高舘
(大頭左兵衛本)
さる程に鎌倉殿、梶原を召され、「いかに、梶原、承れ。まこと、義経が謀叛に於いて、疑ふ所無し。急ぎ義経を退治し、世を治めむ。」との御諚にて、長崎の四郎に、三百余騎を下し賜ぶ。長崎、三百余騎を賜はり、急ぎ奥にも着きしかば、催促廻し、勢揃へ、泰衡が舘に与力し、照井の太郎を筆取にて、早、着到を付くる。まづ、惣領なれば泰衡、次に西木戸、四郎元吉、樋爪の五郎、沼倉殿の御兄弟、その外の人には、けつその弥七、木原の源五、雲居の小太郎、あつせの刑部、中嶋のようとうじ、松嶋、平泉、小嶋の兵頭を先として、名字の侍七百余騎、その外都合、兵七千三百余騎と、早、着到を付くる。そもそも頃はいつなるらん、文治五年閏四月二十七日。「今日は、日柄よからず。明日、辰の刻に向かふべし。」と定め、太田、山口、中村に、既に陣取つて控へたり。
さても、「高舘の御所には、宵までは侍八人、大将共に九人。」と聞こえしが、次ぐ日の御合戦に、侍九人、大将共に十人の由来を、詳しく尋ぬるに、紀州熊野の住人に、鈴木の三郎重家なり。或る夜、鈴木、女房に語りけるは、「何がし、思ふ事ありて、この暁、奥州へ罷り下り候べし。心のままに罷り下り、君のめでたうましまさば、明年の夏の頃、便りの文を参らせむ。夏の頃しも過ぎ行かば、浮世は不定の習ひ、『道の草葉の露霜と、消えぬるよ。』と思し召し、跡をば頼み奉る。暇申して、さらば。」とて、自体が鈴木殿、熊野育ちの人なれば、山伏の姿にさまを変へ、笈取つて肩に掛け、物うき竹の杖を突き、その節々によを籠めて、藤代を立ち出て、早、九重に着きにけり。
人目しのぶの旅なれば、いつしか花の都をば、霞と共に立ち出て、大津の浦より舟に乗り、海津の浦に上がりつつ、北国道の憂き難所を、下らせ給ひける程に、人の宿を借らざれば、或いは野に臥し山に臥し、七十五日と申すには、奥州衣川、高舘の御所に着きにけり。鈴木、何とか思ひけむ、笈、篠懸をば傍らに取り隠し、笈の中よりも打ち掛け取り出、着るままに、十二符かけたる編み笠を、深々と引つこうで、高舘殿の体を、心静かに見奉るに、紀州藤代にて承りし時は、日番、当番、訴訟人、さながら御内に満ち満ち、門外に駒の立てどもなきやうに、承り及びしが、思ひの外に引き替へて、「これは何とて寂しく御坐あるらむ。不思議さよ。」と思ひ、門の唐居敷に腰を掛け、御内の体を、心静かに聞きゐたり。
さても高舘殿には、敵向かふ由を聞こし召し、侍達を召さるるに、いつも変はらぬ武蔵坊を先として、以上八人、御前に畏まる。判官、御覧じて、「方々が手に掛け、首を取つて関東へ参らせ、勲功の賞に預からば、奉公の忠に後世を弔へ。いかに、いかに。」と仰せけれども、御返事申す者もなし。片岡、亀井の六郎が、目と目ときつと見合はせて、「こは、口惜しき御諚かな。誰かあつて、我が君の御首を賜はり、鎌倉へ降参をば申すべき。今まで落ちぬ人々は、皆、御供とこそ思すらん。さはありながら、この中にも、『落ちむ。』と思ふ人のあらば、平に暇を申して落ちよ。誰も恨みは残らじ。」と、坐敷をきつと見渡せば、吉武、広綱、一同に、「涼しく申されたるものや。誰もかやうに申したき、御返事にて候ぞや。思ふに敵、暁寄すべし。大手、搦め手と、二手に分けぬ事あらじ。味方はたとい無勢なりと、両陣に群がつて、軍は花を散らすべし。まだほの暗き早朝に、『あれは大手。』『これは搦め手。』なんどとて、声をば聞けども姿は見じ。我も人も、心静かにある時に、上へ申して御酒賜はり、最後の名残を惜しむべし。」
「尤も、しかるべし。」とて、種々の大瓶、大筒を、御出居へ申し出しつつ、君も御出ましまして、女房達の御酌にて、上に盃据わりければ、下は以上八人、三献の酒過ぐれば、後には互に入り乱れて、思ひ差し、思ひ取り、自酌自盛りの楽あそび、舞うつ歌うつ呑む程に、亀井が呑うだる盃を、武蔵殿に思ひ差し、立つて舞をぞ舞ひにける。
蓬莱山には千とせ経る、松の枝に鶴巣くふ、巌の方に亀遊ぶ。
しほり、三頭、鴨の入れ首、鴫の羽返しを、さつと差いて立ち廻る処にて、門外を見てあれば、太刀脇挟んだ男の、編み笠目深に引つこうだるが、唐居敷に腰を掛け、亀井が舞を聞きゐたり。
