四国落
(大頭左兵衛本)

 さる程に判官、内裏を退出ましまして、堀川殿に下向あり。武蔵を召して仰せけるは、「御門の宣旨を蒙つて、義経、都にあらん事、違勅の臣と存ずるなり。旅の出で立ちを構へよ。」弁慶、承つて、宗徒の人々二百余騎すぐつて、堀川殿を出させ給ふ。
 十二人の北の方も、「御供なり。」とぞ慕はれける。義経、この由御覧じて、「こは、いかなる御事候ぞ。既に早、義経は、関東の頼朝より、不興の身にて候へば、天に業の網を張り、地に逆茂木の関を据ゑ、いづくにても義経が、討たれむ事は治定なり。さあらん時は中々、御前具足し奉り、そこともなき遠嶋に、捨て置き申すならば、義経が後の弓矢の疵たるべし。只々留まり給へとよ。」十二人の北の方、この由を聞こし召し、「たとひ龍立つ山の奥、死出、三途の川なりとも、共にこがれば憂かるまじ。とどまるまじの都や。」とて、先にぞ立たせ給ひける。義経、聞こし召して、「あう、慕ふも一つ道理。誰を頼みて松浦姫、都にとどめ置くならば、道の障りと成るべし。切れども切られぬ愛欲の、憂き身の障りはこれなり。」と、二百余騎の人々は、御輿を中に取り籠めて、涙と共に出給ふ。これや延喜の聖代に、「家を離れて三、四月。落つる涙は百千行。万事は皆夢の如し。よりより彼蒼を仰ぐ。」と、詠じ給ひし旧跡と、今の義経の配流の旅、姿はいづれ変はるとも、思ひはさながら一つなり。
 末は山崎、宝寺、神内、楫折過ぎければ、しどろもどろに乱文し、あら、難しや、芥川、豊嶋、瀬川、万乗寺。箕面山の紅葉に、心の留まる折節、又うち出れば、西の宮南宮の、御前の沖の荒夷。松原殿の御山荘、昔恋しとうち眺め、霞む浦路は住吉の、霧の暇より松見えて、浪に漂ふ海士小舟、心細しとうち眺め、早、大物の浦に着く。
 弁慶、申しけるやうは、「これより西国の旅の道は、難所、岩石なり。御輿のかち路、ゆめゆめ以て叶ひ候まじ。これより御舟に召され、四国へ渡り、伊予の河野を御頼みあり、あれに暫く御坐あり、世の有様を御覧ぜられ候へ。四国九州一円に、思ひ付き申さば、十万余騎は候べし。その大勢を率し、都へ攻めて上り、讒人の輩を、御心のままに滅ぼし、今一度などか御世に、立たせ給はで候べき。」と申す。義経、聞こし召されて、「さらば、舟を用意せよ。」「承る。」と申して、宗徒の大船八艘に、十二人の北の方、御供の人々二百余騎、思ひ思ひ、心々に取り乗つて、追手の風を待つ程に、「日ものどかなり。出せ。」とて、艫綱解いて押し出す。
 まことに順風はよかりけり。二時ばかりの事なるに、音に聞こえたる和田の岬を、心細くも走り過ぎ、弓手を見れば絵嶋が磯、妻手は明石の人麿の、雨の降る夜も降らぬ夜も、風の立つ夜も立たぬ夜も、嶋隠れ行く海士小舟、心細しとうち眺め、尾上、高砂過ぎければ、室の沖にぞ着き給ふ。義経、仰せけるやうは、「いかに、水主、楫取ども、ここかしこの津泊りへ、中々舟を寄するならば、自然の事もあるべし。順風よくは、この舟を、只すぐに渡せ。」と仰せけり。「承る。」と申して、楫取り直し、御座舟を、四国をさして押し渡る。
