笈探し
(大頭左兵衛本)

 武蔵坊弁慶は、富樫の舘にて、勧進帳奉加帳を、悉く読み上げければ、富樫、よくよく聴聞あつて、「誠に殊勝や候。南都の勧めにて御座ありけるを、存じ申さで、一時なれども、白洲に立たせ申しつる事よ。さこそ仏神三宝も、我を憎しと思すらん。それそれ、こなたへ申せ。」とて、弁慶を出居へ請ぜらるる。武蔵、安堵の思ひを成し、「今は、ここに笈を置かばや。」と思ふが、「いやいや、痴れたる者に笈探され、悪しかりなむ。」と存ずれば、笈掛けながら、座敷にむずと直る。
 富樫、御覧じて、「少勧進にて候へども。」とて、巻絹五十疋、武蔵が前に積ませらる。富樫の北の方も、巻絹三十疋、武蔵が前に置かせらる。その外、心ざしの人々は、武蔵殿が前に、宝の山を積む。弁慶、これを見て、「あら、おびただしの御奉加どもや候。只今賜はりたくは候へども、これより奥へ、あまたの難所の候へば、来うずる三月、都へ着けて賜べ。」と申す。富樫、聞いて、「あう、易き間の事。京は何條。」と問はるる。武蔵、いつも言ひ付けたる事なれば、「『都は三條河原崎の、弁慶が宿へ着けて賜べ。』と言はむ。」と心ざして、「あう、都は三條河原崎の、弁。」と言つしが、「あつ。」と思ひ、「弁僧の御坊へ付けて賜べ。」とぞ述べにける。「さらば、御暇申す。」とて、互に暇を乞ひ乞はれ、富樫の舘をぞ出にける。
 三満堂に参りて、君に、「かく。」と申しければ、「武蔵殿にてなかりけり。只、八幡の御現化。」とて、御手を合はせ給ひけり。その夜は宮の腰、佐良岳の大明神に、一夜の通夜を申し、夜を籠めて出給ふ。宮人、申しけるやうは、「越中への御下向は、思ひも寄らぬ事にて候。それをいかにと申すに、倶利伽羅が峠には、砺波の七郎が、七百余騎にて支へ、山伏を通し申さず。下道の間をば、加賀と能登の境を、志雄の小太郎が塞ぎ、さらさら山伏を通し申さず。越中への御下向は、思ひも寄らず。」と申す。弁慶聞いて、浜に下り、「もし、能登の方へ下る舟やある。」とぞ問うたりける。
 折節、能登の国珠洲の岬へ、下る舟こそ候ひけれ。「天の与ふる処。」とて、この舟に便船し、その日の内に、能登の国珠洲の岬に、程なく着かせ給ふ。御舟よりも上がらせ給ひ、汀の岩に腰を掛け、辺りの山を御覧ずれば、石岸、峨々と聳え、風、沈々たる万木は、絵に書きたるが如くなり。西の沖は果てしもなく、蒼海、雲を浸し、櫓櫂を渡る越舟や、波間にかづき、浮き沈む。水に羽振れて飛ぶ鴎、汀の岩に浪掛けて、底荒磯の岩間にも、砕けて見ゆるうつせ貝。人の心は荒磯の、片思ひなる鮑貝。みるめ、なのりそ、取らんとて、海女ども海に下り浸り、かづきのために浮き沈む。
 さる間弁慶は、とある岩間よりも、螺にみるめの付いたるを、取り上げて御前に参らする。螺は生きて動きければ、みるめも共にぞ動きける。判官、御覧じて、「御前、都にましまさば、生きたるみるめをば、何としてかは御覧ずべき。遠国の果てにても、義経が徳により、かかる名誉のもて遊びを、御覧ずるよ。」と仰せければ、御前、取りあへさせ給はず。
  都より浪の夜昼浮かれ来て道遠くしてうき目みるかな
判官、聞こし召されて、「あら、面白の御詠歌や候。いでいで、義経も御返歌申さむ。」とて。
  うき目をば藻塩と共にかき捨てて喜びとなるすずの岬や