亀井の六郎も、「あれは、誰なるらむ。」と思ひしが、げにと思ひ寄りなければ、舞、既に舞ひ納め、酌に手掛けて居たりしに、門なる男の声として、大の声音をさし上げ、「なうなう、御内へ案内申し候はん。」と、高らかに呼ばはる。鳴りを静めて座敷には、「誰なるらん。」と聞く処に、西塔の武蔵、この声を聞くよりも、「あれは、敵の奴ばらが、案内検見のそのために、偽りまなんで来つて候。何様、今日の使をば、余すまじい。」と言ふままに、袴のそばを高く取つて、長刀押つ取り、「出む。」とす。亀井の六郎も、続いて座敷をづんど立ち、武蔵が袖を引つとどめ、「なう、静まり給へ、武蔵殿。不思議や、この声を聞いたるやうに思ふ。」とて、武蔵をとどめて亀井、走り出て見てあれば、舎兄鈴木の三郎殿、旅やつれに面痩せて、一人ここに立ち給ふ。
亀井、夢とも弁へず、するすると走り寄り、鈴木が袂に取り付けば、兄も弟に取り付いて、「さて、いかに、いかに。」とばかりなり。遥かにありて鈴木殿、「やあ、何事かある、亀井。」亀井、この由承り、「その事にて候ぞや。君の御運も我等が運も、今、この時に尽き果てて、明日を限りと早成りぬ。それをいかにと申すに、秀衡、浮世にありし程は、君をも尊み申せしが、有為無常の習ひとて、秀衡、去年の冬、はかなく成りて候ぞや。その子ども、我が君に心変はりを仕り、『鎌倉よりの検見には、長崎の四郎殿を、申し下し賜はりて、さて国の大将に、照井、伊達が向かひつつ、太田、山口、中村に、陣取りてある。』と聞いて候。などや、か程に御身の思し召し立つならば、二年も三年も先に御下りましまして、一旦、楽をし給ひて、思ひ出と思し召すべきに、何ぞ詰めたる御運かな。今日下り給ふこそ、喜びの中の嘆きなれ。今生にて見、見え申すこそ、何より以て嬉しう候へ。浮世の妄執、晴れてあり。上にも知ろし召さるまじ。咎め怪しむ者あらじ。をちこち人の風情にて、御帰りあれや、鈴木殿。」
鈴木、この由うち聞いて、「不覚なり、亀井。龍門原上の土に骨は埋むとも、名をば埋むが不覚さよ。師弟、主従、父子、夫婦、三世の機縁なくしては、何しに今日参るべき。『鈴木が参りて候。』と、上へ申せ、亀井。」とて、草鞋脱ぎ捨て、上に着たる打ち掛け脱いで、ふはと捨て、兄弟連れて判官の、御前を指いてぞ参りける。
判官、御覧じて、「いかに、珍しや、鈴木殿。積悪に余殃あり。因果歴然の道理により、平家に着せしその罪が、義経が身に数へ来て、明日を限りと早成りぬ。されば、末の露、本の雫と成る風情、異姓他門を敵に受け、かく成りぬると思ひなば、恨みはさらに残るまじい。これにある人々をも、落としたくは候へども、敵許さねば、力及ばず。わ君をば、見知りたる者もあるまじい。咎め怪しむ者あらじ。をちこち人の風情にて、早々、熊野へ帰られよ。見し者と思ひては、後世をば弔うて賜べ。鈴木あつてもこの軍に、勝つべきにてもあらず。疾うして帰り候へ。」
鈴木、承つて、「こは、口惜しき御諚かな。君に犯せる咎なくして、討たれさせ給はむずる、前業いかがおはしけむ。何ぞや鈴木めが、月日こそ多きに、今日参り合うたる事は、三世の機縁の朽ちせぬ故。軍散じて罷り下り、『さもあれ、君の御最後所は、いづくにてか御坐あるらむ。』と、思ひ遣り申したるばかりにて、門の唐居敷に腰を掛け、只一人すごすごと、腹切らんずる事どもこそ、何ぼう無念に候べき。御具足一領賜はつて、討死せむ。」と申し切つて、落ちんずる気色は無し。
判官、御覧じて、「この上は、力及ばず。いでいでさらば、鈴木に具足を一領取らせむ。」とて、上文字打つたる唐櫃の蓋を開け、小桜縅の鎧を取り出させ給ひて、「この鎧と申すは、小倉の佐藤禅門が、『子どもが設けのために。』とて、具足を二領、縅し立つる。兄嗣信は小桜、舎弟忠信は、卯の花縅に結構し、相待つる処に、彼等兄弟は討たれぬ。面目なけれど義経、佐藤が舘へうち越えて、子どもが最後を語つて聞かす。母の尼公は嘆かずし、『かかる家の面目候。兄弟の者どもが、御供申して出しより、帰らん事は不定ぞと、思ひ設けて候ぞや。さはありながら、き奴ばらが、御供申して下るならば、取らせむずるそのために、具足を二領、縅し立つる。これこれ、御覧候へや。待つて甲斐なきこの形見を、見つる事のはかなさよ。誰に鎧を参らせむ。我が君に参らせむ。』小桜縅を義経に、卯の花縅を武蔵殿に、得させたる具足なり。一つに彼等が形見と言ひ、又は札よき具足なり。自然の事もあるならば、義経、着せむそのために、これまで持たせて侍れども、御辺にこれを取らする。」とて、同じ毛の三枚兜に打ち物添へ、鈴木が前にどうど置いて、「旅やつれに、さこそあるらむ。早、そこ賜はれ、鈴木殿。」鈴木、面目施して、「御世が御世の御時に、千町万町賜はつたるより、今、この鎧に如かじ。」と、かはらけ取り上げ三杯酌んだる、鈴木殿が所存をば、あう、褒めぬ人こそなかりけれ。
