堀川
(内閣文庫本)

 さる間判官殿、明けければ参内申さるる。御門、叡聞ましまして、「幾程なくて上洛は、心元なく思へども、御門守護せんためならば、逢坂より西、三十三ヶ国を取らする。」と、宣旨を蒙り給ひて、堀川殿に移らせ給ふ。かくて近国の大名小名、「関東よりの御上洛と承り、勲功勧賞に預からん。」とて、門外に駒の鼻、ゆるす事こそなかりけれ。されども関東よりの、御許されもなき間、行ひ給ふ事もなし。四国、西国は皆、この君に思ひ付き申し、「今こそかやうにましますとも、終には日本半国の、御大将にてまします。」と、いつきかしづき奉る。
 既に早、この事、関東に隠れ無し。梶原、「今は、かうぞ。」と思ひ、君の御前に畏まり、「既に早、御曹司、御許されもなけれども、『逢坂より西、三十三ヶ国を、我がままなり。』と宣ひて、四国、西国よりも、関東へ参る兵を、悉く都にて、押しとどめ給ふ。その上この君、かくて都に御座あらば、終に日本はこの君の、御計らひと成るべし。いたはしくは存ずれども、この君を討ち参らせ、御孝養を懇ろに、御弔ひあれ。」と申す。頼朝、聞こし召されて、「げにげに、それはさぞあるらん。急ぎ討手を上せよ。」
 梶原、思ふさまにし済まし、御前を罷り立ち、「誰を討手に上すべき。これに憎き相手あり。御内の土佐正尊は、心も剛にて智恵深し。ややともすれば某に、敵を成す者なれば、彼を討手に上すべき。土佐を討手に上するならば、案深き者にて、義経も討たれ給ふべし。たとひ討たれ給はずと、土佐をば終に討たるべし。土佐だに討たれてあるならば、義経も滅び給ふべし。両敵ながら滅ぼして、浮世の中を楽々と、住まばや。」なんど思ひければ、案じ済まして梶原は、笏取り直し、申しけり。「今日この頃、関東に、弓矢を取つての名人、その数多しと申せども、御内の土佐正尊は、心も剛にて智恵深し。彼を討手に御上せあれ。」頼朝、聞こし召されて、「げにげに、この者、十九の年、いまだ金王丸とありし時、頭の殿の御供申し、尾張の長田が舘にて、長田が子ども、その数人を滅ぼし、その名を得たる者なれば、彼を討手に上せよ。早、疾く疾く。」との御諚なり。梶原、承り、「御判を賜はつて、仰せ付けん。」と申す。頼朝、御判を出させ給ふ。土佐が宿へぞ付けにける。
 土佐は御判を賜はり、「あら、あさましの事どもや。日本が寄つて攻むるとも、やはか討たれ給ふべき。義経の御討手を、土佐一人に仰せ付けらるる事、御前へ引き出され、首を切らるる程の事。辞退申したけれども、御意に洩れても正尊が、命生きても甲斐あらじ。たとひ上ると、この事を、深く包め。」と言ふままに、宗徒の兵を八十三騎揃へつつ、鎌倉内を忍ひ出づ。道にて出で立ちけるやうは、「鎌倉殿の御代官に、熊野へ参る。」と披露して、上から下に至るまで、浄衣、膝振、裁ち着せ、市女笠に四手付けさせ、鎧入れたる長持に、おはけ立て、標引かせ、引き馬どもの尾髪にも、木綿四手切つて付けさせ、渡る瀬毎に垢離をかき、夜を日に継いで打つ程に、鎌倉を出て二十日には、「都入り。」とぞ聞こえける。
