法を伝へたり。天平勝宝六年に、奈良の都に戒壇を建て、聖武皇帝、初めて受戒し給ふ。又、天台の戒壇は弘仁五年に、きむ座主の建てさせ給ふ。上下万民押しなべて、まことの道に入る人の、誰かは戒を受けざらん。
「そもそも第一に殺生戒と申すは、物の命を殺さぬなり。その謂はれを案ずるに、昔、玄奘三蔵の、聖経を渡さむために、流沙を渡り葱嶺の、嶺を越えさせ給ふ時、六賊王来つて、聖経を奪ひ取る。見る人、これを弔ひしに、三蔵の宣はく、『愚かなり。たとひ聖経をば取らるるとも、命といふ重き宝を取られねば、何をか、さして嘆かむ。』と、憂へたる色もましまさず。この世一世のみならず、生々世々の命は、重き宝なるべし。この謂はれを知らずして、或いは貪に堪えず、親しきを失ひ、うときを滅ぼすは、愚痴の致せる所なり。今は人を殺すとも、因果は身に積もるべし。一世に物を殺して、七生まで殺さるる。蝸牛の角の上にして、何をか争はむ。石火の光、水の泡、只幻の世の中に、一旦の貪に耽つて、殺生をするぞはかなき。
「そもそも第二に偸盗戒と申すは、他の宝を犯さぬなり。今も貧苦にある者は、『前の世に人の物を盗みし。』と思ふべし。東方朔が三度まで、仙の桃を盗み、仙宮に籠められしも、さこそは悔しかりつらん。遠山鳥の花の色、霞に籠めて見えねども、匂ひを盗む春の風。同じその名は立ちながら、咎には堕ちじとぞ思ふ。押さへて殺めらるるこそ、三更の深き夜に鳴くほととぎす、音を盗み、冥途の鳥と成りにけり。あら、あさましや。仮にも偸盗を犯す事なかれ。
「そもそも第三に邪淫戒と申すは、我が妹ならぬ女に、言葉をもかけず。我が背ならぬ夫の、言葉をもかからず。嫉妬の罪は他生まで、鬼畜生に生まるるなり。村上の安子の女院は、清涼殿の皇后に、妬まれさせ給ひ、深淵の蛇と成つて、むそちの長きあきの夜も、暗き闇路に迷へり。上陽人といつし人は、楊貴妃に妬まれ、朱雀院の鬼と成る。恐れても余りあり。邪淫戒を保つべし。
「そもそも第四に妄語戒と申すは、空言を戒めり。偽り多き言葉には、その咎多きものなり。されば北野の天神の、菅丞相にておはせし時、時平の大臣に讒せられ、心筑紫へ流されて、榎寺にて失せ給ふ。その咎に、大臣は奈落に沈み給へば、菅丞相はまさしくも、今の北野の神と成る。孟嘗君がいたづらに、鳥の空音に関を開けて、敵に討たれ給ひけり。猶戒めの深き事は、妄語戒にとどめたり。
「そもそも第五に飲酒戒と申すは、酒に酔ひてひれ伏し、売り買ふ事を戒めり。ぎくわとうによといつし人は、五百生の間、愚痴の闇に迷ひしも、服酒破戒なるが故。或いは、『鷲峰山の戒め。』と号し、又は、『三十六の咎あり。』と嫌へり。『かかる戒め深き酒を、何とて天台山に許すぞ。』と尋ぬるに、昔、天台山に、飲酒を殊に戒め、酒を嫌ひ給ひしに、九條の丞相、御登山のありし時、饗応の余りに、初めて酒を許す事、寒を防がむためなり。台嶺の遊歓に、猶この酒を許せり。まして花底の遊詠に、誰かは酒を呑まざらん。樽の前には酔ひを勧め、曲水に盃を浮かべ、四囲の朝野を見渡せば、山も紅葉に酔ふとかや。酒を愛する人をば、福酒とこれを名付け、呑む事を許し、売り買ふ事を戒めり。それは謂はれぬ所。仏を始め奉つて、阿難、迦葉、須菩提、いづれか酒を好み、よろぼひ歩き給ひし。酔ひては心乱れつつ、おのづから舌を忽ち殺害す。猶戒めの深きは、飲酒戒にてとどめたり。
「かかる五戒を全うして、一つも破る事なくは、転輪王と生まるべし。昔、恵心の僧都、王の御幸を必ず拝み給ふ。僧都の姨、安養の尼、不審を成して問ひ給ふ。『何とて僧都は仏のやうに、王を拝ませ給ふぞ。』僧都、答へて曰く、『王の尊きにあらず。前の世によく戒を保ち、今国王と生まれ給ふ。その宿善の力の尊さに、さて拝むよ。』と仰せけり。いかにも我等、前の世に、戒行無きが故に、心も愚痴に、悟り無し。今この授け申す戒行によつて、信楽の衣の上に、開発と包み、捨て去れよ。当来にては必ず、受戒の酬因、浅からず。無常得脱成り給ひ、かへつて我を導くべし。寝覚めに忘れ給ふな。」と、説き教へ申す。その日、既に入相の鐘。つくづくと聴聞す。