かかりける処に、西塔の武蔵は、ちつともしほれぬ眼より、涙をはらはらと流し、「異国を知らず、本朝に於いて、我が君の御内の人のやうに、揃うたる事、あるまじい。それをいかにと申すに、一とせ、嗣信、忠信が討死。伊勢と駿河が京、鎌倉にての死に様。今又、鈴木殿が、御具足一領賜はつて、『千町万町の御恩に替へじ。』と、喜うずる事のゆゆしさよ。か程までよき郎等を、持ち給ふ我が君の、御果報の程のうたてさは、せめて大国四、五ヶ国、御知行なきこそ口惜しけれ。奥方の軍兵、何千騎にて、寄せ来ると申すとも、公事武者の駆り兵、思ふにさこそあらむずらん。今はこの夜も更け行くらむ。呑めや、歌へや。」「尤も。」とて、舞うつ歌うつ酒盛する。
既にその夜も夜半ばかりの事なるに、鈴木の三郎重家、居たる所をづんど立つて、中門の廊に出、弟亀井を近付け、「いかに、亀井。今度重家、紀州藤代を出し時、先祖重代に伝はる、腹巻一領着て下る。皆、傍輩達も聞こし召せ。この腹巻と申すは、忝くも、熊野の権現のいにしへ、摩掲陀国の主とし、武王が中の武王にて、天下を治めさせ給へば、海内、殊に静かなり。しかれども、かの御門に、御世を継がせ給ふべき、王子の更におはせねば、『いかならんずる后にか、王子の誕生あるべき。』と、后の数を揃ふるに、既に千人斎ひ申し、寵愛に思し召されける、后に王子の御坐なければ、ましてや疎き方様に、いかでか更におはすべき。されども末の后に、五衰殿と申すこそ、懐妊とおはしませ。御門、叡感なのめにて、今は早、余の后、御気色、さらによからず。五衰殿にうち添ひて、既に、『一の后とし、内裏へ移し申さむ。』と、宣旨ありし折節、数百人の后達、これを妬み、そねみつつ、御門、御坐なき折節に、武士を語らひて、五衰殿に乱れ入り、后を害し奉り、深山深く捨てにけり。
「されど、いかなる不思議にや、死骸も破れ損ぜず、野干の物もあぶさずし、満ずる月に誕生ある。しかも、太子とおはします。人住む山にてあらざれば、人倫さらに立ち寄らず。虎狼、野干は立ち寄れども、食し、服す事もなく、守護を加へ申せしに、いたはしや、太子は、母の死骸の乳味を服し給へば、忽ちに食と成り、野干の物を供として、年月を経る程に、天の岩戸の明け暮れと、早、七とせに成り給ふ。天下には嘆きにて、遠国遠里波濤まで、尋ね給へど、ましまさず。世を憂き事に思し召し、既に早、位をすべり給ふ折節、尊き人のましまして、居所を尋ぬる折節、太子を見付け奉つて、内裏へ帰つて奏聞申す。臣下卿相、不思議の思ひを成しつつ、山中に至つて詳しく見奉れば、形は五衰殿にして、その面影も変はらず。太子、御年七歳。人を見馴れ給はねば、臣等、辺りへ立ち寄るを、怖ぢおののかせ給ふを、智見上人、走り寄り、太子を抱き取り、五衰殿の死骸をば、山中に廟を築き籠め奉りて、その後、太子をば、雲上へ移し奉る。
「御門、叡覧ましまして、太子を抱き取り給ひ、智見聖を近付けて、詳しく問はせ給へば、聖も、『いかで存ぜむ。山中に至つて、樹下石上を心掛け、居所を尋ぬる折節、太子を見つけ奉りて、奏聞申して候。』と、ありのままに申す。御門、叡覧あり、『あう。濁れる世に生まれて、戒を保つ業因に、かかる罪を作る事は、麿が咎にてあらずや。かかる物憂き国には、ありて益なき事。』とて、万里の飛車と名付けて、虚空を駆ける車に、今の太子諸共に、既に乗じ給ひけり。第一の臣下に能見の大臣重高、奥見の中将兼滿、彼等二人を供として、車の榻に乗じて、東をさして飛び給ふ。我が朝紀の国牟婁の郡、音無里にしては又、熊野権現と顕はれて、衆生を済度し給へり。五衰殿の王子は、若王子にておはします。能見の大臣は、子守の宮と現ぜらるる。奥見の中将は、飛行夜叉、これなり。その御跡を慕ひ申し、智見上人、飛び来つて、聖の宮と現ぜらるる。その外の神達は、次第次第、帰朝して、四所明神、五体王子、勧請十五社、金剛夜叉、諸社と現じ給ふも皆、この時の人々ぞ。
「しかるに亀井、よく聞け。重高より重家まで、十六代とおぼえたり。重高のいにしへ、摩掲陀国より我が朝へ、飛ばせ給ひし折節、御門、兵事のそのために、この腹巻を召されて、飛び来り給ふなり。代々、嫡子に伝はれる家の宝、今、鈴木まで相伝す。重代なれば、身を離さず、この度も着て下り、奥方の奴ばらに取られて、終に他門の宝と成さむ惜しさよ。それとても力無し。重家は面目に、君の着背長賜はりぬ。この旅の疲れに、二領重ねむ事、難し。御辺、これを取らする。」とて、唐錦縅、黄金札の腹巻を、脱いで亀井に取らせけり。亀井、腹巻引つ立て、「これ、見給へや、人々。六明経のその中に、『人の果報は義によつて、二男に生まれても惣領を継ぐべし。』と、説かれたるは、これなるべし。この時、家の重代を、亀井の六郎譲り得て、千筋の矢先当たるとも、胸板に受け止めて、死なむず事の嬉しや。」と、躍り上がつて喜うだる。「あつぱれ、武士の手本や。」と、褒めぬ人こそなかりけれ。
