元服曽我
(内閣文庫本)

 文治元年正月十三日に、鎌倉殿、箱根詣とぞ聞こえける。さる間、箱根には、「鎌倉殿の御参り。」とて、大衆、衣を用意し、児の衣裳を結構す。その中に箱王殿、衣裳の事をば嗜まで、幼稚で離れし父御の事、今のやうに思はれて、忍びの涙、堰きあへず。小師の式部を近付け、「いかに候、式部殿。鎌倉殿の御前へ、我は出仕を申すまじ。それをいかにと申すに、『祖父伊東の入道殿、謀叛人なり。』とて、御咎めのありし事、世には隠れも候はず、式部殿。」とぞ申しける。式部、この由聞くよりも、「さも候へ、これ程大衆、結構候に、よそながら御見物あれかし、箱王殿。」とぞ申しける。「さらば、見物せん。」とて、鎌倉殿の御参りを、「今や遅し。」と待ち給ふ。さる間鎌倉殿、御登山ましまして、講堂に籠らせ給へば、大名高家の人々、大庭広縁に、所せきなく並み居たり。
 その中に箱王殿、式部大夫を供として、外殿の格子の際まで出、「さもあれ、敵の祐経と、名のみばかりは聞きけれど、その姿をばいまだ見ず。敵を問はで。」と思し召し、「いかに候、式部殿。鎌倉殿は、いづくにまします、式部殿。」とぞ問うたりける。式部、この由聞くよりも、「大紋の指貫に、立烏帽子召されたるこそ、鎌倉殿にておはしませ。」箱王殿、聞こし召し、「愚かの人の教へ事や。さればとて鎌倉殿を、見損ずべきにはあらねども、敵を問はんがためぞかし。『祐経は。』と問ふならば、式部大夫が心得て、『あれぞ。』と教ふる事あらじ。八ヶ国の大名小名の、名字を問うて見んずるに、祐経といふ者に、問ひ当たらぬ事、よもあらじ。」と、まだいとけなき御心に、案を廻すぞ恐ろしき。
 「さて、あの君の弓手の御脇に、直らせたるは誰候ぞ。」「武蔵の国の住人に、秩父の重忠と、申す人にておはします。」「さて又、妻手の御脇に、直られたるは誰候ぞ。」「相模の国の住人に、和田の義盛候よ。」「さて又君の御前に、中座に着いてましますは、いづくの国の誰候ぞ。」「伊豆の国の住人、北條の四郎時政とて、君のためには御舅。」「その次に着いたは誰候ぞ。」「田代の冠者信綱とて、これも伊豆には大名なり。」「その次々は誰候ぞ。」「逸見、武田、小笠原、一條、板垣、南部、下山、皆、着いたり。」と言ひけれど、あう、名を祐経と聞かざりけり。「さて又、外殿の格子を、北向きにばらりと、居流れたるは誰候ぞ。」「あれこそ相模大名に、座間、本間、土肥、土屋。遠江の国の住人に、設楽、長山、皆着いたり。」と言ひけれど、名を祐経と聞かざりけり。「さて又、外殿の格子を、西向きにばらりと、居流れたるは誰候ぞ。」「あれこそ信濃大名に、仁科、高梨、犬養、諏訪殿原、小森、白鳥、服部党、皆着いたり。」とは言ひけれど、あう、名を祐経と聞かざるは、箱王に包むか、覚束なし。
 「さては、この度の御供を、祐経は申さざりけるや。御供申すならば、伊東の大将にてある間、末座には、よもあらじ。さらば、帰らん。」と思ひしが、又立ち帰り、問うたりけり。「さて、あの礼盤の際に、薄香染の直垂を着、ゆゆしげなる大名は、いづくの国、誰候ぞ。」式部、この由聞くよりも、「あれこそ御身のためには、眼前の従兄、工藤一郎祐経と、申す人にておはしませ。」箱王殿、聞こし召し、「ようぞ立ち帰り、問うたりけり。」と思へば、幼稚で離れし父御の事、今のやうに思はれて、敵なれども懐かしく、見とれてここに箱王殿、呆然としてぞおはします。
 何とかしたりけん、祐経、箱王を見付け、扇を上げて、「これへ、これへ。」とぞ招きける。さる間箱王殿、敵の呼ぶが嬉しさに、大勢の中をかき分けかき分け通り、祐経が傍へ寄つたりける。祐経、箱王を、膝の上に抱き乗せ、「御身のためには御一族の、片端と召し置かれたる、工藤一郎祐経と、申す者にて候が、箱王殿のこの寺に、まします由を承れども、公方の暇なき間、今まで御目にかからぬなり。見参の初めに何をか、箱王殿に参らせん。少人のためには、合はぬ引出物なれども、家に伝はる重宝なれば、赤木の柄に銀の、目貫胴金打つたりし、小刺刀を取り出し、箱王殿にぞ引きにける。