梶原、待ちかねて、「遅し。」と言ひて責めければ、聖、涙を流し、廻向の鉦打ち鳴らし、灯明を消し、庵室に入らせ給へば、静は武士の手に渡る。「灯し火暗うしては、数行、虞氏が涙。夜更けぬれば、四面楚歌の声。」とは、虞氏が別れを悲しみて、作り給ひし詩にてあり。それは異国の物語。これは静が身の嘆き。漢と和朝は変はるとも、思ひの色は一つなり。上は玉楼金殿、下は賤が伏屋まで、静を惜しまぬ人ぞなき。「見目と言ひ、能と言ひ、心の情けの道と言ひ、類もやはかあるべき。」と、人々の嘆き、愁嘆は、四方にも余るばかりなり。
かかる哀れを催す所に、ここに憎き事こそ候ひけれ。あこやと申す女、梶原に訴訟するやうは、「忘れさせ給はぬさきに、御約束の宝禄を、みづからに賜べ。」と申す。梶原聞いて、腹を立て、「何と申すぞ、あの女。『静御前の関東下向。』とて、上下万民押しなべて、哀れを催す所に、申さむや、汝は、昨日が今日に至るまで、御内にありし者ぞかし。別れをば悲しまで、宝禄の乞ひやうこそ心得られね。余りに物を知らぬ女に、因果歴然の道理を語つて聞かすべし。それにてよく聴聞せよ。宵には朗月をもて遊ぶといへど、暁は別離の雲に隠れぬ。心は虚空常住にして、形ばかりは仮の宿。耳はとせいの耳、目は浄玻璃の鏡、舌は禍の根、口は禍の門。舌三寸の囀りを以て、五尺の身を果たす。誰かある。あの女に引き出物を取らせよ。」「承る。」と申して、雑車に取つてうち乗せて、渡す所はどこどこぞ。上は一條柳原、下は河原九條。小路小路を渡し、見る者毎に憎ませて、後にはこの女を、桂川の深き所を尋ねて、ふし漬けにしたりけり。都の上下、これを見て、「物言ひしたる女房の、所知をば賜はらで、黄泉の国の大国を、賜はつたりや。」と申しつつ、見る人聞く者押しなべて、憎まぬ者はなかりけり。
かくて静御前を輿に乗せ、浄土寺を出る。母の禅師も泣く泣く、かちにてあこがれ出る。静、この由見るよりも、「母をかちにて歩ませ申し、その子が輿に乗りたればとて、安き心のあるべきか。年寄りたる母を乗せて舁け。」とて、こぼれ落つる。「げにげに、これは道理。」とて、馬を立て、母を乗せ、都に名残、憂き思ひ。物憂き事に粟田口。我をば止めよ、関、山科のすさまじさに、過ぎ降る雪の下道を、後よりも誰か大津の浦。消えばやここに粟津が原。思ひは猶も瀬田の橋。野路に日暮れて篠原や。憂き節繁き仮の宿の、夜毎に物や思ふらむ。この程は心の闇にかき曇り、鏡の山も見も分かず。名は醒ヶ井と聞くからに、深き心は泉かな。いとど涙の多かるに、雨山中や通るらん。嵐、凩、不破の関。月の宿るか袖濡れて、荒れたる宿の板間より、露も垂井と聞くからに、絞りかねたる袂かな。夜はほのぼのと赤坂や。うちこそ渡れ、杭瀬川。植ゑし早苗のいつの間に、黒田とは成りてはらむらん。夏は熱田と鳴海潟。三河に架けし八橋の、末をいづくと遠江。恋を駿河の富士の嶺の、煙は空に横折れて、くゆる思ひは我ばかり。伊豆の三嶋や浦嶋が、開けて悔しき箱根山。相模の国に入りぬれば、猶憂き事を菊川の、宿にも早く着きにけり。
梶原、道より早馬を立て、「静御前をば、菊川の宿まで召し具して候。道の草葉の露霜とも、成しもやせむ。」と申す。頼朝、聞こし召して、「尋ぬべき子細あり。鎌倉まで召し具せよ。」承つて、静を大御所さして舁き入るる。折節あり合ふ大名小名、「かかる時にこそ、耳を打たする学問の候へ。静は聞こゆる学匠なれば、いざや、参つて聴聞せん。」と、内侍、遠侍に、所せきなく並み居たり。ややあつて頼朝、御対面のそのために、青狩衣、立烏帽子召し、和田、秩父、左右にして、御座に直らせ給ふ。静、輿より下り、鏡をも見分かずして、遥かに座敷の空いたるを、「我がためぞ。」と思ひ、人々の方を後ろに成し、包めどこぼるる涙の色、乱れ髪を伝ひて、貫く玉の如くなり。