 五條油の小路に宿を取り、土佐は聞こゆる名人にて、まづ、女を語らひ、御所の警固を見する。女は走り帰り、「いついつよりも御所様には、御用心もましまさず、よき折柄。」と申す。正尊、聞いて、「さては折こそめでたけれ。明々日の暮程に、是非に於いて懸かるべし。爪欠かせたる駒どもの、裾を冷やせ。」と下知すれば、雑色どもが乗り連れて、堀川面へうち出て、駒の裾をぞ冷やしける。かかりける処に、大将の御内なる、伊勢の三郎義盛は、堀川面を見てあれば、飼うたる駒の毛よげなるを、乗り連れてこそ冷やしけれ。義盛、これを見て、「都に於いて、大将の御内にも、か程の馬は無し。いかさまこれは、東国方の大名の、上洛にてありけるや。問はばや。」と思ひ、立ち寄り、物を問ふに、包みてさらに明かさず。
 「やうありける。」と存ずれば、舎人多きその中に、口のきいたる舎人あり。彼が傍に立ち寄り、着たる笠を引ん脱いで、物をば問はずして、乗つたる馬をぞ褒めにける。「あつぱれ御馬候や。爪髪の切りやうは、鎌倉やう候な。追つさま、向かふ、横端張り、尾口、承鐙、爪根の鎖、肉合、骨並み、夜目の節は、作り付けたる如くなり。あつぱれ御馬候や。か程に多き御馬の中に、売り馬なんどや候らん。興がる代はりに引き換へて、参らせん。」とぞ言うたりける。舎人、この由聞くよりも、「御身、いかなる人なれば、そぞろに口のききやうは。怪しし。」とぞ咎めける。義盛、聞いて、「自体、我等が習ひにて、口をきかでは叶はぬなり。京と田舎を家として、馬を商ひ、身を過ぐる。元は丹波の国の者、井原の後藤左近とて、薬飼ひの針使ひ。裾の血をも出すべき、御馬なんどや候らん。御秘計あれ。」とぞ言うたりける。舎人、この由聞くよりも、「さては苦しく無き人や。この御馬どもこそ、明々日の暮程に、大事に会はんず御馬で候へ。裾の血をも出すべし。宿を尋ねて御入りあれ。」「御宿はいづくで候ぞ。」「五條油の小路にて、土佐殿の御宿と、尋ねて御入り候へよ。」
 「土佐殿と申すは、法師の御名候か。又、俗の御名にてましますか。」舎人が聞いてうち笑ひ、「今日この頃、関東に、鎌倉殿の御内なる、伊北、きほう、土佐坊とて、三人の法師武者の、ありとは国に隠れも無し。知らぬは異国人かな。」とて、からからと笑ひける。義盛、聞いて、「さ程ならん大名の、上洛ましまし候が、国に披露のなき事は、空事なり。」とぞ言うたりける。「披露なきこそ道理なれ。大事の敵を討たんため、忍びて上洛ましませば、さてこそ披露は世になけれ。」「大事の敵と宣ふは、天下の御敵候か、私の趣意候か。」「土佐殿の御身に当てて、何でう敵の候べき。鎌倉殿の御身に当てて、討つべき御敵候よ。討たれ給ひてその後、名字、隠れ、よもあらじ。南無阿弥陀仏。」と申しければ、義盛、共に念仏して、「さては義経の御事。」と、聞き済まして義盛は、堀川の御所にぞ参りける。
 君の御前に畏まり、「東国の土佐坊が、君の御討手に、罷り上りて候。」判官、聞こし召されて、「何と申すぞ。何がしが討手に土佐なんどを、上せらるる事は、蟷螂が斧を取つて、隆車に向かふが如し。時刻移して叶ふまじ。急いで具して参れ。」「承る。」と申して、土佐が宿へ尋ね行く。「物申さん。」とありしかば、人を出して、「誰そ。」と問ふ。「苦しうも候はず。大将の御使に、義盛なり。」とぞ答へける。土佐、この由を聞くよりも、「されば、『人の耳は壁に付き、眼は天を翔ける。』とは、今こそ思ひ知られたれ。夕着きたる正尊を、誰やの者か参り、御所にて『かく。』と申しつらん。対面せでは、悪しかりなん。急ぎこなたへ請ぜよ。」「承る。」と申して、若党、あまた出合ひ、義盛を出居へ請ずる。