 かかりける所に、讃岐の八嶋の上よりも、黒雲一叢立ち覆ふ。水主、申しけるやうは、「いかさま、悪風が起こらんやらん。雲の気色、乱顛し、海の面、動揺し、白浪、船枻を洗ひ候。いかがはせむ。」と申す。義経、聞こし召して、「あう、某も、さ存ずる。去年、八嶋へ向かひし時、渡辺より舟に乗り、押し出したる風雲に、ちつとも違はぬ気配なり。舟をよく乗れ、用意せよ。夜舟ならば、この舟、いかさま、風に誘はれ、舟人共に失せぬべし。たとひ風が激しくとも、途中を裂いて遣つて見よ。猶しも風が激しくは、寸半帆掛けて走らせよ。それにも風が吹き変はらば、帆柱ばかりで遣つて見よ。面舵を強く取り、取舵を弱く取り、脇艪を立て、気色を見て、四国をさして遣つて見よ。やあ、楫取ども。」とぞ仰せける。「承る。」とは申しけれども、よき程の風にこそ、思ふさまには扱はるれ、この悪風と申すは、津の国の武庫山颪、紀の国の岩山颪、四国の白峯山よりも、起こつたる悪風にて、平々としたる海の面、俄に谷峯出で来て、白浪、船枻を洗ふなり。水主、楫取ども、艪櫂取るべきやうは無し。十二人の北の方、近習の人々は、舟底にひれ臥して、さながら前後も弁へず。
 かかりける所に、四方より悪風が、揉み合うて吹く風に、帆柱二つに吹き折つて、八艘の舫の綱が、一度にばらりと切れたりけり。風に取られて舟どもが、思ひ思ひに落とさるる。四国へ落とす舟もあり。土佐の湊へ落とすもあり。或いは元の明石灘、兵庫の沖へ落とすもあり。八艘の舟どもが、皆散り散りに成りにけり。あら、いたはしや、大将の、召されたる御座舟には、十二人の北の方、御供の人々三十人、荒き浪に当てられつ。さながら前後も弁へず。やうやう残る人とては、義経、弁慶、只二人。舟の前後を扱ひ、風に任せて落とさるる、心ざしこそ哀れなれ。
 弁慶、申しけるやうは、「それ、風は、龍王の出し給へる息として、時の不思議を成し給ふに、宝を沈めて御覧候へ。」「さらば、宝を沈めむ。」とて、十二人の北の方の、襲の小袖、紅の千入の袴、判官の黄金造りの御佩刀、海底に沈め給ひけり。元よりもこの人々、寺育ちの学匠にて、法花経の一の巻、時移る程こそ誦せられけれ。まことに龍王も、御納受やましましけむ、浪風少し鎮まれば、舟は小浪に揺り据うる。
 かかつし所に又、八嶋の上よりも、大きなる光り物が、七つ八つ飛んで来て、又、悪風こそ起こりけれ。弁慶、「只事ならず。」と思ひ、舟底へつつと入り、兜巾、篠懸うち掛け、舟の舳板に突つ立ち上がつて、大音上げて呼ばはる。「只今ここ元へ、進み出たる兵を、いかなる者と思ふらむ。小野篁右大臣が末孫、田辺の別当湛増が嫡子。生所は出雲の国枕木の里、育つ所は三條京極、学問するは天台山。悪魔降伏の貴僧と生まれ、それ、風は龍王の、出し給へる息として、時の不思議を成し給ふ。退き給へ。」と言ふままに、苛高珠数を取り出し、さらさらと押し揉んで、「東方に降三世明王、南方に軍荼利夜叉明王、西方に大威徳明王、北方、金剛夜叉明王、中央、大聖不動明王。見我身者発菩提心、聞我名者断悪修善、聴我説者得大智恵、知我心者即身成仏。」と、この真言の秘密にて、黒煙を立てて祈られた。まことに龍王も、さても悪霊も、御納受やましましけむ、浪風少し鎮まれば、舟は小浪に揺り据うる。かかる刻に、平家の悪霊達、その数あまた湧出せられけれども、弁慶に加持せられ、皆、海底に入り給ふ。
 暁方の事なるに、そこともなき遠嶋に、灯し火がほのぼのと見ゆる。義経、御覧じて、「里近き浦なればこそ、火は見えてあるらん。あの火を頼りにこの舟を、漕ぎ寄せよ。」と仰せければ、「承る。」と申して、火を頼りに漕ぎ寄せ見れば、八十余の老翁、鈎を垂れてぞゐたりける。義経、御覧じて、「いかにや、尉殿。この浦は、いづくの国、いかなる浦にてあるやらん。」と、御尋ねありければ、翁、承り、御返事にも及ばず、舟ほとほとと打ち鳴らし、一首はかうぞ聞こえける。
