一満箱王
(毛利家本)
安元元年神無月の頃、奥野の狩場にて、河津の三郎討たれし時、五つや三つの若ありしを、曽我の太郎祐信が養育し、兄の一満十一歳、弟の箱王九つの歳、もの憂き事こそ候ひけれ。
それをいかにと申すに、東八ヶ国の大名小名、頼朝の御前にて御物語のついでに、頼朝、仰せけるやうは、「天下に於いて頼朝に増して、果報の者は候はじ。それをいかにと申すに、保元の合戦に、祖父為義を始め、一門皆討死し、中一年あつて父義朝、悪右衛門の督に語らはれ、その軍に駆け負け、東国さして落ち給ふ。その時頼朝も、御供申して候ひしが、暗さは暗し、雪は降る。西近江、下がり松の辺りにて、追ひ遅れ奉り只一人、龍華の闇に迷ひしに、横川法師の大将、大矢の註記といつし者、後よりも追つかけ、既に難儀に及びしに、北近江伊吹の麓、草野の庄司に助けられ、彼が宿所に年を越し、『今は、かうよ。』と思ひしに、義朝は長田を頼み給へども、頼む木底に雨漏り、闇々と討たれさせ給ひ、御頸上り、獄門に、懸からせ給ふ由を聞き、『せめて変はらせ給ひたる、御姿をなりとも見参らせ、猶も命のあるならば、さまをも変へて御菩提を、弔ひ参らせん。』と思ひ、忍びて京へ上りしに、今須河原といふ処にて、弥平兵衛に生け捕られ、六波羅へ渡され、討たるべきにてありしを、池の尼公に助けられ、北條蛭が小嶋へ流され、伊東、北條両人に、守護せられ春秋を、送り迎へて過ぎし時、伊東の入道祐親に、つらく当たられ候ひつる。その時の心には、『あはれ、伊豆を従へ、野心の者を滅ぼし、思ひ知らせばや。』と、明け暮れ仏神に、祈誓申せししるしにや、日本を集めてしるのみならず、四海を太平に致す事、これ、しかしながら君のため、身のため。武略の功に如くは無し。」と、仰せられたりければ、御前なりし人々も、「げにげに、ゆゆしき御果報や。」と、同音に感じ申さるる。
かかりける処に、工藤一郎祐経、進み出て申しけるは、「今こそ幼少に候とも、末の世に野心を、存ずべき者一、二人、御膝の下に候。」と申す。頼朝、聞こし召されて、「さてそれは、いかなる者ぞ、祐経。」「さん候。一年誅せられ申したる、伊東が孫、河津が子、一満、箱王とて、二人の者の候を、曽我の太郎祐信が、養育仕りたる」由を申す。頼朝、聞こし召されて、「曽我の太郎祐信は、左様に不忠はあらじとこそ思ひ候へ。それをいかにと申すに、頼朝が世を執りたる初めより、深き忠の候へば、随分この方々をば、頼もしく思ひしに、頼朝が末の世の、敵と成らん事こそ奇怪なれ。急ぎ彼等を召し上せよ。誰かある。」との御諚なり。祐経、又申しけるは、「誰々と申すとも、梶原の源太景季ぞ候らん。」と申す。
急ぎ源太を召され、「いかに、景季。伊東が孫、河津が子、一満、箱王とて、二人の者の候を、曽我の太郎祐信が養育し、成人するを待つと聞く。急ぎ彼等を召し上せ、運気を刎ねて捨つべし。早、疾く疾く。」との御諚なり。梶原、承り、「あら、あさましや。」とは存ずれども、主命なれば背き得ず。「畏まつて候。」とて、御前を罷り立つ。駒引き寄せてうち乗り、曽我の里にも着きしかば、祐信の宿所に立ち寄り、「君よりの御使に、源太が参りて候。」と、高らかに言ひければ、祐信、急ぎ立ち出づ。景季に対面し、「さて君よりの御使は、何のためにて候ぞ。」源太、聞いて、「別の子細にて候はず。『御子息達を召し上せ、御対面あるべし。』との、御諚にて候。まだ幼少の人々に、御罪科は候まじい。早、疾く疾く。」と言ひければ、祐信、聞き給ひ、とかく返事もなかりけり。