 ややあつて正尊は、大白衣に白檀し、綿帽子にて額を包み、わつぱ二人に手を引かれ、出居へよろぼひ出て、義盛が対座にとうど居て、「いかに候、義盛。久しう御目に掛からず候。某、只今の上洛、別の子細にて候はず。関東の君の御違例、以ての外にましまして、伊豆、箱根、三嶋、若宮の御奉幣、中々申すに及ばれず。又、都の内の神々へも、様々の立願を籠め給ふ。殊に取り分き候て、人数ならぬ正尊は、三つの御山の御代官を賜はり、熊野へ参り候が、早、老体に罷り成り、近江辺りより違例し、行歩、心に任せず候へども、上らで叶はぬ道なれば、夕、上洛仕る。『やがて出仕を申し、この由申し上げんずる。』と、随分存じて候へども、違例もいまだ済まざれば、不参申して候処に、思ひも寄らず義盛の、御目に掛かり候こそ、何より以て嬉しけれ。何様、御酒を申さん。」と、三々九度とぞ強いたりける。
 酒も半ばなりし時、正尊、申しけるやうは、「面々の御中へ、田舎苞のありけるを、取り越しぬると存ずるなり。何かある。御目にかけよ。」「承る。」と申して、鞍具足をぞ引いたりける。正尊、これを見て、「あら、見苦しの鞍具足や。馬に添へては、など引かぬ。かねて申せし義盛の、料の御馬は拵へたるか。」「承る。」と申して、黒鴾毛なる名馬の、五寸にゆりたるを、宿の小庭へ引き出す。先引いたる鞍具足、目の前にて取り置かせ、「この間の長旅に、爪を欠かせて損ずれども、これに乗つて御帰りあれや。御所様の御機嫌を、万事は頼み奉る。」と、まことしらかにたばかりければ、酒には猛き鬼神も、とらくる習ひなりければ、さしもに猛き義盛も、易々とたばかられ、「何事もか事も、義盛かくて候へば、御心安く思し召せ。御在京の間に、重ねて参り候はん。」と、暇を乞うて義盛は、堀川の御所にぞ参りける。
 義経の御前に畏まり、「関東の君の御代官に、熊野へ参ると申す。熊野参りの道者なれば、さしも御置き候へかし。我が君。」とこそ申しけれ。義経、聞こし召されて、「いやいや。日本一の義経を、討ちに上りたる曲者にて、万事に曲を変へべし。いかさまにも義盛は、正尊に騙らはされたと存ずるなり。いぶしう候。御立ちあれ。向後、対面申すまじい。」と、御座を立たせ給へば、義盛、面目失ひ、「引手物こそ敵よ。」と、馬をば尾髪を切つて、河原面へ追つ放し、「只一人切つて入り、正尊と刺し違へ、死なん。」とこそは狂ひけれ。
 その後、義経、武蔵を召され、「まことや。聞けば東国の土佐坊が、何がしが討手に上りたるが、五條油の小路にありと聞くぞ。急いで具して参れ。『参れ。』と言ふに参らずは、首を切つて参れ。」弁慶、承り、「あつぱれ大事の御使かな。さりながら、案の内」に存ずれば、黒糸縅の腹巻を、草摺長にざつくと着、上帯結つてちやうど締め、一尺八寸の打ち刀を、十文字に差すままに、黒き馬に白鞍置かせ、軽げにゆらりとうち乗り、わつぱ一人相具し、土佐が宿へ尋ね行く。駒をかしこに乗り放し、落縁にづんど上がり、事のやうをきけば、土佐は義盛をたばかりおほせ、「今は。」とゆるす心にや、女色好み並み据ゑて、酒盛半ばとぞ見えにける。弁慶、これを見て、間の障子をさつと開け、「随分は正尊の、後ろを誹らぬ弁慶にて、よき時、推参申して候。何様、御意の通りを、間近く参つて申さん。」と、大勢の兵を、乗り越え乗り越え通り、土佐が対座にとうど居て、妻手の小腕をむずと取り、「『申せ。』と御諚の候ひつる。『違例。』と聞こし召されて、守りに武蔵を参らせらる。早々、御参り候へ。」と、小腕取つて引つ立てて、ちぢめかいてぞ出にける。