頼朝、御覧じて、「磯の禅師が娘、静とは、女房が事か。四国九国の合戦は、珍しからぬ物語。頼朝が威勢によつて、諸国はおのれと鎮まりぬ。世が我がままにも成らぬには、兵法の術も叶はず。遠く異朝を尋ぬるに、荊軻、秦舞陽、樊於期が首を借つて、始皇帝を狙ひ、阿房殿まで登るといへど、運尽きぬれば、討たれぬ。いはむや義経、荊軻、秦舞陽、樊於期程は、よもあらじ。まして樊噲、張良が、勢ひにも劣りたる、義経一人戦ひて、天下に満ちし平家を、傾くべしともおぼえず。頼朝が威勢の重き所なるべし。それに義経、『この世を覆さむ。』と思ひ立つ。義経と一味し、愛念深く定めなき、契りを籠むる静には、心許すべからず。たとひ女の身なりとも、怨念の深きをば、強敵とこれをするなり。なにさま、引く手定めなき、遊女の身とありながら、さしも頼朝恨めしき、草の種を付くと聞く。やあ、いかに。」との御諚なり。
静、うとまし顔にして、袂を顔に当てながら、泣く泣く申しけるやうは、「そもそも人の契りの、定め無しとはいひながら、生々世々、旧縁の、尽きせず朽ちぬ機縁にや。昔、源氏の大将も、桐壺、帚木、空蝉の、もぬけの衣着たりし、尼にも契り給ひぬ。若紫、末摘花、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨や明石、澪標、関屋、蓬生、絵合、松吹く風や薄雲。それのみならず源氏は、六十帖の物語、はかなき契り、これ多し。一樹の蔭、一河の水を汲む事も、他生の機縁とこそ聞け。富める人もいつまでぞ。いつまで草のいつまでと、霜枯れ行くを知らぬぞ。」と、袂を顔に押し当てて、泣くより外の事は無し。
頼朝、聞こし召し、大きに腹を立て給ひ、「何と申すぞ、静。言葉多しと申せども、いつまで草と言ひつるは、壁に生ふる草なり。平地に根をさすだにも、秋果てぬれば霜枯るる。ましてや壁に束の間の、根を掛くる草なれば、皆、秋果てぬその前、盛りの夏に枯るれば、いつまで草とこれを言ふ。さればにや、静。我が身の上を観じ、源氏によそへ六十帖、所々語つつなり。それはともあらばあれ、いつまで草と言ひつるは、頼朝が事を申すなり。『今、世に出て天が下を、我がままにするとも、いつまで栄ゆべきぞ。』と、申しつる所。それは静が言はずとも、有為転変の世の習ひ、明日まで頼む事やある。しかりとは申せども、世にある程はいつまでも、久しかるべきためしには、かねては松を植ゑ置き、住吉とこそ祝ふなれ。名詮自性、中々、移ろひ易き世の中に、祝へば叶ふ事なるに。それに静が何ぞそも、源氏の物語に、『いつまで草。』と言ひ掠め、頼朝が身の上を、調伏するとおぼえたり。かかる不祥を聞く耳、潁川の流れあらざれば、洗うつべしとおぼえず。」と、御座敷、づんど立ち、板荒らかに踏み鳴らし、内所へ入らせ給ひけり。連座ありし人々、一度に座敷、ばらりと立つ。心細くも静は、只一人ぞ残りける。
さる間梶原は、思ふさまにしおほせ、内々うち笑ひ、静が辺りへ立ち寄つて、「これは公方の御座近し。こなたへ御出候へ。」と、伴ひ出したりけるが、「いやいや、かかる召人なんどは、時刻移れば内縁あり。後の煩ひ、難しし。今夜の内に胎内を探し、朝敵の御末を枯らさばや。」と思ひ、宿を取りて押し籠め、日の暮るるを待ちける。「さすが、人の先途なれば、最後を知らせ、その支度をあらせばや。」と思ひ、静が辺りヘ立ち寄つて、「あら、いたはしや。今夜、御内より、『胎内を探し、実検。』との御諚の候。思し召さるる事の候はば、何事も母御前に、仰せ置かれ候へ。」と、空泣きして語る。