この歌に慰みて、「今は舟路の便りも無し。」と、遥々の廻りをして、越中へこそ歩まれけれ。磯伝ひ山伝ひ、絶え絶え細き谷の道、順道なれば、石動山を伏し拝み、下らせ給ひける程に、越中の国に聞こえける、六動寺の渡りに着かせ給ふ。
 「舟に乗らん。」とし給へば、渡守が申すやう、「この渡りと申すは、南都造営のためなり。賃無くは、渡すまじい。」と申す。弁慶、聞いて、「いかなる関々、津泊りにても、山伏の法にて、賃といふ事は無きぞ。只渡せ。」と申す。「賃なくは、ふつつと渡し申すまじ。その儀ならば、これより御戻りあれ。」と申す。賃は無し、急がはしし。遅参せば後よりも、いかなる事が出で来なむ。」と、御前の紅の千入の袴取り出し、「せん方尽きて舟賃に、これこそあれ。」とて賜びにけれ。「これは、我等が見知り申さぬ物にて、ちつと不足には候へども、さらば、渡し申さむ。」とて、六動寺を漕ぎ渡し、放生津を歩み過ぐ。
 岩瀬の渡り、今日も早、打出の宿とうち眺め、御通りありし処に、旅人あまた行き合ひて、「これより奥への道すがら、少人を歩ませ申して、いかでか下り給ふべき。なう、客僧。」と申しけり。判官、聞こし召されて、「さてそれは、関々の塞がりか。いかなる事のあるやらん。」と、御尋ねありければ、旅人、申しけるやうは、「いや、道に関も候はず。この国を行き過ぎ、越後との境、逃ぐる浜、追ふ浜、鬼臥、落合なんどと申して、あまたの難所の候。惣じて黒部は四十八ヶ瀬、時しも春の末なれば、去年の雪の叢消えに、今年、雪の降り積もり、谷の下水落ち合ひて、水嵩増さりて、鳥ならで、通ふべきやう、さらに無し。」判官、聞こし召されて、「便船の便りもあれかし。」と仰せければ、折節、越後の国、直江の津へ下る舟こそ候ひけれ。又、この舟に便船し、越後の国直江の津に、程なく着かせ給ふ。
 御舟よりも上がらせ給ひ、直江の太郎が宿所に、一夜の宿を借り給ふ。この浦の人々、一つ所にさし集まつて、内議評定するやうは、「そもそもこの浦は、当国の国府。善光寺へ参る道、惣じてあまたの道辻、見も知らぬ山伏達、済々着かせ給ふは、もし、判官殿か。怪しや。いざいざ、咎め申さむ。」とて、我と思しき浦の人、七、八百人さし集まつて、弓矢を帯し、ひしめいたり。御宿の女房、情けのみある人にて、弁慶を招き、ささやき申しけるやうは、「あら、いたはしや。『山伏達を、判官殿とて搦め取り、鎌倉へ参らせむずる。』とて、只今大勢、率して向かふなり。」と申す。
 弁慶、聞いてうち笑ひ、「あう、嬉しくも聞かさせ給ふものかな。我等は羽黒山の山伏にて、別に子細は、よも候じ。御心安く思し召せ。」と、さあらぬ体にもてなし、さて判官の御前に参り、この由、「かく。」と申す。義経、聞こし召されて、「こはいかに。義経は、いかなる月日、生まれけるぞや。天に業の網を張り、地に逆茂木の関を据ゑ、五尺に足らぬ形骸を、隠しかねたる、口惜しや。口多くしては、言葉の誤りもあるべし。御辺達は山伏の、嶺のこぎ取るにまなびして、上の山に入り給へ。義経一人残りゐて、問答して見むずるに、陳じ損ずるものならば、合図の貝を吹かうず。その時、下り下つて、共に腹を切り給へ。」「げにげに、御諚、尤も。」とて、十一人の人々は、傍らに立ち忍ぶ。
