和泉が城
(大頭左兵衛本)
さる間、判官殿、高舘の御所に移らせ給ひ、昨日今日とは申せども、三とせに成るは、程も無し。秀衡入道、いつきかしづき申し、奥州五十四郡の大名小名、皆、この君に思ひ付き申し、非番当番、暇もなく、囲繞渇仰、中々申すばかりはなかりけり。
さる間、梶原、嫡子の源太景季、二男平次を近付けて、「さても判官殿、奥州へ御下向あり。御威勢を申せば、月に重なり日にまさる。殊更この間は、『高尾の文覚上人、鞍馬の東光坊、奈良の得業の御坊にて、御兄弟の御仲、直し申さむとの御内談。』と承る。上は御一体なれば、終に御和睦あるべし。もしさもあらば、判官殿、津の国渡辺福島にての、逆櫓の遺恨、今までも、いかでか忘れ給ふべき。さあらんに於きては、我々父子とも引き出され、切られむ事は治定なり。いかがはせむ。」と申しつつ、案じ煩ふばかりなり。源太、承り、「仰せの如く、この君、在鎌倉ましまさば、我等が家の大事、これに過ぐべからず。されば、昔が今に至るまで、力に及ばぬ敵をば、仏神に申す習ひの候。叶はぬまでも判官殿を、調伏召されて御覧ぜよ。」と申す。
梶原、「げにも。」と思ひ、やがて若宮の別当僧正に参り、「判官殿を調伏すべき」由を、一円に頼む。さる間、僧正、堅く辞退ありけれども、「一命に懸けて頼み申す」間、力に及ばず領掌し、吉日選び給ひ、一所を清め、荘厳し、四面の壇を飾つて、調伏の護摩をぞ焚かれける。そもそも呪詛の壇と申すは、息災、増益、敬愛、調伏とて、以上、壇は四壇なり。息災の壇は、東向いてぞ行はる。増益は南向き。敬愛は西向き。さて調伏は、北へ向いて行はる。供物のやうこそ恐ろしけれ。乳木に山うつぎ。焼香に毒蛇の骨。供具には、ひつちの飯を盛り、灯し火に井守の油。閼伽には白蛇の水を垂れ、飲食、日々に変はつて、初七日は地蔵の法、二七日は阿弥陀の法。三七日に成りしかば、取つて押し下ろして、内縛外縛の印を結んで、烏蒭沙摩明王、金剛童子の真言にて、重ねて七日、祈りけり。
「この法にて叶はずは、僧正が命を召さるべし。」と、独鈷を以て胸を叩き、三鈷を以て脳を打ち、頂を打ち破り、頂上よりもあゆる血を、護摩の火へ取つて掛け、苛高珠数を押し揉んで、責めに責めてぞ祈りける。余りに強く責められて、西方に立ち給ふ、大威徳の召されたる、侍者の牛が、「わつ。」と吼えて、北へ向かつて諸膝折つて伏しければ、行者、これに力を得、一字金輪、五壇の法、六字河臨、八字文殊、普賢延命、大威徳明王、内縛外縛にさしかかり、責めに責めて祈りければ、四七日の曙に、壇の上に黒雲がかかつて、不動の利剣に生血が付いて、生き首、壇より転び落ち、「ししつ。」と笑うて失せければ、「一法は成就したり。」とて、壇を破らせ給ひけり。あら、ありがたや。仏は広大慈悲とは申せども、祈るしるしぞ顕はれける。されども判官殿には負ひ給はで、秀衡が身の上と成つて、病の床に臥し、今を限りと見ゆる。
かくて秀衡、小太郎、二男は伊達の次郎、三男和泉の三郎、四郎元吉、樋爪の五郎とて、五人は男子にて、乙は姫にてぞ候ひける。今を限りと見えし時、兄弟の者どもを、後や枕に近付けて、「いかに、兄弟、物を聞け。それ弓取の亡き後に、一門兄弟不安なれば、必ず家を破るなり。兄は弟を憐憫し、弟は兄に従ふべし。君を敬ひ奉り、民をも深く憐れむべし。その外、神拝、政、秀衡が亡き後に、少しも違ふる事なかれ。いかに、和泉の三郎、高舘殿へ参り、君を御供申すべし。某、最後に申したき子細あり。」忠衡、承つて、急ぎ高舘殿へ参り、この由、「かく。」と申し上ぐ。判官、大きに驚き給ひ、伊勢の三郎義盛、亀井の六郎重清、彼等二人を御供として、秀衡が舘に移らせ給ふ。秀衡、なのめに喜うで、五人の子どもに介錯せられ、起き直り、手水、うがひし、直垂の上ばかりを着し、君に対面申す。