  漁り火の藻塩の煙風に消えて吹き明かしたる荻の一叢
 義経、聞こし召されて、「あら、面白の歌や候。誰かこの歌の心を、知つたる人のあるやらん。」と、御尋ねありけれども、いづれも皆、舟心地にて、「知つたる。」と申す人も無し。されども十二人の思ひ人の中に、静御前ばかりこそ、いまだ舟には酔はざりけるが、進み出て申す。「あら、嬉しや。この舟が、新羅、百済、震旦とやらんへも、落とされてあるやらむと、心元なく思ひ候ひしに、今は早、安堵にて候ぞ。されば、荻にあまたの異名あり。よしとも申し、あしとも言ひ。村と言ふは、里の名。その上、古き歌にも、漁り火といふ事は、難波入江に寄せられたり。いかさま、この浦は津の国の、芦屋の浦の事やらん。なう、我が君。」と申しけり。義経、聞こし召して、「某も、さ存ず。いかに、尉殿。この浦は、津の国の芦屋の浦候か。」「さん候。」「さては、尉殿は、この浦の人か。」「いや、住吉の方の者なり。」とて、消すが如くに失せさせ給ふ。「さては、疑ふ所無し。辰巳の明神の、義経を憐れみて、教へ給へる。尊さよ。」と、潮で手水うがひして、そなたを礼し給ひけり。
 さる間御坐舟を、芦屋の浦に漕ぎ寄する。かの浦の国民、芦屋の三郎光重、舟子に会ひて問うた。舟子、答へて申す。「さん候。これは、鎌倉殿の御舎弟、太夫の判官義経。西国下向ましますが、悪風に吹かれ、この浦へ寄らせ給ひて候。」と申す。光重、聞いて、「さればこそ。この君は、鎌倉殿の御仲、違はせ給ふ人よ。いざ、この君を討ち申し、関東へ参らせ、勲功勧賞に預からん。人々や。」と言ふままに、浦内を触るる。「尤も、しかるべし。」とて、我と思しき浦の人、二、三百、真黒に鎧ひ、御座舟を二重三重に押つ取り巻いて、鬨をどつと上ぐる。
 あら、いたはしや、御座舟には、いづれも舟心地にて、前後もさらに弁へず。その中に弁慶、いまだ舟には酔はざりけり。元より用心厳しければ、物の具、小具足さし堅め、三十六差いたる大中黒の征矢負うて、五人張りの真中握り、舟屋形に突つ立ち上がつて、大音上げて呼ばはる。「只今、ここ元へ向かひたる兵は、いかなる者にて侍るぞや。これは、鎌倉殿の御舎弟、太夫の判官義経、西国下向ましますが、悪風に吹かれ、この浦へ寄らせ給ひて候に、御触れ状はなくとも、御警固をば申さずして、何ぞや、今の狼藉は。手並みの程を見せん。」とて、さし取り引き詰め散々に射たりけり。面に進むよき兵を、十七、八騎、ばらりと射られ、少し矢頃を引き退く。
 光重、これを見るより、「御座舟に、今は矢種や尽きぬらん。返せ、戻せ、人々。」とて、御座舟間近く切つてかかる。弁慶、これを見て、弓矢をからりと投げ捨て、長刀引ん抜いて、舟より下へ飛んでおり、光重と渡り合ひ、追うつまくつつ散々に戦うたり。さる間光重、弁慶が打つ長刀、受け外し候て、光重が兜の真向を、二つにばつかと切り割られ、後ろは錣、母衣付、前は半頭、涎金、四枚金胴、引敷、草摺、二つにざつと切り割られて、弓手妻手へ捌けたり。
 これこそ軍の手始め、大勢の中へ割つて入り、西東北南、蜘蛛手かくなは十文字、八つ花形といふものに、割り立て、追ん廻して、散々に切つたりけり。手元に進む兵を、五十三騎切り伏せ、大勢に手を負ほせ、東西へばつと追つ散らし、「戦の門出、めでたし。」と、又、御座舟に取り乗り、住吉の浦に上がらるる。末繁昌と聞こえけり。

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