 その後に浦の人々、雲霞の如く押し寄せ、大音上げて呼ばはるやう、「鎌倉殿の御舎弟、大夫の判官義経、この浦へ着かせ給ふと承り、鎌倉殿の御代官に、直江の太郎が参りて候。早々、御出候へ。鎌倉へ具足し申さむ。」と、声々に呼ばはる。義経、聞こし召されて、「何と候。判官殿とは、いづくにましまし候ぞ。あう、さる事あり。いつぞやの事かとよ。平家を攻めさせ給はむため、奥よりも、打つて上らせ給ひしを、羽黒の傍らにて、そと見参らせて候が、判官殿ならば只今も、千騎に劣る事は、よも候じ。やはか、か程の小勢にて、かなはせ給ふべきぞ。山伏どもに具足賜べ。一夜の御宿の情けに、出居の殿の御供し、一方防ぐべし。」と仰せければ、浦の人々、これを聞き、以ての外に相違して、呆れてこそは立ちたりけれ。
 直江の太郎が申すやう、「判官殿と申すは、背小さう、色白く、向かふ歯反つて、猿眼、赤髭にましますと承るが、只今、さやうに物仰せらるる、御坊の形相、ちつとも違はず。判官殿に於いては、疑ふ所も無し。早々、御出候へ。鎌倉へ御供申さむ。」と、声々に呼ばはる。義経、聞こし召されて、「あら、嬉しや。ついでを以て音に聞く、鎌倉とやらんを、見て通らうずる嬉しさよ。疾く疾く連れて行き給へ。」浦の人々、これを聞き、「いやいや、さもなき山伏達を、『判官殿なり。』とて搦め取り、遥々と鎌倉まで、具足したりとも、さしたる高名は無くして、山伏どもに呪はれ、よかりつべうもおぼえず。所詮は笈を賜はり、中を開いて見むずるに、まことの山伏行者ならば、山伏の道具あるべし。又、空山伏にてあるならば、山伏の道具、よもあらじ。笈を賜はれ。中を見む。」と、声々に呼ばはる。
 判官、力に及ばせ給はず、八挺の笈を取り出し、浦人に渡し給ふ。浦の人々、八挺の笈を取りて行き、中を開いて見てあれば、まづ一番の笈には、金剛界の曼荼羅、胎蔵界の曼荼羅、護摩の次第、諸尊の法、数を尽くして入れにけり。「廻らし文か。怪しや。」と、疑ひ申す所に、国上の寺よりも、法師一人来つて、悉く拝み知つて、「悪しくして、罰当たるな。」とて、元の如くに取り納むる。二番の笈の中には、顕密二種の法、釈教との名あり。これも、「忝しや。」とて、元の如くに取り納むる。第三番の笈には、三鈷、独鈷、鈴、錫杖、火舎、花皿を入れにけり。四番の笈の中には、五大尊の霊像、不動、降魔の諸天、本尊の数を尽くしたり。五番の笈の中には、返牒、願文、往来、仮名、真名の手本、弘法の御自筆、道風が震ひ筆、秘本の数を尽くしたり。知るも知らぬも押しなべて、「尊し。」と申しつつ、手を合はせぬはなかりけり。
 「笈に子細のあらばこそ。いざ、戻らむ。」と申す。直江の太郎が申すやう、「一切の業が卒爾にては、かなはぬものぞ。残りたる笈を、誰がために残し置きたるぞ。皆探せ。」と申す。「げにげに、これも言はれたり。」とて、次なる笈を取りて行く。中を開いて見てあれば、あら、いたはしや、判官の都より持たせ給ひたる、萌黄匂の御腹巻、籠手、小具足を取り出し、「これも山伏の道具候か。さればこそ判官殿よ。」と、声々に呼ばはる。判官、聞こし召して、「さては面々、当国の諸山寺の、山伏達を見習つて、羽黒の山伏の礼儀をば、知ろし召さぬよ。なう、そもそも羽黒山と申すは、役の行者の苔の道、山伏の秘所たり。ここに衆徒と名付け、我がままに振舞ふ方あり。山伏、これをそねみて、瞋恚の怒り、絶えせず。これによつて武具弓箭を、持たぬ法師が候ばこそ。この辺にも、あは、よき売り具足や候。御秘計あれ。惣じて山伏の甲冑持つ事、諸方に隠れ候ばこそ。あら、世間狭や、面々。」