静が母の禅師、娘に抱き付きつつ、「そもそも人の親の習ひにて、悪しき子のあまたあるだにも、別れといへば物憂きに、ましてや申さむ、みづからが、只一人の静御前。『見目形、心ざま、上下に並ぶ人無し。』と、世にも隠れぬ一人子を、先立て、何と成るべきぞ。いかなる朝敵、逆臣も、女を殺す事は無し。たとひ厳格、荒けなき、夷の住みかなれども、盛りの花を風無うて、切り枯らしたる事やある。うたてかりける鎌倉の、政。」とかき口説き、泣くより外の事は無し。「よくよく物を案ずるに、頼朝よりの御諚、ゆめゆめ以てあるまじ。これは只、讒人の、成せる所なるべし。事もなのめの時にこそ、人目も包み、恥づかしけれ。北の台へ参り、静が訴訟を申さばや。」と思ひ、ここかしこを分けくぐり、しかるべき人について、静が訴訟、申し上ぐる。
折節、北の御方、御機嫌めでたうて、「人の親の習ひにて、子を思ふ道は浅からぬぞ。これは、時刻移して叶ふまじ。早、疾く疾く。」との御諚にて、忝くも北の台、奉書を下し給ふ。静が母の嬉しさは、何に譬へむ方も無し。鳥ならば一飛びに、飛んでも告げたけれども、女の身のこの程の、思ひに痩せ衰へ、夢路を走る如くに、只一所ばかりに、躍るやうにぞ思ひける。
さる間梶原は、日も入相の鐘を聞き、「今は。」と思ひ澄まし、警固の者四、五人、けしからぬ姿に出で立たせ、静が宿へ輿寄せて、「早、召されよ。」と申す。静、この由聞くよりも、今を限りの事なれば、唐綾の二つ衣、掛帯守り掛けながら、呪遍に御経取り添へて、輿の前へぞ出られける。「我よりも涙は、誰を誘うて先立つぞや。などや甘露の母御前、都の内を出しより、かくあるベしとは知ろし召さずや。最後の道に赴くを、御覧せざるぞいたはしき。とても叶はぬ訴訟故、今朝、御所中へ出られつる。面影ばかりの立ち添ひて、今朝の別れを限りぞと、知らで待ちつるはかなさよ。親は一世と聞くなれば、冥途で又も会ふべきか。それも後悔すべからず。それ人間の習ひにて、進み退きとにかくに、物憂かるべき憂き世かな。心に任せざりけるは、生死無常の世なりけり。」かやうにかき口説き、最後の輿に乗り給ふ。
「乗るか。」と見れば武士ども、輿を宙に飛ばせ、由比の汀に急ぐ。「ここにて胎内を探さむ。」と、立ち隠す所に、土肥次郎実平は、鎌倉の警固にて、暮るれば十騎、二十騎にて、鎌倉内を廻りしが、何とは知らず、浜端に、怪しき人の見えければ、駒うち寄せて、「誰そ。」と問ふ。「梶原、これにあり。」と言ふ。「何事ぞや。」と問ひければ、「静が胎内を、只今探すなり。」と申す。実平聞いて、「あう、それはよくこそしたたむれ。さりながらこの辺は、若宮近き所にて叶ふまじ。これより少し引きのけ、名越が入江の三昧は、いしかりなむと存ずる。」「あう、尤も。」と同じ、又、輿寄せて、うち乗せて、あう、名越が入江ぞ急ぎける。
静、この由見るよりも、「これや、冥途の呵責か。逆浪の旅も、かくやらん。かねて一世と聞きたりし、親には生きて離れつつ、又も会はぬに蘇り、暗き闇路を又行くや。当鎌倉の敬神は、かの若宮にしくは無し。しかも八幡大菩薩、宗廟の神として、放生会を成し給ふ。毎年八月一日より、一切の有情の、取られて死すべかりしを、値を報じて買ひ集め、同じき月の十五日に、石清水の流れに、放ちて助け給ふなり。この理に任せつつ、放生会とは申すなり。神々ならば聞こし召せ。人こそ人を殺すとも、和光の影の遍くは、我を助けて賜び給へ。たとひ命は露の身の、消え易き習ひにて、嘆くしるしのあらずとも、生きて別れし母上を、ま一度見せて賜び給へ。神は歌に、必ず納受ましますなれば、腰折れながら傍題の、愚詠を詠みて参らせむ。」
などされば難波に捨てし浦浪の静も荒き浜の名は立つ