既に、その夜も明け方の事なるに、武蔵坊弁慶は、居たる所をづんど立つて、四間所へつつと入り、いつも好む褐の直垂、水に鴛の脛楯し、三引両の弓籠手さし、いまだ鎧は着ざりけり。二尺ばかりなる打ち刀を、十文字に差すままに、梨子打烏帽子押つこうで、白綾畳んで、鉢巻にむんず締め、「人々、御免候へ。」とて、四間の出居より中門の廊に出、唐櫃に腰を掛け、東向きにぞ居たりける。鈴木の三郎重家も、魚綾嶋摺の直垂、君より下し賜はつたる、小桜縅の鎧を着、同じ毛の三枚兜の緒を締め、三尺八寸のいか物作りの太刀佩いて、三十六さいたる大中黒の征矢負うて、三人張りの真中握り、これも四間の出居より、中門の廊に出、唐櫃に腰を掛け、東向きにぞ居たりける。鷲の尾、片岡、熊井太郎、源八兵衛広綱、備前の平四郎、毛々の鎧、兜の緒を締め、太刀佩き、矢負いて、皆ながら、唐櫃に腰を掛け、目と目ときつと見合はせたる、この人々の有様は、樊噲、張良、安禄山も、面を背けつつ、恥ぢぬべし。
その中に取つても、亀井の六郎重清は、一際すぐれて出立つたり。肌に取つては唐紅引つ違へ、精好の張つたるに、寄掛目結の直垂の、括りを結つて締めたりけり。楊梅桃李の左右の籠手、白檀磨きの脛当、熊の皮の揉足袋、銀にて縁金やつて、開口高に踏んごうたり。獅子に牡丹の脛楯し、唐錦縅、黄金札の腹巻ざつくと揺り掛け、糸緋縅の鎧、二領重ねてばらりと着、躍り上がつて高紐掛け、結つて上帯ちやうど締め、九寸五分の鎧通しを、妻手の脇に差いたりけり。一尺八寸の打ち刀を、十文字に差すままに、三尺八寸候ひし、葵作りの太刀佩いて、四十二差いたる鷹うすべうを、筈高に取つて付け、同じ毛の五枚兜に、鍬形打つて猪首に着、白綾の母衣をさつと掛け、塗籠の弓の四人張り、責めの関弦掛けさせ、真中握り、横たへ、四間の出居より中門へ、揺るぎ出たるその有様、物によくよく譬ふれば、めいぼく太子、白駝王。我が朝にては、将門、純友。吉野山にて名を上げし、奥州の忠信も、只これ程こそありつらめ。「器量に寄せて出立つたりや。」と、声を揃へ、褒めたりけり。
既にその夜も明けければ、奥方の軍兵も、うつ立つ由こそ聞こえけれ。まづ大手へは、時の実検人、長崎殿を大将にて、三千八百余騎、衣川東の門へ押し寄する。搦め手は、伊達、鳥の海、二千五百余騎にて、西の小門へ押し寄する。御所の手は、大手は鈴木兄弟、兼房、只三騎にて堅めぬ。搦め手は、鷲の尾、片岡、熊井太郎、源八兵衛広綱、備前の平四郎、以上五騎にて控へたり。弁慶は浮き武者にて、大手の櫓に上がり、軍の下知をぞしたりける。
亀井の六郎も、同じく櫓に上がり、兜を脱いで、どうど置き、弓張り直し、弦食ひ湿し、素引きしてこそゐたりけれ。兄の鈴木が見上げてきつと見て、「や、御辺は櫓に上がりたるよな。」亀井が聞いて、「さん候。この城は平城にて候へども、久しく拵へたる城にて、堀広うして底深し。いかに敵が詰め掛けて、埋め草を込むとも、三重の堀をば、よも一時には埋め候じ。『重家、重清兄弟。』と、名乗つて奥方の奴ばらに、手並を見せてくれ候ず。」鈴木、聞いて、「あう、よく言うたり、亀井。但し、重家は、長旅に腹巻に肩引かせ、矢壺も矢束もおぼえねども、さらば射て見む、亀井。」とて、同じく櫓に上がる。
かくて、寄せ手の人々は、大手、搦め手揉み合はせ、鬨をどつと上ぐる。六種震動、かくやらむ、天地響いておびただしし。城には以上九人の人々、軍の法とて優しくも、鬨を、「おつ。」とぞ合はせける。物によくよく譬ふれば、雷渡る春の野に、古巣を出る鴬の、初音を告ぐる如くなり。鬨の声、静まりければ、照井の太郎高直、一陣に駒、駆け出し、大音上げて申す。「いかに、御陣へ申したき事の候。昨日までは判官殿を、主君と仰ぎ申すといへど、鎌倉殿の御意に背きおはします。さるによつて長崎殿、御教書帯し、御下向の上、天が下にありながら、違背申すに及ばざるによつて、『義経の御自害ましまさば、介錯申せとの御使に、高直、参りて候。』と、申させ給へ、人々。」とて、弓杖にすがつて控へたり。