秋を送る老葉は、風無きに散り、愁ひを催す涙は、問はざるに、まづ落つる。祐信の心の内、推し量られて哀れなり。ややあつて申されけるは、「あはれ、げに世の中に、子に縁なき者を尋ぬるに、祐信にてとどめたり。それをいかにと申すに、幼き者を二人持つて候ひしが、いとけなくて、はかなくなる。彼等が母は、別れを悲しみ、幾程なくて空しくなる。妻の別れ、子どもの嘆き、ひと方ならぬ思ひどもに、『祐信も、遁世修行。』と、思ひ立つて候処に、伊東の入道、常に来り、何がしを慰め、物語のついでに、『承れば曽我殿は、妻子に離れ給ふと聞く。何がしが孫、一満、箱王とて、兄弟の候。彼等を養子にし給ひて、母諸共に置き給へ。」と、再三申され候程に、さすが浮世も厭はれねば、彼等を養育仕り、早七年の春秋を送れば、成人、程も無し。一満、生年十一歳、箱王、今は九つなり。身の衰老をも顧みず、成人するを待ちたるは、別れのためか。恨めしや。げにも敵の裔なれば、君の仰せは理や。されども祐信、君のため、今まで不忠を致さねば、『もしもや助け給はん。』と、奉公だてを申さるる。
「いかに、景季。頼朝の御世を召されたる、始めを語つて聞かせ申さん。石橋山の合戦に、御身の父の景時、かう申す祐信も、平家方にて向かひしに、源氏の勢を見渡せば、只、蟷螂がおのづから、わづかの勢を棚引きて、雲霞の如くの平家の勢を、防ぎ給ふぞ哀れなる。昔が今に至るまで、多勢に無勢、かなはねば、源氏、合戦に駆け負けて、真鶴が浦に引く波の、頼朝、味方に遅れ給ひ、臥木の中を頼みつつ、御身を忍ばせ給ひしは、御世の開けん始めなり。その時、景時、祐信、心を合はせ申すやう、『これ、私の儀に非ず。先祖のための孝行なり。いざや、訪ひ申さん。』と、臥木の中を見てあれば、御物具の金物白く見ゆる処を、弓の筈を取り延べ、木の葉を厚く掃き掛け、さらぬ体にて居たりしに、続く兵、怪しめ、語らひ寄れば、二人、臥木の上に上がり、どうどうと踏み鳴らし、『そも何者か今まで、この木の洞にはあるべきぞ。怪しきさまに宣ふは、いかさま景時、祐信に、心を置かせ給ふか。』と、とかく陳ずる処に、正八幡の誓ひかや、この木の洞よりも、鳩一つがひ、立ち出て、虚空をさして飛んで行く。その時二人、力を得、『あれ見給ヘや、方々。人のあらんず木の洞に、今まで鳩のあるべきか。敵はかうこそ落ちつらん。疾く追つつけや、人々。』と、大勢の兵を、筋なき方へ教ヘ遣り、君を引つ立て奉り、真鶴が浦まで御供申せし志、やはかは忘れ給ふべき。その時、頼朝、『我、世に出るものならば、命の恩を忘れじ。』と、返す返すも宣ひし。たとひ犯す咎ありと、などかは御免ならざらん。御身の父の景時に、この事語り給ひて、訴訟叶へて賜び給へ。」
景季、聞いて、「某も、存知の事にて候。父諸共に御前にて、よきやうに申すべく候。御心安く思し召せ。」と言ひければ、祐信、聞いて、「あら、嬉しや候。さりながら、母に知らせ候はん。」と、簾中に立ち入り、この由、「かく。」と申されければ、母は夢とも弁へず、やがて消え入り給ひけり。「河津殿に離れ申せしその時は、露の命も惜しからず。『消え失せばや。』と思ひしが、兄弟に目がくれ、今又、かかる身とあれば、『いつか彼等、成人し、祐信の頼りにも、成りもやせん。』と仏神に、祈誓申せししるしもなく、今更かかる思ひをせんと、知らずや。」と、兄弟の若どもを、弓手妻手の膝に置き、おくれの髪をかき撫でて、「いかに、二人の若どもよ。祖父伊東の咎により、鎌倉殿へ召し上せ、殺さるべきにあるぞとよ。何とて君にはか程まで、深き敵をば成しつらん。さて若どもを先に立て、みづからは何と成るべき。」と、流涕焦がれ給ひければ、二人の若も諸共に、泣くより外の事は無し。