か様に詠じ、若宮へ廻向申されたりければ、何とは知らず、後ろより、人の呼ばはる声は、かすかにこそは聞こえけれ。警固の者、これを聞き、「何事にや。」と問ひければ、静が母の禅師、呼ばはる声にてぞ候ひける。梶原、肝を潰し、「奉書や下し賜はらむに。何とも是非の無き前に、計らヘ。遣れ、兵。」「承る。」と申して、輿を宙に投げ下ろし、静を取つて引き出し、「害せむ。」とせし時、土肥次郎、塞がつて、「実平、かくてありながら、もし奉書や下し給ふらむに。慌てて後の大事。」と、押しとどめたりければ、梶原、いとど怒つて、「只、害せよ。」と申す。禅師は、「奉書、これあり。」と、呼ばはり叫び走れば、静は、「母の声。」と聞いて、「遅し。」ともだえ焦がるるを、物によくよく譬ふれば、罪深き罪人、倶生神の手に渡り、無間大城の底に堕とさるべかりしを、六道能化の地蔵の、錫杖をからりとうち振つて、「訶訶訶微娑麼曳。」と呼ばはり、かけすくひ上げ、「助けむ。」とし給ふも、これ程ぞありつらん。
心なき兵、刀を捨てて泣きければ、さしもに猛き景時も、大声上げて泣きにけり。さてこそ奉書読み上げて、静も母も諸共に、同じ輿に取り乗り、喜楽の笑みを含めば、静は母にすがりついて、「これは夢か。」と言ひければ、母は娘に抱き付き、「夢とな言ひそ。うつつぞ。さもあれ危ふかりつる、わ御前が今日の命。」とて、はらはらと泣きにけり。憂き時は道理、流す涙は理や。嬉しき今の何とてか、さのみ涙のこぼるらん。
かくて静御前をば、土肥次郎に預けらるる。頼朝よりの御諚には、「静が胎内の子、男子ならば朝敵にて、力及ぶべからず。女子の体にてあるならば、母が宝と成すべし。」と、かねて御下知下る。静も母も諸共に、都にありし時には、義経の忘れ形見にて御座ある間、「男子に生まれ給へ。」と、祈る心を引き替へて、「女子に成れ。」とぞ祈られける。されども叶はぬ憂世の習ひ、玉を延べたる如くなる、若君を儲け給ふ。包むに堪えぬ初声の、辺りの里に隠れ無し。梶原、やがて聞き付け、源太を遣はし、「御産、既に平安に、御座ある由を承つて、『男子女子の形を、見て参れ。』との御諚にて候。景季、参つて候。」と、大音上げて申す。静も母も諸共に、源太が声と聞くからに、「阿傍羅刹の使の、閻魔の責めを告ぐるか。」と、肝魂も身に添はず。
母の禅師、立ち出、「なう、いかに、源太殿。女子を儲けて候に、御約束の如く、みづからに賜べ。」と申す。景季聞いて、「何さま、一目見参らせ、やがて返し申さむ。」と言ふ。静、産所を出、源太にうち向かひ、泣くより外の事は無し。「七尋の嶋に、八尋の舟を隠すとやらん、申す譬への候ぞや。ともかくも源太殿をこそ、頼み申し候はめ。これこれ、御覧候へ。」とて、玉のやうなる若君を、抱き上げて見する。源太、この由見参らせ、「あら、いつくしの若君や候。かかる優なる御若君を、私にては叶ひ候まじ。御所中へ御供申し、御目にかけ、やがて返し申さむ。」と、袂に包み、懐に押し入れ、駒引き寄せてうち乗り、由比の汀に急ぐ。
二人は後をしたひ、「なう、せめて泣く声、今一度、聞かせて賜ばせ給へ。」と、呼ばはり叫び走れども、馬にはいかで追いつくべき。あら、情け無し、源太。由比の汀にて、取り外したる体にて、浪打ち際にて落としけり。磯打つ浪、泣く声、浜松を誘ふ風の音、身にしみじみと思へども、取りもとどめぬ事なれば、辺りに倒れ、伏し焦がれ、声を並べて嘆けども、源太は少しも憐れまず。沖より浪がどうど来て、玉のやうなる御姿を、落花の如く打ち砕く。その後、鞭をしとど打つて、源太、家に帰りけり。
静も母も諸共に、散りたる死骸を取り集め、袂に包み、顔に当て、泣くより外の事は無し。静、思ひに堪えかねて、「身を投げむ。」とせし時に、母の禅師、これを見て、「道理なり。理や。何に命の惜しからん。我をも連れて行けや。」とて、二人、手に手を取り組んで、「身を投げむ。」とせし時に、折節あり合ふ人々が、すがり付いてぞ止めにける。思ひ切りぬる道なれども、心に任せぬ事なれば、この人々の愁嘆は、譬へむ方もなかりけり。