武蔵坊弁慶は、櫓の歩み板を、「毀れよ。」と、どうどうと踏み鳴らし、「何、かう言ふは、照井めかれ。角打つたる兜を着、容儀骨柄ゆゆしくし、よき馬に乗つたれば、『秀衡が子どもの中には、誰なるらむ。』と思ふ処に、又郎等の照井めが、この門外まで参り来て、馬の上にて名乗りやう、狼藉なり。その陣を、やあ、引いてのけ。」とぞ申しける。照井の太郎がこれを聞き、「かく宣ふは、武蔵殿か。事珍しき雑言かな。君を深く尊めば、臣を敬ふ道理あり。鎌倉殿御教書帯し、今日の大将賜はつて、罷り向かつた高直にて、わ人どもをば真実の、物の数とは思はぬなり。無用の広言申さむよりも、侍は渡り者ぞ。兜を脱いで弓弦を外し、命を継げ。」とぞ言うたりける。武蔵坊弁慶、言葉なくして立つたりけり。
亀井の六郎が、武蔵が辺りへ立ち寄つて、「なうなう、武蔵殿。神明をも尊まず、父命をも恐れず、法に任せず振舞ひ候、傍若無人の奴めには、何を仰せ候とも、只、犬を教すに似たるべし。無用の論を、とめ給へ。君こそ御腹を召さるるとも、我等がかくて候はば、軍は花を散らすべし。かう申す兵を、いかなる者と思ふらむ。熊野権現の一の臣下に、能見の大臣重高よりも十六代の後胤、鈴木の庄司が二男、亀井の六郎重清、年積もつて二十六。照井殿に矢一筋奉らん。や、受けて見よ。」と言ひもあへず、四人張りに十四束取つて、からとうちつがひ、「本弭末弭一つに成れ。」と、きりきりとひき絞り、まちを拳に引つかけ、「えいやつ。」と勝手うつたるは、胴突なんどの如くなり。
一陣に進んだる照井が舎弟、高野の四郎が、駒引つそばめて控へたる、鎧の袖の三の板、妻手の脛楯、緒繰の板、肝の束ね、するりと通し、相引かけて裏をかけ、ぐつと抜けて余る矢が、裏に控へたる照井が馬の太腹に、羽ぶくらせめてづつばと立つ。高野は痛手なりければ、受けも合はせず妻手返しに、錣をついて、どうど落つれば、照井が馬は痛手負ひ、屏風返しにひつたと返し、高膝折つて伏しければ、照井は馬より下り立つた。城には武蔵、鈴木を先として、「射たりや、射たりや。」と揺り上げ揺り上げ笑ひけり。寄せ手は射られて音もせず。「異国のきんくわが弓の威も、只これ程こそありつらめ。」と、寄せ手も舌を巻いたりけり。
兄の鈴木が、弟亀井が姿を見上げてきつと見て、「ああ、射たりや、亀井。この五、六年離れ、『御辺、いか程に生ひ立つてあるやらむ。』と、心元なく思ひ、紀の国より遥々下りて見てあれば、容儀骨柄よりすぐれたる、長矢束の大弓は、よにも不思議に思ひしに、押し手勝手の定まつて、射たりや、亀井。あ、射たりや、亀井殿。只今のその気色を、紀の国にとどめ置く、一族どもに見せばや。君も御出あつて、御見物あれかしな。重家も、矢一つ射て見せ申さむ。」と言ふままに、十三束三つがけの中差抜いて、油引き、矢狭間広々と引かせ、「いかにや、奥方の軍兵。今の亀井が兄、鈴木の庄司とは、我が事なり。四国九国の御合戦に、度々の高名、名を顕はし、御世静まつてその後、紀州藤代は本領なれば、安堵を賜はり所領に下る。義経の都下着をば知らで、御供申さぬなり。さはありながら、この五、六年、君の御事、亀井が行方、ひとかたならぬにより候て、歩行で紀州を罷り出、急ぐとすれど、かち路。日数積もつて昨日まで、七十五日にて昨夜着き、今日の御合戦に合うたるは、さて何ぼう果報の者ぞ。今の亀井が矢程こそ無くと、受けて見よ。」とぞ言うたりける。奥方の軍兵、楯の端を突きかざして、鈴木が射る矢を待ちかけたり。
鈴木、この由見るよりも、十三束三つがけ三人張りに、からりとつがひ、「本弭末弭一つに成れ。」と、きりきりとひき絞り、かなぐり放しにがつきと放す。一陣に進んだる照井が従弟に、丸太の藤次が、「高野が答の矢一筋。」と、進みかけたる胸板に、立つより速く、ぐつと抜け、裏に控へたる、麦野の四郎が首の骨に、びつしと立つ。二騎の武者が、ためずして、弓手妻手へ、どうどうと落ちにけり。続く軍兵、これを見て、「この者どもが矢先には、鉄の楯を突いたりとも、かなふべしともおぼえず。や、この陣、引けや。」と言ふままに、むらむらばつと引いたりけり。鈴木兄弟、櫓より下り拳に、毛よき武者をかい選りかい選り、さし取り引き詰め、散々に射たりけり。
矢種尽くれば、櫓をゆらりと跳んで下り、駒引き寄せてうち乗り、衣川の中の瀬を、水に鴎が一むすび、浪間を伝ふ風情にて、鐙の端にて浪を叩かせ、さんざめかいて渡しけり。奥方の軍兵、この由を見るよりも、「鈴木兄弟、手取りにせよ。太刀も刀も要るべきか。」とて、折り重なつてひしめいたり。鈴木兄弟、玉に馴れたる蓬莱の、鳥の風情、かくやらむ、驚く気色はなかりけり。大勢の中へ割つて入り、西から東、北から南、蜘蛛手かくなは十文字、八花形といふ物に、割り立て追ん廻して、散々に切つたりけり。鈴木の三郎重家、十三騎切つて落とせば、弟亀井が手にかけて、二十七騎薙ぎ伏する。げには敵もこらへばこそ、風に木の葉の散るやうに、むらむらばつと引いたりけり。この人々は手も負はずし、川しづしづと渡し戻し、勢ひかかつて控へたるは、異国の樊噲、張良も、かくやと思ひ知られてあり。