 浦の人々、これを聞き、「げにげに、これも言はれたり。」とて、又、次なる笈を取りて行き、中を開いて見てあれば、あら、いたはしや、御前の都より持たせ給ひたる、五尺の鬘、七尺の掛帯、唐の鏡、十二の懸子入れたりし、手箱なんどを取り出し、「これも山伏の道具候か。あら、殊勝と行ひ澄まさせ給ひたる、山伏の道具候や。さればこそ判官殿よ。」と、声々に申す。判官、ちつとも騒がせ給はず。「あう、面々の不審、尤も、理なり。さりながら、掛帯、鬘装束の由来は、この法師が叔母御にてましますは、羽黒の権現の一の巫女たるによつて、今向かふ三十講の、御輿の御供申さむため、都へ誂へて、買ひ下し給ふなり。さて又、懸子、手箱装束の由来。越中の国水橋を通りし時、水橋殿の姫君の、瘧病を強くいたはりて、存命不定におはせしを、この山伏の中に、験者の上手あるにより、七日泊り、加持し、忽ち験に付け申す。これによつて財宝を、本尊の前に取り掛くる。おぼつかなくは使者を立て、水橋へ問はせ給ふべし。」
 浦の人々、これを聞き、「さやうに御述べあらんには、いづくに詰めが候ばこそ。御身にても候へ、同行にてもましませ、是非一人賜はつて、鎌倉へ具足し申さむ。」と、声々に呼ばはる。判官、力に及ばせ給はず、腰なる貝を取り出し、二つ三つ吹き給ふ。貝の声だに静まりければ、上の山に隠し置く人々に、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊、亀井、片岡、伊勢、駿河、この人々を先として、打刀、鉞、面々に持つて乱れ入つて、「何とてわ法師は、貝をば吹くぞ。それ、山伏の貝吹くは、約束があつて吹くものを。左右なく貝を鳴らす事、ひが事なり。」と申しつつ、義経を中に取り籠めたり。
 判官、聞こし召されて、「なう、静まり給へ、面々。この浦の人々が、この法師一人取り籠めて、『判官に成れ、義経に成れ。』と仰せあれども、『氏も種姓も無きにより、成らじ。』と申し候を、只『成れ、成れ。』と、仰せ候程に、余りせん方尽き果てて、只今の貝をば吹いて候。御免あれや。」と仰せけり。弁慶がこれを聞き、「さては、希代な事かな。羽黒の方の山伏に、由なき事を言ひ付け、『判官に成れ。義経に成れ。』とは何事ぞ。とてもの事にてあるならば、直江千間を、我等が住みかと成すべきなり。ここに立つたる太夫殿。見知らぬ顔には居たれども、六挺舟の船頭、七月の初め、秋田、酒田を漕ぎ出し、八月の初め、越前の国とかや、敦賀の津に聞こえたる、誠次が元を宿として、七里半、愛発の中山、海津の浦より舟を立て、大津の上り大路の、藤太夫が元を宿として、一年に一度づつ、下り上りし給ふ、六挺舟の船頭と、見成した事は空事か。今こそ小目は見るとも、明年の夏の頃、いづくにても参り合ひ、あら、口惜しや、この還礼を申さむ。」とて、からからと笑ひければ、浦の人々、これを聞き、「判官殿でましまさば、我等が舟の着け所、やはか知ろし召さるべき。事のこはらぬその先、こち来よ、浦の人々。」と、一人二人、逃げて行く。