 大勢の兵ども、傍なる打ち物を引つ倒し引つ倒し、鎺元をくつろげ、既に「立たん。」としたりけり。土佐は聞こゆる名人にて、手籠めにはせられつ、かなふべきやうあらざれば、「やあ、何を騒ぐぞ、わ殿ばら。今に始めぬ武蔵殿にて、座興、殊なくましますぞ。暫くそれにて酒盛せよ。やがて帰らん、人々。」とて、宿の小庭へ出にけり。土佐が郎等、続いて出、「あれまで御供申さん。」と、「我も、我も。」と進みけり。弁慶、これを見て、「き奴ばらにすくめられ、悪しかりなん。」と存ずれば、「やあ、召しも無きに推参して、武蔵め恨むるな、方々。」と、大の眼に睨まれて、少しひらむその暇に、土佐が弱腰むずと抱いて、鞍壺にとうど置き、我が身もやがて跳び掛かり、後ろ馬に乗つたりけり。弓手の手にて正尊が、袴の着際、むずと取り、妻手に刀を抜き透かし、「さもあれ、『御辺は違例して、行歩、心に任せず。』と、承つて候が、思ひの外に引き替へて、女色好み並み据ゑて、酒盛し給ふ怪しさよ。何事に上りたるぞ。旨趣を残さず早語れ。いかに、いかに。」と言ひければ、土佐は聞こゆる名人にて、「ここにて御辺と某と、問答対決したればとて、理非を分くべき仲で無し。とても御所へ参る上は、あれにて旨趣を申すべし。暫く待てや、武蔵。」とて、駒を速めて打つ程に、堀川の御所にぞ参りける。
 門外に駒を乗り放し、「早、具して参つたる」由を申し上ぐる。さすが正尊も、「鎌倉殿の御代官に、熊野へ参る。」と申す。「熊野参りの道者なれば、近う召せ。」との御諚にて、中門まで召され、讃岐円座を投げ出す。正尊、をめず直り、色代し、頭を地に付け赤面す。義経、御覧じて、「いかに、珍しや、土佐坊。まことや。聞けば、『何がしが討手に上りたる。』と聞く。勢はいか程持つたるぞ。いづくに隠し置きたるぞ。ありのままに申せ。偽る気色あるならば、全くそこをば立たすまじいぞ。いかに、いかに。」との御諚なり。
 正尊、笏取り直し、申す。「さん候。某、只今の上洛、別の子細にて候はず。関東の君の御違例、以ての外にましまして、伊豆、箱根、三嶋、若宮の御奉幣、中々申すに及ばれず。又、都の内の神々にも、様々の立願を籠め給ふ。殊に取り分き候て、人数ならぬ正尊めは、三つの御山の御代官を賜はり、熊野へ参り候が、早、老体に罷り成り、瀬々の垢離水、身にしみ、近江辺りより違例し、行歩、心に任せず候へども、かかる御祈祷の折節、違例と申して関東への、聞こえも恐れと存じ、夕、上洛仕り、『やがて出仕を申し、この由申し上げんずる。』と、随分存じて候へども、違例もいまだ済まざれば、不参申して候処に、思ひも寄らず義盛を、御使に賜はり、『参り候はん。』と、出で立ち候処に、今に始めぬ五條の、女色好み酒持たせ、門出祝ひ候を、あの武蔵殿の御出あつて、押さへて連れて御参りある。『関東より御言伝の、御状なんど候を、持つて参り候はん。』と、随分存じ候へども、臆病至極の冠者ばらにて、武蔵殿の御勢ひに恐れ、かなたこなたへ逃げ去り、動転の間に取り紛れ、持つて参らず候。諸事の次第をば、武蔵殿と義盛の、御覧ぜられて候上、私曲は、ゆめゆめ候はず。」と、まことしらかに申す。