「只今、我が君を申し入るる事、別の子細にて候はず。秀衡こそ、娑婆の縁尽き果て、冥途黄泉の旅に赴き候。子どもあまた候へども、御目にかかり候如く、いづれも若き者にて候程に、恐れながら、君を証人に立て参らせ、所領が分けたく存じ候。まづ、兄にて候程に、西木戸の太郎にこそ、惣領を申し付けたく候へども、君、御存じの如く、秀衡が子孫に於いて、嫡子に惣領を持たする事の候はねば、家の惣領をば、伊達の次郎泰衡に申し付け候。東海道にとつては、伊達の郡、信夫の郡、十五郡の所を、惣領職にて候程に、伊達の次郎に取らせ候。西海道にとつては、葛田の郡、柴田の郡、くもゐ、あんせ、かれこれ十五郡の所をば、西木戸の太郎に取らせ候。松嶋七郡をば和泉の三郎。塩釜六郡をば四郎元吉。樋爪の郡八郡をば、末の冠者に取らするなり。武隈、さいかい分、ふた郡をば、乙の姫に取らするなり。片田の郡をば、後家分に参らする。さて又、出羽は十二郡、小国にては候へども、我が君に奉る。御馬の草飼ひ所とも、思し召され候べし。
「あら、名残惜しの我が君や。君のかくて御坐ある事、御本意にてはあらねども、世に従へば苦しからず。秀衡、空しく成るならば、鎌倉殿よりも、『我が君討つて参らせよ。』と、たばかり御判下るべし。それをまことと心得て、君に不忠を致すならば、神慮の憎まれ蒙つて、秀衡が子孫、絶えぬべし。何とてか世の中の、思ふやうにはあらざらん。『御兄弟の御仲直り、在鎌倉の御供をも、申さばや。』と思ひしに、只今空しく成る事よ。これのみ心にかかる。」とて、不覚の涙、流しけり。子ども、承つて、「御心安く思し召せ。君に全う二心、あるまじき」由を申す。秀衡、聞いて、「あら、嬉しや候。その儀にてあるならば、いまだ今生に息の通ふ時、起請を書いて、我に見せよ。」兄弟、承つて、「易き間の事。」とて、松嶋大明神の牛王を申し下ろし、兄西木戸を始めとし、各々、起請をぞ書いたりける。
そもそも起請文の意趣は、「八幡太郎義家、この国に下向あつて、安倍の貞任を攻め滅ぼし、我等が先祖、御舘の権太郎清衡に、この国の守護を給はつしよりこの方、その子に小次郎基衡、今、秀衡まで三代は、国穏やかに治まり、忝くも、一天の君の宣旨を蒙り、弓矢の家の名を得し事、しかしながら当家の御恩たり。何ぞこの君の御恩、等しからずや。これを斎ひ申さば、上は梵天帝釈、下は四大天皇。下界の地には、伊勢天照大神を始め奉り、王城の鎮守、八幡大菩薩、鹿嶋、香取、諏訪、熱田。別しては氏の神、松嶋の大明神。惣じて六十六ヶ国の、大小の神祇冥道を、驚かし奉る処、この君に二心あるならば、秀衡が子孫、絶え果てて、今生にては弓矢の冥加、長くすたり、来世にては奈落に沈み、紅蓮大紅蓮の氷に閉ぢられ、浮かぶ世、さらに候まじ。起請文、件の如し。文治四年十二月二十三日、西木戸の太郎頼衡判。」と書きければ、次、弟も起請を書き、各々、判を据ゑたるは、さて、身の毛もよだつばかりなり。
秀衡、これを見て、「起請の面、神妙なり。まづ惣領泰衡が起請をば、氏神松嶋大明神の、御宝殿に納むべし。西木戸が起請をば、我が君に奉れ。和泉の三郎が起請をば、入道が冥途の証拠に持つべし。」とて、肌の守りに掛けにける。残る二人が起請をば、灰に焼いて水に入れ、兄弟五人の者どもが、次第次第に飲うだりしは、ためし少なき次第なり。秀衡、これを見て、「今は心安く候。それ、人の死するには、末期の一句と申す事の候。某が一句には、戦のやうを申すべし。秀衡、空しく成るならば、定めて鎌倉殿より、『判官討つて参らせよ。』との、たばかり御判、下るべし。一度の使に、御返事は申しそ。再びの使をば、討つて捨てよ。三度にも成るならば、鎌倉勢が立つべし。『討手、向かふ。』と風聞せば、軍兵ども相触れさせ、伊達の大城戸切り塞ぎ、亀割坂に関を据ゑ、五人の子どもは大将にて、西塔の弁慶を戦奉行に定めて、目ざまし戦、せさすべし。
