一満箱王
(毛利家本)

安元元年神無月の比。奥野の狩場にて。河津の三郎うたれし時。五つや三つの若有しを。曽我の太郎祐延が養育し。兄の一満十一歳。弟の箱王九つの歳ものうき事こそ候ひけれ。それをいかにと申すに。東八ヶ国の大名小名。頼朝の御前にて御物かたりの次に。頼朝仰けるやうは。天下にをひて頼朝にまして果報の者は候はじ。夫を如何にと申に。保元の合戦に祖父為義をはしめ。一門皆討死し。中一年あつて。父義朝悪右衛門の督にかたらはれ。其軍にかけまけ東国さして落給ふ。其時頼朝も御供申て候ひしか。くらさは闇し雪は降る。西近江さかり松のあたりにてをひをくれ奉り。只一人りうげの闇にまよひしに。横川法師の大将。おうやのちうきといつし者。跡よりもをつかけ既に難儀にをよびしに。北近江伊吹の麓。草野の庄司に助られ。かれが宿所に年をこし。今はかふよとおもひしに。義朝は長田を頼たまへ共。たのむ木底に雨もり。やみやみとうたれさせたまひ。御頸上り獄門にかゝらせ給ふよしを聞。せめてかはらせたまひたる。御姿を成共見まいらせ。なをも命の有ならば。さまをもかへて御菩提をとひまいらせんと思ひしのびて京へのぼりしに。います河原と云処にて。弥平兵衛に生捕れ。六波羅へわたされ。うたるへきにて有しを。池の尼公にたすけられ。北條蛭か小嶋へながされ。伊藤北條両人に守護せられ。春秋を送りむかへて過し時。伊藤の入道助近に。つらくあたられ候ひつる。其時の心には。あはれ伊豆をしたがへ。野心の者をほろぼし。思ひ知せばやと。明暮仏神に祈精申せししるしにや。日本をあつめてしるのみならす。四海を太平にいたす事是しかしなから。君の為身のため。ふりやくのこうにしくはなしと。仰られたりければ。御前成し人々も。実々ゆゝしき御果報やと同音にかんじ申さるゝ。かゝりける処に。工藤一郎助経。すゝみ出て申しけるは。今こそ幼少に候共。すゑの世に野心を存へき者一二人御膝の下に候と申す。頼朝聞しめされて。扨夫は如何成者そ助経。さん候一年ちうせられ申たる。伊藤が孫河津か子。一満箱王とて貳人の者の候を。曽我の太郎祐延が。養育仕りたるよしを申す。頼朝きこしめされて。曽我の太郎助延は。左様に不忠はあらじとこそ思ひ候へ。夫を如何にと申に。頼朝が代をとりたる始より。ふかき忠の候へば。随分此かたかたをは。たのもしく思ひしに。頼朝が末の代の敵とならん事こそきつくわいなれ。急きかれらをめしのほせよ。誰か有との御諚也。祐経又申けるは。たれたれと申共。梶原の源太景末そ候らんと申す。急き源太をめされ。いかに景末。伊藤が孫河津が子。一満箱王とて貳人の者の候を。曽我の太郎祐延が養育し。成人するをまつときく。急きかれらをめしのぼせ。うんきをはねてすつべし早とくとくとの御諚なり。梶原承り。あらあさましやとは存れ共。しうめいなればそむきえず。かしこまつて候とて。御前を罷立。駒引よせて打乗り。曽我の里にも付しかば。祐延の宿所に立寄。君よりの御使に。源太が参りて候とたからかに云ければ。祐延急ぎ立出。景末に対面し。扨君よりの御使は何の為にて候ぞ。源太聞て。別の子細にて候はず。御子息達をめしのぼせ。御対面有べしとの御諚にて候。まだ幼少の人々に。御罪科は候まじひ早とくとくといひければ。祐延聞玉ひ菟角返事もなかりけり。秋を送る老葉は風なきにちり。愁をもよほす泪はとはざるにまづおつる。祐延の。心の内をしはかられてあはれなり。