 日本一の義経も、二相を悟る弁慶も、まさる土佐にたばかられ、「げにげに、それはさぞあるらん。見えたる事も無き先に、切りて捨つるも無残なり。まことに汝、過ごさずは、精進ついでに起請を書け。許すべし。」との御諚なり。正尊、承り、「御許されだに候はば、仕らん。」と申す。義経、聞こし召されて、「それそれ、武蔵。」と仰せければ、弁慶、承り、熊野の牛王一枚に、硯を添へてぞ出されたる。土佐は聞こゆる文者にて、自筆にかうこそ書いたりけれ。
  敬つて白す、天罰を起請文の事。
  上は梵天帝釈、下は四大天王、閻魔法王、五道の冥官。下界の地には、伊勢天照大神を始め奉り、熊野、白山、金峯山、王城の鎮守、稲荷、祇園、賀茂、春日、八幡は正八幡大菩薩、松の尾、平野、梅の宮。惣じて閻浮提の内の有勢無勢、曠劫誕の魍魎、鬼神、聞き入れ、納受垂れ給へ。今度正尊が、君の討手に罷り上りたる事候はず。又、私の宿意、さらに候はず。もし偽り申して候はば、只今申し下ろす神罰冥罰を、正尊が四十四の継目、八十三のわうわう毎に、罷り蒙り候ひて、今生にては、正尊が弓矢の冥加、長くすたり、来世にては、無間の底に堕罪し、永劫浮かむ世、さらに候まじ。仍つて状、件の如し。
    文治元年卯月二十日  藤原の正尊判
と書いたるは、さて、身の毛もよだつばかりなり。義経、こまごまと御覧じて、「まことに起請の面は濃やかなり。神慮に任せて帰すぞ。」とて、正尊を宿へぞ帰されける。
 正尊、我が宿に帰り、「されば弓取は、とにもかくにも、物をば書くべきものなり。正尊、文盲なりせば、方々の御目に再び掛かるべきか。あつぱれ法師。よい法師。」と、そぞろに身をぞ褒めにける。「堀川殿の案内を、見おほせぬるこそ嬉しけれ。夕さりの夜半に、是非に於いて懸かるべし。名残惜しみの酒盛せよ。」「承る。」と申して、垂腹、筒合かき据ゑて、既に酒盛をぞ始めける。夜、既に更けければ、「時こそよけれ、人々。早、うつ立て。」と言ふままに、てんでに松明を灯し連れ、堀川殿に押し寄せ、表の門を打ち破り、大庭さして乱れ入る。
 その夜、堀川殿には、御用心もましまさず。十二人の思ひ人を召され、夜と共の管絃なり。かかる遊びの折節、「殿ばら達は無益。」とて、皆々、宿へぞ帰されける。武蔵坊弁慶も、北白川に宿ありて、私に帰りて居たりけり。たまたまあり合ふ人とては、女房達に中居の人、さては諸職の者ばかり、者ばかり。うたてかりける時分かな。あら、口惜しや。酒宴にくたびれて、前後も知らず臥させ給ふ。十二人の思ひ人の中に、磯の前司が娘、静御前ばかりこそ、「宵の間に知らぬ女の、警固を見つる。」と怪しめ、夢も結ばず、まどろまず、相待つる処に、夜討、雲霞に乱れ入る。義経の姿を見申すに、前後も知らず臥させ給ふ。