源太、物越しより申しけるは、「御嘆きを承り、涙に咽びて候。さりながらこれは、御使の身にて候程に、早、疾く疾く。」と言ひければ、母上、聞こし召し、「げにげに、御道理にて御座候。別れの悲しさにこそ、かやうに申して候へ。今は力に及ばず。」と、二人の子どもを出で立たせ、供の者ども、いつよりも、きらびやかに拵へ、父諸共にうち連れて、鎌倉へ行くぞ哀れなる。いたはしや、母上は、あるにあられぬ心にて、中門まで出させ給ひ、兄弟の者どもが、行きつる方を見給へば、雲、行客の跡を埋み、面影だにも残らねば、思ひの外に別れ行く。「霧に迷へる雁金の、鳴く音も我を弔ふか。由なや、今は思はじ。」と、常の所に立ち帰り、彼等が住みし所の、障子を開けて見給ふに、常に手馴れしもて遊び、小弓に竹馬、作り太刀、作り刀のいつの間に、早、形見とは成りたるや。
いたはしや、母上は、せめて思ひの余りにや、女房達を近付けて、語り慰み給ふやう、「叶はぬ浮世の有様を、嘆くべきにはあらねども、一大教主の釈迦如来も、『子には迷ひの親の闇、羅睺為長子。』と説き給ふ。ましてや申さん、人間は、あまた持ちたる子をだにも、一人に後れば、皆に別るる心地あり。我は類もなでしこの、二人が中に、もし一人、いかなる事もあるならば、何と鳴尾の一つ松、類いかにと思ひしに、彼等に別れて母一人、思ひ焦がれて生きてよも、明日まで命長らへじ。この夕暮に音づれの、聞かまほしや。」と宣ひて、衣引きかづき、うち臥して、流涕焦がれ給ひけり。
さても祐信、屠所の羊の歩み、暇行く駒のおのづから、急がぬ旅と思へども、その日の酉の刻に早、鎌倉に着きにけり。その夜は梶原が宿所にとどまり、二人の子どもを左右に置き、夜もすがら介錯し、定めなき世を案ずるに、「げにげに、心に任せぬ別れの道。」と思ひ切る。「親子の契りも今日までと、逢ふ時よりも定まりぬ。嘆くは迷ひの凡夫なり。悟り則ち仏にて、逢ふも嬉しかるまじ。別れもいかが憂かるべき。」と、思ひ切つてまします処に、景季、申しけるは、「なう、いかに、曽我殿。某、御前にて、事の子細を申すとも、このまま御免は候まじ。御対面候はば、取り合はせよきやうに、申すべきにて候。疾く出で立たせ給へ。」と、懇ろに言ひければ、兄弟、この由聞くよりも、幼き心にも、「最後。」とや思ひけん、互に目と目と見合はせて、泣くより外の事は無し。泣かぬも親は悲しきに、まして彼等が体を見て、父が心はかきくれて、おぼえず落つる涙かな。
かくてあるべき事ならねば、景季、御前に参る。頼朝、御覧あつて、「あれは、いかに、景季。何とて昨日は帰らぬぞ。彼等はいかに。」と仰せければ、「召し具して参りたる」由を申す。「時刻移して叶ふまじ。由比の汀へ引き据ゑ、頸を切つて捨つべきなり。早、疾く疾く。」と仰せければ、景季、重ねて申すべきやうのあらずして、我が宿所にぞ帰りける。いたはしや、祐信。二人の子どもに宣ふやう、「祐信、過去に咎ありと、実子ならねば、よも報はじ。伊東、河津が罪科も、今、養育を受けざれば、何の報ひかあるべきぞ。只願はくは神仏、守り給ひて兄弟を、助けて賜ばせ給へ。」と、祈念もいまだ終はらぬに、早、景季は帰りけり。