かくて日数を経る程に、大名達の北の方、「静が思ひ、さこそや。」と、その文数は数知らず。静も手跡、世にすぐれ、源氏、伊勢物語をば、うち置く文の言葉にも、只この心なりけり。御寮の北の御方、仰せ出されけるやうは、「羨ましやな。静は、いかなる知恵の深うして、女の能を残さず、知つたる事のゆゆしさよ。それ我が朝の女は、大和言葉を旨として、歌の道を記し、素戔嗚尊の、『八雲立つ。』と五つの文字に、詠じ始め給ひしは、我が朝の守り。花、ほととぎす、月、雪は、あだなる物と思へども、四季転変の、無常を表す心なりけり。仏も只この事を、一大事とて五十年、説き置かせ給へども、神奥深うして、届かぬ言葉なりけり。『不説不可思議なる故、只不可得。』とばかりにて、言葉には述べ尽くされず。ここを以てまさしく、『不立文字なる故、仏祖不伝。』と、これを言ふ。たとひ優婆塞、優婆夷にて、形は女なりとも、悟りを受けば、仏なるべし。かの静御前と申すは、内典外典、暗からず。しかも我が朝の風俗、和歌の道は達者なり。いざや、静に寄り合ひて、源氏、伊勢物語の心を尋ねむ。」「尤も、しかるべし。」とて、北の御方を始め奉り、静が宿へ御出あつて、うち解け遊ばせ給ふ。母の禅師も朗詠し、もてなしかしづき奉る。
かくてよろづを取り静め、北の御方、仰せ出されけるやうは、「歌の不審、さまざま多しと申せども、源氏、伊勢物語の奥義を詳しく知る人、稀なり。静御前の情けに、教へ置かせ給へ。」と、仰せ出されたりければ、静、承つて、「みづからも、いかにとして、その奥義をば知るべき。さりながら、心得て候程は申すべし。そもそも伊勢物語と申すは、業平の中将の一生涯を語るなり。かの業平と申すは、平城天皇に第四の御子、阿保親王に第五の皇子、これなり。母は桓武天皇に第八の御娘、伊登内親王の御子。天長二年、乙巳の年、生まれ給ふ。淳和天皇の御時、七歳にて、童殿上し給へり。深草の御門の御時、春日の臨時の祭の時、内裏より猟の姿に出で立つて、透額の冠を着、五節の伶人に立ちし故、信夫摺の小忌の衣を着たりしなり。又、承和七年に、内の蔵人に補せ給ふ。惟喬親王の御時、交野の御狩に相具せり。かの業平の中将、娑婆の宝算尽き果て給ひ、大和国山田郡布留の郷、在原といふ所にて、御墓を点じ給ふ。これまでは、業平の一生涯を語るなり。
「さてもこの物語を、春宮の御所にて作られけるに、古晒色の衣着たる、男一人来つて、『ゆゆしくもこの物語を、作り給ふものかな。某も歌二首入れむ。』とありし時、『いづくよりの御使ぞ。』と問ひければ、その返事には及ばずして、
神風や伊勢の浜荻折り敷きて旅寝やすらん荒き浜辺に
思ふ事言はで只にややみぬべき我に等しき人しなければ
かやうに詠じ、立ち帰らんとし給ふ時、人々、御袂にすがりつき、『さも候へ、いづくよりの御使ぞ。』と問ひければ、『これは、伊勢。』とばかりにて、消すが如くに失せさせ給ふ。『さては、疑ふ所無し。伊勢太神宮の御使なり。』と心得て、この理に任せつつ、伊勢物語とは申すなり。」
北の御方、聞こし召し、「さて初冠とは、いかなる謂はれにて候ぞ。」「それは、深草の御門の御時、春日の臨時の祭の時、内裏より猟の姿に出で立つて、透額の冠を初めて賜はりし故、さて初冠とは申し候。」「それも早、心得ぬ。その外の不審は、眺め明かしつ、澪標、飛ぶ蛍、貫簾といふ言葉。田面の雁、蓑代衣、千尋の竹、信夫摺、都鳥。この品々の不審は、いかなる謂はれにて候ぞ。」
「その品々の不審は、真言の極秘事。阿鑁吽の陀羅尼、阿縛羅訶佉の御文、五智の如来の種子として、四季転変の色相。天地開け始め、日月星の三光、有情非情の種として、陰陽二つ和合して、四季転変の色を成す。春の色は青けれど、何とて花は紅の、色には出て開くらん。夏の色は赤ければ、照る日もやがて極熱す。秋の色は愁ひにて、虫の鳴く音は理や。冬去れぬれば涅槃にて、雪降る山は白妙の。これを生老病死の、四季相定めなき事を、三十一字の歌に詠む。この歌の姿は、娑婆世界の人の身、虚空と同じ事にて、仏と衆生、隔て無し。されば歌をよく詠めば、神も仏も納受あつて、衆生もやがて仏と成る。」と、説き教へ申す時、北の御方を始め参らせつつ、その外の女房達、和歌の道は暗からず。尊く無上菩提の、真如の道に入り給ふ。かくて憂かりし鎌倉、昨日今日とは思へど、女房達の情けの、え去り難きにほだされて、不覚の忌も晴れぬべし。