 「なうなう。」と起こし申せども、御返事もましまさず。静、心に思ひけるは、「げにや、猛き弓取は、物の具の音に驚き給ふと聞いてあり。」と思ひ、御着背長を取り出し、枕上にざつくと置く。義経、かつぱと驚き、「事騒々や、静御前。何事にや。」とありしかば、「夜討が入つて候に、起き合ひ給へ。」と申す。義経、聞こし召されて、「夜討と言はんに、事々しく。正尊にてぞあるらん。何程の事のあるべきぞ。あまりくたびれ、まづ暫く、いや、休まん。」と宣ひて、又こそ休み給ひけれ。静、見参らせ、「なう。既に間近く参るなり。置き合ひ給へ。」と申す時、義経、かつぱと驚き、「さらば、着背長参らせよ。」「承る。」と申して、御着背長を奉る。
 弓手の小手をさし給へば、妻手を静、参らする。妻手の脛当し給へば、弓手を静、参らする。脇楯取つて押し当つれば、物の具の綿噛、掴んで引つ立つ。草摺長にざつくと召し、上帯締むるその暇に、兜を取つて参らする。忍びの緒を締むる暇に、刀を取つて参らする。鞘絡みし給ふ間に、太刀を取つて参らする。帯取締むるその暇に、箙を取りて参らする。掛緒をとどむるその暇に、弓をば静、押し張つて、素引き弦音、ちやうどして、義経にこれを参らせけり。義経、この由御覧じて、「あつぱれ静は弓取の、思ひ者や。」と宣ひて、既に進んで出られけり。静も続いて出たりけり。
 義経、御覧じて、「やあ、左道なり、静御前。忍べ、忍べ。」と仰せけれども、耳にもさらに聞き入れず、真先にこそ進みけれ。進む姿を御覧ずれば、萌黄匂ひの腹巻を、衣の下にぞ着たりける。義経秘蔵の白柄の長刀、弓手の脇にかい込うで、丈なる髪をばつと乱れば、「黒母衣やらん。」と見えたりけり。義経、御覧じて、「あら、面白の合戦や候。四国、西国の戦ひにも、か程面白き軍は無し。とてもの事にてあるならば、庭へ出ての遊びに、花と蝶との乱れ足、見てこそ心は澄み候へ。やあ、こなたへ来よや、静。」とて、西の小庭に出給ふ。頃はいつぞの頃ぞとよ。文治元年、卯日二十日の夜の事なり。藤花は松にかかりて、色々の草花の、乱顛したる有様は、錦を晒す如くなり。池の汀に臨む時、静が姿は花に似て、いまだ秋にはあらねども、女郎花かと疑はる。
 義経、中差をうちつがはせ給ひ、「矢先に敵は嫌ふまじい。」と、差し取り引き詰め散々にあそばす。面に進む兵を、十七、八騎ばらばらと射られ、少し矢頃を引き退く。弓矢をからりと投げ捨て給ひ、御佩刀引ん抜いて、切つて出させ給へば、静も続いて切つて出る。弓手を義経切り給へば、妻手を静ぞ切つたりける。二人の人々、ここを先途と切り給へば、手元に進む兵を、二十七騎切つて落とし給ふ。残る兵、風に木の葉の散るやうに、むらむらばつと引いたりけり。義経、静が手を引いて、落縁にづんど上がり、事の子細を御覧ずれば、手負、死人の臥したるは、あう、算を乱した如くなり。
 かかつし処に、大将の御内なる、伊勢の三郎義盛は、君の御不審蒙つて、七條朱雀にありけるが、夜討の由を承り、胴丸取つてうちかけ、上帯結つてちやうど締め、一尺八寸の打ち刀を、十文字に差すままに、三尺八寸のいか物作りの打ち物を、するりと抜いてうちかたげ、揉みに揉うで走りしが、堀川殿に着きしかば、南の門に突つ立つて、大音上げて呼ばはるやう、「今夜の夜討の大将は、土佐坊にてましますか。かう申す兵を、いかなる者と思ふぞ。大将の御内なる、伊勢の三郎義盛なり。御身故に某、君の御不審蒙る上、手並みの程を見せん。」とて、面も振らず切つて入る。土佐が郎等ども、「主を敵に討たせじ。」とて、真中に取り籠むる。義盛、この由見るよりも、大勢の中へ割つて入り、散々に切つたりけり。首二つ取つて、大勢に手を負ほせ、東西へばつと追つ散らし、「君はいづくにおはします。」「義経、これに控へたり。これへ、これへ。」とありしかば、「承る。」と申して、落縁にづんど上がつて、二つの首をさし上げ、義経にこれを見せ申す。かの義盛が振舞は、只樊噲も、かくやらん。