良有て申されけるは。あはれげに世の中に。子に縁なき者をたづぬるに。祐延にてとゞめたり。夫をいかにと申に。おさなきものを貳人もつて候ひしが。いとけなくて墓なくなる。かれらが母は別をかなしみ。いく程なくてむなしくなる。妻の別子共の嘆ぎひとかたならぬおもひ共に。祐延も遁世條行とおもひたつて候処に。伊藤の入道常に来り。なにかしをなぐさめ。物語の次に。うけたまはれば曽我殿は。妻子に離れ玉ふときく。なにがしが孫。一満箱王とて兄弟の候。かれらを養子にしたまひて。母もろともにをき給へと。再三申され候ほどに。さすがうき世もいとはれねば。かれらを養育仕り。早七年の。春秋を送れば成人程もなし。一満生年十一歳。箱王今は九つなり。身の衰老をもかへりみず。成人するを。待たるは別の為かうらめしや。けにも仇のすゑなれば。君の仰はことはりや。され共祐延君のため。今まで不忠をいたさねば。若もやたすけ。たまはんと奉公たてを申さるゝ。いかに景末。頼朝の御代をめされたる始をかたつてきかせ申さん。石橋山の合戦に。御身の父の景時。かふ申祐延も。平家方にてむかひしに。源氏の勢を見はたせば。唯蟷蜋かをのづから。纔の勢を。たなびきて。雲霞の如くの。平家の勢を防き給ふぞ哀れなる。昔が今に至るまで。多勢に不勢かなはねば。源氏合戦にかけまけてまな鶴が浦にひく波の。よりとも味方にをくれ給ひ。伏木の中を頼みつゝ。御身をしのばせ。玉ひしは御代のひらけんはじめ也。其時景時祐延。心をあはせ申やう。是わたくしの儀に非ず。先祖のための孝々也。いざや訪ひ申さんと。伏木の中を見てあれば。御物具の金物。白く見ゆる処を。弓の括を取のべ。木の葉をあつくはきかけ。さらぬていにて居たりしに。続く兵あやしめ。かたらひよれば貳人。伏木のうへにあがり。とうとうとふみならし。そも何者か今迄。此木の洞には有べきぞ。あやしきさまにのたまふは。いかさま景時祐延に。心ををかせ給ふかと。菟角ちんする処に。正八幡のちかひかや。此木のほらよりも鳩一つがひたち出て虚空をさしてとんでゆく。其時貳人力を得。あれ見玉ヘやかたがた。人のあらんず木の洞に。今迄鳩の有べきか。仇はかふこそ落つらん。とくをつつけや人々と。大勢の兵を。すぢなきかたへをしヘやり。君をひつたて奉り。まなづるが浦まで。御供申せし志し。やはかはわすれ給ふべき。其時頼朝。我世に出る物ならば。命の恩を忘じと。返々ものたまひし。たとひをかす科有となどかは御免ならざらん御身の父の景時に此叓かたり玉ひて祈訟叶へてたび給へ景末聞て。某も存知の事にて候。父もろともに御前にて。能様に申へく候。御心安おぼしめせといひければ。祐延聞て。荒嬉しや候。去乍母にしらせ候はんと。簾中に立入此由角と申されければ。母は夢とも弁へず。頓てきえいり給ひけり。河津殿に離れ申せし其時は。露の命もおしからず。きえうせばやとおもひしが。兄弟に目がくれ。今又かゝる身とあれば。いつかかれら成人し。祐延のたよりにもなりもやせんと仏神に。祈精申せししるしもなく。今更かゝるおもひをせんと。しらずやと。兄弟の若共を。弓手妻手の膝にをき。をくれの髪をかきなてゝ。如何に貳人の若共よ。祖父伊藤のとがにより。鎌倉殿へ。めしのぼせころさるべきに有ぞとよ。何とて君にはかほどまで。ふかき敵をばなしつらん。扨若共を。先にたてみづからは何と成べきと。泣涕こがれ玉ひければ。貳人の若も。