「軍兵尽くるものならば、高舘殿に火をかけ、達谷ヶ窟か霧山が禅定へ、君を移し奉り、兄弟五人の者どもは、葛田、村田、秋田の城、四十八の城郭に押つ取り籠つて、五年も十年も防ぎ戦ふものならば、鎌倉勢の長陣は、思ひも寄らぬ事にてあり。さあらば、時刻移つて、御兄弟の御仲は、終に直らせ給ふべし。もしさもあらば、汝等は、『九郎に忠ある侍。』とて、関東へ召し出され、勲功勧賞に預かるべし。たとひ秀衡死したりとも、草の蔭にて某が、鉄の楯と成つて、守るべきぞや、子ども。」とて、さも高声に宣へども、次第次第に弱りければ、君を始めて子供ども、皆、涙をぞ流しける。「猶々、申したき事候へども、余りにくたびれ候程に、暫く休み申さむ。」と、これを最後の言葉にて、文治四年十二月、二十四日の曙に、九十八と申すには、朝の露と消えにけり。
子ども、一族、集まりて、嘆くと申すもおろかなり。殊更嘆かせ給ひしは、高舘殿にてとどめたり。「果報なき義経や。二歳の春の頃、離れ申せし父御をば、まだ幼少の事なれば、夢ともさらに弁へず。今、秀衡に離るる事、二親に後るる思ひかな。義経こそ世にあらば、いかなる恩をも与ふべきに、あまつさへは秀衡に、譲り置きつる事どもこそ、何より以て恥づかしけれ。何と成り行く憂き身ぞ。」と、流涕焦がれ給ひけり。「只、とにかくに、恩に如くはあらじ。」とて、御色を召されて、野辺まで送らせ給ひけり。「只、義経の御果報の、尽くる故。」とぞ聞こえける。さる間、七日七日をば、子ども受け取り、思ひ思ひにぞ弔ひける。「三十五日に当たる日は、閻魔の庁へ参る日なれば、義経、弔はむ。」と仰せあつて、みづから御経あそばし、数の御僧供養し、様々の御弔ひなり。草の蔭なる秀衡も、さこそ喜び給ふべし。四十九日と申す日は、松嶋の別当を供養し申す。一七日の御法談あり。
さても秀衡、申せし如く、案にも違はず、百ヶ日も過ぎざるに、鎌倉殿よりも、「判官討つて参らせよ。」と、たばかり御判、西木戸が舘に着く。西木戸が中の出居にて、兄弟五人の者ども、開いて拝見仕る。その御書に曰く、「何とて奥の一統は、世になき義経と一味し、頼朝に敵を成す條、謂はれ無し。早、悪心を翻し、義経が頭を切つて、関東へ捧ぐるならば、勧賞には、上野、下野、甲斐、信濃、武蔵、五ヶ国を宛て行ふ。同受領は望みたるべし。仍て状、件の如し。文治五年三月一日、源頼朝判。」と読うだりけり。
子ども、これを承つて、「仰せの如く、世にも御坐なき判官殿を、主と頼み申せば、下りまじき所にて、馬より下るるも無念なり。いざ、この君を討ち参らせ、上野、下野、甲斐、信濃、武蔵、五ヶ国を、五人して知行せむ。」と申す。各々、この儀に同じけり。その中に、三男和泉の三郎忠衡、烏帽子の先を地に付け、涙を流し、申すやう、「父秀衡、我等に起請を書かせ、世にも嬉しげにて、過ぎさせ給ひしに、今、幾程もなき間に、かやうの謀叛を思ひ立ち、父を地獄に落とし申さば、天命いかで逃るべき。この事に於いては、思し召しとどまるべし。それに承引無きならば、忠衡は御免あれ。向後、対面申すまじ。」と、座敷を立ちて帰りしを、褒めぬ人こそなかりけれ。