 箱王、この由見るよりも、「ああら、嬉しや。敵の手よりも、刀を得たる事は、ひとへに箱根の権現の、出させ給ふ処なり。取つて引き寄せ、一刀。」と、思ひ切りてはありけれど、「祐経は、古兵。箱王は生年十三なり。腕、か細くして、着籠の上を通すまじ。通さぬものならば、鎌倉殿の御目の前、大名小名の御覧ずる所にて、親の敵を討ち損じ、冥途にまします河津殿、末代曽我の憂き名を、くたさん事の悲しさよ。」とやせん、かくやあらましと、案じ煩ふその時刻、「鎌倉殿の御下向。」とて、大名小名、一度に座敷をばらりと立つ。祐経も座敷を立つ。目の当たりなる敵をも、討たで過ごすぞ無念なる。さる間、箱王殿、学問所に立ち帰り、只この事をぞ案じける。寝れば敵が夢に見え、起くれば身の添ふ如くにて、学問も心に入らざりけり。
 かくて年月を経る程に、十六に成るは程も無し。曽我にまします母上、「箱王を法師に成すべし。」とて、袈裟と衣を用意して、箱根へ上せ給ひけり。祐成、聞こし召されて、「さては箱王は、法師に成るべきにてありけるや。児の姿を今一度、見ばや。」と思し召さるれば、箱根へ上り給ひけり。箱王、急ぎ立ち出、祐成を一間所に請じ申し、「明日はさて、箱王は、法師に成るべきよ、なう。箱王、法師に成るならば、御身に類ふ人あらじ。定めて法師に成るならば、一人は寺の住まひをし、祐成は里に住み給はば、敵の工藤祐経を、何としてかは討つべきぞ、十郎殿。」とかき口説き、泣くより外の事は無し。
 祐成、聞こし召し、涙をはらはらと流し給ひ、「あはれ、げに世の中に兄弟に、縁なき者を尋ぬるに、祐成にてとどめたり。京にまします小次郎殿は、都の住まひとましませば、身の本望を、語り慰む事も無し。越後なる禅師坊は、国遥々にて音づれ無し。二の宮の姉御は女性の身、あるしるしもましまさず。箱王さへ法師に成り、祐成は、友も渚のうつせ貝、砕けて物を思ふとも、誰か哀れと問ふべきぞ、箱王殿。」とかき口説き、又はらはらと泣き給ふ。
 箱王、申しけるやうは、「その儀ならば、里に下り、男に成り、祐成の御供申すべきか。但し、母上の、御不孝もや候べきか。」祐成、聞こし召されて、「御身、男に成つて後、母上の御不孝候とも、祐成があらん程は、よきやうに申すべし。」「さあらば、思ひ立たん。」とて、常の所に立ち帰り、詳しき事を書きとどむる。「名残をば、名残をば、箱根の御山にとどめ置き、二つとなき命をば、冥途にまします父、河津殿に奉る。師匠、同宿人々に、名残の数は多けれど、思ひたちぬる旅衣、又こそきても逢ふべけれ。返す返すも名残惜しの、式部大夫。」と書きとどめ、夜の間に忍びて出にけり。浜辺の宮を筋違に、野径の露にそぼ濡れて、曽我の里にぞ着きにける。
 祐成、仰せけるやうは、「今は早、一時も、児の姿にては叶ふまじ。やがて男に成すべきが、烏帽子親には、いかなる人を頼むべき。」「伊豆の国、北條殿を頼むべし。」「この儀は、いしく候。さりながら、かちにていかが行くべき。」と、祐成、馬を用意する。馬は一疋なり。祐成、馬を引き寄せ、「乗れや、箱王。」「召され候へ、十郎殿。」と、兄弟、馬をぞ論じける。祐成、仰せけるやうは、「ああら、さかさまなる御ことが言ひ事かな。児をかちにて歩ませ、大俗の身にて馬に乗り、路次を行かうずる程に、さかさまなる事の候べきか。乗れや、箱王。」「いかなる御事候ぞ。舎兄をかちにて歩ませ申し、弟の身にて馬に乗り、路次を行かうずる程に、さかさまなる事の候べきか。召され候へ、十郎殿。」「早、乗れや、箱王。」と、兄弟、馬を論じけり。「時刻を移し、夜明けなば、大方殿に洩れ聞こえ、とどめられては叶ふまじ。箱王殿も乗り給へ。祐成も乗らん。」とて、馬一疋に兄弟乗り、曽我の里をぞ出にける。上古も今も末代も、ためし少なき次第かな。