祐信、急ぎ立ち出、「上意はいかに。」と問ひ給へば、源太、涙に咽びつつ、とかく返事もなかりけり。ややあつて申しけるは、「あら、口惜しや候。せめて御対面も候はば、よその訴訟も頼むべきに、『このまま由比の汀へ御供し、首を切つて参らせよ。若君様の御孝養に報ぜん。』との御諚にて候。」と、申しもあへぬ処に又、御使ぞ立ちにける。「『曽我の一満、箱王丸を、疾く疾く切つて参らせよ。時刻移らば景季も、同じ罪科たるべし。』と、重ねて御諚候。」と、語り捨ててぞ帰りける。曽我も源太も兄弟も、余りの事に肝も消え、胸塞がりて、声出ず。
げにげに、栴檀は二葉よりも香ばしし。鷙といふ鳥は小さけれど、虎を捕る徳あり。彼等はいとけなけれども、「義による命を軽んじ、後名を家に伝へん。」と、嘆く気色もなかりけり。兄弟、申しけるやうは、「いかに候、父御前。急ぎ、乗り物賜はり、由比の汀へ出づべきなり。もしやの頼みあるにこそ、暫しもかくてありたけれ。又、御使の立つならば、景季の御ため、しかるべくも候まじい。とても叶はぬもの故に、構へて嘆かせ給ふなよ、父御前。」と言ひければ、曽我は子どもに諫められ、輿さし寄せて兄弟乗せ、由比の汀へ出けるが、落つる涙に目がくれて、道も定かに見も分かず、しどろもどろと歩みけり。鎌倉内の貴賤上下、「曽我の一満、箱王丸の、最後の体の哀れさよ。」と、袖を絞らぬ人ぞ無き。かくて汀に着きしかば、敷皮敷かせ、輿より下り、「今が最後候か。切られて後に我々は、いかなる所へ行くべきぞ。教へて賜ばせ給へ、父御前。」と言ひければ、「まだ幼少の者どもが、最後を知らぬ哀れさよ。」と、皆涙をぞ流しける。
祐信、さし寄つて宣ひけるは、「今が最後よ、兄弟。切られて後に汝等は、祖父伊東の入道、父河津の三郎と、一つ蓮に生まるべし。必ず死して行く者は、仏の御前に参るなり。まづ初七日は秦広王、本地は不動明王なり。二七日は初江王、本地は釈迦にておはします。三七日は宗帝王、本地は大聖文殊なり。四七日は伍官王、本地は普賢菩薩なり。五七日は閻魔王、本地は地蔵菩薩なり。六七日は変成王、本地は弥勒菩薩なり。七々日は太山王、本地は薬師如来なり。百ヶ日は平等王、本地は観世音。一周忌は都市王、本地は勢至菩薩なり。第三年は五道転輪王、本地は阿弥陀如来なり。七年忌は阿閦佛、十三年は大日如来、三十三年は虚空蔵菩薩なり。かくの如くの仏達、諸々の悲願を起こし、衆生を済度し給へり。幼なければ汝等は、作る罪の無きにより、かかる仏の御前へ、参るべき事どもは、疑ひ定めてあるまじい。構へて不覚に見ゆるな。」と、さも高声に宣へども、見れば余りの不憫さに、人目も更に憚らず、不覚の涙を流さるる。
かやうに時刻を移す処に、一つの喜び候ひけり。三浦の義盛、宇都宮の朝綱、千葉の介常胤、この人々を先として、東八ヶ国の大名小名、訴訟のために連参申すなり。「源太殿も曽我殿も、粗忽に切らせ給ふな。」と、使を立てさせ給ひ、各々、御前に御参りあり、申し上げられけるやうは、「曽我の一満、箱王丸を、誅せらるる由、承る。まだ幼少の者どもに、何程の事の候べき。助け御置き候へかし。」と、各々、申されたりければ、頼朝、聞こし召されて、「まことに面々の日頃の忠節、いつの世に忘れ候べき。さりながら、皆々存知の如く、伊東の入道祐親に、つらく当たられ候ひつる。その時の心には、彼等ほどの者をば、千人切つても飽くべきか。さては面々は、伊東に頼朝を、思ひ替へさせ給ふか。口惜しさよ。」と仰せければ、列参の人々も、重ねて申すべきやうのあらずして、皆々、屋形に帰らせ給ふ。