その後、和泉の三郎は、我が宿に帰り、女房に言ふやうは、「さても面目も無き、申し事の候ぞ。それをいかにと申すに、兄弟の人々の、敵と成り給ひ、我が君を討ち申さむずる巧みの候。何ぼうあさましき次第にて候。」女房、聞いて、「あら、あさましき事や候。秀衡殿に後れさせ給ひ、今、幾程も無き間に、兄弟の人々の、敵と成り給ひなば、さて我が君は、何と成らせ給ふべきぞ。たとひみづから、女の身にて候とも、高舘殿に参り、君の御供申すべし。さて忠衡は、何とか思ひ給ふらむ。」和泉、この由聞くよりも、「さらさら別の子細も候はず。定めて兄弟の人々の心中には、今夜の内、高舘殿へ、夜討に寄する事も候べし。見継ぎ勢を参らせむ。」と、究竟の強者を二十七騎すぐつて、高舘殿へ参らせて、我が身は只うち解けて、最後を知らぬぞ哀れなる。
さても西木戸が舘には、残る兄弟の者ども、「さもあれ、和泉の三郎が、我等を制しかね、座敷を蹴立てて立つたるものかな。時刻移してかなふまじ。和泉に腹を切らせ、九万八千の軍神の血祭にせむ。」「尤も、しかるべし。」とて、照井、金沢、鳥の海に、三千余騎を相添へ、和泉が城へぞ寄せたりける。かの和泉が城と申すは、三方は衣川、一方は堀を掘り、逆茂木を引き、用心厳しかりけれども、げには寄せ手は案内あり。又は、俄の事にてある間、一二の城戸へ押し寄せ、鬨をどつと上ぐる。城の内の兵、思ひ寄り無き事なれば、仰天、ひしめいて見ゆる。
和泉、この由見るよりも、「何を騒ぐぞ。面々は、父の遺言の旨を、いつぱし言ひつる処に、かやうに情けなく寄せむとは、夢にも知らず。いかに、誰かある。寄せ手の大将は、誰にてあるぞ。聞いて参れ。」と下知を成す。関の四郎、承り、太刀佩き、矢負ひ、弓持つて、大手の櫓に走り上がつて、大音上げて呼ばはる。「只今、ここ元へ寄せ来つたるは、天下の討手にては、よもあらじ。私の宿意か。又、盗賊人か。怪しや、名乗れ。聞かむ。」と言ふ。寄せ手の大将、照井の太郎がこれを聞き、「謀叛の起こりは存ぜねども、惣領殿の御下知により、照井、金沢、鳥の海、三千余騎を賜はつて、これまで参りて候。忠衡は、御腹召されよ。方々は、兜を脱ぎ、いづれも主にてましませば、惣領殿ヘ降参申して、命を継げ。」とぞ言うたりける。関の四郎がこれを聞き、からからとうち笑ひ、「わ殿ばらが習ひかや。主の先途を見捨てて、降参する法やある。受けて見よ。」と言ふままに、尖り矢取つてうちつがひ、よつ引いて放しけり。一陣に進んだる、鳥の海の三郎が胸板に、はつしと当たり、掛けず後ろへ抜けたりけり。寄せ手も他門であらざれば、「ああ、射たりや、射たりや。」と褒めたりけり。
さても高舘殿と和泉が城とは、その間十八町の所なれば、鬨の声、矢叫びの音、手に取るやうに聞こえければ、判官、武蔵を召され、「和泉が城に当たつて、鬨の声の聞こゆるは、いかさま、兄弟の者どもに、討たるるとおぼえたり。これと言ふに、義経が身の上なり。急ぎ見継げ。」とぞ仰せけり。「承る。」と申して、御所侍三十五騎、和泉が郎等二十七騎、細畷にかかつて、駒を速めて打つたりけり。道にて武蔵、言ふやうは、「待て、暫し。方々、この合戦と申すは、和泉に野心があらばこそ。只、我が君への心変はりの合戦なり。高舘の御所へ、定めて討手、向かふべし。押し隔てられ、かなふまじ。いざや、御所へ帰つて、君を守護し申さむ。」とて、道よりも引き帰す。これと申すも忠衡が、運の尽きたる所なり。和泉が郎等、申すやう、「主の先途で候へば、暇申して、さらば。」とて、駒に鞭を揉み添へて、揉みに揉うでぞ打つたりける。照井の太郎がこれを見て、「すはや、高舘よりも、見継ぎ勢のあるぞ。」とて、左右へばつとぞのいたりける。陣を二つに駆け割つて、内へ一所に加はつたり。