大名高家、さし集まつて、ささやき申されけるやうは、「かの静が舞と申すは、日本一の上手。それをいかにと申すに、往んじ養和の夏の頃、日照り多く続き、草木も悉く、青苗残るべからず。諸神諸山へ仰せ付け、雨の祈りをし給ふに、猶しも日照り続き、叶ふべきやうあらざれば、『この事、天下の笑止。』とて、公卿僉議まちまちたり。『それ龍神の腹を休め、神の心を取る事は、女の舞にしくは無し。誰か名人あるらん。』と、御尋ねありし時、近衛の左大将、進み出て申さるる。『誰々と申すとも、磯の禅師が娘、静と申す白拍子、父は伏見の中将とて、藤原氏の公卿なり。その子に静、生年十六歳に罷り成る。舞は天下に並びも無し。これをや召され候はん。』と、奏し申されたりければ、『あう、尤も。』と議せられ、やがて勅使を立て、内侍所へ召され、駿河の舞を舞ひけるに、月卿雲客、拍子を取つて囃されたり。舞の袖、飄揚し、天人の翔ける如くなり。歌ふ声はさながら、迦陵頻伽の如くなり。君を始め奉り、月卿雲客、感に堪えさせ給ふ時、照る日、俄にかき曇り、とどろとどろと鳴神も、拍子に合はせたりければ、雲碧落に厚うして、真の雨こそ降りにけれ。この程照りし草木、一雨の雨を注げば、緑若葉と成りにけり。さてこそ五穀、葉は栄え、根は深く、末は雲居に伸び、秋はその身の全き事、寸の稲粒、玉に似て、尺の穂丈も長かりき。臣も君もこの舞を、感ぜぬ人はなかりけり。かかる名人たまさかに、稀にもいかがあるべきぞ。」「いかがはせむ。」と内談す。
かかりし時の折節、御寮の北の御方、仰せ出されけるやうは、「憚り多き事なれど、日本一の舞とやらんを、一目見ばや。」と仰せけり。静、承り、「舞はぬ咎めに二つと無き、命を召され候とも、舞はじとこそ思へども、君が情けの深ければ、舞はではいかが。」なんどと、舌うち解けて申されたり。北の御方、聞こし召し、「嬉しや。舞はせ給はば、若宮殿の透廊にて、神慮も諸人までも、目を驚かすものならば、一つは神のかいなざし、又は我が身の祈り。かれこれ以てめでたし。」と、仰せ出されたりければ、静もこの機に同じ、「吉日とつて若宮にて、かいなざし。」と風聞す。
既に当日に成りしかば、若宮殿の正面に、大将殿の御桟敷に、幔幕を引かれたり。北の御方の桟敷には、外には御簾を掛け、内に几帳を引かれたり。諸大名は悉く、廻廊と大庭に、所せきなく並み居たり。貴賤群衆は中々に、申すばかりはなかりけり。かの若宮と申すは、後ろは山、前は海、左右には軒を並べ、民家の門、家々、棟の数多うして、大唐の明州の津とも言つつべし。あら、面白の寺々の、楼門は雲根にさし挟み、峯の嵐は松に吹き、汀の浪は寄せ引いて、無数の罪業を洗ひけり。沖の鴎は海上の、白浪よりも立ち居けり。等覚真如の沖の浪、法性の岸を寄せて打つ。大慈大悲の若宮は、無明の闇を照らさむと、神楽男の鉦鼓の音、きねが袂に鳴る鈴、いづれを聞くも潔く、和光の影ぞ涼しき。静が舞の装束は、千葉殿の御役。笛は秩父の六郎殿。鼓は工藤祐経。かの祐経と申すは、大内に門役のありし時、鼓を打つて名誉す。宮楼禁中の拍子にだにも、合はせたりし鼓にて、指さるるも道理。下武蔵の住人に、長沼の五郎は、銅拍子の役なり。静はこれに囃されて、「何の情けに鎌倉にて、舞舞ふべしとおぼえず。」と、袂を顔に押し当てて、泣くより外の事は無し。