もろともに泣より外の事はなし。源太物こしより申けるは。御嘆を承り泪にむせびて候。去乍是は御使の身にて候程に。早とくとくと云ければ。母うへ聞しめし。実々御道理にて御座侍ふ。別のかなしさにこそかやうに申て侍へ。今は力にをよばすと。二人の子共を出立せ。供の者共いつよりも。きらびやかにこしらへ。父もろともに打つれて鎌倉へゆくぞ哀れなる。いたはしや母うへは。有にあられぬ心にて。中門迄出させ給ひ。兄弟の者共が行つる方を見給へば。雲行客の跡を埋み。面影だにものこらねば。思ひの外に別ゆく。霧にまよへる雁金の鳴音も我をとふらふか。よしなや今はおもはじと。常の所に立帰り。かれらが住し所の障子をあけて見給ふに。常に手なれしもてあそび。小弓に竹馬作り太刀。作り刀の。いつのまに早形見とは成たるや。いたはしや母上は。責て思ひの余りにや。女房達を近付て。かたり慰み給ふやう。叶ぬ浮世の有様を。嘆べきにはあらね共。一大教主の釈迦如来も。子には迷の親のやみらごいちやうしととき給ふ。ましてや申さん人間は。余多もちたる子をだにも。一人に後れば。皆に別るゝ心地あり。我はたぐひもなでしこの。ふたりが中に若独。如何成事も有ならば。何となるをの一まつたぐひ如何にと思ひしに。かれらに別て母独り。思ひこがれて生てよも。明日迄命ながらへじ。此夕暮に音つれの。きかまほしやとのたまひて。衣ひきかづき。打伏て泣涕こがれ玉ひけり。扨も祐延。屠所の羊のあゆみ。隙行駒のをのづから。いそかぬ旅とおもへ共。其日の酉の刻に早鎌倉に着にけり。其夜は梶原か宿所にとゞまり。貳人の子共を左右にをき。終夜かいしやくし。定なき世をあんずるに。実々心にまかせぬ別の道と思ひきる。親子の契りもけふまでと。あふ時よりもさだまりぬ。嘆くは迷の凡夫也。悟則仏にて。あふもうれしかるまじ。別もいかゞうかるべきと。思ひ切てまします所に。景末申けるは。なふいかに曽我殿。某御前にてことの子細を申共。此まゝ御免は候まじ。御対面候はゝ。取合能様に申べきにて候。とく出立せ玉へと。ねんころにいひければ。兄弟此由聞よりも。幼き心にも最後とや思ひけん。たがひに目と目と見合て。泣より外の事はなし。なかぬも親はかなしきに。ましてかれらが体を見て。父か心は。かきくれておぼえす落る涙かな。角て有べき事ならねば。景末御前にまいる。頼朝御覧あつて。あれはいかにかげすゑ。何とて昨日は帰らぬぞ。かれらはいかにと仰ければ。めしぐしてまいりたる由を申す。時刻移して叶まじ。ゆいの汀へ引すえ。頸を切てすつべき也。早とくとくと仰ければ。景末重て申べき様のあらずして。我宿所にぞ帰りける。いたはしや祐延。貳人の子共にのたまふやう。祐延過去にとがありと。実子ならねばよもむくはじ。伊藤川津が罪科も。今養育をうけざれば。何のむくひかあるへきぞ。たゝねがはくは神仏。守り給ひて兄弟を。助てたはせ玉へと。祈念もいまだをはらぬに早景末は帰りけり。祐延急き立出。上意はいかにととひ玉へば。源太泪にむせびつゝ蒐角返事もなかりけり。良有て申けるは。荒口惜や候。責て御対面も候はゝ。余所の訴訟も頼むべきに。此まゝゆゐの汀へ御供し。首をきつてまいらせよ。若君様の御教養に。ほうぜんとの御諚にて候と。申もあへぬ所に。又御使ぞ立にける。曽我の一満箱王丸をとくとく切てまいらせよ。時刻移らば景末も。同じ罪科たるべしと。重て御諚候と。語りすてゝぞ帰りける。