祐信、この事を汀にて伝へ聞き、「さては、いかやうの人の、御申しなりとも叶ふまじい。」と思はれければ、草の蔭なる祐親に、恨み事をぞせられける。金は砂に交じはれども、朽つる事の候か。君はまさしき清和の流れ、一旦落ちぶれ給ふとも、末に頼みをかけ申す。不忠の心なかりせば、かかる憂き目によも遭はじ。北條殿は君のため、不忠の心なきにより、君を婿に取り給ひ、今は子孫も富み栄え、肩を並ぶる人もなし。羨ましの北條や。あら、恨めしの祐親や。」と、過ぎし昔を恨みしは、はかなかりける次第かな。
さてあるべきにてあらざれば、「早、切給へ、源太殿。さてさて母が方へは、何とも申すまじきか。」と、涙と共に宣へば、兄弟、この由聞くよりも、「さん候。心にかかる事とては、『齢傾きおはします、母御を先に立て参らせ、御跡をも弔ひ参らせん。』と思ひしに、思ひの外に先立ち、後にて物を思はせ申さんこそ、黄泉路の障りと成るべけれ。さりながら、『今こそかやうにありとも、来世にては、一つ蓮とやらんに、生まれ合ひ申すべし。叶はぬ事をさのみに、嘆かせ給ひ候な。』と、母上の御心をも、慰め給へ、父御前。」と、おとなしやかに言ひければ、貴賤群集の人々も、皆涙をぞ流しける。
さてあるべきにあらざれば、「早、切り給へ、景季。念仏申せ、兄弟。」と、懇ろに勧むれば、いとけなき声を上げ、「南無阿弥陀仏、弥陀仏。」と、十遍ばかり唱ふれば、景季も思ひ切り、太刀取り上げ、抜き持ちて、歩み寄りて見てあれば、いづくに刀をうちかけて、切るべきやうのあらずして、元の座敷に直りけり。祐信、御覧じて、「なう、何とて切らせ給はぬぞ。」「さん候。一定、切り損じつべう候。何がしが内に、吉内兵衛と申して、不敵の者の候。こなたへ参り、兄弟の、太刀取り申せ。」とて、傍らよりも呼び出す。祐信、見給ひて、「何がしが子にて候を、御内の人の手にかけ、切れとの仰せは口惜しし。何までも候はず。某が手にかけ、黄泉路を軽くすべきなり。嬉しいか、一満。座敷に直れ。箱王。」と、捨てたる太刀を取り上げ、歩み寄らせ給へば、「我劣らじ。」と手を合はせ、「父に切られん、嬉しや。兄なれば一満、まづ先に。」とぞ進みける。箱王は、「我をまづ、疾く疾く切らせ給へ。」とて、左右の袂に取り付いて、むつましげなる有様を、何に譬へん方も無し。
かかる哀れを催す処に、又喜びぞ候ひける。秩父の重忠は、筋違橋の屋形を出、浜面を見給へば、貴賤、群集を成す。「何事にや。」と問ひ給へば、「曽我の一満、箱王丸を、誅せらるる。」と申す。「これは、かねても聞いつる事。源太殿も曽我殿も、粗忽に切らせ給ふな。」と、使を立てさせ給ひ、御身は御前に御参りあり、申し上げられけるやうは、「只今、出仕申すとて、浜面を見て候へば、貴賤、群集を成す。何事にや尋ねて候へば、曽我の一満、箱王丸を、誅せらるる由承る。まだ幼少の者どもに、何程の事の候べき。助け御置き候て、何がしに御預け候へ。彼等、成人仕り、もしも不忠を存ぜば、何がしが手にかけ、頸を切つて参らすべし。この度の命を御助け候はば、時の面目たるべき」由、申し上げさせ給へば、頼朝、聞こし召されて、「なう、いかに、重忠。かやうの事を申さねば、只、『頼朝が僻言。』と、思ひ給はんずる程に、語つて聞かせ申すべし。