母の禅師、これを見て、「いかなる事ぞ、静御前。か程めでたき御桟敷にて、舞舞はぬ程ならば、君の咎めをいかがせむ。庭払ひ候。」とて、先に立つてぞ舞うたりける。元より舞は上手。かたくれ、絞り萩を、歌ひ澄ましたりければ、静、この由見るよりも、「あら、いたはしや、母御前。何に心の慰み、かやうに歌はせ給ふぞや。これも只、みづからを、助けむための舞ぞかし。それにみづから只今、物憂き心のあるままに、舞舞はぬ程ならば、母の咎めをいかがせむ。舞はばや。」と思ひて、打衣の袖引き繕ひ、袴の帯をさし挟み、立ち出たりし心の内、さこそやと思ひ知られたり。
見渡せば、歴々とさせられたる人々に、和田、秩父殿、江戸、葛西、千葉、小山、宇都宮。いづれか日頃我がままに、振舞はざりし人やある。義経の妻とありし程は、大名高家恐れを成し、舞舞はせて見るまでは、思ひも寄らでありつるが、昨日は人を従へつつ、今日は人に従へり。「天人の五衰の、今日さめぬる。」と思へば、よその見る目も恥づかしや。恥づかしながら静御前、時の祝言なりければ、
君を初めて拝むには 千代も経ぬべし姫小松
と歌ひ澄ましたりけり。形は日本一なり。声は只、迦陵頻伽、妙の響きなりけり。打つも吹くも皆上手。ひらりと上ぐるかいなに、天人も天下り、踏み揃へたる拍子に、地神も動くばかりなり。
君を初めて拝むには 千代も経ぬべし姫小松
と歌ひ澄ましたりけり。形は日本一なり。声は只、迦陵頻伽、妙の響きなりけり。打つも吹くも皆上手。ひらりと上ぐるかいなに、天人も天下り、踏み揃へたる拍子に、地神も動くばかりなり。
入舞に成りければ、
しづやしづ賤が苧環繰り返し 昔を今に成す由もがな
と歌ひ澄ましたりければ、御簾も几帳もざざめき、喚き叫ぶ所に、頼朝、御簾を下ろさるる。故をいかにと申すに、「しづやしづ、賤が苧環繰り返し、昔を今。」と歌うたは、吉野山で別れし義経を慕ふ所。それは頼朝、見ぬ所。秩父殿、申さるる。「『昔を今。』と歌うたは、『五帝の昔、今に来、世は治まる。』と言ふ所。めでたくおほえ候に、御簾を上げられ候はで、いかが。」と申されたりければ、御寮、「げにも。」と思し召し、御簾をさらりと上げ給ふ。静はこれを見、
極楽浄土の玉簾 干珠満珠の玉の肌 上ぐればいよいよ光増す
玉体恙なうして 天が下こそのどかなれ
と、三遍踏んで廻れば、御簾も几帳もざざめき、坊舎も揺るぐばかりなり。頼朝、感に堪えかね給ひ、躍り出させ給ひて、共にかいなをさし給ふ。大名高家、庭上に転び落ち、声を上げてぞ喚いたる。さてしも舞は納まりぬ。
しづやしづ賤が苧環繰り返し 昔を今に成す由もがな
と歌ひ澄ましたりければ、御簾も几帳もざざめき、喚き叫ぶ所に、頼朝、御簾を下ろさるる。故をいかにと申すに、「しづやしづ、賤が苧環繰り返し、昔を今。」と歌うたは、吉野山で別れし義経を慕ふ所。それは頼朝、見ぬ所。秩父殿、申さるる。「『昔を今。』と歌うたは、『五帝の昔、今に来、世は治まる。』と言ふ所。めでたくおほえ候に、御簾を上げられ候はで、いかが。」と申されたりければ、御寮、「げにも。」と思し召し、御簾をさらりと上げ給ふ。静はこれを見、
極楽浄土の玉簾 干珠満珠の玉の肌 上ぐればいよいよ光増す
玉体恙なうして 天が下こそのどかなれ
と、三遍踏んで廻れば、御簾も几帳もざざめき、坊舎も揺るぐばかりなり。頼朝、感に堪えかね給ひ、躍り出させ給ひて、共にかいなをさし給ふ。大名高家、庭上に転び落ち、声を上げてぞ喚いたる。さてしも舞は納まりぬ。
君よりの御諚には、駿河の国蒲原、八十余町賜びにけり。大名達の宝禄、宝の山を前に積む。静はいよいよこれに恥ぢ、「いつぞの程に舞舞うて、宝禄に誇るべき。返せば恐れありや。」と、鎌倉内の宮、社、御堂、寺に寄進し、「義経の御祈り、又は我が子のために。」と、一つも身に添へず、「都へ。」とてぞ上りける。
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