武蔵坊弁慶は、櫓の上にてつくづくと見て、「あら、面白と、鈴木兄弟が合戦したるやうや。さすがにあの方々は、天下御用、公所の軍を、し習うたる人々にて、敵の色を悟つて駆け、引きつる心根の面白さよ。暫く人々、櫓に上がつて御待ち候へ。武蔵坊弁慶も、出立つて来む。」と言ふままに、四間所へつつと入り、卯の花縅の鎧を着、先の梨子打烏帽子にて、今度は白柄の長刀をうちかたげ、大手の櫓に走り上がつて、東向きにぞ立つたりける。そもそも頃は、いつなるらん。文治五年閏四月の二十八日の、いまだ巳の刻ばかりなるに、照りに照つたる朝日に、物の具の金物は、折から色やまさるらむ、開いた扇は紅にて、日にさし向かつて立つたりける、武蔵坊が有様は、兜跋毘沙門、四天王の、荒れたる気色もかくやらむ。
「いかに、奥方の軍兵。鳴りを静めて、事の心を確かに聞け。それ人間の命は、電光朝露。討つも討たるるも、夢の戯れ。昨日までは肩を並べ、膝を組みし方々が、今日、敵と成る事も、因果歴然の道理によつて、世をも人をも恨むまじい。さりながら、汝等が遠国に住んで、入り取り強盗し、境の牓示論じ、二十騎三十騎ここかしこに、引き分け引き分け空印地して、礫打つたらむには似まじいぞ。今日、武蔵がする軍こそ手本よ、見習へ。弁慶が長刀にて、切り残されたらん輩は、見し者と思ひては、後世をば弔うて得させよ。弁慶、末代の物語に、舞を一手舞はうぞや。早、出賜べや、人々。」鈴木兄弟、かねて用意やしたりけむ、鼓を取り出して、叩き上げてぞ囃しける。自体、武蔵は山徒にても、乱舞延年の上手舞をば、一手習うたり。調子を伺うて立つたりしが、霞に霞んで、大きなる声をはつたと上げて、一声をこそ取つたりけれ。
嬉しや。どうどうと鳴るは瀧の水。日は照るとも、いつも絶えせじ。
面白や。筏を下すは大井川。花を流すは吉野川。紅葉を下すは龍田川。
都辺りに名河は様々多けれど、遠国ながら名所かな。
霧山高嶺の残りの雪消え、谷の氷柱も溶けぬれば、衣川の水嵩増さつて、奥方の軍兵を、弁慶が長刀にて、湊をさして切り流す、切り流す。
と、揉烏帽子といふ曲を、一拍子ばらりと踏んで、開いた扇を櫓より、衣川へさつと投げ入れ、扇の落つるより早く、あう、櫓を跳んで下りたりけり。三戸立ちの白芦毛、七寸八分、明け六歳に、引き寄せゆらりと乗つたりけり。鷲の尾、片岡が、「先に駆けむ。」と進みけり。弁慶がこれを見て、「いでいで、武蔵、荒切りせむ。後をばこなせ、若武者ども。」とて、先駆けしてこそ渡しけれ。
向かひは信夫、元吉、竹樋、丸田を先として、奥には我と思しき者、三百騎ばかりで控へたる、陣の中へ武蔵、駒をさつと駆け入れたり。奥方の軍兵、陣を二つに分けたりけり。されどもここに、「高田の太郎。」と名乗つて、武蔵坊に渡り合ふ。弁慶、これを見て、持つて開いて横手切りに、がつしと切る。兜の弓手の吹き返し、面の頬先、妻手の冠の板をかけて、づんど切つてぞ落としける。花崎、この由を見るよりも、「あつ、切つたりや。武蔵殿、そこを引くな。」と言ふままに、隙間もなく懸かりけり。弁慶、これを見て、持つて開いて拝み打ちに、ちやうど打つ。兜の真向切り割つて、後ろは錣、母衣付、前は半つぶり、よだれ金、四枚金胴、引敷、草摺、二つにさつと切り割られて、弓手妻手へ捌けたり。
柴田の四郎がこれを見て、「あつ、切つたりや。武蔵殿、そこを引くな。」と言ふままに、隙間もなく懸かりけり。弁慶、これを見て、「あう、奥方の軍兵は、心は剛にありけるぞや。退く風情を見せざるは。手並の程を見せむ。」とて、持つて開いて、ちやうど打つたりけり。柴田も聞こゆる兵にて、冠の板にて受け流し、さらぬ体にて駆け通す。二陣に続いたる亀井の六郎が、「武蔵殿の切り残し、受け取つたりや。」と言ふままに、葵作り三尺八寸、横手切りに、がんじと切る。亀井が腕や強かりけむ、太刀の金やよかりけむ、四枚胴を押しかけ、二十五差いたる征矢をかけ、しや腰のつがひを車切りといふものに、ぶつつと切つて落としけり。上は抜けて、どうど落つれば、下は鞍にぞ乗つたりけり。これを始めて七騎の人々、入れ違へ揉み違へ、散々に切つてぞ廻りける。