曽我も源太も兄弟も。余りの叓に。肝もきえ胸ふさがりてこゑいです。実々旃檀は。二葉よりもかふばしゝしといふ鳥はちいさけれど。虎を取とく有。かれらはいとけなけれ共儀による命をかろんじ。後名を家に伝へんと嘆ぐ気色もなかりけり。兄弟申けるやうは。如何に候父ごぜん急ぎ乗物給り。ゆゐの汀へ出べきなり。もしやの頼み有にこそ。しばしも角て有たけれ。又使のたつならば。景末の御為。しかるべくも候まじひ。とても叶はぬ物ゆへに。かまへてなげかせ玉ふなよ。父ごぜんといひければ。曽我は子共にいさめられ。輿さし寄て兄弟のせ。ゆゐの汀へ出けるが。落る泪に目がくれて道もさだかに。見もわかずしどろもどろとあゆみけり。鎌倉うちの貴賤上下。曽我の一満箱王丸の。最後の体の哀れさよと袖をしほらぬ人ぞなき。角て汀に付しかば。敷皮しかせ輿よりをり。今が最後候か。きられて後に我々は。如何成所へゆくべきぞ。教へてたばせ給へ父御前といひければ。また幼少の者共が。最後をしらぬ哀れさよと皆涙をぞなかしける。祐延さしよつてのたまひけるは。今が最後よ兄弟。きられて後に汝等は。祖父伊藤の入道。父河津の三郎と。一つ蓮に生るべし。必死ゝて行者は。仏の御前に参る也。先初七日はしんくわうわう。本地は不動明王也。二七日はしよごうわう。本地は釈迦にておはします。三七日はそうていわう。本地は大聖文殊なり。四七日はこくわんわう。本地は普賢菩薩なり。五七日は閻魔王。本地は地蔵菩薩也。六七日はへんじやうわう。本地は弥勒菩薩なり。七々日はたいさんわう。本地は薬師如来也。百ヶ日は平等王。本地は観世音。一周忌はどしわう。本地は勢至菩薩也。第三年は。五道転輪王。本地は阿弥陀如来也。七年忌は阿閦佛。十三年は大日如来。三十三年は虚空蔵菩薩也。かくのごとくの仏達。諸の悲願をおこし衆生を斉度したまへり。幼なければ汝等は。つくる罪のなきにより。かゝる仏の御前へ。参るべき叓共は。疑ひ定て有まじひかまへて不覚に見ゆるなと。さも高声にのたまへども。見れば余りの不便さに人目も更にはゞからず不覚の泪をながさるゝ。かやうに時刻を移す所に一つのよろこび候ひけり。三浦の吉盛。宇津の宮の友縄。千葉の介常種。此人々を先として。東八ヶ国の大名小名。訴訟の為に連参申也。源太殿も曽我殿も。楚忽にきらせ給ふなと。使を立させ玉ひ。各御前におまいり有申上られけるやうは。曽我の一満箱王丸をちうせらるゝ由承る。まだ幼少の者共に。何程の叓の候へき。助御をき候へかしと各々申されたりければ。頼朝聞しめされて。誠に面々の日来の忠節いつの世にわすれ候べき。去乍皆々存知のごとく。伊藤の入道助親に。つらくあたられ候ひつる。其時の心には。かれらほどの者をば。千人切てもあくべきか。扨は面々は。伊藤に頼朝をおもひかへさせ玉ふか。口惜さよと仰ければ。れつさんの人々も。重て申べきやうのあらずして皆々屋形に帰らせ給ふ。祐延此叓を汀にてつたえきゝ。扨はいかやうの人の御申成共。かなふまじひとおもはれければ。草のかけなる祐近にうらみ事をぞせられける。金は砂にまじはれ共。朽る事の候か。君はまさしき清和のながれ。一旦おちぶれ給ふ共。すゑに頼みをかけ申。不忠の心。なかりせばかゝるうきめによもあはじ。北條殿は君のため。不忠のこゝろなきにより。君を婿に取給ひ。今は子孫も。富栄へ肩をならぶる人もなし。うら山しの北條や。あらうらめしの祐親やと。