 弁慶、続いて追つかけて、「何とて面々は、笈を絡げて得させぬぞ。それ、山伏の掛け笈、私ならぬ事ぞとよ。峯の八大金剛童子の、乗り移り給ふなる掛け笈を、不浄の身にて解きほどき候て、只は置くべきか。笈絡げて得させよ。」と、続いて追うて出ければ、立ち戻り、手を合はせ、「眼下に咎、候ばこそ。何事もうち忘れて、御免候へ。少人も御座あれば、伝馬なんどの御用は、御目にかかるべし。」と言ふ。さしも剛なる浦の人、御戒力に押されて、その後、物を申さぬは、理とこそ聞こえけれ。
 判官、武蔵を召して、「陸を行かば、この先に、物憂き事も多かりなむ。便船の便りもあれかし。」と、仰せ出されたりければ、武蔵、承り、殊の外に腹を立て、「惣じて我が君の、ここにては『便船。』かしこにては『便船。』と、便船好みを召さるるによつて、かかる難しき事の出で来候ぞや。四国、西国の御合戦に、皆、舟戦のみにて御座ありし間、舟路の事をば、よく心得て候。あは、よき舟を買ひ取つて、我と漕ぎ下らんに、何の子細の候べき。」判官、「げにも。」と思し召し、直江の太郎を召して、「この辺に、売り舟や候。御秘計あれ。」直江、承り、「よそを尋ぬるまでも候はず。小鷹、隼、浪くぐり、石割り太郎、呼子鳥と申して、あまたの舟を持つて候。御用に任せて召さるべし。」と申す。義経、聞こし召して、「あら、おびただしと持たせ給ひたる舟や候。その中にとつても、小鷹と言へる舟、いか程もせよ。」とて、義経の秘蔵に思し召す、白鞘巻の御腰の物を、直江の太郎に下し給ふ。直江、御腰の物を賜はり、舟具足ひしひしとし繕ひ、舟押し浮かめて、「早、召されよ。」と申す。十三人の人々は、「我も、我も。」と召されけり。
 憂かりける直江の津を、事ゆゑなく漕ぎ出し、順風を得て、帆を上げけり。雲海漫々として際も無し。雲の波、霞の煙、分けがたし。蒼波、猶、道遠し。汀の海は錦に似、雁、北天に飛びにけり。「いづれの星月か、義経と諸共に、帰らむ事を得む」事は、菅丞相の詠めなり。「羨ましやな、雁金は。葉月にならば、来こそせめ。義経は、いつの時に、都へとては帰るべき。せめて玉章ばかりをば、言伝てむ。」と宣ひつつ、歌を詠み、詩を作り、舵を取り、帆を上げて、浪路遥かに吹かれ行く、心ざしこそ哀れなれ。
 かかりける所に、佐渡の国北山が嶽よりも、黒雲一つ、立ち覆ふ。「雨か、風か。怪しや。」と、仰せらるる処に、又、越後の国蔵王堂の上よりも、雷電、雲を響かす。「あは、気色の悪いは。山蔭、風の隠れ嶋、いづくにかある。舟寄せて、この難を逃るべし。」と言ふ。言はせも果てずして、大風、梢を吹き砕き、渚に砂子を飛ばすれば、平々としたる雲海に、雪の山こそ多かりけれ。水を天に吹き上げ、さかさまの雨とぞなつたりける。上下、舟に酔ひ給ふ。その中にとつても、義盛と弁慶、二人ばかりこそ、大肌脱ぎに肌脱いて、艫舳に立つてぞ廻りける。