照井の太郎が申すやう、「これ程の城郭を、時刻移して落とさぬは、無下に不覚とおぼえたり。いでいで、隆直、先駆けせむ。我と思はむ者あらば、続けや。」と言ふままに、長刀を横たヘて、真先にこそ進みけれ。続く兵、誰々ぞ。みはの六郎、うたの藤次、秋田の兵衛を先として、七十五騎にて切つて入る。城の内の兵、すきさし、たかなう、先として、二十七騎切つて出、ここを先途と戦うたり。この者どもと申すは、敵味方と言ひながら、或いは伯父甥、兄弟なれば、他人よりは恥づかしく、一足も退かず、鎬を削り、鍔を割り、切先よりも火焔を出し、ここを先途と戦うたり。寄せ手は秋田、中村、古堀兄弟討たるれば、城の内の兵は、堀の端にて十七騎、枕を並べて討たれたり。或いは手負ひ、くたびれて、城の内へぞ引いたりける。寄せ手はさすが猛勢なれば、新手を入れ替へ攻めければ、一二の城戸をも打ち破られて、詰めの城にぞ籠りける。
さる間、和泉の三郎忠衡は、「兄弟に向かつて、合戦すべきにあらず。」とて、物の具もせで居たりしが、「味方、悉く討死し、早、城中へ乱れ入る。」と聞こえければ、「この上は力及ばず。」とて、広縁さして出る。女房、これを見て、射向の袂を引つとどめ、「それ弓取の、後に思ひを残しぬれば、不覚の死をする由を、承つて候ぞや。兄弟の若どもをば、『何と成れ。』と思し召し、捨てては行かせ給ふぞや。ともかくもよきやうに、計らひ給へ、忠衡殿。」
和泉、この由聞くよりも、「げにげに、これも言はれて候。」とて、ありし所へ立ち帰り、七つ、五つに成りける兄弟の若どもを、弓手、妻手の膝に置き、おくれの髪をかき撫で、「あら、無残の若どもや。幾程添はぬもの故に、親子の契りと生まれ来て、あまつさへ、父が手にかかり、はかなく成らん無残さよ。父が手にかかるを、恨みとばし思ふなよ。只、伯父達を恨むべし。助けたくは思へども、貪欲無道の伯父どもの、助くる事は、よもあらじ。忠衡が手にかかり、死出、三途を嘆き越し、閻魔の庁へ参るべし。念仏申せ、若ども。」と、涙と共に勧むれば、何の心は知らねども、いたいけしたる手を合はせ、「阿弥陀仏、弥陀仏。」と、四、五遍申す時にこそ、目くれ、心は消ゆれども、「心弱くて叶はじ。」と、腰の刀をするりと抜き、兄花若を引き寄せて、二刀害して押し伏する。弟の花光が、この由を見るよりも、「ああ、恐ろしの父御や。我をば許させ給へ。」とて、居たる所をづんど立ち、母が所へ逃げけるを、おくれの髪をむずと取り、「汝一人、行かばこそ。父母も兄も行くぞ。」とて、只一刀害しつつ、同じ枕に押し伏せて、我が身を抱いて泣きゐたる、心の内ぞ哀れなる。母、この由を見るよりも、「あら、ためしなの次第や。」とて、兄弟に抱き付き、「暫く待てよ。若どもよ。やがて追つ付き、手を控へ、死出、三途を行くべきぞ。」と、泣き沈みてぞ居たりける。
さる間、忠衡、居たる所をづんど立つて、「あら、名残惜しや、女房。夫婦の契りも今ばかり。暇申して、さらば。」とて、一間所へつつと入り、糸緋縅の鎧の、まだ巳の時と輝くを、草摺長にざつくと着、高紐、上帯、しつかと締め、太刀佩き、矢負ひ、弓取つて、大庭さして躍り出る。女房、この由見るよりも、「いかに、忠衡。御身十八、みづから十四の秋よりも、片時も離れ申さず。今、この時に至つて、我をば捨て置き給ふか。暫く御待ち候へ。」とて、一間所へつつと入り、紅の二つ衣、むずと取つて着るままに、萌黄匂ひの腹巻を、草摺長にざつくと着、高紐、上帯、しつかと締め、白柄の長刀かい込うで、和泉と共に切つて出る。心の剛なるも道理かな。西国八嶋の合戦に、義経の御供申し、能登の守の矢先にかかつて、空しく成つたりける、佐藤嗣信が妹なり。奥州五十四郡がその中に、隠れもなき大力の剛の者、忠衡、櫓に上がれば、女房、城戸を堅め、「手負うた味方の軍兵に、暫く息を継がせむ。」と、畳楯取つてさしかざし、大手の城戸へ向かひしは、げに頼もしき次第かな。