過し昔を。うらみしははかなかりける次第かな。扨有べきにてあらされば。早切たまへ源太殿。扨々母が方へは。何共申まじきかと。泪とともにのたまへば。兄弟此よしきくよりも。さん候心にかゝる事とては。よはひかたむきおはします。母ごをさきにたてまいらせ。御あとをもとひまいらせんとおもひしに。おもひのほかにさきだち。あとにてものをおもはせ申さんこそ。よみぢのさはりとなるべけれ。さりなからいまこそかやうにあり共。来世にては一つ蓮とやらんに。生れあひ申べし。かなはぬ事をさのみに。なけかせ給ひ候なと。母上の御こゝろをも。なくさめ給へ父御前と。おとなしやかにいひければ。貴賤群集の。人々も皆泪をぞながしける。扨あるべきにあらざれば。早切たまへ。景末念仏申せ兄弟と。ねんごろにすゝむれば。いとけなきこゑをあげ。南無阿弥陀仏弥陀仏と。十返計となふれば。かけすゑもおもひきり。太刀とりあげぬきもちて。あゆみよりて見てあれば。いづくに刀をうちかけて。切へきやうの。あらずして本の座敷になをりけり。祐延御覧じて。なふ何とてきらせたまはぬぞ。さん候一定きりそんじつべう候。なにがしが内に。吉内兵衛と申て。ふてきの者の候。こなたへまいり兄弟の。太刀取申せとてかたはらよりもよび出す。助延見給ひて。なにがしが子にて候を。御内の人の手にかけ。きれとの仰は口おしし。何までも候はず。某が手にかけ。よみぢをかろくすべき也。うれしひか一満。座敷になをれ箱王と。捨たる太刀を取あげ。あゆみよらせ玉へば我をとらじと手を合。父にきられんうれしや。兄なれば一満先さきにとぞすゝみける。箱王は我をまづとくとくきらせ給へとて。左右の袂にとりついて。むつましげなる。有様を何にたとへん方もなし。かゝる哀れをもよほす所に又よろこびぞ候ひける。秩父の重忠は。すぢかひばしの屋形をいで。はまおもてを見給へば貴賤群集をなす。何事にやととひ玉へば。曽我の一満箱王丸を誅せらるゝと申す。これは兼てもきひつる事。源太殿もそがとのも。楚忽にきらせたまふなと。使を立させ給ひ。御身は御前におまいりあり申あけられけるやうは。唯今出仕申とて。はまおもてを見て候へば。貴賤群集をなす。何事にやたづねて候へば。曽我の一満箱王丸を誅せらるゝよしうけたまはる。まだ幼少の者共に。何程の事の候べき。助御置候て。なにがしに御あづけ候へ。かれら成人つかまつり。若も不忠をぞんぜば。なにがしが手にかけ。頸をきつてまいらすべし。此度の命を御助候はゝ。時の面目たるべきよし申あげさせ給へば。頼朝聞しめされて。なふ如何に重忠。かやうの事を申さねば。たゞ頼朝が僻言と。おもひたまはんずるほどにかたつてきかせ申べし。頼朝流人たりし時。北條蛭が小嶋へながされ。伊藤北條両人に守護せられ。廿一年の。春秋を送り向へて過し時。伊藤が娘に。いひかはしはいしよのうきを慰ぬ。角て日数をふるほどに。若を一人まふけつゝ。嬉しさたぐゐさふらはず。かまへて果報目出度。正八幡の加護ありて。家をおこし名をあげて。天下の主と。仰かれよといつきかしづき日ををくる。かゝりける処に。伊藤の入道助親は。三年のわうばんつとめて。都より下しがはや此事を聞つけ。たがはからひによりともをば婿に取て有けるぞ。平家の御恩を此間。雨山にかふむり。妻子を扶持し身をたてゝ。人と成助親が世になし者を婿に取孫をまふくる物ならば。老の苦患に縄かゝり。うき目を見んこそかなしけれと。