 「いかにもしてこの舟を、磯へ寄すべからず。荒磯へ舟を寄せ、舟損じては、かなふまじい。風に任せて舵を取れ。帆菰が風に揉まれば、帆綿を切つて風を通せ。猶しも風が激しくは、大綱小綱切り捨て、艫綱に結ひ付け引かすべし。取舵より水入らば、面舵へ乗り直せ。亀井、片岡は、戦場ばかりの嗜みにて、かかる時には、前後不覚に見え給ふものかな。舟底に下り立つて、あか湯をなりとも替へ給へ。たとひこの舟が、鬼界、高麗、契丹国へ、落とさるると申すとも、我々二人あらん程は、何の子細の候べきぞ、我が君。」と申す。判官、聞こし召されて、「あの義盛と申すは、伊勢の国の者にて、渡りの舟に習つて、舟路の事をも心得べきが、不思議やな、武蔵は。文にも武にも達者なるが、舟路の事をもこれ程に、心得けるが不思議や。」と、そぞろに褒めさせ給ひけり。
 あら、いたはしや、御前の、御身も只もましまさぬに、荒き浪、強き風に弱り果て、丈と等しき御ぐしを、浪と涙に揺り流し、むつかる声も弱り果て、今を限りと見え給ふ。十一人の人々は、この由を見参らせ、「げにげに、夫婦の仲程に、わりなき事は、よもあらじ。いたはしや、御前の、都に御座の御時は、七重の屏風、八重の几帳、九重の幔の内、御簾吹き返す風をだにも、『人か。』と厭ひ給ひしに、今はいつしか変はり果て、かかる遠国波濤にて、さて果て給はむ、いたはしや。」と、鬼神を欺く輩も、不覚の涙、流しけり。
 かかりける所に、只今までは、ありともおぼえぬ舟どもが、その数あまた、ほの見えたり。判官、御覧じて、「あれは、助け舟か。嬉しや。」と、仰せられける処に、さは無くして、赤旗さし上げたる武者どもが、いか程も多く湧き出たり。不思議に思し召す処に、舟の内に声あつて、「宗盛父子、これにあり。東国の九郎冠者、恋しや。」と呼ばはりかけ、近付くと見ゆる。能登守教経は、小舟に楫取一人相具し、近付くと見ゆる。二位殿と思しき人、先帝を抱き申し、「只今、海底に身を沈めむ。」とて、義経の方を恨めしげに見、立たせ給ふ。
 弁慶、これを見て、「引導せばや。」と思ひ、舟底につつと入り、兜巾、篠懸うち掛け、舟の舳板につつ立ち上がつて、大音上げて呼ばはるやう、「昨日は西の海岸にて、多勢の嘆きを得、今日は又、北国の江にして、眼前、嘆きを成す事は、夢幻の如くなり。有為の法はさながら、今吹く風の如し。無作の観を成す事は、今立つ浪の如くなり。大乗の議論は、風によつて形あり。一つの風があればこそ、多くの浪も形あれ。風波の二見は、迷ひの前の夢なり。一つの海、空海にして、浄土無しと悟る時は、風も浪もあらばこそ。あう、いたはしや、平家には、さるべき知者のなければこそ、多くの怨霊を、仏とは成さずして、執着の闘諍に輪廻し給ふ、いたはしさよ。只今申す弁慶が引導につき、発心の一理を悟つて、輪廻の絆を離れて、妙覚無為の位に着かせ給へ。」と申す時、二位殿の声として、「昔は一天の国母とし、万乗の聖主とありしかど、今は又、御裳裾川の流れ、遠里波底に身を入れし。愁嘆の涕泣、嫉妬の執念は、砂子よりも猶多し。これによつて、六道、多くの里を巡り、三途八難の旧業を、逃れがたく思ひしに、只今申す弁慶が引導につき、発心の一理を悟つて、輪廻の絆を離れて、妙覚無為の位に、着きたる事の嬉しさよ。昔は敵、今は導師と成り給ふ。暇申して、さらば。」とて、浪の底に入り給へば、風も浪も鎮まり、舟は小浪に揺り据うる。
 人々の嬉しさ、譬へむ方もなかりけり。

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