 その後義経、「敵に息を継がせて何かせん。」と、「又、切つて出ん。」とし給へば、弓手に静、妻手に義盛すがり付き、「暫く御待ち候へ。今は武蔵も熊井も源八も、定めて参り候はん。」と、申しもあへぬに、門外に呼ばはる声ぞ聞こゆる。武蔵坊弁慶は、北白河にありけるが、生まれ付いたる瑞相のあり。事のあらんずるとては、胸騒ぎ、頻りにし、左の手をだにかきぬれば、「早、事あり。」と悟りを成すが、今この瑞相の頻りなるによつて、「堀川殿に、何事かましますらん。見て参らん。」と言ふままに、胴丸取つてうちかけ、上帯結つてちやうど締め、一尺八寸の打ち刀を、十文字に差すままに、例の大太刀提げ佩いて、「夜は杖こそよけれ。」とて、杖を持つてぞ出にける。堀川殿の門外に、刹那が間に走り着いて、事のやうを聞けば、夜討、雲霞に乱れ入る。「余の者にてはあらじ。正尊にてぞあるらん。これは聞こゆる名人なれば、もし君や討たれてましますらん。」と、余りの心元なさに、「君はいづくに御座候。」と、呼ばはる声にて候ひけり。
 義経、聞こし召されて、「武蔵か、やあ、これにあり。」との御諚なり。「さては心安う候。かくあるべしと期したらば、長刀持つて来うずるものを。持ちも習はぬ棒突いて、いかがせん。」さる間武蔵、棒にて人をまだ打たず。されども人の持つ程に、羨ましくて拵へたり。武蔵が棒と申すは、嵐激しき高山の、岩間より生ひ出たる白黄楊を、八尺五寸につつ切つて、端を平く、中を厚く、東海渡る舟艪なりに拵へ、宍粟鉄を延べ付け、刃峰にやつて刃を付け、八尺五寸のその内に、八十三の疣を据ゑ、茎の頭を磨き立て、はざまを黒く塗つたれば、疣は輝く、地は黒し、刃は白し。物によくよく譬ふれば、ひとへに剣の菱鉾、鉄杖なんどの如くなり。かかる面妖の杖突いて、南の門に突つ立つて、大音上げて名乗るやう、「只今ここ元に、進み出たる兵を、いかなる者と思ふぞ。珍しからぬ、大将の御内なる、武蔵坊弁慶なり。夜討の大将に見参せんや。」とぞ呼ばはりける。
 かかりける処に、洗ひ革の胴丸に、緋縅の袖付けたるが、三ヶ月の如くに一反り反つたる長刀を、ひらりくるりと廻いて、面も振らず懸かりけり。弁慶、これを見て、「武蔵と名乗るに、をこのけなくも懸かるは、只者にてはあらじ。名字を名乗らせ、聞かばや。」と思ひ、「只今ここ元に進んだるは、党か、高家か。名字を名乗れ。聞かん。」と言ふ。「自体、夜討の習ひにて、名乗る法はなけれども、私ならぬ夜討なれば、死んでも名誉をせんため、仮名ばかり名乗るなり。陸奥の国の住人、姉歯の平次光景。年積もつて二十八。八十五人が力なり。武蔵殿の手並みの程を受けて見ん。」とぞ言うたりける。弁慶、聞いて、「さては汝は、正尊が郎等よな。汝が主の正尊をだにも、合はぬ敵と存ずるなり。そこを引け。」とぞ言うたりける。