娘をば取かへしやまき判官むこにとり三に成し若をば伊藤が瀧にしづめしはなさけなかりし次第なり。頓而頼朝をも。うつべきに有しを。伊藤の九郎が情にて。命ばかりはとにかくにながらへけるぞふしぎなる。恥のうへの嘆き。なげきの恥辱をば筆にもいかでつくすべき。其時の心には。哀伊豆をしたがへ野心の者をほろぼし。おもひしらせばやと。明暮仏神に祈精申せししるしにや。日本国の主となり山きいとうを亡し。くわいけいの恥をすゝぐなり。されば古きことばにも。毒虫をば脳をわつてずいを取。敵藤をは根をたつて葉をからせと。申事の候ぞ。かれらは正しき伊藤が孫。此世にたすけてをかん事。虎の子を野にはなし。龍に水を。あたふるに似たるべし能聞給へ重忠。じよの事にて候はゞ何かは背き申べき。此叓にをひては。おもひもよらぬ事なるべし。時刻移してかなふまじひぞはやとくきれとぞ仰ける。重忠かさねて申上られけるやうは。御諚を委く承り泪にむせびて候。人間不定のならひにて。はやき報ひをぞんぜず。不忠をいたす伊藤こそ返す返すも口おしう候へ。されば因果忽歴然たり。御物かたりの次に。因果の物かたりをかたつてきかせ申べし。いまさんじやうが先かとよ。天竺ぐじなこくに。れうわうと申御門一人おはします。これかくれなき悪王たり。彼国にいんねん法師と申て賢人の候が。非道の勅をそむくとておやこ三人ちうせらるゝ。今度はいんねん法師。大唐のしんのゆうわうに生れかはり給ふ。扨天竺のれうわうは。大たうのごめいしこうと申す。たみのやつこに生れかはり。しんのゆうわうにきられ給ふ。これ先生の。むくひにてのがれかねたるわうしなり。さればかやうの因果に。若君様もあへなく。むなしくならせ給ひぬ。さてさんじやうは。ちんりんす。なを此念をすてたまはて。因果をかへりみたまはずは。互にうつゝ。うたれつ。生々世々につきすまじ。あはれ此者兄弟を。御助候ひて。ともに生死を離るべき。たよりとならせ給へかし。いかにいかにと。申さるれどとかく返事もましまさず。良有ての給ひけるは。今明よりも八ヶ国の人々の。訴訟ありつるをも用ひ候はず。唯此事をば頼朝に。ゆるさせたまへと仰ありさふなく用ひたまはず。重忠承り。荒口惜の御諚や候。今明よりも八ヶ国の人々の。訴訟有つる其跡に。重忠がまいり。無用のそせう申かゝり。かなはて帰る物ならば。秩父の家の不覚。末の世とても面目なし。君は征夷将軍にて。理非をたゞし国を守り玉ふ身が。これほとの訴訟をなどや叶へてたびたまはぬぞ。祖父伊藤は過し事。まだ幼少の者を。是程まての御罪科は有まじき事にて候。何まで候はず。かゝる訴訟を申さんと。おもひたつて候事。ちゝふめうけん大菩薩にはなされ申。此度一門の運のきはまる処なるべし。かれらをきらせたまはゝ。御前にて腹切て。幼き兄弟が。左右の手をひかへて。死出三途を引渡し。阿鼻大城の庭にある。祖父伊藤の入道と。父河津をよび出し。二人の子共を手渡しゝ。古傍輩のしるしにせん。如何に本多半沢よ。浜にくだつて兄弟が。最後の体を見てまいれ。いとま申て我君と。刀のつかに手をかけて。おもひきられし有様を。物に能々たとふれば。漢の高祖のたゝかひに。項羽合戦にかけまけかんやうのぢんをはづし。よはどうをまねけどもかたきをそれてちかづかねば。我とつるぎをぬきもち。我頸をかきゝり。仇に渡すいきほひも今重忠の有様もいかでかをとりまさるべき。頼朝仰せけるは。