「頼朝、流人たりし時、北條蛭が小嶋へ流され、伊東、北條両人に守護せられ、二十一年の春秋を、送り迎へて過ぎし時、伊東が娘に言ひ交はし、配所の憂きを慰めぬ。かくて日数を経る程に、若を一人儲けつつ、嬉しさ類候はず。『構へて果報めでたくし、正八幡の加護ありて、家を興し名を上げて、天下の主と仰がれよ。』と、いつきかしづき日を送る。かかりける処に、伊東の入道祐親は、三年の大番勤めて、都より下りしが、早この事を聞き付け、『誰が計らひに頼朝をば、婿に取つてありけるぞ。平家の御恩をこの間、天山に蒙り、妻子を扶持し身を立てて、人と成る祐親が、世に無し者を婿に取り、孫を儲くるものならば、老いの苦患に縄かかり、憂き目を見んこそ悲しけれ。』と、娘をば取り返し、山木判官、婿に取り、三つに成りし若をば、伊東が瀧に沈めしは、情けなかりし次第なり。やがて頼朝をも討つべきにありしを、伊東の九郎が情けにて、命ばかりはとにかくに、長らへけるぞ不思議なる。恥の上の嘆き、嘆きの恥辱をば、筆にもいかで尽くすべき。
「その時の心には、『あはれ、伊豆を従へ、野心の者を滅ぼし、思ひ知らせばや。』と、明け暮れ仏神に、祈誓申せししるしにや、日本国の主と成り、山木、伊東を滅ぼし、会稽の恥をすすぐなり。されば古き言葉にも、『毒虫をば、脳を割つて髄を取り、敵党をば、根を断つて葉を枯らせ。』と、申す事の候ぞ。彼等はまさしき伊東が孫。この世に助けて置かん事、虎の子を野に放し、龍に水を与ふるに似たるべし。よく聞き給へ、重忠。自余の事にて候はば、何かは背き申すべき。この事に於いては、思ひも寄らぬ事なるべし。時刻移して叶ふまじいぞ。早、疾く切れ。」とぞ仰せける。
重忠重ねて、申し上げられけるやうは、「御諚を詳しく承り、涙に咽びて候。人間不定の習ひにて、早き報ひを存ぜず、不忠を致す伊東こそ、返す返すも口惜しう候へ。されば、因果忽ち歴然たり。御物語のついでに、因果の物語を、語つて聞かせ申すべし。今、三生が先かとよ。天竺拘尸那国に、れう王と申す、御門一人おはします。これ、隠れなき悪王たり。かの国に、いんねん法師と申して、賢人の候が、『非道の勅を背く。』とて、親子三人、誅せらるる。今度はいんねん法師、大唐の秦のゆう王に、生まれ替はり給ふ。さて天竺のれう王は、大唐のごめいしこうと申す、民の奴に生まれ替はり、秦のゆう王に切られ給ふ。これ前生の報ひにて、逃れかねたる往事なり。されば、かやうの因果に若君様も、あへなく空しく成らせ給ひぬ。さて三生は沈淪す。猶この念を捨て給はで、因果を顧み給はずは、互に討つつ討たれつ、生々世々に尽きすまじ。あはれ、この者兄弟を、御助け候ひて、共に生死を離るべき、便りと成らせ給へかし。いかに、いかに。」と申さるれど、とかく返事もましまさず。
ややあつて、宣ひけるは、「今朝よりも、八ヶ国の人々の、訴訟ありつるをも用ひ候はず。只この事をば頼朝に、許させ給へ。」と仰せあり、左右なく用ひ給はず。
重忠、承り、「あら、口惜しの御諚や候。今朝よりも八ヶ国の人々の、訴訟ありつるその後に、重忠が参り、無用の訴訟申しかかり、叶はで帰るものならば、秩父の家の不覚、末の世とても面目無し。君は征夷将軍にて、理非を糺し、国を守り給ふ身が、これ程の訴訟を、などや叶へて賜び給はぬぞ。祖父伊東は過ぎし事、まだ幼少の者を、これ程までの御罪科は、あるまじき事にて候。何まで候はず。かかる訴訟を申さんと、思ひ立つて候事、秩父妙見大菩薩に離され申し、この度一門の、運の極まる処なるべし。彼等を切らせ給はば、御前にて腹切つて、幼き兄弟が左右の手を控へて、死出、三途を引き渡し、阿鼻大城の底にある、祖父伊東の入道と、父河津を呼び出し、二人の子どもを手渡しし、古傍輩のしるしにせん。いかに、本多、榛沢よ。浜に下つて兄弟が、最後の体を見て参れ。暇申して、我が君。」と、刀の柄に手をかけて、思ひ切られし有様を、物によくよく譬ふれば、漢の高祖の戦ひに、項羽、合戦に駆け負け、咸陽の陣を外し、呂馬童を招けども、敵恐れて近付かねば、我と剣を抜き持ち、我が頸を掻き切り、敵に渡す勢ひも、今、重忠の有様も、いかでか劣り優るべき。