かかりける処に、土佐の八郎高直と、亀井の六郎重清、むずと組んで、二人が両馬の間へ、どうど落つる。亀井、無双の剛の者、「敵と組むならば、大勢定めて折り合ふべし。」と、色、かねて悟り、土佐を取つて押さへて、首、ふつと掻き落とし、「立ち上がらむ。」とする処へ、土佐が傅の十郎が、隙をあらせず折り合ひて、亀井が弓手の腕を、水もたまらず打ち落とす。亀井、無双の剛の者、心は高砂や、高砂の松の緑と映ゆれども、痛手を負ひぬれば、太刀を杖に突き、今を限りと見ゆる。舎兄鈴木の庄司、大勢の中にて戦ひしが、弟亀井が痛手負ひ、存命不定なるを見て、敵を四方へ追つ散らし、我が身をきつと見たりければ、痛手薄手の嫌ひ無く、十三所、手負うたり。「今は、かう。」と思ひて、亀井を肩に引つ掛け、城の内へつつと入り、高き所におろし置き、「やあ、そこで腹切れ、亀井。」「南無阿弥陀仏。」と諸共に、鈴木は生年三十三、亀井の六郎二十六、刺し違へて死にけるを、惜しまぬ者はなかりけり。
さる間弁慶は、君の御前に参り、「早、鈴木兄弟こそ、討死仕りて候へ。」判官、聞こし召されて、「亀井が事は、さて置きぬ。あら、無残や、鈴木。紀の国より遥々下り、世に無き主の方人して、討たれぬるこそ無残なれ。今朝より読む御経も、早、奉納の時分に成るぞ。防いで賜べや、武蔵殿。」弁慶、承つて、「今度は某が、死に番に当たつて候。」と、申しもあへず、御出居へづんど入り、鉄を厚さ五分に鍛はせたるを、桶側胴と名付けて、刀溜りに着たりけり。卯の花縅の鎧、糸緋縅の胴丸、三両重ねてざつくと着、上帯結つて、ちやうど締め、一尺八寸の打ち刀を、十文字に差すままに、箙刀、首掻き刀、三腰までこそ差いたりけり。長刀、小反り刃をうち違へ、鞍の前輪に締め付け、弓手に熊手押つ取つて、妻手に長刀うち掛け、膝にて馬を乗つたりけり。弁慶が駆け出れば、只、小山の動く如くなり。
大勢の中へ割つて入り、膝口、高腿、馬の腹、ばらりばらりと引き破れば、只、将棋倒しの如くなり。この勢ひに恐れ、捨て鞭打つて逃ぐる処へ、弁慶、駒を駆け寄せ、熊手をさし渡し、兜の天辺にうち掛け、「えい。」と言うて引き寄せて、下げ切りしてぞ捨てにけり。いはんや、漢王唐土まで、その名を得たる弁慶、今日を最後の合戦に、面を合はする者は無し。怒れる眼は黒雲の、所々の晴れ間より、朝日の映ろふ如くなり。敵を靡けて喚く声、雷電、稲妻、はたた神、獅子、象、虎の吼うる声、かくやと思ひ知られたり。弁慶が二度の駆けに、奥方の軍兵は、百八十騎討たれたり。今は、向かふ敵のあらざれば、「ええ、物ぐさい軍かな。さ思うつる事よ。」とて、小高き所に駒うち上げて、暫く陣をぞ取つたりける。
かかりける処に、信夫の庄司が子に小太郎、生年十八歳に成りけるが、弁慶が以前の駆け足に、父を討たせ、便暇を窺つて、「ひと矢、射ばや。」と狙ふ処に、早、ここにて見付け、二人張りに十二束取つて、からとうちつがひ、かなぐつて、ひやうと射た。弁慶が、のんどのんどと控へたる、胸板にばつしと当たる。小兵の射る矢の悲しさは、矢立に矢をばためずして、干反りけるその矢が、内兜へからりと入つて、笛の鎖にびつしと立つ。「ええ、物々し。」と言ふままに、矢を掻いかなぐつて見たりければ、鳥の舌にてや射たりけむ、矢柄は抜けて、根は留まる。さしもに剛なる弁慶も、馬より下にどうど落つる。「あら、無念や。西塔の武蔵とて、鬼神のやうに言はれしが、か程の細矢に当たつて、はかなくならむ口惜しさよ。最後にき奴を切らずは、黄泉路の障りと成るべし。さりながら、以前の如く、馬に取り乗り追ふならば、怖ぢて左右なく近付くまじい。所詮、空死にを始めて、近付かむ所を切つてくればや。」と思ひ、傍なる兜、引つ掛けて、空死にしてぞ、だるみける。
信夫、この由見るよりも、「なう、あれあれ、御覧候へ。さこそ人々の、鬼神のやうに宣ひし、武蔵坊弁慶をば、何がしが手にかけ、射落として候。首取つて見せむ。」とて、三尺八寸いか物作り、するりと抜いて、真向にさしかざし、揉みに揉うでぞ懸かりける。弁慶、錣の隙より見上げて、きつと見て、「あつぱれ、器量や、よい器量かな。あつたら若い者を、弁慶が手にかけ、失はん事の無残さよ。太刀の寸は延びたるや。き奴に一太刀打たれては、悪しかりなむ。」と存ずれば、近々と詰め寄せ、牛起きにがつぱと起き、「狼藉なる奴めに、手並の程を見せむ。」とて、傍なる長刀押つ取つて、追つ詰め、さらりと薙いだりけり。高腿切つて落とされ、のつけに返す処を、細首、宙にうち落とし、朱に染うだる長刀、弓手の肩に投げかけ、駒引き寄せてうち乗り、城の内へつつと入り、駒をかしこに乗り放し、大長刀にすがつて、たぢたぢと漂ひ、「あら、苦しや。兼房よ、君はいづくにおはします。」