荒ふしやうの重忠の訴訟や。かなはずは腹きらんとのたまふや。前代未聞の事共かな。力をよばす兄弟を。重忠にまいらせ候。さりながら今朝よりも訴訟ありつる人々の。げにはうらみも有ぬべし。心得給へと仰ありくだしたぶこそ有かたけれ。重忠余のかたじけなさに。かうべを地につけたまひ。荒ありがたや。唯今のそせうかなへてたび給ふ事。生々世々の間に。やはかはわすれ申べきと嬉しなきにぞなかれける。やかて御前を立給ひ。半沢をつかひ給へば。はんざは浜にくだり。重忠の御訴訟にて。兄弟の人々を。御助候也。源太殿も曽我殿も。はやはや帰りたまへと。たからかにいひければ。浜に集るのみならず。聞人毎に。手をあはせ。有がたの重忠や。やさしの人の。心やとよろごばざるはなかりけり。祐延は半沢と打つれ。二人の若を引ぐし。重忠にまいらせ給ひ。あらありがたや候。只今の御訴訟有。兄弟の者共が。命助てたまはる事。生々世々の間に。やはかはわすれ候べきと。あまりの事の。嬉しさに。うれしなき。なかれければ。重忠も。もろともに悦びの泪をながさるゝ。其後祐延申されけるは。今暫く候ひて。御物がたり申度候へとも。古郷に残りたる母にて候者。さこそ嘆ぎさふらはん。先罷帰り。此芳志の有様をくはしく申聞せ。かさねてまいり候はんと。ねんごろにのたまひて。二人の若をこしにのせ。古郷にかへらるゝ。心の内の嬉しを何にたとえんかたもなし。いたはしや母うへは。子共のおもひにたえかねて。なきふしてまします処に。曽我殿も若達も。御悦びにて唯今。かへらせ給ふといひければ。母は夢とも弁へず。ふしたる処をかつぱとおき。立出させたまへば。二人の若も輿よりをり。母の袂に取付て。これは夢かやうつゝかや。夢か現かと泣より外の事はなし。良有て母うへは。涙と共にの給ふやう。此ほどは。実鳥羽玉の夜もすがら。なきあかしつるかなしみに。ゆゐの汀てきられしが。若も夢にや来りけん。死ゝたる者はさありとも。父は夢にはよもきたらし。あふ嬉しさの夢ならば。又や別も。有べしとおもひこがるゝ。心こそことはりせめて哀れなれ。良有て祐延。はじめ終の事共を委くかたり給へば。母や乳母は手を合せ。ありがたの事共や。重忠のましまさずは。いかで二度あふべきと悦ふ事はかぎりなし。されば有為の報仏は。夢の裏の権花。扨亦無作の三身は。覚の前の実仏。駅路の鈴のよるのこゑ返魂香の煙こそなき面影もうつるらめ。これはたくゐもなく鳥のあくがれ母のなげきしに。君のめぐみのふかふして。とがをゆるし理をたゞしあふげは高きつくば山老をもかへすまつかげのみとり子なればなきおやの。君に不忠のすゑなればかくしそだてしいにしへの心に今は引かへ。嘆ぎはかへり悦びの御さかもりと成にけり。扨兄弟の人々。成人年をかさね。兄をば曽我の十郎弟を五郎時宗と。かくれなきゆうしなり。親のかたき祐経に伏山にかくれ居てねらひうかがふ有有さま。余所の見るめも中々心ぐるしき次第なり。ねらふ所はどこどこぞ。ばんにうとひらつか大磯こいそまりこ川あみのいつしき小田原。此世をいでの屋形まで三十八度ねらひ。つゐに本望とげつゝ。後名を家に残しけり。

    元和三丁巳孟夏日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)

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