忠衡、櫓の上より、大音上げて言ひけるは、「只今、ここ元へ寄せ来つたるは、照井、金沢、鳥の海か。汝等程の云ふ甲斐無しに、かく言ふべきにはあらねども、確かに聞いて、よく語れ。父の遺言、起請の罰、三代相恩の主の旧功、かれこれ以て、天命いかで逃るべき。あつぱれ忠衡、命が二つ欲しきぞとよ。一つの命をば、君の御ために奉り、今一つ残し置き、兄弟の人々の、成れる果てを見たきぞとよ。只今、某が放つ矢、汝等に射る矢にあらず。兄弟の人々に恨みの矢、一筋受けて見よ。」と言ふままに、三人張に十三束取つて、からりとうちつがひ、「本弭末弭一つに成れ。」と、きりきりと引き絞り、かなぐり放ちにがつきと放す。一陣に進んだる金沢の九郎が胸板に、はつしと当たり、立つより早く、ぐつと抜け、裏に控へたる番場の兵衛が、兜の弓手の吹き返しに、火花を散らいて立つたりけり。
これを始めに仕り、矢束ね解いて押し乱し、さし取り引き詰め、散々に射たりけり。究竟の兵を十七、八騎、ばらりと射られ、少し矢頃を引き退く。矢種尽くれば、櫓をゆらりと跳んでおり、打吻の鞘を外して、夫婦共に切つて出る。忠衡が手並を、かねて知つたる事なれば、嵐に木の葉の散る如く、面を合はする者は無し。逃ぐる者を追つ詰め、諸膝を薙ぎ落とせば、うつ伏しに臥すもあり。兜の真向を唐竹割りに割られて、弓手妻手へのくもあり。忠衡が手にかけて、究竟の兵を二十七騎、薙ぎ伏すれば、女房が手にかけて、よき兵を七、八騎、手の下にて切り伏せ、残る兵どもに、痛手薄手負ほせて、四方へばつと追つ散らし、夫婦、手に手を取り組んで、しづしづと引いたるは、人間の業にてなかりけり。
惣じて寄せ手は二百余騎、討死す。城の中の兵は、五十余騎討たれ、残る兵ども、或いは手負ひ、又、落ち行きければ、今は竹王丸、月王丸とて、わつぱ二人ぞ候ひける。忠衡、二人の者を近付け、「汝等、防ぎ矢射よ。忠衡は、心安う腹切らん。」と言ひければ、竹王丸は、大手の木戸に走り出、ここを先途と防ぎ戦ふ。月王丸は、火打ち、着け竹取り出し、ちやうちやうど打ち着けて、屏風、障子に火をかけ、天下、霞に焼き立てる。
さる間、忠衡は、兄弟の若どもが死骸の辺りにどうど居て、「いかに、女房。子どもと連れて行けや。」とて、「まづ害せむ。」としければ、女房、刀にすがりつき、「あら、愚かや、忠衡。みづから命惜しむにあらねども、女は何と死したりとも、苦しからぬ事にてあり。さすがに御身は名を得たる、弓取にてましませば、悪しく自害をし給ひては、屍の上の不覚なり。まづ御腹を切り給へ。御供申し候べし。」和泉、この由聞くよりも、「げにげに、これも言はれたり。さらば、忠衡、切るべし。」と、腰の刀を引ん抜いて、鎧の上帯切つてのけ、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心もとにさし立て、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、寸々に切つて捨て、「いかに、いかに。」と言ひければ、女房、この由見るよりも、「涼しく切らせ給ひけり。暫く御待ち候へ。」とて、和泉の刀押つ取つて、切つ先を含みて、うつ伏しにかつぱと伏す。女房は二十九、忠衡は三十三、その外の者どもも、同じ煙と成つたりしは、ためし少なき次第なり。
忠衡が心中、貴賤上下押しなべて、感ぜぬ人はなかりけり。
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