兼房、武蔵が手を引いて、御前さして参る。判官、御覧じて、「あれは、武蔵か。」「さん候。」「声を聞けば、いにしへの武蔵。姿は只、鬼神の如し。羨ましや、武蔵は、生をも替へで、忽ちに、現人神と成りたるよな。それへ、それへ。」と仰せければ、「承る。」と申して、落縁にづんど上がり、鎧の袖を片敷いて、今を限りと見ゆるが、兼房を近付けて、「最後に若君を、一目拝み申し候。」兼房、若君を抱き申し、武蔵が手に渡す。
弁慶、若君を抱き申し、おくれの髪をかき撫で、「亀割山の峠にて、御産ならせ給ひし時、武蔵が産湯を参らせ、『汝は七歳まで、物あやかりと承る。若君の御果報、あやからせ給はば、伯父頼朝に御あやかり候へ。戒力は御親父判官。弓は為朝の御弓勢。二相を悟つて、悪魔の物の恐れむは、平の秩父にあやからせ給へ。打ち物召され、者の骨切つて、人に怖ぢられたらむは、物その数にて候はねども、かう申す武蔵めにあやからせ給へ。命の長く渡らせ給はむは、三浦の大介が百六に成りしに、あやからせ給へ。』と、申せし事の夢と成り、いまだ十にも足らずして、衣川の水の泡と、消えさせ給はむ、いたはしや。」と、はらはらと泣きければ、ああ、いたはしや、若君は、何のよしみをも、知ろし召されざりしが、弁慶があらけなき、出立ちにも怖ぢ給はず。胸板を下りに、朱のちしほに染め返し、流るる血を御覧じて、いたいけしたる御手にて、かき撫でさせ給ひつつ、ひしひしと抱き付き、わつと叫ばせ給ふにぞ、御前の女房、御末の人、兼房も武蔵も、消え入るやうに泣きゐたり。
判官、御覧じて、「弁慶が最後に、酒を呑ませよ。」「承る。」と申して、長柄の銚子に紅葉のかはらけを参らする。判官、取り上げさせ給ひて、「これは、二世までの盃を差すぞ。賜はれ。」弁慶、余りの忝さに、三度頂き、たんぶたんぶと一つ受け、ゆくゆくとは干しけれども、あら、何ともなや。笛が切れたる事なれば、血に交じはりてこの酒が、胸板を下りに、さらりさらりと流れけり。判官、御覧じて、「弁慶が最後は近付きたるぞ。念仏を勧めよ。」兼房、念仏を勧めければ、奥方の軍兵、この由を聞くよりも、「城の内に、念仏の音の聞こゆるは。いかさま、武蔵が腹を切るか。大剛の者の自害のやう、いざ見習ひて、手本にせむ。」「尤も、しかるべし。」とて、我先にと乱れ入る。
判官、御覧じて、「あはや、敵の近付くは。兼房、防ぎ矢射よ。弁慶は腹を切れ。御経せむずる間。」とて、御坐を立たせ給へば、弁慶、敵の呼ばはる声音を力として、大長刀にすがりて、又、たんぢたんぢと漂ふ。判官、御覧じて、「又、打つて出るか、武蔵。」「さん候。」判官、思ひ続けて、かくばかり。
後の世も又後の世も廻り逢へ染む紫の雲の上まで
弁慶、承つて、返歌と思しくて、かくばかり。
六道のちまたの末に待つぞ君後れ先立つ習ひありとも
と、かやうに申して、堀の舟橋を、かぶかぶと渡りけり。奥方の軍兵、この由を見るよりも、「あら、恐ろしや。又、弁慶が懸かるは。ここを引けや。」と言ふままに、我先とぞ逃げにける。
衣川、ざつとおつ越し、向かひの端はたにて、漂蕩する兵を、十七、八騎切り伏せ、「こなたの端はたへ帰らん。」としたりしが、次第に性根乱るれば、西向きに突つ立つて、長刀、真砂に揺り立て、光明真言唱へつつ、生年三十八にして、衣川の立ち往生。惜しまぬ者はなかりけり。奥方の軍兵、この由を見るよりも、「あら、恐ろしや。又、弁慶が、『人をたばかりて、切らむ。』とする、はかり事よ。近う寄つては、かなふまじ。遠矢に射よ。」と言ふままに、さし取り引き詰め、散々に射たりけり。武蔵に当たるその矢は、芦を束ねて、槙の板戸を突く風情。元より死したる弁慶にて、その身をちつとも痛まず。
沼舘の庄司、これを見て、「『至つて心の剛なる武者は、立ちながら死する謂はれのあり。」と申すぞ。誰かある。行き向かつて、弓の弭を以て、そつと突いて見よ。」「承る。」と申して、二十騎三十騎、駆け寄せ駆け寄せしけれども、手元へ寄る者なかりけり。沼舘、これを見て、「ええ、臆病なる人々かな。そこのけ。某、突かむ。」とて、駒の手綱かい繰つて、がつしがつしと歩ませ寄せ、弓の弭を押つ取り延べ、怖づ怖づ、がつぱと突いた。元より死した弁慶で、枯れ木を倒す如くに、がつぶと転びけり。転びけるその先に、持つたる長刀が、ひらりとするを見るよりも、沼舘の庄司、死したる者とは知らずし、「又、切つてかかる。」と心得、肝魂も身に添はず、駒より下に転び落ち、浮きぬ沈みぬ流れて、衣川の井堰に堰かれて死んだりしを、貴賤上下押しなべ、憎まぬ者はなかりけり。
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