頼朝、仰せけるは、「あら、不請の重忠の訴訟や。『叶はずは、腹切らん。』と宣ふや。前代未聞の事どもかな。力及ばず。兄弟を、重忠に参らせ候。さりながら今朝よりも、訴訟ありつる人々の、げには恨みもありぬべし。心得給へ。」と仰せあり、下し賜ぶこそありがたけれ。重忠、余りの忝さに、頭を地につけ給ひ、「あら、ありがたや。只今の訴訟、叶へて賜び給ふ事、生々世々の間に、やはかは忘れ申すべき。」と、嬉し泣きにぞ泣かれける。やがて御前を立ち給ひ、榛沢を使ひ給へば、榛沢、浜に下り、「重忠の御訴訟にて、兄弟の人々を、御助け候なり。源太殿も曽我殿も、早々帰り給へ。」と、高らかに言ひければ、浜に集まるのみならず、聞く人毎に手を合はせ、「ありがたの重忠や。優しの人の心や。」と、喜ばざるはなかりけり。
祐信は榛沢とうち連れ、二人の若を引き具し、重忠に参らせ給ひ、「あら、ありがたや候。只今の御訴訟あり、兄弟の者どもが、命助けて賜はる事、生々世々の間に、やはかは忘れ候べき。」と、余りの事の嬉しさに、嬉し泣きに泣かれければ、重忠も諸共に、悦びの涙を流さるる。その後祐信、申されけるは、「今暫く候ひて、御物語申したく候へども、故郷に残りたる母にて候者、さこそ嘆き候はん。まづ罷り帰り、この芳志の有様を、詳しく申し聞かせ、重ねて参り候はん。」と、懇ろに宣ひて、二人の若を輿に乗せ、故郷に帰らるる。心の内の嬉しさを、何に譬へん方も無し。
いたはしや、母上は、子どもの思ひに耐へかねて、泣き臥してまします処に、曽我殿も若達も御悦びにて、「只今、帰らせ給ふ。」と言ひければ、母は夢とも弁へず、臥したる処をかつぱと起き、立ち出させ給へば、二人の若も輿より下り、母の袂に取り付きて、「これは、夢かや。うつつかや。」夢かうつつかと、泣くより外の事は無し。ややあつて母上は、涙と共に宣ふやう、「この程は、げにうば玉の夜もすがら、泣き明かしつる悲しみに、由比の汀で切られしが、もしも夢にや来りけん。死したる者はさありとも、父は夢にはよも来らじ。逢ふ嬉しさの夢ならば、又や別れもあるべし。」と、思ひ焦がるる心こそ、理せめて哀れなれ。ややあつて祐信、始め終はりの事どもを、詳しく語り給へば、母や乳母は手を合はせ、「ありがたの事どもや。重忠のましまさずは、いかで再び逢ふべき。」と、悦ぶ事は限り無し。
されば有為の報仏は、夢の裏の権果。さて又、無作の三身は、覚の前の実仏。駅路の鈴の夜の声、反魂香の煙こそ、亡き面影も映るらめ。これは類もなく鳥の、あくがれ母の嘆きしに、君の恵みの深うして、咎を許し、理を糺し、仰げば高き筑波山、老いをも返す松蔭の、みどり子なれば亡き親の、君に不忠の裔なれば、隠し育てしいにしへの、心に今は引き替へて、嘆きは返り悦びの、御酒盛と成りにけり。
さて兄弟の人々、成人、年を重ね、兄をば曽我の十郎、弟を五郎時宗と、隠れなき勇士なり。親の敵、祐経を、野に伏し山に隠れ居て、狙ひ窺ふ有様、よその見る目も中々、心苦しき次第なり。狙ふ所はどこどこぞ。馬入渡、平塚、大磯、小磯、鞠子川、網の一色、小田原。この世を井出の屋形まで、三十八度狙ひ、終に本望遂げつつ、後名を家に残しけり。
元和三丁巳孟夏日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)
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