 光景、聞いて、「さしも隠れぬ武蔵殿の、御諚ともおぼえぬものかな。世にある人を頼むは、皆、世の常の習ひなり。戦場にての俗姓だて、さらに聞かれぬ事候ぞ。心の剛なる者をこそ、武者とは申し候へ。賤しき者の打つ太刀が、世にある人の御身には、立つや、立たずや、受けて見給へ、武蔵殿。」と言ふままに、長刀の石突、茎長に押つ取り延べ、弁慶が膝の辺りに、小風を吹かせて、さらりさらりと薙いだりけり。弁慶、これを見て、「あつ、事無し。」と存ずれば、棒を庭へさし下ろし、石突を躍らせ、木の葉返しといふ手を出し、裾を払つて脛当の、臆病金、招きの板、棒の石突からりと当て、ややもすれば光景は、あう、打たれつべうに見えにける。さる間光景も、「長刀は一手習うたり。棒に会ひては大事の物、足がきかでは、かなはぬ業。いかにも敵をなぶりて、ひらまん処を一太刀。」と、心の内に存ずれば、敵が懸かれば、跳びしざる。
 長刀の切つ手には、面返し、芝薙ぎ。後ろを切るは、中切り。さざ浪切りに水車、やあ、切り込み、脇込み、叩く、闇打ち、捨て刀。随分大事の秘所の手を、残さずこそは使ひけれ。弁慶、余りの優しさに、暫く打たで、相して、「面白い手をや使ふ。」と、目を澄まいてぞ見たりける。されども今は武蔵に増し、秘事と思ふ手もなければ、「いつまで置いて、罪作りに。暇取らする、さらば。」とて、棒の石突押つ取り延べ、拝み打ちにちやうど打つ。兜のからくりばらりと砕け、落花の如く散りければ、首の骨が打ち込まれ、胴へぐつとぞにえ入つたる。五十四郡に隠れもなき、姉歯の平次光景も、武蔵坊が手に掛かり、微塵に成つて、失せたりけり。
 残る兵、これを見て、「武蔵坊にてあればとて、鬼神にては、よもあらじ。洩らすな、討てや。」「尤も。」とて、真中に押つ取り籠め、「火水に成れ。」と揉うだりけり。弁慶、これを見て、棒の石突押つ取り延べ、八方をさし搦んで、一方へ押ん向け、菱鉾通し、簎突き、さて串刺しといふものに、刺し貫いて、「ゑい。」と投げた。柳、桜、松、楓、四本懸かりの庭の内、くるりくるりと追ひ巡る。池の汀の戦ひには、山鳥水鳥蹴立てつつ、見参所、対の屋、中門、面廊、遠侍、込み入つつ込み出いつ、武蔵が棒に当たる者、生きて帰るはなかりけり。鎌倉にて正尊は、一騎は十騎、十騎は百騎に、向かふ程の兵を、八十三騎揃へしが、只十七騎に討ちなされ、行き方知らず落ちて行く。無残やな、正尊は、からがら命助かつて、河原をさして落ちけるを、義盛と弁慶が、後を求めて追つ詰めて、搦めて連れて参りけり。
 義経、この由御覧じて、「やあ、熊野参りの正尊に、縄をかくるは勿体なし。いかに、いかに。」とありしかば、正尊、ちつとも騒がず、居丈高に伸び上がり、大音上げて申すやう、「命は義によつて軽し。命は恩のために奉る。頼朝の御ために、捨つる命は惜しからじ。君も憎しと思すなよ。疾く疾く暇、賜び給へ。」義経、不憫に思し召し、涙を流し給ひて、「あつ、剛なりや、正尊。助けたくは思へども、汝、二君に仕へじ。さらば暇を取らせよ。」「承る。」と申して、いや、六條河原で切りにけり。
 かの正尊を見し人、貴賤上下押しなべ、感ぜぬ人はなかりけり。

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