 兄弟、馬を速めて打つ程に、北條の舘も近付きければ、馬場末にて馬より下り、門外にこそたたずみけれ。折節、江間の小四郎、立ち出、「いづくへの御通り候ぞ。」「さん候。別の子細にて候はず。これなるわつぱに、烏帽子が着せたく候ひて、頼み申して参りて候。」小四郎、聞いて、「易き程の御事なり。但し、父の北條に、問ひ申さん。」とて内に入り、時政に、「かく。」と語る。北條、聞きあへず、涙をさつと浮かべ給ひ、「それ昔は、六十六ヶ年を一昔とし、中頃は三十三ヶ年。当代は、二十一ヶ年を一昔とす。この人々が、世が世にて、烏帽子親を取るべきならば、源氏ならば鎌倉殿、平家ならば小松殿の、御縁にて烏帽子を着うずるが、時世に従ふ習ひとて、傍輩を頼うで、来りたる事の哀れさよ。それそれ、こなたへ請ぜよ。」とて、なけれど出居の塵を取り、破れねど簾掛け直し、引き繕へば、既に早、時移り、返事もなかりけり。
 箱王、大きに腹を立て、「いかに候、十郎殿。不思議やな、江間殿は、何とて遅く見ゆるぞ。あう、やがて心得たり。昔は伊東、北條とて、鳥の二つの羽がひ、車の両輪の如くにて、劣り優りはなかりつるに、当君の御世と成つて、我々兄弟が、世に無し者にてある間、北條が卑しめて、烏帽子を着せじ、そのために、さてばし遅く見ゆるか。その儀にてあるならば、諏訪、八幡も御知見あれ。今生この世にて、親の敵は討たずとも、簾中へ乱れ入つて、北條と刺し違へ、死なうずるにて候ぞや。そこの程をば十郎殿、御用意あれ。」とぞ申しける。祐成、聞こし召されて、「いかなる事ぞ、箱王殿。北條も、さは思はれ候はじ。心を静めて待ち給へ。」と、箱王を制し給ふ。その後、江間殿、出合ひ、「雑掌構へ候とて、今まで遅参仕る。こなたへ御入り候へ。」とて、兄弟を請ぜらるる。その時箱王、色を直し、兄弟連れてぞ入りにける。
 北條、やがて出合ひ、一つは客人、児なれば、箱王を弓手の脇、祐成を妻手の脇へ請ぜらるる。その外、江間の小四郎を先として、一族、家の子、若党、車座にばらりと居流れ、三献盃過ぎて後、北條、烏帽子を召し寄せ、箱王殿の髪生やし、鬢掻き済まし、着せ申し、名をば助五郎時宗と付けさせ給ひ、その時北條、仰せけるは、「いかに、面々、聞き給へ。それ烏帽子といふ事は、私ならぬ事にてあり。清和天皇の御代の時、異国よりも我が朝へ、作り物おこされけり。公卿、殿上人、納言、宰相以下、北面、有官無官、関白殿下、さし集まつての僉議なり。御門、叡覧ましまして、『これは、男の魂なり。名は烏帽子といふ物。縁は大海、粒は星、櫛形は半月、尖るは国の猛き相、風口の広き事は、命の長き相なり。小結を結うて着る事は、さながら須弥の半腹のまなびなり。この烏帽子を着る人は、命も長く、名も高く、寿命長遠、徳自在、富貴の家に至るべし。』この烏帽子を召されて末繁昌。」と祝ひつつ、太刀と刀を取り出し、箱王殿に引き給ふ。
 祐成、御覧じて、涙をさつと浮かべ給ひ、「ああら、恥づかしや。昔が今に至るまで、烏帽子子の方よりこそ、引出物を申す習ひのあるに、かへつて賜はる事の恥づかしさよ。」と思へば、汗も涙も諸共に、とどめかねたるばかりなり。北條、御覧じて、「ああら、無残や、祐成。弟が烏帽子を着る程に、ありし昔を思ひ出し、泣いたる事の無残さよ。慰めばや。」と思し召し、盃たぶたぶと控へ給ひ、「いかに候、十郎殿。まことや、承れば、秩父には六郎殿、三浦に朝比奈、曽我には十郎殿の、一つ師に付いて、舞を習はせ給ふが、中にも十郎殿の御舞の、すぐれたる由承る。これは箱王殿の、祝言の初めなれば、只、ひと奏で。」と乞はれたり。
 祐成、聞こし召されて、「舞はじもの。」とは思はれけるが、「かくては座敷の興も無し。舞はばや。」と思し召し直して、一声をこそ上げにけれ。
  しづやしづ しづの苧環繰り返し 昔を今に成す由もがな 昔を今に成さばや
と、やや暫く謡ひしが、「ああら、何ともなや。これは無常の体ぞかし。舞ひ直さばや。」と思し召し、和歌の体をぞ上げにける。
  君を始めて拝むには 千代も経ぬべし姫小松 千代も経ぬべし姫小松
と、三遍踏んで廻れば、北條を始め、連座ありし人々、一度に、「あつ。」と感じけり。
 その後、舞も過ぎければ、暇を申し、兄弟、曽我故郷に帰りけり。

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